19. 9月29日 ハーベストムーン【2】
「ふふっ。僕たち吸血鬼は満月の影響を受けないから、安心したまえよ」
食い入るように己を見つめる美良乃に、ルイはちらりと笑んだ。下唇に牙の先端が引っ掛かって何とも艶めかしい。
あまりの色気に心臓が跳ねた。
(なっ、何これ!? 何でわたしドキドキしてるの!?)
じんわりと顔が熱くなって、美良乃は焦って両手を頬に押し当てて隠した。
「っていうか、下ろしてよ!」
バーに戻るなり、ひしめき合っていた人混みがモーセの十戒のごとく左右に割れた。ルイは悠々とダンスフロアの真ん中まで来ると、そっと美良乃を床に下ろした。
人々の奇異の目に晒されていたたまれなくなった美良乃は、アリアの元へ戻ろうと踵を返したところで右手をルイに掴まれた。
「ちょっと!?」
「嗚呼、僕の女神よ! 僕と一曲、踊っていただけますか?」
「はぁ!? お断りします!!」
カラオケは好きなのでリズム感はある方だと自負しているが、ダンスをする機会など学校の体育以外になかった。それなのに観衆が見守る中で踊れなんて、どんな罰ゲームだ。
しかし、一刀両断に断られてもめげない男。それがルイ・ド・クルール・サンティアゴ、通称毒規則である。ステージ上のDJにバチコーンとウィンクをかますと、バーの雰囲気に似合わないクラッシックな音楽が流れてきた。
「そんなつれない君も素敵だよ。ささ、お手を」
「だから、断ったじゃない!」
がっしりと手を掴まれ、腰をホールドされた。
「わたし、小学校の運動会でソーラン節くらいしか踊ったことないんだから!!」
「安心したまえ! 僕は元々、ヨーロッパの伯爵家の生まれだからね! ダンスは天才的に上手なのだよっ! 天は二物を与えずというけれども、僕は例外だねっ!!」
真珠のような歯を煌めかせながら、堂々と言ってのける。
「……自分で言っちゃうんだ」
呆れながら半目でルイを見上げた時、入口の方から怒声が聞こえてきた。
「ああ、何だとテメエ! ミーティアは俺の女なんだよ!」
「ふざけんなコラ! 振られたくせに未練がましいんだよ!」
ギョッとして入口の方を見ると、男が二人、ものすごい勢いでバーの中に突っ込んできた。数回殴り合うと、二人は床を蹴って跳び上がり、掴み合いながら放物線を描くようにしてダンスフロアの中央にいる美良乃たちの方へ落ちてくる。
(ぶつかる! 避けなくちゃ)
頭の中ではそう理解しているのに、あまりの速さに身体が追い付かない。
「やれやれ……」
ルイが溜息を吐いたと同時に強い力で抱き込まれ、硬い胸に頬を押し付けられた。ぐるりと身体が回転する。
ドンという音と振動を感じて首を巡らせると、美良乃たちから数歩離れたダンスフロアの床の上で先ほどの男二人が揉み合っているのが見えた。どうやら、ルイが咄嗟に美良乃を抱き込んで衝突を回避してくれたようだ。
男たちをよく見ると、ひとりは犬のような、もうひとりは猫のような獣耳が生えているので、獣人族なのだろう。
「怪我はないかい、マイエンジェル?」
呆然としながらも頷くと、ルイは数回軽く美良乃の肩を叩いてから身体を離した。
コツコツと音を立てながら数歩進み、床の上で殴り合いに発展している男二人の傍らで立ち止まる。
「君たち。僕の店で暴れられたら困るなぁ」
ルイが発した言葉は凍てつくような冷たさを帯びていた。決して大声ではないというのに、何故か鼓膜がビリビリと痺れ、身体が総毛立つ。
「あまりおいたがすぎると、喰うよ?」
美良乃からはルイの背中しか見えないが、こてりと首を傾げる様が異様に不気味に見えた。何と表現したらいいのだろう、動くはずのない人形が首を傾げたような、背筋が冷たくなる光景だったのだ。
「ひっ!」
「わ、悪かった!」
男二人は血の気の失せた顔で床に尻もちをついた。地獄の使者をみるような恐怖に慄いた目つきでルイを見上げている。
「わかってくれて良かったよ。獣人の血はあまり僕の口には合わないのでね」
「悪ぃなルイ。侵入してくるまで気付かなかった」
ばつの悪そうなフェルナンドが人混みを押し分けてダンスフロアに出てきた。フェルナンドはバウンサーなので、入口で身分証明書を確認するだけでなく、警備員の役割を担っている。
「妖精族の聴覚は吸血鬼に及ばないからね。気にすることはないさ」
「すぐに片付ける」
フェルナンドが男二人に向かって軽く指を振ると、ウインドチャイムのような音と共に金色の鱗粉が彼らをぐるぐると取り囲む。最後は泡が弾けるようなパチンという音がして、二人の姿が消えた。
ポカンとしている美良乃に、フェルナンドは肩を竦めた。
