28. 閑話 ニッカ―郡モンスター自警団
ルイ視点です。
美良乃の部屋の窓から身を躍らせたルイは、音もなく庭に着地するとそのまま地面を蹴った。周囲に影響を及ぼさない程度の速度を保ちつつ、ハイウェイを疾走していく。
「それにしても、美良乃の血は夢のような味だったなぁ。あの芳醇な香りといい……。堪らない」
ルイはうっとりと独り言ち、甘美な血の味を思い出して小さく身震いした。
彼女のなめらかな首筋に牙を突き立て、口内に流れ込んできた温かな血を飲み下した瞬間、頭の芯が溶けるような酩酊感を覚えた。人間がアルコールに、猫がマタタビに酔うように、吸血鬼は愛しい者の血に酔う。
吸血行為とは吸血鬼が糧を得るための行為であると共に、吸血対象に好意を抱いている場合は酷く欲情するものでもある。
もちろん個人差や性差はあるが、思春期を迎えた吸血鬼であれば誰でも、恋愛対象の血を欲して飢餓感を覚えるものなのだ。その衝動を抑えられるようになって初めて一人前の吸血鬼と認められる。
ルイは二百六十歳だからこそ、恋情を抱いている美良乃の血を吸っても何とか理性で本能を抑え込むことができた。しかし、もしルイが二桁の年齢の若造たっだなら、間違いなく彼女を色々な意味で貪っていたことだろう。
「我ながら、良く我慢できたものだねっ! 偉いよ、僕!」
自分を褒めているうちに自宅が見えてきた。
ルイの邸があるのはニッカ―の北部、町の中でも裕福な者が居を構える区域だ。1880年代のヴィクトリア様式の邸宅をそのまま現在の区画に移築させた自宅は、淡い水色の外壁と勾配の急なグレーの屋根、玄関前のポーチが特徴的だ。
自宅からニッカ―郊外の美良乃の家までは車で十五分ほどの距離だが、今回は迅速な対応を求められていたため、走って向かったのだ。吸血鬼であるルイが本気を出せば人間には目で追うこともできない速度で移動することできるので、こういう緊急時には便利である。
自宅に到着すると、玄関のポーチに設置されたブランコに鬼人族のダニエルが座っていた。
彼は前腕の部分だけやたらと布地がヒラヒラしている黒いシャツに黒のフレアパンツといった、少々中性的でゴシック風な服装をしていた。最近アリアとデートしているという噂があるので、魔女のイメージに合わせているのかもしれない。彼は案外恋人の色に染まりたいタイプのようだ。
「ハァイ、ルイちゃま」
「やあダニエル! 夜分に呼び出して申し訳ない。お待たせしてしまったね」
「いいのよぉ。それより、美良乃ちゃんはどうだったの?」
言いながら、ダニエルは立ち上がってこちらに近づいてきた。
彼は身長が二メートル近くある上にピンヒールを履いているようで、身長が百八十五センチのルイでも見上げると首が痛くなる。
「ああ、問題なく毒を吸い出すことができたよ。その後少し影響が残っていたから、様子を見ていたら遅くなってしまってね」
「あぁん、ルイちゃまの大事なお姫様だものぉ、心配だったのは理解してるわよ」
ルイはダニエルを自宅の応接室に招き入れた。昼間であれば執事のセバスチャン(本名:エド)が対応してくれるのだが、生憎と彼は住み込みではなく通いで働いており、深夜の勤務は契約に入っていない。
応接室の正面の壁には暖炉があり、その両脇には壁一面に作り付けの本棚がある。暖炉の前には革張りのひとり掛けソファと二人掛けのソファが向かい合うように置かれている。
ルイはダニエルに二人掛けソファを勧めると、自分もひとり掛けの方に腰を下ろした。
「それで、やっぱりバーバラさんが言っていた通り、ヴァイパー族の毒だったの?」
ルイはひとつ頷き、自分が穿いているデニムパンツのポケットから指の先程度の大きさの塊を取り出した。歪な球体で、黒に近い紫色をしている。
「これは、帰り道で僕が体内から取り出したものだ――ああ、下からではなく、口から出したし、一応拭ってあるので安心してくれたまえ――匂いといい、舌がピリピリする感じといい、間違いなくヴァイパー族の毒だね。これを鑑識に出してくれれば、彼らのひとりが掟を破って人間を害したと証明されるだろう」
