53. 11月20日 憂鬱な再会【1】
「ああ、会いたくない」
オマハに向かう道すがら、美良乃はその日何度目かわからない溜息を吐いていた。
美良乃の心境を代弁するかのような冷たい風が吹き荒ぶ中、車は灰色の大地をまっすぐ突き進んでいく。
今日は母と姉が東京からやってくる日だ。羽田空港からイリノイ州のシカゴを経由してオマハの空港へ到着する二人を迎えるため、美良乃はクローイーの車を借りていた。
「はあ、気が重いなあ。おばあちゃんも一緒に来られたら良かったのに」
本来であればクローイーも一緒に迎えに来たかったのだが、母と姉のスーツケースなどを考えると車に載りきらない可能性があるため、自宅に残ることになったのだ。
クローイーは美良乃の父ビルの母親で、美良乃の母とは元姑と元嫁の関係だが、仲がいい。しかし残念なことに、ビルは美良乃が五歳の時に日本人と再婚してからは毎月の養育費の支払いと月に一度、数時間の交流しかなくなってしまったため、クローイーとはほぼ絶縁状態にある。
アメリカでは二組に一組の夫婦が離婚していると言われているが、日本と違って離婚は全て裁判所を通さないと認められず、ドメスティックバイオレンスなどの特別な事情がない限りは共同親権となる。
子供は父親と母親双方と同程度の時間を過ごす権利が与えられている。それはすなわち、両親には子供の面倒を同じだけみる義務と権利があるということだ。
日本では離婚すると、もう家族ではないのだからと離別した親子の交流を制限する例が多いようで、ビルの再婚相手も、それまで週に一回程度はあった娘たちとの交流を再婚後は多くて月一回に減らすように彼に要求したらしい。
日本では彼女の要求はあまり批判されないようだが、アメリカの常識しか知らないクローイーにとってみれば、ビルは自分の子供と過ごす時間を放棄し、再婚相手ばかり大事にする薄情で無責任な父親で、再婚相手は父と子を引き裂く自分勝手で冷酷な継母と見做されているのだ。
幸い、ビルは養育費だけは毎月支払っていたのでまだ心証がマシだったといえよう。アメリカでは州によって違うが、養育費を払わない親は逮捕されることもあるので、かなり厳しい目を向けられる。
クローイーはそんな状況の中、シングルマザーとして娘二人を育て上げた美良乃の母に感謝していた。母も息子が実家に寄りつかず、孫とも滅多に会うことができないクローイーのために、できる限り親密な交流を続けている。
鬱々とした気分で車を走らせること二時間、美良乃はオマハの空港に到着した。立体駐車場に車を駐め、飛行機を降りた乗客たちが出てくるエリアで母と姉を待つ。
しばらくして、スーツケースを引いた二人のアジア系女性の姿が見えた。
美良乃より少しだけ背が低く、色白で目鼻立ちのくっきりした顔に茶色の瞳、茶色のくせ毛を背中に流しているのが姉の美奈だ。不機嫌を前面に押し出した態度で足取りも重く、半眼になりながら歩いてくる。
数歩遅れて来たのが美良乃の母の未央子だ。娘たちより背が低く、ウェーブをかけた黒髪を後ろでひとつに括ってある。五十歳という年齢相応の見た目だが、アメリカではもう少し若く見られるだろう。
美良乃は二人がこちらに気付くと手を振った。
「ああ、美良乃。……って何そのジャケット! 相変わらず趣味悪いわね。一緒に歩きたくないんだけど。あ~疲れた。流石に羽田から十七時間はきっついわ」
「本当。田舎って不便だわ。久しぶり、美良乃。あんたちょっと太ったんじゃない? どうせお菓子ばっかり食べてるんでしょ」
「……久しぶり、お母さん、お姉ちゃん」
本心はどうであれ、ハグをして歓迎の意を示そうとしていた美良乃は、伸ばしかけていた手を引っ込める。胸の奥に重たいものが沈んでいくような気持になって、身体を強張らせた。
三か月ぶりとなる母娘と姉妹の再会はあまりにも淡々としていた。期待していたわけではないが、再会を喜ぶ言葉は一切なく、美良乃の顔を見るなり外見に対するコメントが飛び出したのには苦笑してしまう。アメリカでは相手の容姿に言及することは禁忌とされるので、それに慣れてしまっていた。
日本に住んでいた頃はこんなやり取りが当たり前だったのに、たった数か月離れていただけで、この冷淡とも言えるクリステンセン家流のコミュニケーションに対してすっかり免疫が無くなっていたらしい。
(だから迎えに来たくなかったんだよね……。迎えに来てくれてありがとうもないんだもん、本当にこの人たちは変わらないな)
疲れたとか寒いとか文句を言っている二人を連れて、美良乃は立体駐車場へ向かった。出口のわかり難い立体駐車場の中で右往左往する羽目になった美良乃に「何してるのよ、何で予め確認しておかないの!」だの「本当愚図ね」だの叱責と罵倒が飛び交い、空港の敷地を抜けた時には既に美良乃の精神のバッテリーは空になりそうだった。
「相変わらず何にもないところね。畑と牛ばっかり」
車が走り出して数十分。地平線まで真直ぐに伸びるハイウェイを眺めながら、母はぽつりと零した。
「……ネブラスカだからね」
ムッとして返した言葉が思ったより低くなってしまった。
確かに、母の言う通りオマハから一歩でれば超がつくほどの田舎だし、美良乃も引っ越してきた当初は同じことを思っていたが、暫くここで暮らしているとそれなりに郷土愛のようなものが湧いてくるものだ。
「それで、どうなのバイトは? まだ続いているんだっけ?」
「うん。ちゃんと続けてるよ。それなりに気に入ってる」
「ふうん、あなたみたな子でも続けられる仕事があったのねえ。良かったじゃない」
母が感心したような声を出した。相変わらず馬鹿にしているのか褒めているのかわからないが、敢えてスルーしておく。
それに対して、姉は窓の外を見据えながらフンと鼻を鳴らした。
「介護付き老人ホームでなんて、よく働けるよね。じいさんとかばあさんだらけの職場なんて、わたしは絶対嫌。延々と意味不明なこと話してるのに付き合わされるんでしょ? 考えただけでぞっとする」
「……別に、住人と話す機会はあまりないから」
姉は子供のころから、美良乃のやることなすことに対して常に上から目線の意見を言ってくる人だった。お互いの心情を慮って会話をする家庭出身の人からすると、何でこの人は嫌な気分になるようなことを言ってくるのだろうと思うだろうが、生憎と姉は頭の中にあることをそのまま口から出してぶつけても、家族相手なら問題なく受け止めるだろうと思っている。
(嫌味しか言えないなら、口を閉じていてくれればいいのに。……あ~あ、早くニッカ―に着かないかな……)
精神的に疲弊している美良乃は、ハンドルを握る手に力を込めながら道路を睨んだ。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




