21. 10月11日 「美良乃」という名の化け物【1】
「おいてめえ、こないだ6フィートアンダーでルイ様にベタベタしてた人間だろ?」
スーパーの青果コーナーでリンゴを物色していた美良乃は、突然横から聞こえた刺々しい声に振り返った。
見知らぬ若い女三人が腰に手を当てたり、胸の前で腕を組んだりしながら美良乃を睨みつけている。
一番前に立っている女は見たところ十代後半のようだが、実年齢のほどはわからない。美良乃を「人間」と呼んだということはモンスターなのだろう。よく日に焼けた肌にブリーチした金髪、アンバー色の目の瞳孔は縦に長い。薄い唇と相まって、どこか蛇のような印象を与える。
「えっと? ベタベタ?」
美良乃はごくりと唾を呑んだ。
確かに、横抱きにされたり、ダンスをしようと言われて密着した覚えはあるが、別に美良乃が望んだことではない。
「とぼけんなよ。あたしら見てたんだから。ルイ様を誘惑しようとしてただろーが」
「はあ!? 誘惑なんてしてないけど」
とんでもない言いがかりだ。
以前から言い寄ってきているのはルイの方なのに、まるで美良乃が一方的にルイに熱を上げて、嫌がる彼に無理やりアプローチしているみたいな言われように、ムッとする。
「ちょっと気にかけてもらってるからって調子に乗るんじゃねえよ」
「そうだよ、ルイ様は皆に優しいんだからな? 自分が特別とか勘違いすんじゃねえよ」
「勘違いなんてしてない。わたしからルイに近づいたことなんてないけど?」
「はあ!? まさかルイ様があんたみたいな豚に気があるって言いたいの?」
「うっざ!」
背後にいた二人が顔を真っ赤にして声を荒げた。
「ていうか、お前アジア人のくせに何で目が細くないの? 鼻も低くないし。整形?」
「うわ、整形してまでルイ様に取り入ったの? 必死すぎてきめえんだけど」
アジア人は全員一重で切れ長の目で鼻が低いという偏見に、美良乃は顔を歪める。
「わたしはもとからこういう顔だけど。言いがかりはやめてくれる?」
「黙れ、下等な人間が! あ~あ、臭くてかなわねえわ。クソに塗れた牛みてえな臭いだ」
蛇女は目を眇めながらズイッと顔を近づけてくる。
「てめえなんて、所詮吸血鬼にとっては食い物なんだからな。ルイ様にとっては家畜と同じなんだ。身の程を弁えろ!」
胸の奥がズキッと痛んだ。
吸血鬼は血を吸わないと生きていけない種族だ。いくら輸血用の血液が手に入る時代だからといって、無料で生き血を提供してくれる存在がいた方が便利に違いない。
ルイは美良乃に好意があると言っていた。しかし、果たしてそれは女性として好ましいという意味なのか、それとも糧を得るための獲物として好ましいという意味なのだろうか。
ひとたび疑念を植え付けられると、それはあっという間に心の中に根を張っていく。
モンスターについて無知な人間であれば、簡単に掌の中に堕ちてくると思って近づいたのではないか。
(だって、そうじゃなければ、わたしなんかに近づいてくるなんて、おかしいもの……)
それにしたって、無関係なこいつらにここまで言われる筋合いはないはずだ。言い返したいのに、頭の中がこんがらがって上手く言葉が出てこない。
思わず顔が強張った美良乃を見て、蛇女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「やっと自分の立場を理解した? 家畜は家畜らしく喰われて死ねばいいんだよ! バーカ!!」
蛇女は指先を自分の口元に押し付けると、その手ですかさず美良乃の肩を押してきた。爪が食い込んだのか、肩の表面が針で刺されたかのようにチクリと痛んだ。
あまりの馬鹿力に、美良乃はよろけて数歩後退る。
「今度ルイ様に近づいたら、バラバラにして鬼人族の晩飯用に食肉店に売り飛ばしてやるからな」
「そのアイデア最高! うける~!」
「あ~あ、やだぁ! 家畜の臭いが移ったかも~!」
三人はケタケタと嗤いながら青果コーナーを去って行った。
蛇女たちが見えなくなると、美良乃は深い溜息を吐いて、ショッピングカートにもたれかかった。
彼女に押されたところがまだズキズキと痛む。最近は涼しくなってきたので長袖のシャツを着ているせいで見えないが、もしかしたら痣になっているかもしれない。
「……わたしが何したって言うの!? あの吸血鬼、本当に迷惑……」
人間社会と同じで、モンスター社会にも妬み嫉みというものが存在するらしい。
大体、ルイもルイだ。彼は確実に自分がモテると自覚している。そのくせ人目をはばからず美良乃にベタベタしてくるのだから質が悪い。ひがまれるこっちの身にもなって欲しい。
(前に日本でも同じようなことがあったな……)
記憶の蓋が開きそうになるのを、強く頭を振って阻止する。
家に帰ってから服を脱いでみると、押された部分は青黒い痣になっていた。
「うわ、最悪。……警察に相談に行こうかな。立派な暴行だよね?」
ここで泣き寝入りしようものなら、調子に乗った蛇女が今後どんなことをしてくるかわからないし、いきなり罵詈雑言を浴びせかけた挙句、怪我までさせた責任はきっちり取ってもらわないと気が済まない。警察に相談するとしても、人間が持っていない特殊な力のあるモンスターたちが起こした問題も、ニッカ―の警察署に行けば受け付けてくれるのだろうか。
「アリアに相談してみよう……。あれ? 何だが、具合悪くなってきた」
美良乃は負傷した箇所をスマホで写真に納め、肩を押された時間、場所、押した人物の詳細をスマホにメモしておく。
理不尽な言いがかりをつけられてショックだったのだろうか。帰宅した直後から酷い倦怠感があるため、美良乃はその日のバイトは休むことにして、ベッドに横になった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




