第18話 美神教
王国の南部を抜け、
私は荒れた丘陵地帯を北へ向かっていた。
冷たい風が頬を撫でるたび、
翅がわずかに鳴る。
夜明け前、霧の中に光が見えた。
丘の上に立つ白い尖塔――
祈りの声が風に乗って流れてくる。
「……教会?」
だが、近づいてみると、それは異様だった。
石造りの壁には、
“美しい顔”を模した彫像が無数に並んでいる。
男も女も、皆、笑っている。
だがその笑みはどこか作り物めいて、
眼孔の奥には空虚な闇があった。
扉の前で跪く信者たちの声が重なる。
「美は神なり、醜は罪なり。」
「神の美を汚す者は、光より退けられよ。」
その声は熱に満ち、狂気に似ていた。
私は彼らの後ろを静かに通り過ぎようとした。
しかし、一人の信女が私を見た瞬間、息を呑んだ。
「美しい顔……妖精? まさか……」
振り向いたその瞳に、恐れと陶酔が同時に宿る。
「神の御姿……! 本物の美が……降りた……!」
彼女の叫びに、周囲の信者たちが一斉に顔を上げた。
しかし、一瞬吹いた風がフードを脱がせ、顔の全てをあらわにした。
次の瞬間、祈りの声が悲鳴へと変わる。
「違う! あれは……歪んだ美だ!」
「神の真の姿を穢している!」
ざわめきの中で、私は後ずさった。
フードが風でめくれ、翅の先が露わになる。
淡く光るその翅は、確かに妖精のもの。
だが、美を奪うことによってできた、歪められた“偽の美”でもあった。
「待て!」
司祭らしき男が現れ、
黄金の刺繍を施した法衣を翻す。
その顔は端正で、まるで彫像のようだった。
「異端の妖精よ。
お前の美は神の模倣。
人の手で作られた偽りの光だ。」
その言葉に、胸の奥が冷たくなる。
(……人の手、だと?)
「お前のような存在は、“醜”よりも罪深い。」
男は手を掲げ、信者たちが一斉に祈りの歌を唱え始める。
それは祝福ではなく、呪いのような旋律だった。
「美を穢す者、滅びよ!」
彼らの祈りに呼応するように、
空気が震えた。
彼らの魔法が広場を包み、
神像たちの瞳に魔力の光が映し出される。
「――やめろッ!」
思わず叫ぶ。
だが光は止まらず、
まるで“真の美”を試すように私を照らした。
皮膚が焼けるように熱い。
翅が裂け、血が滲む。
それでも私は立ち上がった。
「あなたたちの“美”は……ただの信仰だ。」
風が巻き起こり、
私は翅を広げる。
血のように赤く、
闇の中で煌めく。
「美は祈りじゃない。
奪って、喰らって、ようやく掴むものよ!」
叫びとともに、
爪が神殿の神像を切り裂いた。
彫像が砕け、白い粉が宙に舞う。
信者たちは恐怖に後ずさり、
誰もが私を“化け物”と呼んだ。
だが、私はただ静かに笑う。
「……あなたたちは
本当の“美しさ”ってなんだと思う?」
司祭は答えなかった。
その代わりに、崩れた神像の下で跪き、
震える声で祈り続けた。
私は背を向け、
霧の中へと消える。
風が止んだあと、
彼らの歌声はもう聞こえなかった。
夜。
森の中で、私はひとり、
手のひらを見つめていた。
白く、細い指。
血の跡が乾いて、
月の光に透けて見える。
「……私の美も、結局は信仰なのかもね。」
自分を正当化するように呟く。
けれど、その声には力がなかった。
心の奥で、何かが軋む。
それでも前を向く。
奪うために。
美しくなるために。