54. 11月20日 憂鬱な再会【2】
「美奈、未央子! 会いたかったわ! 顔をよく見せてちょうだい!」
車を自宅の敷地に駐めるなり、満面の笑みで玄関から飛び出してきたクローイーが姉と母を抱きしめた。
「おばあちゃん、久しぶり! 元気にしてた? わたしも会えなくてすっごく寂しかったよ!」
「久しぶりクローイー! お招きありがとう! また会えて嬉しいわ!」
母と姉は輝かんばかりの笑みでそれに応える。美良乃に向けていた淡々とした態度とは雲泥の差だ。昔から二人は家の外へ一歩出た途端に社交用のフレンドリーな態度に切り替える。三重にも四重にも猫を被っている姿は、最早天晴としか言いようがない。
クローイーは二人を家の中に招き入れると、二階の美良乃の部屋の向かい側にある客室へ案内した。
「ごめんなさいね。部屋数が足りなくて、二人でこの部屋を使わせてしまうのだけど」
「そんなこと気にしないで! うわあ、素敵な家具ね」
「そうだよおばあちゃん、気にしないで。ああ、懐かしいこの部屋! わたしが遊びに来ると、いつもこの部屋を使わせてくれていたよね」
美良乃は母と姉をクローイーに任せ、そそくさと自室へ逃げ込んだ。小さい頃から何故か美良乃は彼女たちの気分に影響されてしまう習性があった。まるで乾いたスポンジのように、二人のその時の感情を吸収して、振り回されてしまうのだ。
あの二人と長時間一緒にいると精気を吸われているのかと思うくらい疲れるので、日本に住んでいた頃から接触は必要最低限にしている。
「はあ、疲れた……。あの人たち五日間も滞在するんだよね……。最悪」
ベッドにうつ伏せに倒れ込みながら、長い長い息を吐く。合計四時間も車を運転していたこともあって、かなり疲労困憊のようだ。全身の力が抜けたところで身を捻って仰向けになり、ポケットからスマホを取り出した。
オマハまで往復していた間に、アリアとルイからメッセージが届いていた。
『今日は家族が来るんでしょ? もう迎えに行ったのかな。大丈夫?』
「アリアは優しいなあ。『大丈夫だよ』っと」
美良乃は思わず頬を綻ばせた。
ルイからは未読メッセージが三件あった。カサンドラのこともあって、モンスターショー以来彼とは会っていないが、毎日こうしてメッセージがくる。自分が彼とどうなりたいのかハッキリわからずに微妙な関係になってしまっているが、こうしてマメに連絡をくれるのは素直に嬉しかった。
『やあ僕の女神♡♡! 今日のご機嫌はいかがかな? 今頃君はオマハへ向かっているのだろうね。くれぐれも安全運転で、気を付けて行ってきてくれたまえ』
『カフェにやって来たよ♡ 君がここに居ればいいのにと思う。君との思い出に乾杯♡♡♡』
メッセージと共に、カフェで食べたのであろうサンドイッチと、コーヒーの写真も添付されていた。
『君に会えなくて本当に寂しい。早くカサンドラのことを片付けて君に会いたい。一日千秋の思いだよ。母君と姉上とは良い再会になったことを願っている。夜にまた電話するよ♡』
相変わらずむず痒くなるくらい激甘のメッセージだ。
「『母と姉とは無事再会できたよ』っと……」
アリアにしろルイにしろ、自分の精神面を気遣ってくれる存在がいるというのは、こんなにも心強くて嬉しいものだったのか。これまで親しい友人がいなかったので、憂鬱な気分は自分で抑え込んで消化しなくてはならず、とても孤独で惨めだった。
返信を終えたところで無遠慮なノック音が聞こえた。
「美良乃、あんたまたひとりで閉じこもってるの? せっかく家族そろったんだからリビングに下りてきて一緒におばあちゃんの相手しな! まったく、相変わらずコミュ障なんだから」
ぶつくさ言いながら遠ざかる姉の声に、美良乃はまたしても溜息を吐いた。
「本っ当に煩い。文句を言わないと死んじゃう病気か何かなのかな」
無視すると後でまた姉にぎゃあぎゃあ言われることがわかっているので、美良乃は鉛のように重い身体を引きずって自室を出た。
リビングに移動すると、母と姉は祖父母に愛想よく日本での生活のことを話しているところだった。美良乃は三人掛けソファの端に腰を下ろし、ぼんやりと会話を見守った。
一対一の会話は特に何とも思わないが、複数人で交わされる会話に入るのは昔から苦手だ。まるで小学校のときにやった大縄跳びのようだと思う。皆がテンポよく次々と会話の輪の中に入るのに、美良乃はいつまでもタイミングを見計らっていて結局は輪に入れずに終わったり、入っても縄に引っ掛かるが如く、皆を白けさせるようなことを言って気まずくなる。こういう時は大抵黙っているので、良く知らない相手にはとても寡黙で謙虚な人だと思われやすい。
