45. 11月11日 モンスターショー【5】
「うわあ……! きれい……」
妖精族のテントに入った途端、美良乃は感嘆の声を漏らした。
そこは木々が鬱蒼と生い茂る森だった。テントの大きさよりもよりも明らかに広大で、地面に並べられた倒木や切り株の上に観客が座っている。天井を見上げれば、紺色の空に金と銀を混ぜたような月がぽっかりと浮かんでいた。
「すごい、これどうなってるの?」
「妖精族の魔法だね。どこか別の空間とテントを繋げてあるんだろう」
美良乃とルイが倒木の上に腰かけて少し経つと、正面に置かれた岩のステージの上にひとりの女性が現れた。月の女神もかくやという美女で、金を紡いだような髪からは尖った耳が見える。背が高くすらりとしていて、昔のギリシャ人のように布を身体に巻き付けるだけの簡素な衣装を着ていた。
「皆さま、ようこそお集まりくださいました。これから、妖精族の歌のコンクールを行います。最後には出場者全員による合唱もありますので、どうぞ最後までお楽しみください」
盛大な拍手が沸き起こる。女性は一礼すると岩を下り、木々の中へと姿を消した。
ステージ脇に生えている木の陰から胸にエントリーナンバーが書かれたシールを貼った森の賢者の男性が出てきた。マリオと同じような容貌だが、彼には蔦の髭がない。
男性はカポカポと蹄を鳴らしながら岩の中央へ出ると、恭しく一礼し、姿勢を正す。軽く咳払いをして大きく息を吸い――。
「リーリー♪」
秋の夜長を思わせる虫の音を歌い出した。それも一匹だけではない。無数の虫の音に、風に揺れる草の音。目を閉じると秋の夜に野原で佇んでいる錯覚に陥ような、何とも自然で美しい音だった。美良乃にとってはあくまで「音」だ。「歌」ではない。
森の賢者は口からマイナスイオンでも放っているのだろうか。先ほどまで胸の中で燻っていたモヤモヤした気持ちが、洗い流されたようにスッと薄れていく。
(はああ、癒される……。何だか妖精族の歌にはまりそう)
夜に聴けば安眠が訪れそうだ。音楽配信サービスで配信していないだろうか。
うっとりと聴き惚れていると、ふと手にルイの体温を感じた。彼の長い指がそっと美良乃の掌を這って、指と指の間に入り込んでいく。
――これは、所謂恋人繋ぎというやつではないだろうか。
美良乃は複雑な心境で絡み合った指を見下ろした。
こういうところでさり気なくスキンシップをとれるあたり、やはりルイは女慣れしているなと思う。
(わたしとデートしだす前は女性を口説いたり、こんな風に思わせぶりな態度を取っていたんだろうか)
美良乃も冷静になってしまう前だったら、このシチュエーションに心臓が破裂しそうなくらいドキドキしていただろう。しかし一旦この関係に疑問を持ってしまうと、嬉しいはずの気持ちが膨らみきらないまましぼんでいってしまう。
鉛でも呑み込んだように重苦しい気持ちになってちらりとルイを見上げれば、彼はうっとり笑って、耳元で「ロマンチックだね」などと言ってきた。
美良乃は曖昧な笑顔を返し、顔をステージに向けて訝し気なルイの視線から逃げた。
隣でルイが何か言いたげに口を開いたり閉じたりしているのがわかるが、敢えて気付かない振りを通す。
エントリーナンバー1の男性が歌い終わると、続けて別の妖精族がステージに上がってくる。今度は背中に透き通った翅を生やした女性だった。鳥のさえずりや嵐の音など、コンクールの出場者たちは様々な音を歌い上げていく。
美良乃の家の林で発声練習をしていたマリオがステージに現れたのは、コンクールが始まってしばらく経ってからだった。胸に「7」のエントリーナンバーを貼って出てきた彼は少し緊張しているようで、鹿の尻尾が忙しなく左右に揺れている。ピコピコしていて可愛い。
思わずマリオの尻尾を凝視していると、ルイが拗ねたように耳元で囁いた。
「あまり他の男の尻を見ないでくれないかな。どうも妬けて仕方がない」
「はあ!?」
驚いて振り仰ぐと、彼は非難がましく片眉を上げていた。
「見るなら僕の尻にしてくれたまえ!」
「いや、見ないから! お尻じゃなくて、尻尾を見てたの!」
ルイは疑わしそうに「そういうことにしておくよ」と肩を竦めた。
男の尻に興奮する趣味はない。人を痴女のように言わないでほしい。
マリオのパフォーマンスは見事だった。目を閉じれば瞼裏に地平線まで続く花畑が浮かんでくる。色とりどりの花が温かい風に揺られて踊り、近くを流れる小川のせせらぎまでも表現した、何とも美しい音。自分の中に脈々と受け継がれてきた、古の時代に自然と共に生きていた先祖の記憶を呼び覚ますような――。
感動のあまり、両腕に鳥肌が立った。喉の奥がキュウっと締め付けられ、眦に涙が浮かんでくる。
「ブラボー!」
割れんばかりの大歓声に、美良乃はハッと我に返った。観客が次々と立ち上がってスタンディングオベーションを贈っていく。美良乃もルイと頷き合って立ち上がった。素敵な音――もとい、歌に対する感謝を込めて、力いっぱい拍手する。
マリオは感極まったように口を押さえ、深々と一礼するとステージから去っていった。
「すっごく素敵な音……じゃない、えっと、歌だったね!」
歌のコンクールが終わり、美良乃は興奮冷めやらぬまま森の奥へと進んでいた。出場者の控室ならぬ控え場所までマリオに挨拶に行くのだ。
