4.ふたり、それぞれの朝2
白石彩乃は、スプーンを口から離して、しばし呆然と天井を見つめていた。
「……これ、ほんとにヤバいやつじゃん……」
味覚強化のスキルは伊達じゃなかった。いや、むしろ人間が味覚に処理できる情報量を軽々と超えてくるその精度に、脳が追いついていない。
思わずソファに倒れ込み、スマホを手に取る。
『Tweecho』を開く。
@ayano_815「朝からプリンで脳が焼けた。味覚スキルやばい。誰かバグ報告して」#転生かもしれない #飯テロ注意
投稿を終えると、少しほっとした。どこかで、誰かに伝えることが、正気を保つ術だった。
その直後、ぴろん、と通知音。
「……もう反応きた?」
見ると、無言の“いいね”がいくつか。ひとつだけ、奇妙なリプライがあった。
@hayato_kuromaru「バグじゃなくて仕様かも。自分は肩こりが震えて消えた」
「……誰?」
知らないアカウント。しかし、ふとした既視感に眉をひそめる。呉、という地名。藤堂、という名字。
「……まさか、ね」
彩乃はスマホを置き、立ち上がると、再び冷蔵庫を開けた。今度はヨーグルトだ。
「なら、次は乳酸菌でぶっ飛ばしてやる……」
呉市の藤堂隼人もまた、スマホを見つめていた。
「やっぱり、あの味覚の人……俺と同じタイプか?」
Tweechoのタイムラインをスクロールしながら、スキルのヒントになりそうな投稿をチェックしていた。彼自身の“超微振動操作”は今のところ肩こり軽減と、缶ジュースをいい感じに冷やすことにしか使っていない。
「……情けねえな」
机に戻り、さっき震えさせていたペンを再びつまむ。
今度はスプーンを手に取り、ティーカップを軽く振動させてみた。
「ちょっとずつ制御効いてきた……このレベルなら家電の修理とか、マッサージ機開発くらいはできそうだな」
部屋の隅には、微妙な見た目の手作り装置が転がっていた。名付けて“どこでもブルブルくん・試作壱号”。
「……名前だけは先に完成してるのが悲しい」
ふと、また通知が来る。
@ayano_815「乳酸菌すごい。今、口の中が善玉菌の天国」
思わず笑ってしまう。
「……この人、たぶん同類だな」
Tweechoのタイムラインの向こうで、誰かが今日も奇妙な転生生活をしている。隼人はまだ知らない。だが、彩乃もまた、彼の存在にうっすらと気づき始めていた。
二人の距離は、物理的には遠い。
だが、ネットの海を介して、ほんのわずかに、近づき始めている。
そして、その小さな波紋を、誰よりも鋭く観測していた存在がいた。
――転生管理機構 第8観測課、新任観測員・ヒトリ。
「おっ、ついに最初の非言語接触が発生……!」
彼は端末にメモを走らせた。
【観測ログNo.002】対象AおよびB、SNS上にて初の間接相互リアクション。距離感を保ちつつ、自覚なき同期感が形成されつつある。
「うん、これは伸びる(語彙)」
傍らの主任がちらりと見てくる。
「ニヤつくな新人、報告書には“冷静な語彙”でな」
「は、はいっす」
ヒトリは姿勢を正しながらも、画面の向こうにいる“被観測者”たちのやりとりに、心の中でガッツポーズを取っていた。
「このまま順調に接近してくれれば……新任最速昇進も夢じゃないな……!」
主任が背後から無言で手帳を閉じる音が響く。
「お前、声に出てるぞ」
「……ッス」
転生とは、しばしば偶然であり、しばしば実験であり、しばしば観察対象である。
誰も知らないところで、誰かの転生は、静かに進行している。
今日もまた、ふたりはそれぞれの朝を迎えた。