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第2話 進化ルート、発動

夜の森は、息を潜めている。

風が止まり、木々が黒い影のように佇んでいた。

その中を、私はゆっくりと歩いていた。


足裏の感覚が人間の頃とまるで違う。

土の湿り気、苔の柔らかさ、枯葉のざらつき――

全部が生々しく直接伝わってくる。

靴なんてない。裸足だ。

それでも痛みを感じないのは、この身体が「野生」の証拠なのだろう。


(……人間の頃の俺なら、一時間で音を上げてたな)


思わず苦笑が漏れた。

教師としての私は、生徒に「努力は裏切らない」と言いながら、

自分は汗をかくのを嫌っていた。

それが今では、土にまみれ、匂いにまみれ、命からがら走っている。


――滑稽だ。

だけど、不思議と悪くない。


森の奥で、水音がした。

近づくと、小さな泉があった。

夜空を映したような静かな水面。

私は喉の渇きを覚え、膝をついて水をすくった。


冷たい。

口に含むと、金属のような味がする。

それでも、体が求めているのか、自然に飲み干していた。


顔を上げると、水面に自分の姿が映った。


――息を呑む。


そこにいたのは、私の知る“女”ではなかった。

緑の肌。黄色い瞳。耳は長く、尖っている。

唇は薄く、牙が覗いていた。

だが――不思議なことに、どこか整っていた。


人間の感覚なら“醜い”はずなのに、

その異形のバランスが、かすかな“美”を含んでいた。


(……美人になりたい、ね。笑わせる)


皮肉だ。

こんな姿で、何を夢見るというのか。

それでも、あの声が言っていた。“進化ルート《妖精種》”。

もしかしたら、本当に――変われるのかもしれない。


そのとき、低い唸り声が聞こえた。

森の陰から、赤い瞳が二つ。

牙を剥いた、獣――フォレストウルフだ。


「……はぁ、勘弁してくれ」


後ずさる。

だが、奴は一歩ずつ距離を詰めてくる。

筋肉の張った体躯。鋭い爪。

ゴブリンの体では、まともに戦える相手じゃない。


逃げる? ――無理だ。脚が震えている。

人間だった頃なら、迷わず逃げただろう。

でも、今は違う。


私の中で、別の感覚が目を覚ました。

背骨を這い上がるような熱。

胃の底に溜まる、獰猛な欲求。


(……殺せ)


誰の声でもない。

本能が、そう囁いていた。


ウルフが跳びかかってくる。

牙が光った瞬間、私は咄嗟に右腕を突き出した。

次の瞬間、爪が閃き、血が飛んだ。


「――っ!!」


痛みが走る。だが、恐怖より先に快感があった。

腕が勝手に動く。

まるで体が、戦い方を知っているみたいに。

私は獣の喉を掴み、そのまま押し倒した。

指先に感じる、生ぬるい血の脈動。

爪が食い込み、皮が裂ける。

その感触が、なぜか心地よかった。


「……ああ、これが、ゴブリンってやつか」


ウルフが最後の呻きを上げ、動かなくなった。

私は荒い息をつき、倒れ込む。


血の匂いが鼻を満たす。

胸の奥が、どくどくと鳴っていた。

恐怖でも後悔でもない。

生きているという実感。


それが、どれほど“人間”だった頃にはなかった感覚か――

今、身をもって知った。


『――条件達成。進化値+10%。』


「……っ、またか」


視界の端に、青白い文字が浮かんだ。

まるでゲームのステータス画面。

けれど、そこに映る数字が、確かに“私の命”だった。


『進化条件:自己認識の向上、生命値維持七日間。残り6日。』


私は、ウルフの死骸を見下ろした。

その血が、月光に照らされて黒く光る。


(七日間、生き延びれば……進化できる)


美しくなるために、生き延びなければならない。

生き延びるために、殺さなければならない。


「……綺麗事じゃ、生きられないってことか」


私は小さく笑った。

笑いながら、指先についた血を舐めた。

鉄の味。生温い液体。

けれどその中に、ほんのわずかに甘さを感じた。


――それは、確かに“生”の味だった。


夜風が吹く。

森の奥で、何かが光った。

ふと見ると、先ほどより少しだけ、私の肌が明るくなっている。

緑ではなく、翡翠のような淡い輝き。


「……始まってる、のか?」


美しさの代償に、何を失うのか。

それはまだ、誰にも分からない。


ただひとつだけ確かなのは――

私はもう、人間には戻れない。


それでも、進むしかない。

この“汚れた世界”の中で、美しさを求め続けるために。

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