34. 10月22日 ルイ様リサイタル【2】
「凄かったわねぇ。色んな意味で! アタシ、頑張ってうちわ振ったら視線もらえたのよぉ!」
「うん、色んな意味で凄かった。気絶した人もいたし」
「あたしも、ぶっ飛んでていいと思ったわ」
一番後ろの列にいたダニエルと合流し、三人でワイワイと感想を言い合っていると、フェルナンドが美良乃に近づいてきて、こっそりと耳打ちしてきた。
「ルイが呼んでる。事務室に案内するから、三人ともついてきてくれ」
「あら! これってバックステージにご招待ってやつじゃない!?」
「すごぉい、ロックバンドのコンサートの後みたい」
ダニエルとアリアは小声でキャッキャウフフしながら、先に歩き出したフェルナンドを追いかける。美良乃も周囲の目を気にしつつも後について行った。
黒い螺旋階段を上がった先が事務室になっていて、ルイはいつもここから登場しているらしい。
事務室の内装はこれといった特徴もなく、家具もグレーのデスクに黒いオフィスチェア、ファイリング用の棚と、日本でもお馴染みのものだ。
ただ、異彩を放っているのが片隅に設けられたスペースで、上と左右の三辺にいくつもの電球がついた四角い鏡のドレッサーが置かれ、そのすぐ脇にはメイク用品やヘア用品が溢れんばかりに入った小型のカートがある。まるでハリウッド俳優の楽屋のようだ。
ルイはドレッサーの前に座りながらタオルで汗を拭っていた。いつの間にか着替えていたようで、黒い長袖のTシャツにスウェットパンツといった出で立ちだ。
「やあ諸君! 僕のコンサートに来てくれてありがとう! ささ、入ってくれたまえ!」
「ルイちゃま、素敵だったわよぉ~!」
「お疲れ様~!!」
ルイはアリアの背後に隠れるようにして佇んでいた美良乃を見ると、花が綻ぶような笑顔を見せた。
「やあ僕の女神! そんな所に立っていないで、ここに座っておくれ」
ルイは自分の隣に革張りの椅子を引き寄せて、座面を軽く叩いた。
美良乃がおずおずと近づくと、彼は徐に立ち上がって美良乃の右手を取り、指先に口づける。思わず喉の奥で「ヒッ!!」と押しつぶしたような悲鳴が出た。瞬時に顔がお湯を沸かせるくらいに熱くなる。
挨拶で手に口づけなど、小説か映画の中でしか聞いたことがない。
どこのお貴族様だと言いかけて、彼は本当に貴族出身だったことを思い出して口を噤む。
何にせよ、庶民にとっては心臓に悪いことこの上ないのでやめていただきたい。
並んでソファに腰かけていたダニエルとアリアが「あらあら」とか「お熱いことで」などと茶化してくる。彼らの方こそピッタリと密着している上に、手まで繋いでいるではないか。しかも指を絡ませる「恋人繋ぎ」というやつだ。
「それで、僕のコンサートはどうだったかな!?」
期待に満ち溢れた顔で訊かれて、美良乃は思わず目を泳がせた。目が二十五メートルプール往復を泳ぎきるくらいの間、必死に当たり障りのない感想を考える。
「……ローラースケートは上手だったかな」
「そうだろうともっ! あれは僕がまだ東京で暮らしていた時に購入したものでねっ! きちんと保管しておいて良かったよ!」
「衣装もそうだけど、1980年代が今回のテーマだったの?」
「いかにも! まだまだ色々とアイデアがあるので、今後のコンサートも楽しみにしておくれ!」
――あの斬新なルイ様リサイタルは、今後も続くらしい。
彼の自信とポジティブさを美良乃も多少見習った方がいいのかもしれない。
「ルイ様にもらったうちわ、ステージから見えた?」
「ああ! とても目立っていたよ! 使ってもらえてよかった。ダニエルのは自作なのだねっ!? 僕への愛がひしひしと伝わってきたよ!」
「そうよぉ。大切な同僚を応援したくて、頑張って作ったの」
ルイは美良乃を振り返り、蕩けるように微笑む。
「美良乃もうちわを振ってくれていたね。よく見えたよ。僕のウィンクに気付いてくれたかい?」
「ああ、うん、気付いた」
やはり、あれは美良乃を意識したものだったらしい。勘違いではなくてよかった。
「僕としたことが、コンサート中も君のことばかり気になってしまったよ。こんなに僕を夢中にさせるなんて、何て罪作りな子リスちゃんなのだろう」
「は、はあ。……子リスって」
よくもまあ、次から次へと例える動物が浮かんでくるものだ。
「どうだろう、今週君の予定が空いていれば、コーヒーでも飲みに行かないかい?」
