23. 10月11日 「美良乃」という名の化け物【3】
美良乃は幼いころから「変わった子」だった。感受性が強く、傷つきやすいうえに頑固だったと、よく母が零していた。癇癪を起こしたり、思ったことをそのまま口にだしてしまって顰蹙を買い、友達と上手く付き合うことができなかったらしい。人に言われた言葉の真意を汲み取ることができず鵜呑みにし、失敗したことも少なくない。
小学校一年生の頃、ぼんやりしていたら担任に「やる気がないなら帰っていい」と言われて、本当に帰ってしまったことがあった。美良乃は担任の先生が早退を許可してくれたと思い込んでいたのだが、美良乃が教室にいないことに気付いた担任は、大慌てで仕事場の母に電話をした。
仕事を早退して帰宅した母は呆れたように美良乃を見下ろし、「普通、本当に帰ってこないよね? 少し考えればわかるでしょ? あなたどこかおかしいんじゃないの?」と溜息を吐いたことを今でも鮮明に覚えている。
そんな美良乃は次第に学校でも孤立していくようになり、いつもひとりで家の中で絵を描いて過ごすことが多くなった。
美良乃からすれば、そもそも母や姉も「個性的」な性格をしているように思う。
母は家から一歩出れば明るく社交的だが、家にいる時は仕事で疲れ切っているせいで不機嫌なことが多く、悲しかったり寂しかったりする時に抱きつくと「触らないで、暑苦しい。ベタベタされるのは好きじゃないの」と突き放されることが多かった。子供と接するのがあまり好きではないらしく、暇さえあれば自分の趣味に没頭するが、子供と遊ぶのは面倒くさがった。そのため、美良乃は幼少期に母に遊んでもらった記憶がない。
食事を与えなかったり暴力をふるったりすることはなかったが、美良乃はいつも愛情に飢えていた。
姉は離婚前の父と母に厳しすぎるくらいに躾けられて育ったが、その反動からか、何かと美良乃の言動に目を光らせては小言と嫌味を言う厄介な人間に育った。姉にとって美良乃は常に自分より劣っていなくてはならない存在なのか、少しでも美良乃の方が優れている部分があれば貶めようと躍起になる。
美良乃の方が数センチ背が高くなると「知ってた? 女は小さい方が男に好かれるんだから」と言い放ってみたり、美良乃がテストでいい点数を取ってくれば「あんたはコミュ障なんだから、勉強くらいできないとヤバいでしょ」と鼻で嗤う。そういった姉のマントが鬱陶しく、美良乃は家ではできるだけ姉を刺激しないように息を潜めていた。
中学生の頃までは母と姉に心無い言葉で傷つけられた時には抗議していたが、二人はそんな美良乃の抵抗も「大げさだ」「こんなことで傷ついたら社会でやっていけない」「ひがみっぽい」「根に持ってしつこい」と、ことごとく封殺した。だから美良乃はある日を境に、もう二人には何を言っても無駄だと気持ちを理解してもらうことを諦めてしまった。
(わたしは異常なの? 些細なことも流せないで傷つくのはおかしいの? でも、否定されて、始めからこの世に存在しなかったように扱われたわたしの気持ちは、何処へやればいいの?)
次第に美良乃は自分がこの世に存在してはいけないほど性根の腐った凶悪な存在なのだと思い込むようになった。
家庭は針のむしろ。学校も心休まる場所ではなく、友達もいないので悩みを相談できる人もいなかった。
無償の愛を与えてくれるはずの母にすら受け入れられない存在なら、一体、この世の誰が自分を受け入れてくれるというのだろう。
(どうしたら「普通」になれるの? 空気ってどうやって読むの? どうすれば誰にも嫌われないで済むの? わたしは何処へ行ったらいいの? どうしたら受け入れてもらえるの?)
いくら考えても、誰も正解を教えてくれない。
「教えてよ。誰か教えて。――わたしがわたしでなくなる方法を」
何処へ行っても孤独で、寂しくて、疲れてしまう。
あの日教室で女子生徒たちに囲まれて以来、美良乃は男子生徒たちともあまり会話をしなくなった。いつまた誘惑してると詰られるのかわからず、怖かったからだ。
中学を卒業してからは自分を知っている人が誰もいない遠くの高校へ進学し、心機一転自分なりに周囲に溶け込むように頑張ったつもりだった。波風を立てないように、決して注目されないようにしようとするあまり、あまり親しくない人、特に同じ年代の女性と接すると恐怖で身が竦むようになってしまった。コミュニケーション自体が苦痛になって、他人との接触を避けて自分の殻に閉じこもるようになった。
その結果が、バイト先での同僚たちのあの陰口だ。何処へ行っても美良乃は異分子で、気味が悪くて、何を考えているかわからない異形の化け物だった。
ここではないどこか。
自分ではない誰か。
変化を求めて職場を点々とした。けれど、どこへ行ってもこの苦しさはついてくる。
それもそうだろう。美良乃こそが諸悪の根源、近づく者全てを不快にする呪われた化け物なのだから。
自分自身からは逃げることなど、誰にもできない。
――死が安寧をもたらすまで、化け物は果てなく彷徨い続ける。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