吸血鬼には一切の毒が効かない。毒が含まれた血液を接種したとしてもほろ酔い気分になる程度で、身体に害はない。スパイスのように独特な刺激があるので、好んで毒を飲み物に入れたり、料理に入れて隠し味にしたりする吸血鬼がいるくらいだ。
また、吸血鬼には摂取した血液や飲食物の中から毒の成分だけ分離させ、体外に排出することが可能だ。この塊も美良乃の血から取り出したヴァイパー族の毒を塊にしたものだった。
ダニエルは塊を受け取ると、矯めつ眇めつ眺めた。
「了解。これはアタシが責任を持って管理するわ。それにしても、人間に悪戯するなんて困った子ねぇ。小さい頃から親に『人間に悪戯すると、エクソシストがやってきて地獄に連れて行かれる』って散々脅されているはずなのに」
モンスターという存在を正式に公表していないが故に、人間の警察で対処できるモンスター絡みの問題はそう多くない。かといって、各種族が好き勝手に行動していたら人間社会との間に軋轢を生んでしまうため、モンスターは各自治体ごとに自警団を結成している。
ニッカ―周辺の自警団の団長を務めているのが、この鬼人のダニエルなのだ。バーバラはルイを美良乃の家に派遣した後、すぐさまダニエルにも連絡を入れた。
「美良乃の体調も考慮して、まだ詳しいことは訊いていないのだよ」
「実は、犯人の目星は既についているのよねぇ」
「本当かい?」
ルイは目を白黒させた。ダニエルは片手を頬に当てて、困ったような顔をした。
「ヴァイパー族のナタリーちゃんが、スーパーで美良乃ちゃんに詰め寄ってるところを目撃したモンスターがいたのよぉ。ルイちゃまに近づいたら、鬼人族の食用に売り飛ばすって脅していたって連絡をくれたの。明日――もう今日ね――昼過ぎにスーパーの監視カメラを確認させてもらいに行くわ」
「何だって?」
容疑者の名前を聞いてルイは眉を顰めた。ヴァイパー族のナタリーは6フィートアンダーの常連であり、ルイのファンクラブの会員でもあるため、何かと顔を合わせる機会がある。少々気性の荒い娘だとは思っていたが、嫉妬のあまり掟を破るなど、愚の骨頂だ。
「失礼しちゃうわよねえ、アタシたちが人間を襲って喰っていたのなんて、百年以上前の話なのに! そんなリスクの高いこと、今は誰もやらないわよぉ!」
掟を破ったことに加えて、ダニエルは鬼人族を脅しの道具に使われたことに腹を立てているようだ。
鬼人族はかつて人間を喰っていたが、得られる利益と人間と対立した際に被る損失を天秤にかけたところ、割に合わないと感じたようだ。それからは人間と同じく、牛や豚などの肉を喰うようになった。ネブラスカ州の特産品に牛肉があるが、鬼人族も農場を経営している者が多く、特産品の生産に貢献している。
「ほう、ナタリーが美良乃を、ね……」
地を這うようなルイの声に、ダニエルはギョッと目を見開いた。
「やだ! ルイちゃま、滅茶苦茶怒ってるじゃない! 何か背後に黒い靄が見える気がするわ!!」
「ダニエル、刑の執行人は僕に務めさせてくれないかい?」
自警団による調査の結果被疑者の有罪が確定した場合、掟に照らし合わせて刑罰を確定し、自警団の中から選ばれた執行人が実行に移す。ルイは自警団の副団長を務めていて、過去にも多くの刑罰を執行してきた実績がある。
「そりゃあ、ルイちゃまの執行人としての実力は折り紙付きだけど……。ちょっと私情を挟んじゃいそうでねぇ」
「大丈夫だよ。その辺の加減はわきまえているさ」
「いやん、笑顔が怖いわぁ……。全く信用ならないから、却下よ。今回はアタシに任せてちょうだいな」
ルイは内心舌打ちしたが、ダニエルの言い分はもっともだった。自警団の一員とはいえ、事件を第三者の目線で見て客観的に判断し、淡々と遂行できない者に執行人を任せるわけにはいかない。
「ルイちゃまは精々、6フィートアンダーの出禁を言い渡すのと、『僕の女に手を出すな』って牽制する程度に留めておいて」
「やれやれ、復讐をそんな手緩いことで済まさないとならないとは、世も末だね」
「仕方ないわよ。時代も変わったんだから」
