27. 10月12日 毒を食らわば心まで【3】
「まあ、これまでの家庭環境を考えれば、そうなってしまったのも仕方ないのだろうけれど」
ルイは美良乃の髪に優しく指を通す。彼の体から響いてくる音は、普段とは少し違ったトーンで美良乃の耳に届いた。
「曖昧な表現が理解できなかったり、建前と本音が見抜けなかったりするのは君の生まれ持った特性で、自分ではどうしようもないことなのかもしれない。悪気なく誰かを傷つけることを言ってしまうのも特性のひとつだという可能性もある。
しかし君は、『悪気がないのだから、許されるべきだ』などと開き直ることをしない。自分の発言が他人を傷つけたことを反省しているし、どうしたら自分の短所を克服できるか悩んで苦しんでいる。それは、君が心根が優しく純粋で、真っ直ぐであることの何よりの証であると、僕は思う。決して邪悪などではないよ」
「優しい? わたしが?」
自分に最も似つかわしくない形容詞に、美良乃は失笑した。
「優しいとも。君が言う『邪悪」だったり性根が腐っている者は、自分の過ちや失言を省みず、全てを人のせいにするからね。でも、君は人を傷つけるたび、君自身も傷ついているじゃないか」
彼は子供をあやすように美良乃の背中を撫でた。パジャマの上から触れられた箇所がじんわりと温かくなって、身体の中に熱が浸透していくような気がする。
バーバラに美良乃の個性も社会の歯車のひとつとして、しっかり機能していると諭された時には頑なに受け入れられなかったのは、ヴァイパー族の毒のせいだったのだろうか。
――それとも。
「生まれ持った特性は治せないのかもしれないが、君はこれまでの人生の中で、どういうことを言った時に相手は傷ついたのか、どんな言い方をした時に相手を怒らせてしまったのか学んできたはずだ。
そしてその膨大なデータを基に、無難な言動を探り出して君なりに実践してきた。だからこそ、ニッカ―では大した問題を起こさずに、皆と上手くやれているのではないかい? 君は失敗ばかりに目を向けているけれど、もっと自分自身の努力を認めて、ここまで成長した自分を誇りに思うべきだよ」
喉の奥が詰まって、鼻の奥がツンと痛くなった。
「どんな人であれ、生きていれば他人との衝突は避けられない。けれど、そんな時にどう対応したらいいのか、日々の失敗から学び、次に活かすことはできる」
「本当に、それだけでいいの? ありのままの自分でいいと思うのは我儘なんじゃないかな?」
ルイは困った子を見るように眉尻を下げた。
「美良乃、変わりたいと思う気持ちが純粋な向上心からくるのであれば尊いが、『本当の自分は存在してはいけないのだから、変わらないといけない』と思い込むのは、とても危険だよ」
美良乃は困惑気味に目を瞬いた。
「危険……?」
「君の性質が社会に害をなしたり、他人に誤解を与えるなら欠点となるが、ただ人と違うこと自体は個性だ。でも君は既に自分の対人能力に問題があることに気付き、努力しているじゃないか。それに目を瞑って自分を責め続けるのは自傷行為と同じだよ。君は良くやっている。だから必要以上に己を責めなくていい」
自分という存在を肯定してくれるルイに、眦から熱いものが溢れ出て頬を濡らした。
「わ、たし……、辛かった」
「そうだね」
「ずっと、ずっと辛くて、苦しくて。わたしみたいな人間に生きる価値はないんだ、生きていてはいけないんだって思って」
「うん」
「もう死んでしまいたいと思ったこともある」
ルイは小さく息を呑んだ。
「君が死を選ばないでいてくれて、本当に良かった。生まれてきてくれて、ここにいてくれて、ありがとう、美良乃」
「わたし、いてもいいの? こんな面倒くさくて厄介な人間なのに」
「どんな人だっていていいのだよ。世界には犬、猫、蛇、鳥、虫……色々な生物がいるが、上手く共存しているし、どれかひとつしか存在してはいけないことはないだろう? 君だって、猫以外は生きる価値がないなどと思わないはずだ。人間社会だって同じことで、世間一般とは異なる考え方や行動をとるから存在してはいけないというのは暴論だ。君は存在していい人間だし、君には君の良さがある。犬には犬の、猫には猫の良さがあるようにね」
