31. 10月17日 吸血鬼とデート【3】
そうこうしているうちに目的の日本食レストランに到着し、二人は車を降りた。
そこはオマハに数件ある日本食レストランのうち、アメリカ人向けに改良したものではなく、日本人にとっても違和感のない寿司や家庭料理を提供する店だった。内装も木材や漆喰、和紙を使った和モダンな雰囲気で、美良乃でも違和感なく受け入れられるものだ。
レストランに入った途端、店内の視線が一斉に二人に注がれたので、美良乃は居心地が悪くなって背中を丸めた。ルイは視線に慣れているのか、堂々とした態度で案内された座敷へと歩いていく。
客を見渡してみると、老いも若きもほぼ全員の女性客の瞳がハートになっていた。中には男性と思わしき客もいる。
美良乃はそっとルイを見やった。白い襟つきのシャツに紺色のジレを着て、細身のパンツを穿いている。ポケットチーフもかなり洒落たもので、ジレより薄い色の生地に紺色で刺繍を施したものだ。全体的に身体の線が出る服装なので、スリムに見えて実は適度に筋肉がついているのがわかる。
(まあ、今日のルイは普段よりもお洒落な恰好してるし、モデルみたいだからね。食事そっちのけで見惚れるのもわかる気がする)
席につくと前菜にカキフライと餃子を頼んだ。メインにはそれぞれ寿司のセットを注文する。オマハ周辺の日本食レストランでは餃子はとても人気のある前菜で、大抵どこの店のメニューにも載っている。
「そういえば、ルイはに……わたしたちと同じように、毎日三回食事するの?」
座敷とはいえ壁が薄いので、会話の内容には多少気を遣った方がいいだろう。
ルイは軽く肩を竦めた。
「その時の気分によるけれど、きっちり三度食事を摂らなくても支障はないよ。朝は大抵コーヒーか紅茶で済ませる。ところで、君はいつも何時くらいに起きているんだい?」
「九時ごろまでには起きてるかな。わたしは介護付き老人ホームでバイトしてるんだけど、基本夕方から夜のシフトだし」
「ほう、ニッカ―の老人ホームというと、エレナが働いているところかな?」
「うん、そう。エレナを知ってるの?」
「ニッカ―に腰を落ち着けてから随分経つからね。それに、僕は自警団で副団長を務めているから、お仲間は大体顔見知りさ」
ニッカ―の人口は人間を含めてもそう多くない。日本であれば町というより、村や集落と言った方がしっくりくる規模だ。その中のモンスターの人口は更に少ないだろうから、お互いを知っていても不思議ではない。
「そうなんだ? フェルナンドといい、エレナといい、その、同じ一族だよね? ニッカ―周辺には多いって聞いたけど、他にもいるのかな?」
「ああ、フェルナンドは昔からニッカ―周辺で暮らしているからね。彼の血筋の者が多いのだよ、エレナも彼の子孫にあたるね」
「えっ、本当に!?」
驚愕に目を剝いた美良乃に、ルイは口の端を緩めた。
「フェルナンドはああ見えて、とても長生きしているのだよ。彼は現在は独身だけれど、過去に三人の妻がいて、それぞれと子供をもうけている。その子供の子孫のひとりがエレナなのだよ」
「二十代後半か三十代前半くらいに見えるから、子供がいたなんて知らなかった……」
妖精族も吸血鬼も長命種なので、見た目と実年齢の乖離が凄い。フェルナンドの実年齢がいくつかは知らないが、彼に子孫がいるのなら、二百六十年生きているルイにいてもおかしくないのではないだろうか。
「ルイにも、その、子供とかいるの?」
恐る恐る訊いてみれば、彼は眉尻を下げた。
「僕たちは寿命が長い故に子供ができにくい体質でね。過去には子供を授かろうとした相手もいたけれど、結局できないまま彼女とは離別したのだよ」
「そうだったんだ……。それは……、残念だったね」
ルイの表情がやたらと切なく見えて、胸がズキンと痛んだ。彼には家族になりたいと考えるほど愛した女性がいたのだという事実に、打ちのめされたような気分になるのは何故だろう。
恋愛に関して、女は上書き保存、男は名前を付けて保存という例えがあるくらいだ。相手の女性が存命なのかはわからないが、彼の心の片隅には未だ彼女がいる可能性もあるのではないだろうか。
そんなことを悶々と考えている自分に気付いて、美良乃はハッとした。これは世にいう嫉妬ではないだろうか。
――もしかしたら、自分で思っている以上にルイにどっぷりとはまっているのかもしれない。
(やっぱり、この感情は恋なの? いや、ちょっと待って! そりゃあ、ルイのこといいなとは思ってるけど。でもまだお互いをよく知らないじゃない。それなのに好きになるっておかしくない? それとも、誰かに恋するのに時間って関係ないのかな?)
