59. 閑話 人ならざる者の本能
ルイ視点です。
※暴力、流血シーンが出てきますので、苦手な方はご注意ください。
サンクスギビングから数日後。ルイは深夜に6フィートアンダーでの仕事を終え、墓地の駐車場にいた。吹き抜ける夜風は冷たく、人間にとってはしっかりしたコートを着ていなければかなり堪える寒さだろうが、幸いにも吸血鬼であるルイは寒さにめっぽう強い。
はあ、と吐いた息が目の前を白く煙らせる。
「今夜は冷えるね。美良乃は今頃、暖かな部屋で眠っているかな」
ヒラヒラした白いネグリジェを纏い、しどけなくベッドに横たわる彼女を想像して思わず鼻の下を伸ばしたが、実際の彼女はフリルやレースなどの乙女チックなデザインをあまり好まない。きっとパジャマ代わりに着ているのも飾り気のないスウェットで、ベッドの真ん中で大の字になって熟睡しているだろう。もっとも、そんな色気のない姿にも興奮するが。
妄想に花を咲かせつつ自分の車へ歩いていくと、車からまだ大分離れた所で火薬の匂いが鼻孔を掠め、ルイは反射的に後へ跳び退る。直後、視界が真っ赤に染まり、鼓膜を劈くような爆音と熱風が押し寄せてきた。
軽やかに地面に降り立ったルイの黒い革靴の真横を、無残にも鉄くずと成り果てた車の欠片が転がっていく。どうやらあの女狐が爆弾を仕掛けていたらしい。ルイは何台か車を所有しているので、吹き飛んだのが美良乃と初めてデートをした際に彼女を乗せた思い出の車でなかったのが不幸中の幸いか。
「やれやれ、いくらお気に入りの車ではなかったとはいえ、やはり自分の物を壊されるのは癪に障るね」
ルイは肩を竦めてみせる。悪戯っ子を咎めるように背後の林へ声をかけた。
「出ておいでカサンドラ」
枯れ草が擦れる音がしたと同時に、深紅のドレスを翻したカサンドラが飛び掛かってきた。ルイはダンスを踊るかのように軽やかなステップでそれを躱す。
彼女はルイがかすり傷ひとつ負っていないどころか、髪の一筋にも乱れがないことがわかったのだろう、ボルドー色の唇を憎々し気に歪めた。
「本当にクソ忌々しい野郎だね!」
怒りに頬を上気させ、真珠のような牙をむき出しにする様は見る者が見れば婀娜っぽいのだろうが、生憎と美良乃という運命の女神がいるルイの心には少しも響かない。
「いくら僕がヴィーナスも裸足で逃げ出すほどの美青年とはいえ、舐めてもらっては困るね。こう見えてもそれなりに年を重ねた吸血鬼の例に漏れず、よく鼻が利くのだよ」
ルイは嗜虐心のうずくままにうっそりと微笑む。
「小娘の君とは比べ物にならないほどにね」
ファッションに反映されているように、カサンドラが生まれたのは1920年代。たかだか百年ちょっとしか生きていない若輩者の能力など、その倍以上生きているルイの足下にも及ばない。
だというのに、この女は身の程もわきまえずにルイを殺そうと躍起になっている。おまけに、その執念も元を辿れば単なる逆恨みによるものなのだから、呆れてしまう。
「誰が小娘だい、馬鹿にしやがって! くたばりやがれ!!」
下品に喚き知らしながら掴みかかってるくるのを、わざとギリギリのところで避けてやる。もしかしたら次の手は、いや今度こそという期待に輝いては失望と憤怒に濁る紅い瞳に仄暗い愉悦を覚える。
この女の脳髄を寒空の下にぶちまけてやりたい、暗闇に血しぶきが噴き出す様を見たいという強烈な欲求に身震いする。それは普段ルイが心の奥深くに狡猾に隠している人ならざる者としての本能だった。
残念なことに、自警団の掟でモンスター同士であっても殺害も私闘も禁じられている。しかしやり過ぎなければ自己防衛のために応戦することは禁じられていない。
幸いなことに、吸血鬼という種族は治癒力が極めて高い。人間では致命傷になり得るような傷でも数日もすれば塞がってしまう。肉体の欠損はどうしようもないが、逆に言えば腕が千切れかけていようが体と繋がってさえいればじきに元通りになるのだ。過剰防衛の証拠は残らないだろう。
次々と繰り広げられる隙だらけの攻撃の合間に、ルイは嬉々としてカサンドラを嬲った。
「畜生!」
己の不利を今更悟ったのか、彼女が小さく口笛を吹く。それを合図に、林に身を潜めていた男二人が背後と頭上から躍りかかってきた。ひとりは見覚えのない吸血鬼で、もうひとりは若い竜人のようだ。こちらはニッカ―の町中で見かけたことがある。
ルイは吸血鬼の男の腹に強烈な一撃を叩きつけて風穴をあけてやる。男はひしゃげた鉄パイプのようになってアスファルトの上を転がった。吸血鬼特有の血液の匂いにルイの心が浮き立つ。人間の血の匂いは涎が出るほど甘美であるのに、糧になり得ない吸血鬼のものはただ闘争本能と征服欲を刺激するだけに留まる。
竜人はカサンドラと交互に鋭い爪と鱗で硬化した腕で殴りかかってくるが、横っ面を蹴り飛ばしてやると激昂したようだ。
