第22話 美の戦場
森が、白く染まっていた。
夜の霧に混じって、粉のような光が舞っている。
それは美神教徒が撒いた**“浄化の粉”**――
穢れを焼き尽くすと信じられる聖灰だ。
男のゴブリンは美神教には興味がないようで、
「美神教にはそそられねえ」
といってどこかへ行った。
私は白い灰の中に立っていた。
黒い翅をたたみ、闇に溶けながら。
(……来たのね。)
ざわめきが、近づく。
甲冑の軋み、祈りの詠唱。
十数人の人間が森の奥へ進み、
灯を掲げて“神の敵”を探している。
「黒い妖精はこの辺りに潜むと聞く。」
「見つけ次第、神の名を叫べ。光が導く。」
彼らの声は澄んでいた。
狂気を孕んだ、美しい声。
私はそれを、少しだけ羨ましいと思ってしまう。
(あれが“信じる力”……。)
私は信じることを、もうやめて久しい。
“美”という幻想にすら、
もはや確信ではなく執着しか残っていない。
最初の矢が放たれたのは、月が雲から顔を出した瞬間だった。
一本の光の矢が夜気を裂き、私の肩を貫いた。
「……っ!」
血が散る。
だが痛みよりも早く、反射的に笑いがこぼれた。
「お見事。」
「神に仇なす者よ、跪け!」
先頭の男が叫び、仲間たちが一斉に祈りの詠唱を始める。
その姿はまるで舞踏のようだった。
全員が同じ仕草、同じ光、同じ声。
(……本当に、美しいわ。)
だが、その“美”は死を撒くもの。
均整の取れた動きが、私の命を奪うためにある。
私は翅を広げ、森の上へ舞い上がる。
血肉転化を起動――
体の奥で、熱が爆ぜた。
――血肉転化・擬人化。
光が走り、姿が変わる。
髪が白く流れ、瞳が深紅に染まる。
黒いドレスのような皮膜が身体を包み、
その瞬間、森にいた信者たちが息を呑んだ。
「神の化身……!」
「いや、偽りの神だ! 惑わされるな!」
叫びと祈りが交錯する。
私はゆっくりと降り立ち、
一人の信者の顔を覗き込む。
「あなたは、美しいと思う?」
「……な、なにを……」
「私を見て。
あなたが“神”だと信じているものより、
私のほうが美しいと思わない?」
その問いに、男は震えた。
目に映る光の揺らぎが、恐怖か、欲か、信仰か、私にもわからなかった。
その隙をつき、私は首筋に手を伸ばす。
血を吸うように、命を奪う。
――奪う。美を、喰らう。
男の顔が苦痛に歪む。
だが次の瞬間、その表情すら“陶酔”に変わった。
「……神よ……なんて……美しい……」
倒れる。
その血を浴び、私は一瞬だけ美しさを増す。
肌が光り、翅が滑らかに変化する。
(これが……代償の前触れ……)
全身が熱を帯びる。
血肉転化の代償――生命の削れ。
美しさの代わりに、生命力が少なくなる。
だがそれでも、止められなかった。
「もっと……美しく……」
私は次々と彼らに向かう。
祈りの光が爆ぜ、聖なる槍が降る。
一人、また一人と倒れていく。
そのたびに私は、美しく、そして壊れていった。
戦いが終わったとき、森は白く染まっていた。
死体と花弁のような光が入り混じり、
その中心に、私は立っていた。
全身に傷を負いながらも、姿は――誰よりも美しかった。
息を吐く。
そして、自嘲するように笑った。
「彼らの“美”は信仰。
私の“美”は、罪。
でも、どちらも似てるわね。」
どちらも、盲目的に求めるだけ。
違いは、“自分が信じるもの”が外にあるか、内にあるかだけ。
「……滑稽ね。」
私はその場に座り込み、
翅を畳んで空を見上げた。
月は、静かに私を照らしていた。
その光の中に、かつてのフィーネの声が蘇る。
『あなたが憧れる“美”は、どんな姿?』
「今は、答えられない。」
私は呟いた。
「でも――まだ、登る途中よ。」
風が吹き、聖灰が舞う。
それはまるで、白い雪のようだった。