56. 11月23日 サンクスギビング【1】
サンクスギビング。それは、アメリカで十一月の第四木曜日に祝われる祝日で、別名ターキーデイとも呼ばれている。
元々は、十七世紀にイギリスからアメリカへ渡ったピルグリムと呼ばれる人たちが食べ物がなくて困っていたところ、先住民であるネイティブアメリカンの人たちがトウモロコシなどの栽培や収穫方法、狩りの仕方などを教えてくれたことに対しての感謝を示したのが始まりとされる。
現在ではもっぱら、家族が集まって七面鳥を食べ、アメリカンフットボールの試合を観て盛り上がる日となっている。
美良乃の父方の親族も例にもれず、毎年数十名から成る一族が一堂に会して七面鳥やパンプキンパイなどをひたすらお腹に詰め込み、皆でテレビの前で絶叫しながら自分の贔屓にしているしているフットボールのチームを応援するのが恒例となっている。
サンクスギビングの日の午後、美良乃たちはインゲンのキャセロールという、インゲンマメとクリームマッシュルームスープの缶を混ぜてオーブンで焼き、上にフライドオニオンをかけたものと、ピーカンというナッツを使ったピーカンパイを持って大伯父の家へ向かった。
「美奈! 久しぶりだなあ、綺麗になって!! 未央子も、久しぶりだね! また会えて嬉しいよ!!」
大伯父の家に着くなり、恒例の挨拶合戦とハグラッシュが始まった。美良乃はにこやかに対応する母と姉を尻目にキッチンへ行くと、空いているスペースに持ってきたインゲンのキャセロールとピーカンパイを並べた。
「よう美良乃!」
「久しぶり、ジェフ」
先に来ていたはとこのジェフが話しかけてきた。彼は九月までアリアと付き合っていたのだが、チアリーダーと浮気したため振られている。彼の隣には見知らぬ女性が立っていた。
「紹介するよ。俺の彼女のイザベル。イザベル、こいつはおれのカズンで美良乃だ」
「よろしくね美良乃」
「よろしくイザベル」
もしかしたら、当時の浮気相手なのかもしれないが、あまりに個人的なことなので敢えて訊かなかった。ジェフは若干目を泳がせながらこちらの反応を窺っている。
「何、どうかした?」
「いや、その……。お前、アリアと仲がいいんだよな」
「そうだけど」
「あいつ、元気にしてるか?」
「うん。最近はデートしてる人もいるし、元気にやってるよ」
「そっか、なら、良かった」
少しは浮気したことに対して後ろめたかったのだろうか。まさか今でもアリアが自分を想ってくれているなど勘違いしていないといいのだが。男は昔の彼女がいつまでも自分のことを好きていると思い込む、非常におめでたい頭をした生き物だとSNSで観たことがある。
「ジェフ! 久しぶり!」
「美奈! 久しぶりだなあ! 元気にしてたか!?」
「うん、日本で元気にやってるよ」
挨拶を終えた姉がキッチンにやって来た。外面がよくて社交的な姉は昔からジェフと仲がいい。会話に入れなくなった美良乃は、二人を残して食事会の会場でもある地下へ下りた。
「皆、今日は集まってくれてありがとう。では、神に感謝の祈りを捧げよう。おっと! その前に、何か発表しておかなければならない人はいるか?」
「あれは五年前だったっけか!? スザンナとエンリケが子供ができたって発表したのは」
「ははは、そうだ、サンクスギビングの時に皆に伝えたんだったか!」
「あれはびっくりしたよなあ。ピルを飲んでいたってのに子供ができたんだから!」
「今年は大丈夫か!? 妊娠してるやつは手を挙げて!」
一同に笑いが巻き起こる。どうやら、今年はおめでたいニュースはないようだ。
「では、お祈りをしよう――」
毎年サンクスギビングの事会の始まる前、親族全員が輪になって祈りを捧げるのだが、キリスト教徒ではない美良乃はいつも黙って下をむいているだけだ。ちらりと母と姉を横目で見たが、二人とも美良乃と同じように無言だった。
お祈りが終わると各自一階のキッチンまで食べ物をよそいに行く。各家庭が最低一品は持ち寄る形式で、毎年この家の主である大伯父が何時間もかけて七面鳥の丸焼きを作る。
美良乃は七面鳥とマッシュポテトにグレービーソースをかけたもの、そしてスタッフィングといって、クルトンのようなものとセロリ、人参などを炒めてスープで柔らかくし、七面鳥の中に詰めて焼いたものを皿に盛った。後でマカロニサラダとインゲンのキャセロール、そして何よりピーカンパイを取りに戻らなくては。
そこからはひたすら、親戚たちと他愛もないおしゃべりをしながら食べ続けた。
