14. 9月13日 フェアリーインクと魔女の占い【1】
『おはよう! 昨晩はよく眠れたかな? 寝起きの君もさぞ愛くるしいのだろうね♡。僕の夢を訪れてくれるなら、いつでも大歓迎だよ♡! 良い一日を♡♡♡』
朝起きるなり、美良乃はルイから届いていたメッセージを開いて固まっていた。ハートの絵文字だらけのメッセージと、キスとハグのスタンプを胡乱な目つきで睨む。どう返すか悩み抜いた末、「良い一日を!」というスタンプをひとつだけ返した。
夢魔のバーバラの領域で連絡先を交換して以来、彼からは毎日数回こうしたメッセージが届く。
ニッカ―は狭い町だ。またどこかで遭遇すると思うとルイをブロックするのも気が引けてしまうし、メッセージに既読をつけた時点で返信しないと落ち着かないという、妙に律儀な性分が災いして、何だかんだとメッセージのやり取りをしてしまっていた。
向こうの思惑通りに二人の距離が近づいていっているようで、何とも癪に障る。
「わたしって、何気に押しに弱いのかな……」
このまま流され続けていくと、気付いた時には彼に捕獲されいるのではないだろうか。
死んだ魚のような目で虚無を見つめる自分の腰を、満面の笑顔のルイが抱いている様子を想像してしまい、身震いする。
美良乃はぶんぶんと首を振って脳内の映像を掻き消し、アリアから来ていたメッセージを確認する。
『今晩、6フィートアンダーで占いのバイトをするんだけれど、美良乃も来ない?』
アリアは魔女だ。魔女というと、黒っぽいテーブルに水晶玉を置いてぶつぶつと呪文を唱えたり、髑髏の置物のある部屋でタロットカードを並べて占いをするイメージがあるが、実際の魔女はどのように占うのか、興味はある。
「行ってみようかな……」
美良乃は『OK、じゃあ今晩6フィートアンダーで待ち合わせね』と返信し、キッチンへ向かった。
6フィートアンダーのドアを開けた途端に、軽快な音楽と人々が会話する声がドッと押し寄せてきた。どうやら、今日は客が多いらしい。
ドアのそばで気だるげに椅子に座り、長い脚を投げ出している妖精族のフェルナンドがこちらに視線を投げてきた。バーに入るには、バウンサーである彼に身分証明書を毎回見せる規則のため、美良乃はポケットに突っ込んでおいた運転免許証を取り出した。
「よう。あんた美良乃、だっけか?」
「ひっ! コホン。こ、こんばんは、フェルナンド……」
お腹に響くようなバリトンボイスが、彼の見た目と相まって更に厳つい雰囲気を醸し出す。美良乃は何とか平静を装った。
フェルナンドは美良乃の運転免許証をちらりと確認すると、蛍光黄色の瞳でじっと見つめてきた。
「あんた中国系だったか?」
白人以外の人種が珍しいニッカ―では、アジア系は全員中国人だと思われていると言っても過言ではない。道端で突然「ニーハオ」と話しかけられたこともある。
美良乃は苦笑して首を振った。
「ううん。日本人だよ」
「そうか、悪りぃ。……日本でも漢字は使うんだったよな?」
「そうだけど……」
フェルナンドはテーブルの上に広げていた紙を一枚拾い上げる。
「漢字のタトゥーを入れようかと思っているんだ。ネットで色々調べたんだが、意味が合っているか見てくれないか?」
日本人がよくTシャツなどに英語を使いたがるのと同様に、アメリカ人は漢字を使いたがるものだ。美良乃は渡された紙を見て目を瞬いた。
愛、改善、楽園、混沌、武士道……色々並んでいるが、その内のひとつに赤丸がしてあった。
――保護者。
美良乃は必死に笑いを堪えた。きっと彼はものすごく真剣に選んだに違いない。しかし漢字が読める日本人としては、身体に永遠に消えない「保護者」と彫ることはお勧めできない。
(ほ、保護者って、どういうこと?)
