48. 閑話 暗雲
アリア視点です。
「あ~あ、急ブレーキかけちゃったわ」
夜、自宅のリビングのソファで寛いでいたアリアは、スマホが新たに受信したメッセージを見るなり大仰に溜息を吐いた。
「どうしたの? なあに、急ブレーキって?」
隣に座って彼女の足の指にマニキュアを塗っていたダニエルは、手を止めて顔を上げた。彼の手の爪にもお揃いの濃紫色のマニキュアが施してある。
「美良乃からメッセージが届いたのよ。あの子、今日はルイ様とデートだったんだけど」
言いながら、アリアはスマホの画面をダニエルに向ける。そこには先ほど美良乃から届いたメッセージが表示されていた。
『わたし、このままルイとデートしてていいのかな? ルイはわたしの血が美味しそうだって感じるみたいだし、今はまだ正式に付き合ってないから狩猟本能で追いかけてきてるだけで、わたしが完全に落ちたら彼の気持ちは冷めるんじゃないかな? 彼の周りには常に女の人がいるし、短期間で終わっちゃうような関係なら、別に始める必要もないと思う』
メッセージを読むなり、ダニエルは悲し気に眉根を寄せた。
「あらあ~」
「何かあったみたいね」
アリアの観察によると、美良乃は今が楽しければいいという刹那的な考え方をしない。物事を決断する際には将来性はあるのかや、自分にとって意味のあることなのかということをじっくり見極めてからにしようとする。
そのため、長く続かないとわかっているものには始めから手を出さないし、中途半端にしか手に入れられないものは一切欲しくないという、0か100かの思考に陥りやすい。
ルイのように容姿端麗で好条件の男はモテる。
モテるということは四六時中女が近寄ってくるということで、他の付け入る隙を与えないだけの強い信頼関係と絆を築き上げ、尚且つそれを持続させなければならないということだ。
それはこのまま順調に二人が愛情を育んで交際に至ったとしても同じで、自己肯定感が低い美良乃は常に他の女の影に怯えつつ、ルイの愛情を繋ぎとめる努力を永遠に続けるという、ストレスに満ちた日々が待っていると考えたのだろう。
「あの子のことだから、付き合った先のことまで視野に入れてる可能性もあるわ。ルイ様は長命種だから、美良乃がおばあちゃんになっても、今と変わらない美貌を保ったままということでしょ? 結婚したとしても安心できないわよねえ」
「ルイちゃまと一緒にいるためなら、どんな過酷な環境も厭わないって言えるくらい、美良乃ちゃんがルイちゃまに夢中だったら良かったんだけどねぇ」
美良乃が恋の熱に浮かされるままに突っ走り、周りのことなど気に留める余裕もないほどルイに溺れてしまえたらどれだけ良かっただろう。
こともあろうに、それだけの情熱と愛情が芽生える前に、美良乃は立ち止まってしまったのだ。何がきっかけとなったのかはこのメッセージからは読み取れないが、疑念に駆られて自分の置かれた状況の分析を始めてしまったのである。
「これはルイ様にとって一大事よね。ちょっと招集かけた方がいいのかしら?」
「う~ん……アタシたち他人が首を突っ込むことじゃないとは思うけど。相談されたら聴いてあげたらいいんじゃないかしら?」
ルイは二百六十年も生きている立派な大人だ。おまけに恋バナが大好きな女性と違い、男性はあまり友達に色恋の相談というものはしない傾向にある。
「それもそうか。それにしても、何があったのかしら」
『彼の周りには常に女の人がいる』というのは、ルイのファンのことを言っているのだろう。付き合いの長いダニエルが言っていたことだが、ルイは公私混合しない主義で、血をもらうにしても体の関係を持つにしても、ファンに手を出したことはないと聞く。しかし、出会ってから日が浅い美良乃はそれを知らないし、知っていたところで目の前で女性に愛想を振りまく男に不安を抱くのは理解できる。
「手に入れた途端にルイちゃまが冷めちゃうんじゃないかっていうのは、吸血鬼の執着を知らない人間ならではの発想よね」
吸血鬼は心底惚れこんだ相手にはとことん執着するらしい。ちょっとやそっとのことでは諦めないし、人間に近い感性を持つ魔女から見ると非道な手段に及んでまでその人を手に入れようとする。
そして囚われたが最後、その人間は死ぬまで逃げられない運命にあるという、なんとも恐ろしい話が魔女たちには伝わっているのだ。
ぶるりと身を震わせたアリアに苦笑しつつ、ダニエルは困ったように小首を傾げた。
「でも、それも美良乃ちゃんが自分に自信を持てないことが原因なんでしょうねぇ。結局ルイちゃまがどれだけ熱烈にアピールしたところで、受け止める側の準備ができていなければ意味がないわ」
「そうなのよね。結局はそこなのよ」
アリアは白人の多いニッカ―では珍しい、エキゾチックな黒髪の友人を思い浮かべる。
「あたしの占いによると、トウキョウにいた頃のあの子は死に救いを求めてしまいそうになるほどに、追いつめられていたのよね」
「ああ、前に話してくれたわね。アリアちゃんは美良乃ちゃんとの出会いを占いで知っていたって」
そうなのである。実はアリアは美良乃に出会うことを前もって知っていたのだ。