自分の恋愛経験の乏しさがこれほど恨めしかったことはない。これはアリアに要相談な案件間違いなしだ。
美良乃はちらりとルイの様子を盗み見る。
長年日本で暮らしていただけあって、彼は箸の使い方も完璧だった。寿司セットについてきたサラダも箸を使って器用に食べている。ピンと伸ばした背筋といい、洗練された所作からは育ちの良さが窺える。
感心していると、ふと視線を上げたルイと目が合った。照明を受けた瞳が本物のサファイヤのようにキラキラと輝いて、美良乃の鼓動が跳ねた。
熱くなった頬を誤魔化すために、慌ててサラダを口に押し込む。
「こ、この人参ドレッシング美味しいね! 日本食レストランに行くとこれと同じものを使ってるところが多いけれど、材料は何を使っているんだろう?」
「そうだね。僕は以前、オレゴン州のポートランドでも日本食レストランに入ったことがあるけれど、そこでもこの人参ドレッシングを使っていたな。僕も自分の舌を頼りに再現してみようとしたことがあるのだけれど、なかなか同じようにはならなくてね」
「へえ、ルイって料理するの?」
「ごくたまに、ね。今は料理人を雇っているから、基本的には彼女の作ったものを食べているよ」
「料理人」
金持ちワードが飛び出して目を瞬く。
「執事もいたりして」
「ああ、執事のセバスチャンも雇っているよ。本名は別にあるのだけれど、執事の名前はセバスチャンと決まっているからね、勤務中はニックネームで呼ばせてもらっている」
「そ、そう」
別に執事は必ずセバスチャンでなければならない法律などないのだが、これも日本のマンガの影響なのだろう。
ルイの家には他に週に二回、掃除をしに来てくれる業者がいるらしい。自宅の部屋数が多いので、ルイひとりでは自室やバスルームくらいしか手が回らないのだとか。
「美良乃は料理はするのかい?」
「う~ん、日本では実家に住んでたし、こっちでは祖父母と暮らしてるから、あまりする機会はないかな。どうしても食べたいものがあれば、作り方の動画とか見ながら作ることはある」
「ほう。どんな料理が食べたくなるのだい?」
「ギリシャ料理とか……。こっちでは結構人気があるけど、日本ではあまりギリシャ料理のレストランってなかったから。あとはフムスとかブリックなんかの中東・北アフリカ周辺の料理も好きだよ」
「フムスは僕も作ったことがある。ひよこ豆のペーストみたいなやつだね」
「そうそう。ブリックはチュニジアの揚げ餃子みたいなやつだよ」
その後は無難に、お互いの趣味や休日の過ごし方などを話して食事は終了した。ルイの趣味は意外でも何でもなく、アニメ鑑賞やオンラインゲーム、マンガを読んだりすることだった。日光アレルギーなので、インドア派なのだという。
約束通り二人分の食事代を払おうと思っていたが、ルイは美良乃がトイレに行っている間にチップを含む全額の支払いを済ませてしまっていた。
車に戻り、美良乃が代金を渡そうとすると、彼はやんわりとそれを制止した。
「食事に誘ったのは僕だからね」
「でも、これじゃあお礼になってないし」
「君が僕のために時間を使ってくれたのが何よりのお礼だよ」
彼はパチリと片目を瞑って宣う。
「うう……。それじゃあ、お言葉に甘えて、ご馳走様でした」
そこまで言われてしまうと、引き下がらないわけにはいかない。
既に午後八時を過ぎた帰り道、空には爪の先のように細い月が浮かび、一面に金銀の星が散っていた。車は地平線に吸い込まれるように真直ぐ伸びるハイウェイを疾走していく。
会話が途切れて沈黙が車内を支配した時、ふと、膝の上に置いていた左手がひんやりするものに包まれた。
驚いて見ると、ルイの骨ばった大きな手が美良乃の手の甲を覆っていた。
心臓が胸を突き破って飛び出していきそうになる。
(ひええええええ! 手! 手を握られている!!)
