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第12話 鏡の微笑

夜の雨が止み、森に霧が立ちこめていた。

その静寂の中で、私は目を覚ました。

体の奥でまだ熱がくすぶっている。

敗北の痛みが、まるで呪いのように消えない。


焚き火の光のそばで、男が黙って座っていた。

棍棒を膝に立て、火に照らされた顔は無表情。

だがその目だけは、何かを探しているように鋭かった。


「起きたか。」


「……生きてたのね。」


「お前もな。あの女の魔力をまともに食らって、よく生きてたもんだ。」


「しぶといのが取り柄よ。」


男は短く笑った。

それは軽蔑でも嘲りでもなく、ただの事実確認のようだった。


「これからどうする。」


「決まってる。力をつける。」


「俺もだ。」

彼は棍棒の先を火に突き入れる。

赤く染まった木がぱちぱちと音を立てる。


「だが、目的は違うな。

 お前は“美”を奪うために強くなりたい。

 俺は、誰にも支配されねぇ力を持つために。」


「……ええ。」


「なら、ここで別れだ。」


焚き火が一瞬、風に揺れた。

炎の光が、彼の横顔を照らし出す。

荒々しく、無骨で、純粋な“力”の象徴。

けれど、そこに優しさは一欠片もない。


「私を軽蔑してるの?」


「いや。」

彼は少しだけ目を細めた。

「ただ、人間になろうとしてるお前が、見てて気持ち悪いだけだ。」


その言葉に、私は笑った。

自嘲でも怒りでもなく――理解の笑み。


「あなたも私も、結局は同じ。

 この世界で“自分じゃない何か”になりたがってる。」


「違う。」

男は立ち上がり、背を向けた。

「俺は俺のままで強くなる。

 お前は自分を捨ててる。それだけだ。」


足音が遠ざかる。

やがて森の奥へと消えた。


洞窟にひとり残された私は、静かに息を吐いた。

指先を見ると、血肉転化の痕がまだ残っている。

白くなった皮膚と、裂けた筋。

その痛みが、むしろ心地よかった。


(私は、まだ“途中”……)


水面に映る自分の顔を見る。

以前よりも人間に近い。

だがそれは“真の美”ではなかった。

あの領主の娘――あの輝きには、まだ遠い。


『吸美欲:未達成。対象:登録維持――領主の娘。』


(待っていなさい。必ず、あなたを超える。)


私は森を見下ろした。

霧の向こうに、廃村が見える。

その村には、病に侵された娘たちが多いと聞いた。

腐りかけた美、崩れゆく命。

――そこには、私が求める「美の境界」がある。


「いいわ。」

私は立ち上がった。

「その命、ひとつひとつで美を研ぎ澄ませてやる。」


森の中に足音が響く。

霧が私を包み込み、やがて姿を隠した。


同じころ、遠く離れた丘の上。

領主の娘は、城の窓辺から森を見下ろしていた。

その瞳には、確かな興味が宿っていた。


「……生きていたのね。」


侍女が問う。

「お嬢様、あの者を追わせますか?」


「いいえ。」

彼女は微笑む。

「あの者は、まだ“美”の定義を知らない。

 完成するまで、狩るには惜しいわ。」


「ですが、あの化け物は危険です。」


「ええ。だからこそ、面白い。」


娘は椅子から立ち上がり、鏡の前に歩み寄る。

そこには彼女の姿――だが、その背後に、一瞬だけ“別の影”が映った。


女の輪郭に似た、薄暗いシルエット。

それは鏡越しに“こちら”を見て、微かに笑った。


娘は気づいていた。

あの化け物と、自分は同じ“渇き”を持っていると。


夜が再び降りる。

森の奥で、ひとりのゴブリンが爪を研ぎ、血の匂いに微笑む。

山の向こうで、もうひとりが獣を狩り、筋肉を裂いて笑う。

そして城の塔で、ひとりの娘が鏡を覗き、静かに息を吐く。


それぞれが別の道を歩き、

やがて交わる――宿命の形を知らぬまま。

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