63. 12月1日 カサンドラの襲撃【4】
しかし、こちらに向かって伸ばされたルイの手が血に塗れているのを見て、美良乃は本能的に顔を背けて逃れようとした。
「やっ……!」
ルイが小さく息を呑む音に、美良乃は自分の失態に気付いた。顔から血の気が引いていく。
「あっ……、ご、ごめ」
慌てて振り返ると、彼は傷ついたように眉尻を下げていた。美良乃へ伸ばしかけた手を引いてグッと拳を握る。
「――すまない。怖がらせてしまったね」
力なく笑うルイの姿に、美良乃の胸がギュッと痛んだ。
(わたしはルイと距離を置こうとしていたのに、ルイはわたしを助けに来てくれた。それなのに、わたしは彼を拒絶するような反応をして……)
ルイは人の気分などオーラで見えるのだ。美良乃がここ最近二人の関係性に悩んでいたことになど気付いていただろう。微妙な関係の女の救出などダニエルと他の団員たちに任せることもできたのに、ルイは必死の形相で駆けつけてくれた。
――その事実に、心がキュンと痺れた。
最初は、強引で人の話を聞かない様子のおかしいナルシストだと思っていた。こんな奴と付き合うなど到底考えられないとルイを拒絶していた。
本当はこんな自分に強い興味を示してくれたことが嬉しかったくせに、デートをするようになってからも、ルイが強引だから流されたんだと内心言い訳をしていたように思う。後で拒絶されてもルイが勝手に期待して勝手に失望しただけ、美良乃が望んで近づいたわけじゃないと責任転嫁をし、自分を慰めることができる。そんな消極的で受け身な状態のまま、スタートした関係だった。
そして案の定、自己肯定感が著しく低い美良乃は躓いて立ち止まってしまった。モンスターショーの一件で不安になって、せっかくルイが繋いでくれた手をはたき落として逃げだすような真似をした。心を許した相手に裏切られたくなくて、また拒絶することで傷を最小限に抑えようと試みたのだ。
自分でも呆れるほど面倒くさい。それなのに、ルイは美良乃を見捨てなかった。
(ああ、わたし、ルイと一緒にいたい)
――自分はルイとどうなりたいのか。
モンスターショー以来ずっと頭を悩ませていたことへの答えが、自分でも驚くほどスルリと出てきた。
暖房器具もない納屋の中に長時間いて身体は凍えているはずなのに、胸の奥に火が点ったような熱が湧き上がる。
「僕に触れられるのは嫌だろうから、フェルナンドに頼んで家までおく」
ルイが躊躇いがちに口を開いた瞬間、美良乃は反射的に彼に抱きついていた。
「みっ、美良乃!?」
「――っご、ごめんなさい」
「君が謝ることなんてなにもないのだよ」
ルイはおずおずと美良乃の背中を撫でる。本当に触れてもいいのかと迷っているようだった。
「あんなところを見せてしまったからね。君が僕を怖がるのも無理はない。さあ、僕に抱きつくと汚れてしまうよ」
――そうじゃない。
普段はひょうきんに振舞っているルイの冷酷な吸血鬼としての本性を垣間見て、衝撃を受けたのは事実だ。
美良乃は平和な世界で生きてきて、殴り合いの喧嘩ですら滅多に目撃したことがないのだ。命を奪うことすら厭わない本気の戦いを目の当りにして恐怖を覚え、他人の血を見て取り乱すのは自然な反応だろう。一時的なパニックに陥ってしまっただけなのだ。
美良乃とルイは知り合ってからまだ日が浅いが、本来の彼はこんな風に自分を気遣ってくれる優しい人だと知っている。だからこそ、先ほどの今回の一件で彼を嫌悪することなどない。
――どうしたら、それを彼に伝えることができるだろう。
必死に思案していると、やんわりとルイに肩を押されて、美良乃は咄嗟に声を張り上げた。
「抱きしめてよっ……!!」
ルイの両手がピクリと反応する。
美良乃は彼の胸に額を擦りつけた。口下手で不器用な自分がもどかしく、両目に涙がせり上がってきた。
「離れないで! 抱きしめて安心させて! ……そばにいてよ」
涙でぐしゃぐしゃの顔を上げれば、目を見開いたルイと視線が交わる。よほど驚いたのか、磁器のように白くて滑らかな頬は桃色に染まっている。
彼はくしゃりと顔を歪ませると、両腕でしっかりと美良乃を抱き込んだ。
「――すまない」
「あ、謝らないで……。怖かった……、本当に、怖かったんだから」
嗚咽混じりに訴えれば、情けないほど優しく返してくれる。
「うん、怖かったね」
「助けに、来て、くれて、あ、ありがとう」
「当たり前だよ」
ルイは感に堪えないといった風に熱い吐息を漏らすと、美良乃を抱く腕に更に力を込めた。頭頂部に何度も唇を寄せ、キスの雨を降らせる。
「君のためなら、僕は地の果てでも駆けつけるよ」
「……好き」
それは、ぽろりと唇から零れ落ちた。
「わたし、ルイが好き」
「美良乃……!」
ルイの双眸が吃驚したようにじわじわと見開かれていく。
白皙の美貌がゆっくりと近づいてきて、視界を覆いつくした。鼻先同士が触れ合うと、美良乃は無意識のうちに目を閉じていた。
温かくて柔らかいものが唇に触れた。ルイの香水の匂いが鼻腔を満たし、全身の力が抜けていく。
(何だかすごく安心する……)
頭がフワフワして、物凄く気持ちがいい。
チュッという音を残して唇が離れていくのが残念でたまらない。美良乃はゆっくりと目を開き、縋るようにルイを見上げた。
至近距離で見つめてくるルイの瞳が潤んで、本物のサファイアのようにキラキラと輝いている。どちらからともなく再び顔を寄せ、何度も啄むようなキスを繰り返した。
「コホン」
どれくらい経った頃だろうか。無遠慮な咳払いが聞こえて、夢心地だった美良乃は我に返った。
慌ててルイから離れると、肩にカサンドラを担ぎ上げ、もう片方の手には美良乃の血を吸った男の首根っこを引っ掴んだダニエルが、困ったように微笑んでいた。
「いい雰囲気のところ、ごめんなさいねぇ。でもここだと寒いし、この困ったちゃんたちも自警団の拘置所に入れないといけないから、移動しましょ?」
ダニエルの隣にはローリーを横抱きにしたフェルナンドが気まずげに視線を彷徨わせている。
「は、はい……。すみません」
美良乃は火を吹きそうなほど熱くなった顔を両手で覆った。
「おっと、お待たせしてしまったね、ダニエル。では、行こうか美良乃」
言うなり、ルイは美良乃の膝裏を掬い上げて横抱きにする。
ちらりと見やれば、彼は蕩けるような笑みを浮かべて美良乃の顔を覗き込んでいた。頬は上気してほんのりバラ色に染まっており、壮絶な色気を放っている。
(ひいいいい!! そ、そんな顔で見ないでぇ!!)
美良乃はドキドキ高鳴る胸をギュッと押さえ、視線から逃れるように俯いた。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