ネブラスカ州でモンスター自警団が設立されたのは1950年だが、それ以前は各種族によって異なる掟があった。ほとんどの種族で被害者による加害者への報復が認められていたが、大概が目を覆いたくなるような悲惨な結末を迎えていた。
人間社会の科学と技術の発達に伴い、報復の事後処理が段々と難しくなってきたため、ネブラスカ州内の各種族の代表が話し合った結果、各自治体で自警団を設立することになったのだ。
「毒を用いた人間への暴行の場合の刑罰は肉刑だったね」
「ええ、ナタリーちゃんの場合は毒牙を引っこ抜くことになるでしょうね」
「そうか。では、執行人は諦めるが、当日は僕を同伴させてくれないかな? 何、決して手は出さないと、僕の牙に賭けて誓うよ」
「手は出さないけど、口は出すって意味よねぇ。怖ぁい……。ま、それくらいなら許可できるわ。でも、本当に危害は加えちゃダメよ?」
「ははは、もちろんだとも。それにいざとなったら、君は僕を止めるくらい難なくやってのけるだろう?」
「そりゃあ、アタシだって腐っても鬼人ですから、いざとなったら吸血鬼の牙をへし折るくらいわけないけど。――それじゃあ、調査結果が出たら連絡するわね。帰ってちょっとでも睡眠を取りたいわぁ。今夜はアリアちゃんとデートなのよぉ」
ダニエルはパンツのポケットからファンデーションのコンパクトを取り出した。鏡を覗き込んで「やだぁ、お肌が荒れてる」などとブツブツ言っている。そのコンパクトのデザインを見て、ルイはカッと目を見開いた。
「オウ! それは少し前に少女たちに大人気だった日本のアニメ『無難な戦士・ペイパームーン』の変身用コンパクトじゃないか!!」
「いやん、わかる? 流石ルイちゃま! そうなのよぉ、ちょっと前にアニメの放送二十周年を記念して、化粧品会社とコラボしたの。ネットで見かけて、大興奮でポチっちゃった!」
当時も大人だったはずのダニエルも、少女向けのあのアニメを観ていたらしい。少女心をくすぐる変身グッズのデザインは、彼の乙女(?)としての心の琴線に触れたようだ。
「やはり日本のアニメは最高だねっ」
その後無難な戦士・ペーパームーンについてひとしきり語り終えると、ダニエルはるんるんと帰って行った。
ルイはダニエルを見送ると寝支度を始めた。ベッドに潜り込んで目を瞑ると、美良乃の部屋での様子が鮮明に脳裏に蘇ってくる。
「それにしても、今夜の美良乃は実にかわいかったなあ」
ルイは甘えて自分の肩口に顔を擦りつけてきた美良乃を思い出し、ニヤニヤと相好を崩した。
美良乃に自覚はないのだろうが、ルイといると感情が乱れるということは、彼女にとってルイはそれほど無視できない相手であるということに外ならない。そして八つ当たりだろうが何だろうが、感情を吐露する相手として認識されている証拠である。
「ああ愛しい人。君の頭の中が僕でいっぱいになる瞬間があるなんて、何て光栄なことだろう」
世間でよく言われているように、好きの反対は無関心であるとルイも考えている。好きと嫌いは両極にあるが、どちらも激しい感情を向けられることに変わりなく、無関心でいられるくらいなら嫌われるほうがよっぽどましだとすら思う。
ルイは真っ赤になった美良乃の顔を思い浮かべ、恍惚と息を漏らした。
「そのまま手の中に堕ちてきておくれ、僕の悩める子羊。君の悩みも苦しみも、全てその甘美な血と一緒に飲み下してあげる。それが僕の愛し方だ」
数日後、ヴァイパー族ナタリーの刑が、彼女の自宅にて執行された。
当日、「はーい、痛くない、痛くない」と満面の笑顔でペンチを持ってにじり寄る鬼人と、万物を凍てつかせるような笑みを浮かべ「僕の特別な人に手を出すような愚かな子は嫌いだな。心が醜いよね。ああ、実に醜悪だ」と吐き捨てる吸血鬼の姿が目撃されたとか、されなかったとか。
それから暫くして、ニッカ―周辺在住のモンスターの間では、「ルイの恋路を邪魔する奴は、鬼に牙と魂を引っこ抜かれる」という噂がまことしやかに囁かれることになったのだった。
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