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第1話 ゴブリンのメスに転生しました

目を開けた瞬間、世界が――くすんだ緑に染まっていた。

ぼやけた視界。湿った空気。

鼻を突く鉄の匂いと、土の味。


「……ん?」


自分の手を見て、息が止まった。

短い指。ざらついた皮膚。深い皺。

そして、ありえない――緑色。


「え、何これ……手、じゃない……?」


いや、確かに手だ。感覚はある。

でも、指の節が太く、爪が黒ずんでいて、

爬虫類と人間の中間みたいな見た目をしている。


思わず頬を触る。ざらざらしている。

柔らかさも潤いもない。

そこにあるのは“生き物の皮”という感じ。

まるで他人の体を着ているような、不快な違和感。


そして――胸元に、やけに重さを感じた。


(……まさか)


恐る恐る視線を下げる。

小ぶりだが、確かにそこに“ある”。

しかも、やけに低い位置に重心がある。

心臓の鼓動が、皮膚を通して伝わってきて、気味が悪いほどリアルだった。


「……マジかよ」


私は、女になっていた。

いや――ゴブリンのメスになっていた。


私は、もともとごく平凡な男だった。

三十過ぎの塾講師。

生徒には“先生、結婚してないの?”と茶化され、

同僚には“真面目だけど地味”と笑われる。


休日はコンビニ弁当と安いワイン。

唯一の娯楽は、ネットで異世界転生ものを読むことだった。


読むたびに、心の奥で小さな妄想が芽生えた。

――「もし転生できるなら、今度は美人の女の子になりたい」


地味で、平凡で、何の魅力もない人生。

だからせめて、次に生まれるなら、美しく生きたいと。

その願いは冗談でもあり、現実逃避でもあった。


でも今――その“冗談”が、現実になっている。

しかも、緑色の肌と牙つきで。


周囲を見渡すと、そこは洞窟の中だった。

湿った石壁。黒カビ。骨の山。

奥の方から、獣のような唸り声が聞こえる。


(……まさか)


気配を感じて振り向く。

そこにいたのは――数体のゴブリン。

どいつも目つきが濁り、唇の端に涎を垂らしている。


「ギ、ギギ……メス、メスダ……!」


一体が指を差して笑った。

残りも、鼻を鳴らしてこちらを囲む。


嫌な汗が噴き出した。

ファンタジー好きなら知っている。

ゴブリンの群れに“メス”が生まれる意味を。


「……最悪だ」


逃げろ。

理性より先に、本能がそう叫んだ。


足を踏み出す。地面がぬかるみ、足裏に冷たい感触が広がる。

だが、体は軽い。動きが速い。

反射神経が、明らかに人間の頃より鋭い。

ただ――胸がぶつかる。髪が邪魔だ。

そのたびに、男の理性がざわつく。


(なんだこれ、動くたびに感覚が……っ)


妙に生々しい体の反応に、思考が乱れる。

体は女。心は男。

それだけで、世界が狂って見えた。


背後で、金属を引きずるような音がした。

「ギャァア!」「ニガスナァ!」

怒声がこだまする。

振り返らず、私は走った。

洞窟の出口、かすかな月明かりの方へ。


外に出た瞬間、冷たい夜風が頬を打った。

森だった。

木々は黒く、空気は湿り、虫の声が絶え間なく響いている。


「……はぁっ、はぁっ……」


息が苦しい。肺が小さいのか、すぐに酸素が切れる。

それでも走る。命の危機が迫っているのを、体が理解していた。


数分後、倒木の影に身を潜めた。

ゴブリンたちの声は、もう聞こえない。


月が高い。青白い光が、緑の肌を照らしていた。

自分の手を見る。

指先が、かすかに震えていた。


(……俺、本当に転生したのか)


あり得ない。

でも現実だ。

肌の感触も、土の匂いも、心臓の鼓動も――すべてが生々しい。


(美女になりたかった。確かに思ってた。

 でも、こんなのは違うだろ……)


月の光を見上げながら、苦笑が漏れた。

その光は、冷たく、それでもどこか美しかった。

心の奥がざらつく。

それでも、不思議と――少しだけ、憧れに似た感情が芽生えた。


「……美しく、なりたい」


その言葉を口にした瞬間、

頭の奥で、電子音のような声が響いた。


『――個体「ナナ」、欲求確認。進化ルート《妖精種》が解放されました。』


「……は?」


視界の端で、青白い光が瞬いた。

手の甲に、薄い紋章のような模様が浮かぶ。

まるで、何かの“ゲームシステム”みたいだ。


(進化……? 妖精種? なんだよこれ……)


混乱の中でも、直感が告げていた。

――これが、生き延びるための唯一のチャンスだと。


『進化条件:自己認識の向上、生命値維持七日間。』


七日間、生き延びればいい。

ただ、それだけ。


「ふざけんなよ……俺、いや――私は……」


歯を食いしばる。

心はまだ“男”だ。

だが、体は女で、この世界では獣以下の存在。


それでも――諦める気はなかった。


「見てろよ。

 この姿でも、絶対に誰もが振り向く“美人”になってやる」


夜風が吹く。

どこかでフクロウが鳴いた。

そして私は、月明かりの下を歩き出した。


――“美”という名の、血まみれの進化が始まるとも知らずに。

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