「うん。あ、この間は奢ってもらったし、今度はわたしがお金出すね」
ルイは裕福なので気にしていないだろうが、日本食レストランの会計は結構な金額になっただろう。コーヒー代ではそれに遥かに及ばないだろうが、彼だけにデート代を負担させるのは気が引ける。
ルイはそんなことを言われると思ってもいなかったのか、きょとんとしている。
「僕が君と時間を共に過ごしたいのだから、僕が出すのは当然さ。そんなことは気にしないでおくれ」
「でも、申し訳なくて」
ルイが尚も言い募ろうと口を開くと、すかざすアリアが助け船を出した。
「まあまあ、ルイ様。あたしも美良乃の気持ちはわからないでもないわ。デート代を毎回払ってもらうと借りができたみたいで負担に思う女性もいるのよ。そうすると嫌だと思ったことを言えなかったり、会うのを止めたくても断り辛くなるから、コーヒー代くらいは出してもらった方がいいわよ」
「ほう、今日日の女性はそう考えるものなのだね。男がお金を出すのが当たり前の時代に慣れていたもので、そこまで考えが及ばなかったよ。では、お言葉に甘えてコーヒーをご馳走になろうかな」
ホッ胸をなでおろしたのも束の間、ルイはポッと頬を染めた。
「ふふっ。今まで僕の周りには、そんなことを気にする女性はいなかったよ。君は本当に『おもしれー女』だね、マイエンジェル♡」
くすぐったさを堪えるそうな顔をして、再びそっと美良乃の右手を取り、少し体温の低い唇を手の甲に繰り返し押し当ててくる。その度に「チュッ」という音がして、美良乃は恥ずかしさのあまり震えあがった。
アリアとダニエルが生温かい目を向けてくる。見ていないで、ルイを止めてほしい。
どうやらルイの変なスイッチを押してしまったようだ。彼は恍惚としながら美良乃の手に頬ずりをし始めた。
「ひえええええ!! 落ち着いてぇええ!!」
「僕は至って落ち着いているとも」
アリアとダニエルは意味ありげに目配せし合うと、いそいそと立ち上がった。
「さて、と。あたしたちはこれからバーにでも行こうかしら。ルイ様、もしよかったら、美良乃を家まで送ってくれない?」
「ああ、もちろんだとも! 美良乃のことは僕に任せて、二人は愛を育むといいよ!!」
「じゃ、お言葉に甘て」
「お、置いて行かないでぇええ!!」
美良乃の嘆願もむなしく、アリアとダニエルは寄り添いながら事務室を出ていってしまった。
急に訪れた沈黙に気まずくなってそっとルイを窺うと、彼は美良乃の手を掴んだまま、うっとりとこちらを見つめていた。何やら、瞳の奥にハートマークが見えるのは気のせいだろうか。
「そんなに怯えないでおくれ、僕の女神。大丈夫、噛みついたりしないよ」
アメリカではよく、自分に対して遠慮している人を安心させたりするときに「噛みついたりしないよ」という表現を使うのだが、ルイは吸血鬼で実際に噛みつく可能性もあるため、両方の意味で安心させようとしているのだろうか。
「……ルイは、同意もなく噛んだりしないって、ちゃんとわかってるよ?」
まだそこまで彼のことをよく知っているわけではないが、それだけは確信できた。彼は言動が突飛ではあるが、その随所に誠実な人柄が垣間見える。
彼は感に堪えないという風に大きく息を呑んだ。
「僕の心は少しずつ伝わっているのだね! 良かった……」
ルイの手にきゅっと力が入る。触れた箇所からふわふわとした温かいものが全身に広がっていくのが心地よい。
ふと、脳裏にコートニーの言葉が蘇る。
――『一緒にいるとホッとする程度の穏やかな恋もあるしね』
それはもしかすると、こういう気持ちのことなかもしれない。
(わたしの恋は、このまま穏やかなものであり続けてほしい)
燃え上げるような激しいものでなくていい。障害もライバルもいらない。
初めて他人に対して特別な感情を抱くことができたのだ。焦らず、ゆっくりとこの気持ちを育てていきたい。
「――あの、本当にわたし、こういうの初めてで。ルイにはじれったいのかもしれないけど、様子を見ながら少しずつ慣れていけたらいいなって」
「もちろんだとも。強引に迫って君に嫌われたくないからね」
それから暫く、二人は他愛もない話をして穏やかな時間を過ごした。
そして二日後、ニッカ―の下町のカフェで二回目のデートをしたのだった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