ステージでは次の種目である「フェアリーリングコンテスト」が開催されているようで、軽快なリズムが聞こえてくる。フェルナンドから妖精族は満月の夜に集まってフェアリーリングを作ると教わったが、別に満月にしか作れないわけではなく、気分次第でいつ作っても問題ないらしい。妖精たちが輪になって踊っているらしいので、挨拶が終わったら少し観てみたい。
「マリオは以前から才能のある歌い手として有名だったからね。今回の優勝で殿堂入りを果たすのではなかな」
コンクールの優勝はマリオだった。あれだけ見事な音、いや、歌を披露したのだから、誰もが納得のいく結果だったのではないだろうか。
「最後の合唱も、本当に良かった! 春の森の中で動物に囲まれていたみたいな気分になった」
「ふふっ、それは良かった。彼ら妖精族は定期的に合唱のコンサートを開くから、そんなに気に入ったのなら今度はコンサートに行ってみよう」
「ああ、ね……」
返事を濁す美良乃に、ルイは形のいい眉を寄せた。
「何か気になっているのかい?」
「……ううん。何でもないよ」
二人は黙々と森の獣道を進んで行った。森の中には魔法で色とりどりの光の玉が浮いていて、あまり視力の良くない人間の目でも足元が見える程度には明るい。
「あ、あれかな?」
美良乃が立っている場所から少し離れた所、木々の間に人だかりができていた。どうやら出番を終えた妖精族の出場者たちが帰り支度をしているようだ。その中に見慣れた蔦髭を見つけて、美良乃は手を振った。
「マリオさん!」
「やあマリオ! 優勝おめでとう」
「おや、美良乃くんじゃないか! それに、ルイ殿まで」
マリオは機嫌よく振り返った。角に先ほど優勝した際に受け取った金メダルがひっかけてある。
「おめでとうございます、マリオさん」
「どうもありがとう。これも、君の家の林で発声練習をした成果だよ、はっはっは!」
「それにしても」、とマリオは美良乃とルイを交互に見た。
「君がルイ殿と恋仲とは知らなかったなあ」
「いえ、その」
「どうだい、美男美女でお似合いだろうっ!?」
ルイは得意満面に頤を上げる。黒い髪がファサッと宙を舞った。
「あの、チケットありがとうございました」
「どういたしまして。モンスターショーは楽しんでくれているかな?」
「はい。種族によって特性があって、とっても興味深いです。妖精族の歌はとても素敵でずっと聴いていたいくらい。配信とかってしていないんですか?」
「配信?」
マリオは訝し気に首を傾げた。ルイがすかさず説明する。
「昔でいうところの、レコード販売のようなものだね」
マリオは意外なことを訊かれたといった風に目を瞬いた。
「ふむ。考えたこともなかったな。我々にとって、歌とはそこいらじゅうに溢れているものだったから」
妖精族が元々住んでいた妖精界では、常に誰かが歌を歌っているような環境らしい。自分も歌いたくなったら参加するというスタイルを取っているため、時々数百人規模の大合唱になるのだとか。
「モンスター専用の音楽配信サービスで配信してみたらどうだろう? 美良乃のように興味を持ってくれる者も多いかもしれないよ?」
「私は最近の技術はよくわからないからなあ。うちの若い連中にでも訊いてみるとしよう」
マリオは力強く頷いた。
「もし配信を開始したら、教えてくださいね」
「ああ、もちろんだとも。二人とも、今日は来てくれて本当にありがとう。また機会があれば、我々の歌を聴きに来てくれ」
美良乃とルイはマリオに別れを告げると、ステージに戻ってフェアリーリングコンテストを観賞した。出場者たちは岩のステージ上ではなく、ステージ脇の草の生えたエリアに集まっている。翅のある者、小さな中年男性のような外見な者、翅はないが耳が尖っている者、様々な種類の妖精たちが七人ほど手を繋いで円を作り、踊りながらくるくると回っていく。すると、彼らの足元からポコポコと白いマッシュルームのようなキノコが生え始めた。
「はいっ、フェアリーリングが出現しましたので、踊るのをやめてください。キノコの質、ポータルの座標の正確さの測定に入ります」
進行役の男性が鼻の上の眼鏡をくいっと押し上げながら生真面目に指示を出す。測定係が集まってきて地面に膝をつき、円形に生えたキノコをまじまじと観察していく。美良乃の鳩尾くらいまでの背丈のコボルトがキノコをひとつ摘まみ上げると、上下左右から形状を確認し、徐に口の中へ放り込んだ。
「えっ、食べるの!?」
思わず声を上げた美良乃に、ルイは小さく笑う。
「妖精の魔法で発生したものだからね。身体に害はないよ」
コボルトはまるで味わい深いチーズでも食べているかのように口の中のキノコを堪能し、満足気に何度も頷きながら手元の用紙に何かを書き込んでいく。
「次に座標の確認を――。おや、これは失敗だ。誰だい、ジョンソンさんの家のトイレに出口を作ったのは!? 失礼しました旦那さん! どうぞ、気にせずごゆっくり」
フェアリーリングに足を踏み入れた審査員が素っ頓狂な声を上げた。どうやら知り合いの家のトイレ――しかもその家の主人が使用中の――に座標がずれてしまったらしい。
「……かわいそうなジョンソンさん……」
美良乃はジョンソン氏に同情すると同時に、心の底から神仏に祈った。
――どうか、おっちょこちょいのどこかの妖精が、自分のバスルームにポータルを開きませんように、と。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