今まで母でさえそんなことを言ってはくれなかった。それなのに、どうして。
心が震える。胸の奥に暖かなものが人がっていく。まるで凍てつくような寒さに震えていたところを、柔らかくで分厚い毛布でくるまれたような心地よさ。
――ルイならどんな自分でも受け入れてくれるかもしれないと、勘違いしそうになる。
長くて節くれだった指が涙を拭ってくれた。顔を上げると、ルイの慈愛に満ちた眼差しが降り注ぐ。くすぐったいような、悔しいような複雑な心境に口元が歪む。
「……ずるい」
「ずるい? 何がだい?」
(だって、あんなこと言われて、こんな目で見られたら)
――好きにならずにいられるわけがないではないか。
きょとんと目を丸くしているルイに笑って、美良乃は彼の肩に顔を押し付けた。
ルイは感に堪えないといった風に息を呑んだ。
「み、美良乃が僕に、甘えている……!?」
「あ、甘えてないから!」
美良乃はいたたまれなくなって身を捩った。ルイの膝から抜け出すと、彼はがっくりと肩を落とした。
「……さっきは、疑ったり、酷いことを言ったりして、ごめんなさい」
「僕は気にしていないよ。それに、疑り深くなったのは毒のせいでもあるのだから、あまり気に病まないでおくれ」
「それと……今日は、その、色々と、ありがとう」
「君のためなら、いつでもどこでも駆けつけるさ!」
真珠色の歯を煌めかせながら、ルイは爽やかに笑った。
「あの、できれば何かお礼がしたいんだけど」
「お礼?」
「何か、欲しいものとか、してほしいこととかないの?」
「えっ」
ルイが頬を染めたので、美良乃は焦って言い足した。
「いかがわしいことはなしだから!」
「そ、それはもちろんだとも! ……では、僕とデートしてくれないかい?」
「でえと」
「そう、僕とディナーを食べに行ってくれると嬉しい」
「わかった。じゃあ、お礼にディナーをご馳走させていただきます」
日本かぶれのルイだから、寿司などいいのではないだろうか。
ニッカ―に日本食レストランはないが、ネブラスカで一番大きな街であるオマハにならどうだろう。調べてみるのもいいかもしれない。
「おっと。もうこんな時間だね。僕はそろそろお暇するよ」
時計は既に午前三時を示している。
「寝不足はお肌の大敵だからね! デート、楽しみにしているよ!」
バチコーンと片目を瞑って、キスをひとつ投げて寄越す。
「う、うん……」
美良乃が頬を引きつらせながらも手を振ると、彼は意気揚々と窓に片足を突っ込み、そのまま窓の外へ身体を滑らせた。
「えっ!」
美良乃が窓から外を顔を出した時には、既に彼は夜の闇へと消えていた。
「……玄関から帰ればいいのに」
窓を閉めて鍵をかける。照明を消すと、美良乃はベッドに潜り込んだ。
「……吸血鬼に血を吸われるなんて、何だかすごい夜だったな」
無意識に首筋を撫でると、ルイの唇と舌の感触がありありと蘇ってくる。
「ほひょええええ!!」
美良乃は奇声を上げてブランケットを顔の上まで引き上げた。
あの時は怖かったけれど、今思い出してみると、恥ずかしいだけで不思議と嫌ではない。
「――何だか、わたしだけ狼狽えて、すごく悔しい……。しかも、ちょっと優しくされただけで落ちちゃうなんて、わたし随分チョロくない?」
美良乃はむうと唇を尖らせた。
これまで必死に抵抗してきた分、素直にルイに惹かれていると認めるのが恥ずかしい。
だからもう少しだけ、悪あがきをさせて欲しい。これの感情が本当に恋なのかどうか確かめたいし、この面倒くさいプライドをかなぐり捨てるだけの時間が必要なのだ。
きっとルイは、そんな意地っ張りな美良乃のことも、笑って待っていてくれる気がする。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