美良乃と出会う数週間前。満月の儀式に参加していたアリアは、友人の魔女の占いの練習台として運勢を視てもらっていた。それには、西の方角からアリアの生涯の友となり得るような人物がやって来ると出た。
気になって自分でもその人物について占ったところ、「寛容」を表す記号と共に、「死の誘惑」、「心の檻」など物騒なものも出てきた。そして、悩める魂を上手く導いてやれれば、生涯に渡って付き合える大切な友人になるとも。
ジェフの親戚の集まりで美良乃に出会った瞬間、アリアには彼女こそ占いに出ていた人物だと直感した。だからこそ、モンスター社会への適合性などを見極めるためにあまり彼女のことを知らない段階で満月の儀式に誘ってみたのだ。
アリアの直感と占いはばっちりと当たり、美良乃はかけがえのない友人になった。
「直接美良乃に会って話を聴いてあげたいわね。ちょっと二人の今後を占ってみよう」
アリアは魔法でダイニングテーブルの上に置いてあったカードの束を引き寄せた。アリアは通常、占いを行う際はアメジストに魔文字を刻んだものを使用しているが、簡単な占いを行う際はフェアリーインクを使って自作したカードを用いることがある。人間の世界で浸透しているタロットカードとは絵柄も意味も異なる、アリアの家に伝わるオリジナルのものだ。
アリアは美良乃とルイを思い浮かべながらカードを額に押し当てた。次いで呪文を唱えながらカードを空中で混ぜ、その中から一枚を引く。
「――『困難』」
カードの中では困難を意味する黒い蛇がちろちろと舌を出していた。こちらを威嚇するように体を揺らすが、アリアがフッと息を吹きかけると怯えたように背景の草むらへ逃げていく。
ダニエルは困ったように頬に手を当てて首を傾げた。
「あらあ。二人で乗り越えられるような困難だといいんだけど。――ん?」
ダニエルのパンツのポケットからスマホの着信音が聞こえる。彼は「噂をすれば、ルイちゃまからだわ」と呟いて電話に出た。
「もしもし、ルイちゃま? 今日美良乃ちゃんとデートだったんでしょ? どうだっ……えっ? ふんふん……やっだあ、本当に!?」
ダニエルは紅い瞳でちらりとアリアを見やる。目を見開き、口だけで「オーマイガー!」と言って、再びルイとの会話に戻った。
「はいはい、うん、わかったわ。まかせて。はい、じゃあね!」
電話を切ると、「きゃ~! もう、信じられない!」と勢いよくアリアに抱きついてくる。アリアは彼を抱き留め、角に引っ掛かっていた黄色とオレンジのグラデーションの髪を払いのけてやった。
「どうしたの?」
「それがねえ、ルイちゃまの天敵カサンドラがニッカ―周辺に戻ってきたみたいなのよぉ」
「カサンドラ?」
聞き覚えのない名前に、アリアは首を傾げる。
「ああ、そっか、今の若い子は知らないわよね――ってヤダ、何だかすごいオジサンになった気分だわアタシ――まあとにかく、ついこの間、第二次世界大戦が終わってすぐくらいにルイちゃまとひと悶着起こして、半世紀間ネブラスカを出禁になってた吸血鬼がいるんだけど、その女がどうもルイちゃまたちのデート先に現れたらしくってえ」
第二次世界大戦直後というと、アリアにとっては祖父母が生まれる以前の話なのだが、ダニエルやルイにとってはついこの間の話らしい。
「その女が美良乃に『あたしの男に手を出すな』とでも言ったのかしら?」
「違うのよぉ。カサンドラって、ルイちゃまのことを凄く憎んでいるのね。ルイちゃまと美良乃ちゃんが一緒にいるところを見られちゃったから、自警団でもパトロールを増やしたいって話だったの」
何でもカサンドラはプライドが高く残酷な性格で、敵とみなした相手が最も心を抉られる方法でいたぶってくるという、実に吸血鬼らしい女なのだとか。
アリアの背筋に冷たい汗が流れた。
「何その前時代的な性格。怖っ」
モンスター同士が私闘を行うことも、人間に害を及ぼすことも現在は禁じられている。特にタブーとされているのが殺人だ。夢魔や吸血鬼が糧を得る過程で人間を「ついうっかり」殺してしまったら、理由を問わず自警団によって厳しく処罰される。鬼人族に至っては人間を食べること自体が禁止されて久しい。
「きっとそのうち、アリアちゃんにも連絡が来るわ。吸血鬼避けの護符を作って欲しいって依頼してくると思う」
「ええ? でも吸血鬼避けの護符をつけちゃったら、ルイ様は美良乃と会えなくなるんじゃないの?」
「それも暫くはやむを得ないかもしれないわねえ」
ダニエルは憂いに満ちた目でアリアが引き当てたカードを見下ろした。
「アリアちゃんの占い、早々に当たっちゃったわねえ」
アリアは何とも言えない苦い気持ちで美良乃のメッセージを見つめる。
「考えようによっては、美良乃がルイ様と距離を置いて二人のことを考えるいい機会になるかもしれないけど――」
首の後ろがざわざわするような嫌な感じがするのは何かが起こる前触れで、魔女であるアリアの勘はあまり外れたことがない。
石橋を叩いて叩いて壊れそうになったところで対岸に飛び移るくらい臆病な友人の顔を思い浮かべ、今回ばかりはその数少ない外れた例に入りますように、と祈らずにはいられなかった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




