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婚礼の儀

鐘の音が王都の空へ響き渡った。白亜の大聖堂には、色とりどりのステンドグラスから陽光が差し込み、荘厳な光の帯が長い石床を照らしていた。列席する貴族たちは衣擦れの音も高らかに、口々に囁きを交わしている。だがその眼差しは、祝福というよりも興味本位の好奇と打算に満ちていた。

 壇上に並ぶ新郎新婦――オルフェン侯爵アルベルトと、マリノア伯爵家の令嬢クラリス。二人の距離は、礼儀として並び立ってはいるものの、どこか硬直していた。

 アルベルトは、王国が誇る若き勇将。二十四歳にして数々の戦場で功を挙げた男だ。軍服を思わせる礼装の肩には、いくつもの勲章が輝いている。その姿は凛々しく映るはずだったが、婚礼という舞台ではどこか居心地悪げに身じろぎを繰り返していた。

 一方、クラリスは二十一歳。純白のドレスに身を包み、まっすぐ前を見据えていた。伯爵家の娘として鍛えられた気品が漂い、彼女自身は表情一つ崩さない。だが胸の内では、参列者たちの視線が「戦場の英雄」と「財力ある娘」を結びつけた政略結婚の象徴として値踏みしているのを、冷ややかに感じ取っていた。

 この婚姻は王命によって定められたもの。アルベルトの家は戦で功を立ててきたが、領地は荒れ果て再建が急務だった。一方で、マリノアは造船と交易で潤う富を誇る家柄。二つの事情を結びつけることで、王は領地の安定を図ろうとしたのだ。

 ――互いに望んでいないことは、誰の目にも明らかだというのに。

 クラリスは胸の奥で静かに息を吐いた。


 式は淡々と進み、神官の声が大聖堂に厳かに響いた。誓いの言葉を交わし、指輪がはめられたその瞬間、参列者たちの拍手が高らかに響く。

 だが、祝宴の場に移ると空気は一変した。豪奢なシャンデリアの下、長いテーブルには銀の器に盛られた料理が並ぶ。楽師たちが奏でる弦楽の調べに乗せて、人々のざわめきが広がっていった。

 そのときだった。壇上に立ったアルベルトが、唐突に声を張り上げた。

「三年後、俺たちは離婚する!」

 グラスを持つ手が止まり、場内が凍りついた。誰もが聞き間違いだと思ったに違いない。だがアルベルトは、気まずげに目を逸らすでもなく、むしろ堂々と胸を張っていた。

「王国の法に従い、三年間は夫婦として過ごす。その後は潔く別れる!」

 再びざわめきが広がる。三年――王国の婚姻法では、子を授かるかどうかを見極めるため、三年間は離婚が許されない。だが、その期間を過ぎれば申請次第で離縁が成立する。法を盾にした宣言だ。

 クラリスは、その場に立ち尽くしながらも、感情の揺れを表に出さなかった。いや、出さぬように努めた。

ーーこんな大勢の前で、どうしてわざわざ……

 胸の奥で小さく嘆息し、シャンデリアの光を見上げた。悲しむフリをした方がいいだろう、と冷静に判断する。そこで、わずかに眉を伏せ、唇を噛む仕草を添えた。

 参列者たちの視線が集まるのを感じながら、クラリスは静かにグラスを置いた。クラリスが驚きと傷心を演じて見せることで、周囲は「マリノア側は破綻を望んでいなさそうだ」と印象付けられただろう。両家が結託して王命に不服の意思を表明するように取られるのを防ぐためだ。それは、オルフェン侯爵夫人としての最初の役割でもあった。


 アルベルトが「戦場の英雄」であることは疑いようがない。だが、その真っ直ぐすぎる物言いは、政治の場では無用の刃にしかならない。


 ――戦場の気迫をわざわざ披露宴に持ち込む必要はないし、互いに望まぬ婚姻のはず。望んでいないのは自分だけだとでも言いたいのだろうか。


 クラリスは冷めた瞳で、ざわつく貴族たちを見渡した。彼らの視線は、「三年後には離婚する」という言葉を新たな噂話として胸に刻んでいる。その視線すら、クラリスにとっては全く不本意ながら、予想の範疇だった。

ーーどちらにせよ、いずれ答えは見えるわ。

 クラリスの瞳に、一瞬だけ硬質な光が宿った。


 会場の空気は、完全に「祝宴」から「見世物」へと変わっていた。

 笑みを貼りつけながらも、耳をそばだてて囁き合う貴族たちの声が、クラリスの耳に否応なく届いてくる。

「三年限定の妻、か……」

「やはり戦馬鹿のすることは違うな」

「マリノアの娘が気の毒に」

「いや、あの財力をあてにしているだけということだろう」

 どれもこれも、上辺の礼を脱ぎ捨てた本音。

 クラリスは頬の筋肉をゆるめ、わずかに笑みを浮かべた。内心の皮肉を悟らせぬための仮面だった。

(三年後に離婚、か……)

 冷静にそう繰り返す。

 

 ――悲しい? 悔しい?

 否。クラリスにとっては、いずれも的を外れていた。

ーーせめて、私にだけこっそり伝えればよかったのに。人前で宣言するなんて……あの人は浅はかな方なの子。

 

 参列者たちのざわめきはいつまでたっても収まらず、やがて音楽隊の旋律までもかき消すほどに広がっていった。その渦中、アルベルトは堂々と杯を掲げ、まるで己の武勲を語るかのように誇らしげな顔でいた。

 クラリスは、その横顔を横目で見やりながら小さく吐息をもらす。

ーーまぁいいわ。三年間。望んでいないのは私だけではない。ならば互いに義務を果たすだけ。余計な面倒ごとが少なくて、返っていいのかもしれない。前向きに考えましょ。

そう冷静に結論づけながらも、クラリスの胸の奥には別の灯がともっていた。

 ――さて、荒れ果てているという噂の港町オルフェン。

 王都では人々が憐れむように口にしていたけれど、逆に考えれば、これほど面白い舞台もない。

 領地経営は貴族にとって最も重い責務。その実権を、自分の手で振るえる機会など滅多にない。

 ましてや、造船と交易で栄えたマリノアに生まれ育った自分にとって、港町の再建は血が騒ぐほどの挑戦だ。

ーー自分の手で街を形づくる。これほどの機会が再び巡ってくることはないでしょうねマリノアは都市として完成系に近いから、やることないのよね。三年間でわたしがオルフェンでどこまでできるか。楽しみだわ。夫との関係は最悪だけど。

 静かな微笑みを口元に浮かべ、クラリスはグラスを取り上げた。

 周囲には傷ついた新妻を演じて見せつつ、その内心には確かな好奇と決意が芽生えていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます!

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