「この野郎っ! ミシェルを誑かしやがって、許さねえ!!」
大きく息を吸い込むと火炎放射器よろしく炎を噴き出してきた。
「おっと」
ルイは高く跳躍して炎から逃れた。墓地の端に駐められた車のボンネットに軽やかに降り立つ。元居た場所で親の仇のように目をぎらつかせてこちらを睨んでいる竜人に、ルイは小首を傾げた。美良乃と出会ってからここ数か月、ルイは女性とは適切な距離を置いているし、元からパートナーのいる女性に手を出すような真似はしない。
「ミシェル? はて、誰のことだろう? 僕の知り合いには数人のミシェルがいるのだが」
「ファンクラブ会員番号209番、黄色い鱗がめちゃくちゃ色っぽい竜人のミシェルのことだ!」
「ああ、あのミシェルか! この間も僕のリサイタルに来てくれていたね!」
「黙れこの間男が! 俺の妻はお前に夢中になるあまり、最近ちっとも相手にしてくれねえ! もう三か月もレスになってんだぞ!!」
「そんなことを僕のせいにされてもねえ。君の愛し方が独りよがりなのでは?」
竜人族は伴侶である番には深い愛情を示す種族だ。にもかかわらず夜のスキンシップを断られているのだとしたら、日頃のコミュニケーション不足か、よほど下手くそなのだとしか思えない。
「彼女とよく対話してみることをお勧めするよ」
「うるせえ!」
会話の最中にカサンドラはルイの背後に回り込んできた。ルイは突き出された彼女の腕を捩じり上げ、その白い顔に遠慮なく膝を叩き込んだ。
ボキッとジャリッが混じり合ったような牙の折れる音が鼓膜を撫でる。そこに加わった女狐の低い呻き声にルイは陶酔した。
「敵を苦しめる際中に聞こえる音というのは、実に心地いいものだよ。まるで天上の調べのようだね」
カサンドラは顔から地面に叩きつけられた。脳震盪を起こしているのか、起き上がろうとして何度も失敗し、その度に鼻と唇から漏れた血が彼女の肌を汚していく。
「ああ、醜悪な君の牙でも、戦利品というだけで貴重な宝石のように見えるのだから皮肉なものだね」
ルイはカサンドラの傍らにしゃがみ込みと、血濡れた彼女の牙を見せつけた。
「君は歯ぎしりする癖でもあるのかな、カサンドラ? 牙が少し磨り減っているようだが」
口の端を吊り上げてあざ笑ってやると、彼女は今気づいたようにハッと己の唇に手をやった。そこにあるべきものが無くなっているのを確認すると顔が一瞬でゆで上がったように真っ赤になった。
その屈辱に塗れた顔に溜飲を下げていると、またしても竜人が炎を撒き散らしてきた。
「芸がないねえ」
「ぎゃあっ!!」
ルイは炎が届く前に身を翻したが、動きの鈍っていたカサンドラは退避が遅れたのか、足を焼かれたようだ。
「あたしを巻き込むんじゃないよ、このトカゲが!!」
「なんだと!?」
「あーあー、もうそこまでにしてくださいよう」
情けない声が駐車場の緊迫感を霧散させた。
顔を向けると、自警団の団員であるドライアドのチェリーと雪男のラジャンが小走りで近寄ってくるところだった。
ルイは密かに舌打ちする。楽しいパーティーの時間はここまでのようだ。
チェリーは駐車場の惨状を見渡すなり、うんざりと天を仰いだ。
「ああもう、ルイ様ったら大暴れして!」
ピンク色の花を編みこんだ緑色の髪がチェリーの華奢な肩を流れる。彼女は幼い少女のような見た目だが、妖精族の一種であるため、数百年は生きている。
「副団長のくせにやたらと好戦的なのはどうかと思います! 私闘は禁じられているでしょう!?」
チェリーはぷりぷり怒りながらも、手から生やした蔦で地面に転がっていた三人を締め上げていく。
「これは正当防衛なのだよっ! あの女狐が車に爆薬を仕掛けた挙句に襲い掛かって来てね」
首から下全部を蔦でぐるぐる巻きにされた竜人を、ラジャンが有無を言わさず氷漬けにしていく。彼は雪男が多く生息するネパールからの移民で、小柄で黒髪黒目、褐色の肌をしていた。
「それにシても、副団長派手にやたネ」
「これでも我慢した方なのだがね」
「腹に穴あけちゃてるじゃナイノー! メッ!!」
ラジャンにまで怒られてしまった。
吸血鬼の男を氷漬けにしたところで、蔦で拘束されただけのカサンドラは我武者羅に暴れて蔦を引きちぎって逃走した。
「このままじゃ済まさないからね伯爵! 覚えてやがれ!!」
負け犬の遠吠えが夜風に消えていく。どうやら足の火傷はそこまで深刻ではなかったようだ。すでにほぼ完治しているのだろう、逃げ足が速い。
「どうスンノ、副団長?」
狼狽えるラジャンに、ルイは軽く眉を上げてみせた。
「今夜は追うのをやめておこう。またどうせ突っかかってくるだろうし、後処理もあるからね」
この判断を数日後に後悔することになるとは、ルイはその時予想もしていなかった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