これではまるでデートではないか。いや、デートなのはわかっているのだけれども。人生初のデートなうえ、異性の手に触れたのも中学の体育祭以来初の美良乃にとっては一大事だ。
瞬時に緊張と羞恥心が襲ってきた。どんな顔をしていいかわからず、口元がぐにゃぐにゃとうごめいてしまう。
ルイは進行方向に視線を定めたままだったが、少々表情が強張って見えるのは気のせいだろうか。
やがて彼は躊躇いがちに口を開いた。
「僕に触れられるのは嫌かい?」
「――手ぐらいなら、嫌では、ない、かな……」
そう、以前だったら払いのけていたかもしれないが、今は不思議と嫌ではなかった。
嫌ではないが、心臓が家出しそうなくらい動揺している。
ルイの掌で転がされているようで何となく癪に障るが、やはり自分は彼に惹かれているのだろう。
――いや、もしかしたら、すでに恋に落ちているのかもしれない。
「良かった。少し、このままでいても?」
「うん……。でも、カーブに差しかかったら両手でハンドル握ってね?」
「ははっ、もちろん」
美良乃の返事に、ルイはホッとしたように口元を緩める。美良乃の手に重ねた右手に少し力を込めて握り込んできた。
美良乃は気にしていない風を装って前を向いているが、全神経はルイに触れらている左手に集中していた。先ほどから掌に大量の汗をかいている。ルイに触れられているのが手の甲で良かったと心の底から思った。
車の進行方向によって触れたり離れたりするルイの温度を心地よく感じながら、あっという間に二時間が経過して、気付けば車は美良乃の自宅前に停車していた。
「今夜はとても素敵なデートをありがとう」
今一度強く握りこんでから手が離れていく。失われた体温を少し寂しく感じてしまう自分に驚きつつも、美良乃は表情を取り繕った。
「うん。わたしこそ、ありがとう。ごちそうさまでした」
「――また誘ってもいいだろうか?」
ここはアメリカ。社交辞令や遠まわしな表現とは縁のない、直球勝負の国である。故に、友達のままでいたい場合はハッキリその旨を告げて、二回目のデートは断るものだ。
しかし、美良乃の答えは既に決まっていた。
「うん。あの、つ、次も、た、楽しみにしてる……」
ルイは蕩けるような笑みを浮かべた。凄まじい色気と、車内に充満した甘ったるい雰囲気にいたたまれなくなって、美良乃は急いで車を降りた。
「送ってくれてありがとう。気を付けて帰ってね」
「ありがとう。おやすみ。良い夢を」
「うん、あなたも良い夢を。おやすみ」
名残惜し気に美良乃に手を振って、ルイの車はゆっくりと家の敷地から去っていく。
車のテールランプが見えなくなるまで見送ると、美良乃は大きく息を吐いた。
「次も楽しみにしてる、か……。我ながら頑張った」
未知の領域に踏み込んだ己の勇気を称えつつ、家の中へと入っていった。
就寝時、瞼を閉じるたびにルイの右手の感触を思い出し、羞恥のあまり奇声を上げながら身悶えたのは言うまでもない。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




