10. 9月3日 モンスターは案外身近にいた
美良乃が目を覚ますと、猛烈な頭痛が襲ってきた。まるで頭蓋骨をハンマーで叩きつけられているかのようだ。胃もむかむかする。
「これが噂に聞く、二日酔い……?」
昨晩はアリアに連れられて、バーに行って……。
記憶を辿るうちに、6フィートアンダーで見た光景を思い出す。
けしからんお尻の魔女。空中でぐるんぐるん回転していた犬、もとい狼男。奇怪なダンスを披露してきた吸血鬼……。次々に脳裏によみがえって顔から血の気が引いていく。
「嘘でしょう、はっきり覚えてる!? じゃあ、本当に人外が存在してるっていうの?」
今更ながら足下から震えが這い上ってきた。おまけに天然なのか計算した上での振舞いなのか、とにかく奇行に走りがちな吸血鬼にまで目をつけられて、これからどうしたらいいのだろう。
「ん? 吸血鬼? ルイってあれで吸血鬼なの?」
あの言動だけ見ると、やたらと日本に詳しいコメディアンだ。吸血鬼というと、日光を浴びると灰になったり、銀製品に触れなかったり、心臓に杭を打たれると死んだりするイメージだが、彼は燦燦と太陽が照り付ける中、カフェにコーヒーを飲みに来ていなかっただろうか。
「……いや、そもそも、あれはきっと、夢だよね?」
きっと夢だ。夢に違いない。誰かそうだと言ってくれ。昨晩は初めてのアルコールで酔っていたし、きっと幻覚を見たに違いない。ルイが退場していってからの記憶がないのが泥酔していた証拠だろう。
そう思い込もうとして、美良乃はスマホを手に取った。アリアからメッセージが届いている。開いてみると、昨晩記憶のない間に撮ったであろう写真が添付されていた。
グラスを片手にスマホに向かって笑っているアリアと美良乃が写っている。その背後には、頭から猫耳のようなものが生えた男の後ろ姿が写り込んでいた。
美良乃は勢いよくスマホをベッドの足元へ放り投げた。
「見なかった。わたしは何も見なかった」
ぶつぶつ自分に言い聞かせながら、美良乃はパジャマから部屋着へと着替える。今日は夕方から老人ホームでバイトがあるので、それまでに二日酔いを何とかしなくてはいけない。
自室のある二階からキッチンへ下りると、祖父のチャドがオートミールを牛乳で煮込んでいるところだった。
「おはよう、おじいちゃん」
「おはよう美良乃。……具合が悪そうだな。二日酔いか?」
「そうみたいなんだよね……」
「水をたっぷり飲んでおきなさい。今日は午後からバイトだろう?」
言いながら、チャドはコップに水を注いで渡してくれる。
ちびちびと水を飲んでいると、クローイーが家の中に入ってきた。手には庭で収穫した野菜を持っている。昼食の材料にするのだろう。
「おはよう、美良乃。あら、二日酔い? ふふっ、昨日は羽目を外しちゃったわね」
「そう、だね……」
クローイーたちは、モンスターの存在を知っているのだろうか。訊いてみようかと思って躊躇した。当事者でない美良乃が話していいことではない気がするし、不用意に漏らして命でも狙われたらたまらない。
モンスターがマイノリティーだと考えればいいだろう。ゲイやレズビアンといった性的マイノリティーと同じように、当事者の許可なく第三者に暴露――アウティングすることはプライバシーの侵害に他ならず、決してやってはいけないことだ。アリアは美良乃を信用して話してくれたのだ。このことは、美良乃の心内に秘めておくべきだろう。
キッチンのスツールに腰かけて窓の外を見やると、どんよりと空が曇っていた。地平線の向こうは一段と濃い雲がたちこめている。
「風も強くなってきたし、何だか竜巻が来そうな天気ねえ。天気予報で竜巻警報とか出ていない?」
クローイーはテレビをつけながら心配そうに呟いた。今のところ竜巻に関する情報はないようだ。
中西部のネブラスカ州では、ハリケーンが来ない代わりに、毎年春から秋にかけて竜巻が多く発生する。そのため、殆どの家には竜巻から身を守るために地下室があるのだ。
ちなみに、有名な某物語で竜巻に巻き込まれて家ごと不思議な国へ飛ばされた少女は、ネブラスカ州の下に位置するカンザス州の出身だし、その不思議な国で魔法使いを名乗っていた男はネブラスカ州オマハの出身である。
「美良乃も、バイト先で竜巻が来たら気を付けてね。地下室がない場合は窓のない、壁で囲まれた場所で床に座って頭を守るのよ」
日本では地震が発生した体で避難訓練をするが、この辺りでは竜巻が発生した体で学校で避難訓練があるらしい。
