68. 12月2日【4】恋人になった日
アメリカに日本のような告白文化はない。では、どのように交際に至るのかというと、二人きりで会う友達以上・恋人未満という曖昧な期間を経て、大体数か月でこの先どんな関係を望んでいるのかを確認し合う。もちろん、期間は個人によって変わるので、男女の関係になっているのにも関わらず、恋人になるまで一年以上もお試し期間だったという場合もあるようだ。
一方で、相手の友達や家族に「こちらが、恋人の○○です」と紹介されて初めて、自分たちが交際していることを確認できたといったパターンも実はまったく珍しくないらしい。
そういった事情を知っていたので、自分たちの関係もハッキリさせるのにもうしばらくかかると思い込んでいた美良乃は、ルイの提案を受けて一瞬頭が真っ白になった。
フリーズした脳がゆっくり再起動して、ようやく自分が何を言われたのかを理解する。
「……それって、お試し期間を終わりにしようってこと?」
身体の内側から誰かがノックでもしているのかというくらい鼓動が激しくなり、声が震えた。
「そうだよ。日本風に言うと、僕の恋人になってください、という意味だ」
「恋人……」
美良乃はじわじわと湧き上がってくる感情をうまく表現できずに、口元をぐにゃりと歪める。ニヤニヤと頬が緩みそうになるのを堪えて唇を噛んだ。
――嬉しい。
それが、正直な美良乃の気持ちだった。
勢い込んで返事をしそうになるのを一旦押しとどめて、己に問う。
(ちょっと待って! ルイと付き合うってことは、頻繁に血を吸われるってことだよ。わたしにそれを受け入れることができる……?)
あの吸血鬼の男に血を吸われた時は吐き気がするほど気持ち悪かった。しかし、ルイにまた血を吸われることを想像してみても、嫌悪感は微塵も湧いてこなかった。
美良乃は少し身を引いてルイの瞳を見つめる。真剣な眼差しの奥に燃えるような熱を感じて確信した。
――欲望を向けられても、ルイなら嫌ではない。
「わたし、まだまだ成長途中だよ? 自分にもこんなことができた、あんなことができたって、ちょこっとずつ自信をつけていきたい。そんなわたしでもい」
「いいに決まっている!!」
ルイは美良乃が言い終わらないうちに声を張り上げた。気持ちが高揚しているのか、頬がバラ色だ。
「日々成長する君を、恋人という特等席で見守っていきたい!!」
何度も頷くルイに、美良乃はもう笑顔を堪えることができなかった。
「じゃあ、その、恋人としてよろしくお願いします」
「ああ……!」
ルイは感に堪えないといった風に再び美良乃を腕の中に閉じ込めた。
「君の中にある僕への気持ちはまだ愛ではないかもしれないけど、いつか僕なしでは生きていけないほど君を夢中にさせてみせるから、覚悟しておいておくれ」
「ふふっ、期待してる」
ニヤッと笑うと、ルイは嬉しそうに目を眇めた。
「おや、何という小悪魔だろうね。だがそんな君も魅力的だ」
彼は悪戯を嗜めるように、チュッと軽く唇に触れるだけのキスをした。
「はあ、やっと僕の手の中に堕ちてきてくれた。――もう絶対に離さないよ、美良乃」
ルイの胸に頬を押し当てると、彼の心音が聞こえてくる。美良乃に負けないほどドキドキしているようで、何だかホッとした。
しばらくして、ルイが「さてと」と軽く息を吐いた。
「男の『何もしないから』は決して信じてはいけないが、今夜に限っては信用してほしい。何もしないから、このまま君の隣で眠っていいだろうか?」
「うん。信用する」
「ありがとう」
ルイはいそいそと美良乃の隣に潜り込んだ。彼は横向き寝転ぶと、背後から美良乃を抱きしめた。
「おやすみ、僕の愛しい恋人」
「おやすみ、ルイ」
背中から伝わる温度が心地いい。
(幸せだな……。何だか、ルイの腕の中にいると、すごく落ち着く)
窓の外で風が木の枝を揺らす音がする。先ほど客室で独りだった時は恐怖心を掻き立てられるだけだったのに、ルイにの腕の中にいると、まるで子守歌のように眠気を誘う。
ふわふわとした気持ちのまま、美良乃はそっと目を閉じた。
翌朝、美良乃は横腹に感じる重みで目を覚ました。寝ぼけながらも目を開けると、見慣れない部屋が目に飛び込んでくる。一瞬自分がどこにいるのかわからず混乱したが、段々と思考がはっきりしてくる。
(そうか、わたし、ルイの家に泊めてもらったんだった)
そっと上掛けを捲ると、背後から自分のお腹にまわされたルイの腕が見えた。どうやら、昨日抱き寄せられた格好のまま寝ていたらしい。先ほど感じた重みはルイの腕だったようだ。
そろりと後ろを振り返ると、神々しいほどの美貌がすやすやと眠っていた。
(寝起きにルイの顔は眩しすぎる……! 目が、目がぁ!!)
ふと考えてみると、ルイの寝顔を見るのは初めてではないか。それならばと、美良乃はルイに向き直るように身体を反転させ、じっと花の顔を観察した。
「わたしなんかが女性と名乗ってすみません」と謝罪したくなるくらい、肌の手入れが行き届いている。艶とハリが凄い。髪と同じ射干玉色の睫毛は濃く、驚くほどに長い。すっと通った鼻梁に形のいい唇。何をとっても完璧ではないか。
そこで美良乃はふと気付いた。昨日は色々混乱していたため深く考えなかったが、自分はルイとキスをしたのではなかったか。
(しっ、しかも! 舌まで入れられたような……!?)