「店の外へ強制移動しただけだ」
「ご苦労だったね、フェルナンド! 先ほどから彼らが墓地でぎゃあぎゃあと喚く声が聞こえていたものだから、いずれここにも入ってくるだろうと思っていたのだよ」
ルイはステージのDJを振り返って目線で指示を出す。いつの間にか音楽が止んでいたようで、すぐに最近流行している音楽が流された。
「美良乃とのダンスは、またの機会に、ね」
パチンと片目を瞑って見せるルイを、美良乃はまじまじと見上げた。
美良乃が店の外へ出ようとしていた時、ルイが強引にバーまで連れ戻したのは、店の外であの二人が暴れていることがわかっていたからだったのだ。
(わたしが巻き込まれないように、だったんだ)
胸の奥がくすぐったい。何となく、視線を合わせていられなくなって目を逸らした。
「それでは、良い夜を」
「あっ……」
気付けば視界の端で踵を返したルイのスーツのを咄嗟に掴んでいた。
ルイが驚いたように息を呑んだ音が聞こえたが、美良乃は自分の手元に視線を定めたまま、ポツリと呟いた。
「ま、守ってくれて、ありがとう……」
自分でも赤くなっていることがわかるくらい、頬が熱い。
ルイは自分のスーツの端を掴んでいる美良乃の手を、壊れものでも扱うように、丁寧に掬い上げた。少し温度の低くて柔らかいものが押し当てられる。
「お姫様を守るのは騎士の役目だからね」
手の甲から僅かに唇を離したままそう言って、ルイは甘く笑った。
呆然とその様子を見ていた美良乃の心臓が、胸を突き破って出ていってしまうのではないかと思うくらい、早鐘を打ちだす。
「ちょ、き、なっ」
パクパクと口を開いたり閉じたりする美良乃の手をそっと離すと、ルイは今度こそ背を向けて歩き出した。
ルイの背中が人混みに紛れて見えなくなったところで、美良乃はハッと我に返った。
(べ、別にときめいたりしてないんだから!! 何よ、気障ったらしい……)
慌ててアリアの待つカウンターへ戻る。
「ひとりにしてごめん、アリア!」
アリアは知らない人と肩を組んで陽気に歌っていた。周りには数えきれないくらいの空のショットグラスが置かれているので、これはもう泥酔しているとみて間違いない。
アリアといる人物は女性にしては筋肉質だが、男性にしては線が細い。ルビーのような真っ赤な瞳に黄色とオレンジのグラデーションの髪をしている。額には黒い角が二本生えているので、人間ではなさそうだ。
「あ~、美良乃ぉ! おっかえりぃ~! ヒィック!!」
「あらあ、アリアちゃんのお友達ぃ?」
「そうよぉ! かっわいいでしょお!? 美良乃、この人は鬼人族のダニエルよ」
「ど、どうも。美良乃です」
アリアとダニエルはカウンターで隣に座っていたところ、意気投合したらしい。ダニエルは口調は女性的で線も細いが、喉仏があり、名前も男のものだ。
「やっだあ、美良乃ちゃんもアリアちゃんも、めちゃくちゃかわいいじゃないのぉ! アタシかわいい子大好き!」
ダニエルは手に持っていたビールジョッキを掲げてご機嫌だ。
「あ、ありがとう」
「んふん、もうチューしたくなっちゃうわ!」
「いえ、それは遠慮しておきます」
めちゃくちゃテンションが高い。彼も泥酔しているのだろうか。
「それでは、満月の出会いに感謝してぇ、かんぱぁ~い!」
「フォー! サンキュー女神様! 今夜は金曜、明日はお休みぃ!!」
「い、いえーい……」
美良乃は自分の飲み物がなかったので、仕方なくアリアの空のショットグラスを掲げた。魔女と鬼人は音楽に合わせて上半身だけで踊ったりしながら楽しそうだ。
美良乃はそんな二人を眺めつつ、気が付けば、何故かルイの姿を探していた。
背中に朱色の翼が生えた綺麗な女性と談笑しているルイを見て、モヤモヤしたものが胸の奥に広がっていく。
――これではまるで、嫉妬しているみたいではないか。
「満月のせい、きっと満月のせい!」
美良乃は周囲に聞こえないくらいの声量で呟いて強く頭を振った。
真意は定かでないが、人間の世界でも満月になると出産が増えるとか、犯罪数が増えるとかいうではないか。きっと、人間である美良乃も何かしらの影響を受けて情緒不安定になっているのだろう。
満月が終わればこのモヤモヤも消え失せるはずなのだ。
「すみません! レモネードください!!」
酒に強くない自覚があるので、これ以上は飲みたくない。
美良乃はソフトドリンクを次々に呷って、胸の奥で灯ってしまった何かを必死に掻き消したのだった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