夕方、クローイーの車を借りてニッカ―の町中にある介護付き老人ホームへ出勤した。夕食の調理を補佐する仕事で、食後の皿洗いやキッチンの掃除までを担う。
今日が初日とあって、若干緊張している。
職場に足を踏み入れると、マネージャーが同僚に紹介してくれた。
「今日から働く美良乃よ。皆、仕事を教えてあげてね」
「よろしくお願いします」
「ハーイ、美良乃。よろしくね」
キッチンの中には美良乃の他に四人の女性スタッフがいた。そのうち二人は中南米にルーツがあるとみられるラテン系で、年齢は二十代くらいだろうか。もう二人は白人で、年齢も四十代後半から五十代くらいに見える。ニッカ―のような小さな町では白人以外の人種はそう見かけない。アジア系は特に少なく、ハーフの美良乃や大学に留学に来ている学生を含めても、片手で数えられる程度だろう。
今日はラテン系の女性、エレナが美良乃に仕事を教えてくれるらしい。美良乃より小柄で、ライトブラウンの肌に真直ぐな黒髪、黒目をしている。
エレナはちらりと美良乃の手の甲を見て驚いたように眉毛を上げた。
昨日バーに入店した際に押してもらったスタンプはすでに落ちているはずだが、何かついていただろうか。
仕事はとても忙しかった。調理の補佐として食材を洗ったり、計量をしたりした。使い終わった食器は専用の大きな機械に入れて自動で洗うのだが、前処理として食べ残しなどを人の手で捨てていく。その作業をしているとソースが跳ねたり、マッシュポテトの残骸が飛び散ったりと、思ったより汚れる。
仕事が終わる夜の九時にはくたくたに疲れ切っていた。美良乃にとっては嬉しいことに、作業中は業務に関すること以外は話す必要がないので気疲れはしないで済む。
更衣室で着替えていると、エレナが近づいてきて小声で耳打ちしてきた。
「ねえ、もしかしてあなた、6フィートアンダーに行った?」
美良乃はぎょっとして目を見開いた。エレナは片眉を上げて「どうなの?」というように見返してくる。
「そうだけど……。どうしてわかったの?」
「あそこに初めて行った人は入口でスタンプを押してもらうでしょ? あれに妖精の魔力が込められているの。わたしは妖精族と人間のハーフだから魔力を感知できるのよ。次回からはカードを持っていなくても入店できるわよ」
「へええ、そうなんだ?」
美良乃はまじまじとエレナを見つめた。どう見ても普通の人間にしか見えない。
そんな美良乃の疑問を感じ取ったのか、彼女はくすっと笑った。
「今は魔法をかけてるから瞳が黒いけど、本当はブラックオパールみたいな色なの」
「へええ……」
それはさぞかし綺麗だろう。ちょっと見てみたい気がする。
エレナは駐車場へ向かう道すがら、自分のことについて色々話してくれた。彼女は同じ妖精族の男性と交際しており、彼との間に三歳の娘がいるらしい。
「妖精族って人間に比べるとかなり長生きだし、老化もゆっくりだから、同じ長命種同士じゃないと上手くいかないのよね。前に付き合ってたのは魔法使いだったんだけど、彼らって人間と寿命が同じでしょ?『僕だけが老いていくのが耐えられない』って言われて別れちゃったのよね」
確かに、肉体が老化していくスピードが違うと自分たちの意識はもちろん、世間から不思議に思われて引っ越しなどを繰り返さなくてはならないだろう。
「他に長命の種族っているの?」
「ええ、もちろん。妖精族以外だと、吸血鬼、人魚、小人族、竜人族、鬼人族とか。まあ、でもこの辺りは田舎だから、あまり色んな種族はいないけど」
この辺りは良く言えば自然豊かなので、妖精族や魔女、魔法使いはわりと集まりやすいという。
「魔女や魔法使いとは合同でパーティーしたりするから、その際は声かけるわね! じゃあよい夜を!」
娘が待っているから、といそいそ走り去っていくエレナの車を見送った。
まさかバイト先にモンスターがいるとは思わなかった。美良乃が考えていたよりも、モンスターは身近な存在なのかもしれない。
(人間じゃないっていうと何だか不気味に感じるけど、案外みんなフレンドリーで、普通の人間と変わらないんだな)
今まで生活していて身の危険を感じるようなことはなかったのだから、彼らの存在を知ったからといって、意識が変わるだけで生活が大きく変わる訳ではないのではないか。
(何だか、安心したというか、拍子抜けしたというか)
ホッと息を吐くと、美良乃は車に乗り込み、夜のハイウェイを走っていった。
誤字脱字は見つけ次第修正していきます。