思い出しただけで顔から火が出そうだ。昨日は思いがけず、ファーストキスを二種類も経験してしまった。
ひとりで動揺していると、ルイが堪えきれないというように吹き出した。
「ぶふっ……! 美良乃、そんなに見られたら顔に穴が開いてしまいそうだよ」
「ルイ! 起きていたなら声くらいかけてよ!!」
「ごめんごめん、あまりにも君が熱心に僕の顔を見つめてくれるものだから、サービス精神に火がついて」
「も、もうっ!」
ルイはひとしきり笑うと、顔を寄せて軽く触れる程度のキスをしてきた。
「おはよう♡ 寝起きの君も想像通り愛くるしいね♡ 食べてしまいたいくらいだ」
「お、おはよう……」
相変わらず朝から糖度が高い。
ルイが毎朝送ってくる挨拶のメッセージを、本人の声で音読されているようでいたたまれない。
美良乃は熱くなった顔を隠すため、ルイに背を向けて両手で顔を覆った。
(恋人同士って、こんなにブチュブチュたくさんキスをするものなの!?)
何せ誰かと付き合うのは初めてのことなのでよくわからない。思い返してみると、アリアとダニエルも隙あらばチュパチュパしていたような気がするので、至って普通の頻度なのかもしれない。
ルイはそんな美良乃にくすりと笑うとベッドを出た。
「君の着替えを執事に買いに行かせるけれど、サイズを訊いてもいいかな? 今日は適当な服で申し訳ないけれど、今度二人でオマハにでも買い物に行こう。昨夜ダメにしてしまった服の代わりを贈りたい」
汚れてもいいような着古したバイト用の服なので、弁償する必要はないと言ったのだが、ルイは頑として譲らない。オマハへ買い物デートに行くのも楽しそうなので、お言葉に甘えることにした。
「それなら、今日買う必要はないよ。執事さんにも悪いし、今着てるスウェット借りて帰っていい? 洗って返す」
「しかし、その恰好で帰ったらご家族が心配するんじゃないかい?」
「大丈夫だよ。どっちみち違うコートを着てたら何かあったのか訊かれると思うし。適当に言い訳を考えておく」
「君がそれでいいのなら、そうしよう」
ルイは部屋の奥にある別室に向かい、着替えて戻ってきた。どうやら彼が入っていたのはウォークインクローゼットらしい。彼はちらりと時計を見やった。時刻は午前十時三十分を示している。どうやら二人とも疲れ切っていたのか、朝寝坊したらしい。
「昼餐を一緒に食べていってほしい。僕は午後から自警団のオフィスで事後処理があるし、君の家の吸血鬼避けもまだ撤去していないので、帰りは執事に送らせるよ」
「うん、ありがとう」
ルイは料理人と執事に采配をしに部屋を出ていった。美良乃はその隙にバスルームに駆け込んで身なりを整えた。先ほどから寝起きの自分がどんな状態なのか心配していたのだ。
「良かった。髪はちょっとボサボサだけど、目ヤニとか涎の痕とかはついてない。はっ!! 口臭は!?」
寝起きは口臭がきつくなるというではないか。自分の両手の中に息を吐いて匂いを嗅いでみたが、特に異臭はしない。乙女の体裁は守れたようだ。
洗顔を済ませてバスルームを出ると、ルイは美良乃の手を引いてサンティアゴ伯爵邸を案内してくれた。
「この家は僕がニッカ―住みついた1880年代に建てたものでね。以前は下町の裁判所の前にあったのだけれど、日本から戻った時にここへ移築したのだよ」
「えっ、じゃあ新築の頃からルイが家主だったんだ?」
それでは、以前の住人が不慮の事故で亡くなっている、などのホラーエピソードはないだろう。幽霊の心配はしなくてよさそうだ。
ルイはまず主寝室のある二階から案内してくれた。ルイの部屋と美良乃がいた客室以外にも使っていない寝室が三つと、サンルーム、客用のバスルームがあった。どの部屋も品のいいアンティークの家具で整えられている。
廊下に並ぶドアのうちひとつは屋根裏部屋に上がる階段になっていた。屋根裏部屋はかなりの広さのホームシアターになっていた。こちらも電子機器以外はアンティークで統一されていた。ホームシアターの奥は壁で区切られていて、そこには最新式のトレーニング器具が揃えてあった。どうやらジムとして使っているようだ。
一階には応接室と書斎、ダイニングルームとリビングルーム、バスルーム、廊下の一番奥に十二畳ほどのキッチンがあり、そこに地下に続く階段があった。
建設当初は地下室がなかったのだが、ここへ移築した際に作ったようで、地下室は邸のどの部分より新しかった。このフロアだけは現代風の内装になっていて、ランドリールーム、倉庫、竜巻がきた際に避難する窓のない部屋があった。
「最後に、ここがバーになっている。よく友人を招いてここで飲んだり、遊んだりするのだよ」
「うわあ、すごい!」
規模は小さいが、まるで本物のバーのような内装だ。地下室の他の部屋とは違い、ここの家具はアンティークで統一されている。バーカウンターの後ろには様々な種類のお酒がずらりと並んでいる。ダーツやビリヤード台まで完備しているではないか。
ルイの家は豪邸というまでの大きさはないが、確かに、これではバー経営の傍ら自警団副団長も務めるルイひとりでは維持するのも一苦労だろう。どうりでお手伝いさんを雇っているはずだ。
その後ダイニングルームで料理人が用意してくれた昼餐をいただくと、美良乃はサンティアゴ伯爵邸を後にした。
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