「うええ、食べ過ぎた。もう無理」
辛うじて口から出ない程度というくらいに満腹になった美良乃は、ふらふらと階段を上がってリビングへ向かう。ひとり掛けソファにどっかりと腰を下ろし、ふと窓の外を見ると満腹になった子供たちが寒空の中、ジャケットをしっかり着込んで広大な庭を走り回っていた。そのそばに、ぼんやりと彼らを眺めている母がいた。
自分でも何故そんな気になったのかはわからない。気付けば美良乃はふらりと外へ出て、苦手なはずの母の横に並んで座っていた。
「お母さん、ここにいたんだ」
「もうお腹がいっぱいになっちゃってね。それにしても、子供は風の子とかいうけどほんと元気よね」
「……子供たちとは遊ばないの?」
母は苦笑する。
「おばさんにはこの寒さはこたえるわ。それに、わたし子供って苦手なのよね、本当は」
「……わたしもお母さんに遊んでもらった記憶はないもんね」
母は悪びれる様子もなく肩を竦める。
「わたしだって、両親に遊んでもらった記憶なんてないわよ。そういう人たちじゃなかったし。子供のころは日曜日になればキャッチボールをしてくれたりする友達の親が羨ましかったし、わたしもそんな家庭を築きたいと思ってたわ。だけどいざ自分が母親になってみると、自分の子供とどう接したらいいかわからなかったのよ。だって、わたしは育児に無関心な父親と、夫の世話に明け暮れていた母親しか知らないのだもの。それに、変に大人が遊ぶよりも、子供同士で遊んだ方が楽しいじゃない。だからあなたにはお姉ちゃんと遊びなさいって言ったのよ」
美良乃は意外な気持ちで母を見つめた。
――母は自分のことが嫌いだから遊ぶことを拒否していたわけではないのだ。
胸の奥で絡まっていた糸の一部が、するりと解けた気がした。
思い返してみても、母とこんな話をしたことがなかったように思う。
以前バーバラに諭されたが、表に出ているものがその人の全てではない。人の言動の裏にどんな思いがあるのかも、目で見ることができない。だとしたら、真に母を理解するには、対話が必要不可欠なのだろう。
(二人が日本に帰ったらあまり接点もなくなるし、この人を見限る前に少し踏み込んでみてもいいかもしれない)
美良乃は過去に何度か母が自分を嫌っているのか、どうして冷たい態度を取るのか問いただそうとした。しかしどうしてもできなかった。話をしようと口を開くと、恐怖に喉が凍り付いたようになって声が出なくなるのだ。子供の頃に母に構ってもらえなかった記憶は、以前の美良乃にとっては瘡蓋になっていない擦り傷のようで、あまりにも生々しいものだった。もし母の口からはっきりと「そうよ。あなたなんて嫌いよ」と言われてしまったら、自分を保っていられる気がしなかった。
「そういえば、おじいちゃんとおばあちゃんも、あまり子供と遊んだりするタイプじゃなかったね」
「お父さんはいかにも昭和の頑固おやじって感じだったし、お母さんも子供たちがお父さんの機嫌を損ねないように、いつもピリピリしていたわよ。言っておくけど、あなたたちが知っているおじいちゃんとおばあちゃんは、年齢を重ねて丸くなった上に、孫ができてかなり優しくなったバージョンだからね? 昔は嘘でも吐こうものなら拳骨振り回しながら追いかけて来てたんだから!」
「……全然想像できない」
美良乃が知っているのは、帰省すると優しく出迎えてくれ、お小遣いをくれる優しい祖父母だった。
母が子供の頃、祖父は寡黙で休みの日は新聞を読みながら一日中ゴロゴロしていたそうだ。祖母は昭和の価値観が強い専業主婦で、常に夫の顔色を窺っているような人だったという。
「お父さんはちょっとしたことで猛烈に怒り出す、いつ爆発するかわからない火山みたいな人だったのよ。機嫌が悪い時に話しかけたら新聞で叩かれたり、お母さんに口答えしているところを見つかったら頭から水をかけられて外へ放り出されたりしてた」
美良乃は目を丸くする。現在なら虐待で児童相談所に通報される事案だろう。
「家の中はいつもギスギスしててね。いつもお父さんの顔色を窺ってたから、真剣な話とかしたことがなかった。あなたのお父さん――ビルと結婚する時も物凄く反対されて」
母は何処か遠くを見つめながら自嘲するように口元を歪めた。
中途半端なところですが、長くなるので一旦切ります。次回に続きます。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




