46. 11月11日 モンスターショー【6】
ルイの雰囲気が変わったのは、吸血鬼の五十マイル競走の観覧エリアに入る直前だった。それまでは美良乃の様子を気にしながらも粛々とエスコートしていたが、急に立ち止まって周囲を見渡した。
彼の整い過ぎた顔面は表情を消し去ると途端に冷淡になり、やけに人形めいて見える。
「どうかした?」
「――いや……」
一点を見つめて目を眇めたルイの雰囲気に何やら不穏なものを感じて、美良乃の背筋に怖気が走った。
ルイは美良乃を振り返るとふわりと笑う。
「絶対に僕から離れないようにしてくれたまえ。――ほら、人が多いから、はぐれると大変だからね」
「うん、わかった」
その笑顔が普段通りのものだったので、美良乃は肩の力を抜いた。
吸血鬼の五十マイル競走は、スタート地点から五十マイル先のゴールに誰が一番早く到着できるかという競技だ。唯一のルールは極めて単純明解で、競技中に人間や家畜に危害を加えたり、コース上に隠蔽が必要な規模の損害を与えてはならないということだけだ。
「吸血鬼は音速に近い速度を出せる種族だからね」
「いや、あなたたちもしかして飛行機か何かなの……?」
音速に近い速度で地上を移動するとなると、交通事故を起こすこともあるのではないだろうか。
そう問うと、ルイは肩を竦めた。
「僕らは素早いだけじゃなくて、身体能力も高いからね。通行人や走行中の車を避けるのもそこまで難しいことではないのだよ」
この競技が何年も開催されているということは、取り敢えずこれまで大した問題は起こしていないのだろう。美良乃は何とか自分を納得させてスタート地点横の観覧エリアに入った。
スタート地点にはゼッケンをつけた男女が数十人集まっている。アフリカ系、ヨーロッパ系、ラテン系と人種は様々だが、誰も彼もが驚くほど整った容姿をしている。
「そういえば、ルイ以外の吸血鬼を初めてちゃんと見た。うわあ、凄いキラキラしてる……」
獲物をおびき寄せるために容姿が整っている種族というのは本当のことらしい。見惚れていると、ルイが美良乃を頬を両手でそっと挟んで自分の方へ向けた。
「はっはっはっ、ちょっと見過ぎじゃないかな、美良乃? 中でも僕が一番美しいだろう!? そうだろう、そうに違いない!!」
芸術品のような顔に笑顔を湛えているが、全く目が笑っていないうえに、身体から冷ややかな空気まで発しているような気がする。正直少し怖い。
「う、うん、ソウダネ」
美良乃は目を泳がせて、必死に他の話題を探した。
「そっ、そうだ! 優勝候補とかっているの?」
「そうだなあ。隣町のマッケイナはかなり速いと聞くけどね」
言いながら、ルイはスタート地点で十二番のゼッケンをつけた少女を指差した。緑色に染めた髪に小柄な体躯で、年齢は十代後半に見える。
そうこうしているうちに、白い服に身を包んでサングラスをした背の高い男がスタート地点に歩み出てきた。
「これより、五十マイル競走を始めます。皆さん、ルールに従い、競技中はくれぐれも人間や車に接触しないように気を付けてください」
彼は参加者を見渡してから、耳にヘッドセットを装着した。右手のスターターピストルを高々と持ち上げる。
「位置について、よーい……」
パァンと音が響くと同時に、スタート地点にいた参加者の姿が煙のように掻き消えた――ように美良乃には見えた。
「おお、皆張り切っているね」
ルイは地平線の方を見ているので、実際はあまりにも速くて美良乃の眼には追いきれないだけだったようだ。
「さあ、全員軽快にスタートを切りました。今年は誰が優勝するのでしょうか。歴代最短記録はルイ・ド・クルール・サンティアゴ伯爵の5分40秒で、十二年前から一度も破られていません」
会場に設置されていたスピーカーから聞こえた情報に、美良乃は目を剥いた。
「5分40秒!?」
ルイはふふんと鼻を鳴らして頤を逸らす。ドヤァという効果音がつきそうな態度だ。
「神は僕という最高傑作に、二物どころか五物くらい与えたもうたからね!」
「……自分で言っちゃうんだ、相変わらず」
ではルイが全力疾走すれば、オマハまで行くのにも十数分しかかからないのだろう。以前車で二時間もかけて行ったのが申し訳ない気さえするが、美良乃を抱えながら走るのはいかんせん無理があるし、人間の肉体でその高速移動は耐えられないだろう。
(まあ、走行中に身体に虫とかいっぱいつきそうだから、車で優雅に行った方がいいのかもしれない)
スタートしてからほんの数分で、先頭走者が中間地点を通過したというアナウンスがあった。
「もう!? 本当に速いんだね」
「おや、ゴール地点と中継が繋がったようだよ」
会場に設置されたモニターに、ゴール地点の映像が映し出された。ニッカ―の会場同様、農閑期の畑に設置されたようで、遠方に「ドノバン」という町の名前が書かれた給水塔が見える。ゴールの両脇に観客が大勢いて、完走した参加者に手渡す予定なのか、タオルや赤黒い液体が入った水筒を持っている者も多い。
「只今、ゴール付近に先頭の選手たちが見えてまいりました!」
興奮した様子の実況が聞こえた。美良乃は目を凝らしてモニターを見たが、それらしき人たちは見えない。しかし、瞬きをひとつし、再び目を開けた時には既に十二番のゼッケンをつけたマッケイナがゴールのテープを切った後だった。
「いつの間に!?」
マッケイナに続いて二位、三位の参加者が、まるで瞬間移動でもしてきたかのように、唐突にモニターの中に姿を現した。
「やはり今年はマッケイナが一番だったなあ」
「エルマーもなかなか速かったが、あと一歩及ばなかったな」
美良乃の周辺で観戦していた吸血鬼たちが口々に感想を言い合っている。
「しっかし、やはり今年もルイの記録は破られなかったか。なあ、ルイ?」
「そうだねっ、この僕があまりにも優秀過ぎるのだから、仕方がないさ! しかし皆よく頑張って走ったよ! 彼らの健闘を湛えよう!」
ルイはモニターに向かって拍手を贈った。発言内容はものすごく上から目線なのに、真珠のような歯を煌めかせながら爽やかに笑っているせいで嫌味っぽさが中和されている。
全員がゴールし終えると、中継先のゴール地点で表彰式が行われた。
「一位、マッケイナ。6分48秒」
割れんばかりの歓声の中、緑色の髪の美少女が金メダルを受け取り、にやりと口の端を引き上げて笑った。
「第二位、エルマー、7分04秒。第三位、ボレクワ、7分47秒」
どのタイムも人間離れし過ぎていて、もはや凄いのかそうでもないのかもわからない。
二位と三位の参加者にもメダルが授与され、表彰式は華々しく終了した。
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