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第8話 同族同盟

森の奥は、夜でもないのに闇が濃かった。

湿った空気が肌にまとわり、獣の腐臭が土の底から漂う。

人の世界から遠く離れたこの場所が、

いまの私の“現実”だった。


肌は緑に戻り、指の先がごつごつしている。

血肉転化の時間は過ぎ、

私の“美”はすでに剥がれ落ちていた。


「……また、戻った。」


呟いた声が掠れる。

舌の動きも、人間の言葉も、少しずつ思い出せなくなっている。


そのとき――風が止まった。

森の奥から、獣のような殺意が流れ込んでくる。

それは“私”に似て、しかしより濃密な闇を孕んでいた。


「……そこにいるのは誰?」


返答はなかった。

代わりに、鋭い棍棒が木陰を裂き、私の頬をかすめた。

次の瞬間、血が散る。


現れたのは、一体のゴブリン。

筋肉が縄のように浮き出ており、眼は血の色に染まっている。

笑っていた。心底、楽しそうに。


「メスのくせに……いい殺気だ。

 匂いで分かる。お前、何か喰ったな?」


「……人間を少し。生き延びるために。」


「はは! いいな! 俺は獣を喰った!

 血が温いと、生きてる実感がある!」


言葉が終わるより早く、彼は突っ込んできた。

棍棒が地を割り、土と木の破片が宙に舞う。

私は身を低くし、爪で反撃した。

爪と棍棒がぶつかり合うたび、火花が散る。


心臓が跳ねる。

この感覚は恐怖ではない――快楽だ。


「いい目だ! 生きるために殺す目をしてる!」


「あなたも、同じじゃない!」


互いに血を浴び、泥にまみれ、笑い合う。

殺しの中に、理解が生まれる。


だがその瞬間――。


『血肉転化(擬人化)――発動。』


声が、脳の奥で響いた。

目の前の彼の表情が、歪む。

醜さと殺意を向けられた“私”の体が、

反射的に変化を始めた。


皮膚が白くなり、骨が細く、髪が黒く流れる。

――血肉転化(擬人化)。

醜悪さに敵対されると、無意識に“美”へ逃げようとする身体の呪い。


「……おい、なんだそれは。」


男のゴブリンが目を見開く。

その瞳には、怯えではなく、好奇心があった。


「お前……人間か?」


「違う。

 私は、ただ“美しくなりたい”だけの、ゴブリン。」


彼は沈黙し、そして嗤った。


「面白ぇ。美に憑かれた化け物か。

 俺は“強くなる”ことしか考えちゃいねぇ。

 だったら――ちょうどいい。」


「何が?」


「俺は力を極める。お前は美を極める。

 目指すものは違えど、同じ地を這う者だろ。」


その言葉に、胸が熱くなる。

この世界で初めて、同族の声が私を“否定しなかった”。


棍棒が下ろされ、代わりに彼は手を差し出した。

爪の先から血が滴り落ちる。


「組もう。俺は“強くなる”。

 お前は“美しくなる”。

 そのために、殺しも奪いも、全部使え。」


私はしばらく見つめ、それから静かに手を重ねた。

互いの血が混ざり、冷たく、それでいて温かかった。


「……いいわ。

 でも、忘れないで。

 私の“血肉転化(吸美)”は、美しいものを殺すたびに私を変える。

 いつか、私があなたより“美しく”なったとき――

 その時、あなたを殺すかもしれない。」


男のゴブリンは笑った。

「構わねぇ。俺は“強く”なりゃ誰に殺されても構わねぇ。」


ふたりの笑い声が、森の中に響く。

それは、血よりも濃く、獣よりも真実味のある音だった。


夜の底で、白い月が揺れていた。

醜さに怯え、美を渇望する“私”。

力を求め、命を喰らう“彼”。


互いの目的は交わらない。

それでも――いま、この瞬間だけは、

ふたりとも“生きる”ことに正直だった。


『血と牙の誓い、成立。』


風が通り抜け、森の葉がざわめいた。

その音はまるで、誰かの拍手のように聞こえた。

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