並び立つ意味
執務室に、紙の擦れる音だけが響いていた。
アルベルトは机いっぱいに報告書を広げ、眉間に皺を寄せて読み込んでいる――ように見えた。だが、よく見れば同じ行を行ったり来たり、三度目の停滞である。
「港の完成が近づいています。ご一緒に視察に行きましょう」
クラリスは声の調子を整え、毅然と告げた。
「私は忙しい。報告書が山積みでな」
アルベルトは再び紙に視線を落とすが、明らかに逃げ腰である。
「ご多忙のはずの侯爵様が、同じ行を三度も読み直していらっしゃいますわね」
窓辺に立つクラリスが、さらりと口にした。
アルベルトはぴたりと読むのを止め、顔を上げる。
「……気のせいだ」
「まあ。戦場では矢が飛び交っても怯まず進む勇猛果敢な騎士様だと聞いておりましたのに、報告書を前にすると右往左往するのですか?」
「あなたはは敵兵か?監視の目が鋭すぎる」
「夫婦ですから」
「……やりにくい」
軽口の応酬に、部屋に控えていた使用人が気まずそうに退室した。廊下を通りかかった兵士たちも、気配を察して肩をすくめる。もはや日常茶飯事の光景らしい。
「港だけではありません。街の復興をともに確認してほしいのです。」
クラリスは告げるが、アルベルトは聞こえないとばかりに、一向に返答をしない。
「さて、次はこの報告書を仕上げねば…」
「その書類の山、さっきからちっとも減っていませんわよ?」
「……お前な、いちいち揚げ足を取るな」
「揚げ足を取られるほど、進む気配がないと言っているのです」
二人の声が少しずつ熱を帯び、口喧嘩めいたやり取りが続く。
クラリスはふいに表情を引き締め、窓辺からアルベルトへと向き直った。
「……あなたが軽んじられるのが嫌なのです」
アルベルトの手が止まる。彼女はゆっくりと歩み寄り、言葉を重ねた。
「嫁が来てから復興が進んだので、周囲からは私の功績と見えるでしょう。ここで、夫婦揃って領地を治めているという姿勢を対外的に見せることが重要なのです。私が復興させて、領地を経営して、三年後離婚によってオルフェンからフッといなくなったら、周囲はこれを好機とオルフェンに手を伸ばしてくるかもしれません。」
その瞳には、冷静さと切実さが同居していた。
「そして、夫婦の不仲を隠すこともしないとあっては、王命による婚姻に不服があると言い出す輩も出て来かねません。そうなると、なおさら面倒なことになります。三年で離婚する――誰かさんがそう宣言なさったせいで、ただでさえ印象は悪いのです。せめて夫婦が並び立っていると示すことで、余計な雑音を封じるべきだとは思いませんか?」
アルベルトは言い返したかったが、痛いところを突かれ、ぐっと言葉を飲み込んだ。
本当はクラリスの言うことを理解している。だが、彼女と並べば並ぶほど、自分の力の無さが浮かび上がる気がしてしまう。感謝の言葉ひとつすら、まだ伝えていないのに――。
「君の言いたいことは分かった……。だが、君の手柄を横取りしているようで嫌なんだ。」
「まぁ。素直ですのね。」
驚いたように、クラリスがふふっと笑う。
アルベルトは、一瞬固まり、耳の先まで赤く染める。口を開きかけ、閉じ、また開き――プイと向こうを向いてしまう。
「私が欲しいのは手柄ではありません。あなたが堂々と胸を張り、領民に尊ばれる姿です。」
クラリスは静かに微笑んだ。
アルベルトは結局、観念したように椅子から立ち上がった。
「……視察だけだぞ」
「ええ、視察だけですわ」
クラリスは満足げに微笑んだ。その笑みは、執務室に安堵の空気を広げる。
「きっと、楽しい視察になりますよ。報告書は帰ってからお手伝いして差し上げますから。」
アルベルトは咳払いひとつで誤魔化しつつ、外套を取った。
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