美良乃は数回咳払いをして笑いを押し殺すと、フェルナンドに向き直った。
「ねえ、この保護者って、どういう意味だと思って選んだの?」
フェルナンドは意外なことを訊かれた、というように蛍光黄色の瞳をぱちくりさせた。
「ガーディアンって意味じゃないのか?」
「あー……、そういうことね……」
それならば守護者の方がまた意味が合っている気がする。美良乃はペンを借りて紙に書いてあげた。
「こっちの方がいいと思う。『保護者』っていうと、未成年の親とか、そういう人を意味する言葉だから」
フェルナンドは美良乃の書いた漢字をじっくりと見ながら何度か頷いた。
「そうなのか。確認してもらって良かったぜ。ありがとうな」
「どういたしまして。それにしても、たくさんタトゥーがあるんだね」
フェルナンドの腕には色鮮やかなタトゥーが所狭しと彫られている。背中に蝶の翅が生えたセクシーな女性や、幾何学模様、羽を広げた鷲と、何か意味がありそうな記号のようなものなど、色々だ。
しげしげと眺めていると、セクシーな女性の翅が動いたように見えた。
「えっ!?」
思わず目を擦って顔を近づけて覗き込む。すると、女性は嫌そうに顔を顰めてそっぽを向いてしまった。翅が不機嫌そうにパタパタしている。
「ええええ? ちょちょちょ、待って、動いた!?」
美良乃は後ろに飛び退きながらフェルナンドの顔と腕を交互に見る。
フェルナンドは僅かに目を細めて口の端を持ち上げた。彼の薄い唇に装着された銀色の輪が歯に当たってカチッと音を立てる。
「そりゃあ、動くさ。フェアリーインクで彫ってあるからな」
「フェアリーインク?」
フェルナンド曰く、フェアリーインクとは妖精の翅の鱗粉を混ぜて作った魔力のこもった特殊なインクだという。このインクでタトゥーを施すと、刻まれた図案によっては命を吹き込まれるらしい。
「へええ、不思議なこともあるんだね」
フェルナンドは肩を竦める。
「俺にとっちゃ、当たり前のことだからな。そういう反応の方が新鮮だぜ」
「でも普通にスーパーとかに行って、何も知らない人間に見られたら困るんじゃない?」
「人間の前では魔法で隠してるからな。ここはモンスターと、俺たちの存在を知っている人間しかいねえから大っぴらにしてる」
へえ、と頷いて、美良乃は毛づくろいをしているオオヤマネコのような動物のタトゥーをじっと見つめた。耳の先にピンと長い毛が生えている。灰色と茶色を混ぜたような色の体毛に金の瞳が凛々しい。
オオヤマネコは美良乃の視線に気付いて顔を上げ、視線が交わると目を眇めた。
(やばっ、威嚇してると思われたかな)
動物と視線を合わせるのは威嚇行動だと聞いたことがある。そっと視線を逸らすと、視界の端でオオヤマネコが立ち上がり、お尻を上げて伸びをしたのが見えた。短い尻尾が可愛らしい。
ほっこりしていると、オオヤマネコがフェルナンドの腕から飛び出した。
「えええ!?」
動くとは聞いたが、彫られた腕から抜け出すとは聞いていない。
美良乃の驚愕もお構いなしに、オオヤマネコはテーブルの上に降り立った。腕に描かれた絵なので立体感はない。まるで誰かがテーブルに落書きでもしたように見える。彼(彼女かもしれない)は二次元のままゆったりと美良乃の方へ歩いてくる。
「散歩か、リンクス?」
フェルナンドはこともなげに声をかける。どうやら名前までつけているらしい。リンクスはそれに応えるように尻尾を振った。テーブルを降りて床を歩き、美良乃の足元に来ると、リンクスは金色の瞳で美良乃をじっと見上げた。
「リンクス。あなたは男の子? 女の子?」
「そいつは雄だ」
リンクスは目を細めると美良乃の脚めがけて跳んだ。
「へっ!?」
慌てて自分の脚を見下ろすと、リンクスは悠々とジーンズの表面を歩いて上半身の方に向かってくる。右の二の腕に到着すると、そのままそこに落ち着いてしまった。
「えっ、ちょっと!?」
困惑して視線でフェルナンドに助けを求めると、彼は苦笑する。
「リンクスは美人に目がないんだよ。悪いな。そいつが飽きるまで預かっててくれないか?」
「預かるって……。どうすればいいの? 餌とかあげる必要は?」
「タトゥーだから餌はいらねえよ。魔力をやると喜ぶが、やらなくても特に害はない。飽きたらそのうち俺の腕に戻ってくる」
「フェルナンドの家とわたしの家って結構距離があると思うけど、大丈夫なの? 歩いて帰れる?」
「ああ、帰りは魔法で転移してくるから心配ねえ」
リンクスは美良乃の二の腕で丸くなってスヤスヤと眠っている。何だかちょっとくすぐったい気分でそっと撫でてやると、彼はごろんと寝転んでお腹を見せてくる。可愛い。
「わかった。じゃあ、しばらくわたしの腕で預かるね」
何とも奇妙な会話だと思いながらも、フェルナンドに手を振った。
(あれ? わたし、なにげにフェルナンドと普通に会話できた?)
バーに向かう道中、はたと気付く。
フェルナンドのような大柄で強面な男性など、今までまるで接点がなかったので正直怯えていたのだが、いい感じに交流ができたのではないだろうか。
少しずつだが成長していっている自分に、気分が高揚する。ニヤニヤしそうになるのを堪えながらアリアを探しに行った。




