第15話 白薔薇の姫
七日間の狩りの果て、私はようやく“人の姿”を手に入れた。
血肉が形を変え、翅が背に生まれ、肌は淡く光を帯びる。
森の妖精――フィーネが言っていたように、心の形が身体を作った。
『妖精種の力は、心が形を作る。
“美しい”と信じるものに、身体が近づく。』
けれど、鏡に映る自分は“完璧”ではなかった。
翅はまだ濁り、肌には薄く血の色が滲む。
まるで“妖精を模した異形”――人と妖の間に生まれた影。
私は笑った。
「……いい。これで充分。」
完全でなくていい。
私は“血”によって美を得た。
だからこそ、この歪さが私の証になる。
森を渡る風が、かすかに甘い血の匂いを運んでくる。
あの男ゴブリンと狩りを重ね、人間を狩った日々。
命を奪うたび、私の中で何かが満ちていった。
それが“進化値”と呼ぶべきものだと知ったのは、身体が変わり始めた頃だった。
そしていま、私は“妖精亜種”として目覚めた。
けれど、まだ終わりではない。
あの北の砦で出会った領主の娘――
恐ろしいほどの魔力を纏い、それでもなお美しかったあの女。
あの存在に、私は一度、敗れた。
敗北の痛みが今も肌の奥で疼く。
その痛みこそが、私を動かしている。
(あの“美”を奪う。必ず。)
だが、そのためにはまだ足りない。
力も、美も、魂の重さも。
だから、私は新たな狩場を求めて南へ向かった。
王国の南部――緑と川に囲まれた温暖な地方。
そこには肥沃な土地を治める貴族たちが多く、
戦や政治とは無縁の、華やかな暮らしが息づいている。
彼らは、装飾された“美”に溺れていた。
磨かれた宝石、香油に染まる髪、絹の衣――
だがその笑顔の裏には、空虚さが広がっている。
(この中に、本物の美が眠っているのだろうか。)
山道を通る商人たちから耳にした名があった。
――白薔薇の姫。
この地を治める辺境貴族の娘。
彼女は舞踏会で王都から招かれた使節を迎える予定だという。
人々は噂した。「あの方こそ、南部に咲く白き花」と。
私は夜の森を抜け、その屋敷を遠くから見つめた。
灯火が点々と並び、音楽が漏れ聞こえる。
月光の下、翅をたたみ、私は歩み出した。
屋敷の広間は光に満ちていた。
香り立つ花、きらびやかな衣装、笑う男女。
その中央で、白いドレスをまとった娘が微笑んでいる。
透き通る肌と金の髪――
あの女にはない、静かな美があった。
けれど、心は死んでいる。
その笑みの奥に、“空洞”が見えた。
私は囁くように口を開く。
「あなたの“美”を、もらいに来た。」
翅が微かに鳴り、空気が震える。
蝋燭の炎が揺らめき、誰かが息を呑んだ。
白薔薇の姫が、私を見つめる。
その瞳には恐怖と――わずかな畏れが混じっていた。
「だ、誰……あなたは……?」
答えない。
ただ、歩み寄る。
距離が詰まるごとに、彼女の頬が青ざめ、
その“美”が私の中に引き込まれていくのを感じた。
血肉転化――。
私の指先が彼女に触れた瞬間、
白い花弁のようにドレスが裂け、血が舞った。
悲鳴が響き、翅が光を吸い込む。
白薔薇の姫の“作られた美”が崩れ、
代わりに私の肌が滑らかさを増していく。
「……これが、“上の美”か。」
熱が身体を駆け抜ける。
陶酔とともに、私は一歩後ずさった。
周囲の貴族たちは恐怖に凍り付き、
私を“妖精”と呼び、跪いた者もいた。
だが、その敬意の中にあったのは――
美への畏怖。
私は微笑んだ。
「違う。私は、美の亡者よ。」
翅を広げ、周囲の人間を全て血肉の塊へと変えた。
風が髪を撫で、遠くで鐘の音が響く。
(これでもまだ足りない。)
あの娘――北の砦の領主の娘。
あの燃えるような美に辿り着くまで、
私は狩りをやめない。
夜空の下、血の香りを纏いながら、私は飛んだ。
その軌跡は赤く光り、闇に消えていった。