そのうち夕飯の時間になり、全員でダイニングテーブルを囲んだ。今夜はグラーシュと呼ばれる、パスタをミートソースで煮込んだような料理だ。元々は肉を煮込んだシチューのようなものだったらしいのだが、この地域に移り住んだドイツ系の住民たちによって現在のような姿になった。どことなく給食で出たソフト麺のミートスパゲッティに似ていると思う。
夕飯を食べながらクローイーは思い出したかのように「あっ」と声を上げた。
「そういえば、最近美良乃はデートしてる相手がいるのよ」
楽し気に自分のことを話題に出されて、美良乃はハッと顔を上げた。
「へえ?」
姉が胡乱気な眼差しを投げてくる。しまった、と美良乃は顔を顰めた。ルイとのことは母にも姉にも話していなかったからだ。
確か、姉は現在恋人がいないはずだ。姉にとって、特別な関係の男性がいるということは、自分は女として美良乃より優れていると誇示できる一種のステータスなのだ。姉は中学三年生の頃から交際相手が途切れたことがなく、それを自慢に思っている節があった。
二十一歳になるまでデートすらしたことのなかった美良乃と自分を比べて優越感に浸っていただろうに、それが現在は逆転してしまったのだから、姉にとって面白いわけがない。
「よくあんたみたいなのとデートしようって男がいるね。まあ、別にわたしには関係ないけど。どうせアメリカ人には相手にされないから、優しいと評判のアジア人ならいけるだろうっていう、ジメジメしててキモいオタクなんでしょ? 美良乃は控え目で気遣いのできる日本人女性とはかけ離れているのに、ざまあないわ」
案の定、自分は特に気にしていないという風を装いながらもマウントを取ってきた。
美良乃を自分より惨めな存在にしておきたい姉の態度に慣れ切っている母は、それを嗜めるどころか、クローイーの話に驚いたように目を瞠った。
「ええ? あなた人づきあい苦手なのに、彼氏がいるの? 美良乃は絶対に恋愛に向いてないわよ。あなた変に世間知らずだから、騙されていいように扱われそうだし。妊娠させられて捨てられそうで怖いわ」
――これだから二人には言いたくなかったのだ。
美良乃はむっつりと押し黙った。この人たちは自分たちの発言がどれほど失礼なのか考えたこともないし、美良乃のことは心情を慮る必要すらない相手だと信じている。変に反論すれば言い負かされて更に不愉快な思いをするので、こういう時は無言を貫くに限る。
クローイーは母と姉を交互に見て、不快そうに眉を顰めた。
「あなたたち、そんなことを言うものじゃないわ! 美良乃はこんなに美人で、とっても優しい子じゃない! 相手もとてもハンサムで礼儀正しいいい子なのよ」
「おばあちゃんは会ったことがあるの?」
「ええ。前に家まで美良乃を迎えに来た時に会ったことがあるわ。何だか地面に引きずりそうなくらい車体が低くて高級そうな車に乗ってたわね。花束まで持ってきてくれたのよ。ね、美良乃?」
「う、うん」
高級車と花束という言葉に、姉の口の端がピクピクと痙攣した。美良乃に好意を寄せる相手がいることも気に食わないのに、それがお金持ちでロマンチックなど、腸が煮えくり返りそうになっているに違いない。
美良乃は小さく息を吐いた。姉の苛立ちに空気感染したかのように、次第に美良乃もイライラそわそわと落ち着かなくなる。
クローイーは片眉を上げて「何なの、彼女たち!?」という風に美良乃に視線を送ってくる。
突然ふと苛立ちが消失し、虚無感が襲ってきた。
(――何でわたしは自分の家族といるのに、こんなに息が詰まるような思いをしないといけないんだろう)
昨晩、美良乃はこのダイニングルームで祖父母と他愛ない会話を楽しみながら夕食を摂っていた。和気あいあいと食卓を囲み、お互いの一日について耳を傾ける、思い出しただけで穏やかで心休まるような光景だった。
母と姉のたった二人がその景色に加わっただけで、針のむしろのようになってしまったではないか。顔を突き合わせるだけで喉の奥に氷の塊が挟まったような居心地の悪さを覚えさせるこの二人は、一体何なのだろう。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




