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第9話 よくきく薬


 黒洞々(こくとうとう)たる闇の中を鉄の(かご)が登っていく。

 時折、熱のこもった空気がシャフトの中を駆け抜け、籠を追い越していった。

 まだ地の底でガスが燃えているのだろう。


 ケーブルが軋む音を聞きながら、アルトは石レンガの継ぎ目が下に流れていくのを眺めていた。


 何かを言わなければならない気がしていた。

 だが、何と言えば良いのだろう。

 自分が立てた脱出計画の見積もりが甘かったことか?

 ガルガンテイルが想像よりも強かったことか?


 何を言ったとしても言い訳にしかならない。それが何になろう。


 ワッツを偲ぶ言葉を出したとしても同じだ。

 死体を称賛しても意味はない。

 自問自答ともいえない、淡い考えを抱きつつ、彼は鉄の籠の外を見ていた。


「ごめん。私、貴方たちがあんなことをしてるなんて……」


 ミリアが瞳を濡らし、震えた声で自分の体を抱きしめる。

 本来、彼女を救うことはラットキャッチャーたちの予定になかった。自分の存在が彼らの仲間に死をもたらした。彼女はそう考えているのだろう。


「いえ、ミリアさんのせいじゃないです。これは――」


「一つ言っとくぞ」


 アルトの言葉をエルガーがかき消した。

 その声色にはあきらかに強い怒気が乗っていた。


「お前らごときのヘマで死ぬほど、あいつは弱くねぇ。間抜けなエルフの娘っ子を助けたぐらいで、俺たちの段取りが狂うかよ」


「エルガーさん……」


「アルト、お前もだ。お前の作戦のせいでワッツが死んだなんて考えるな。

 図に乗るんじゃねぇ」


「はい。」


 エルガ―は拳を握り、鉄の籠の壁に軽く当てた。

 その仕草には苛立ちと同時に、言いようのない重さが滲んでいる。


 時が立つにつれ、仲間を失った衝撃は収まりつつある。

 だが、胸の内に渦巻く思いはいつまでも消えない。


 どれだけそうしていただろう。アルトはふと、鉄の籠の上から柔らかい光が差してくるのに気がついた。ようやく地上に出たのだ。


 エレベーターがついた場所は、大きな窓が連なった壁が天井高くまで続く、塔のような建物だった。窓から豊かな陽光が差し込み、壁の赤レンガが日差しを受けて金色に輝いている。最初に地下に降りた建物とはまったく印象の違う場所だ。


 ラットキャッチャーの拠点はどこか冷たく要塞のようだったが、ここは暖かくて気持ちが落ち着く雰囲気だった。


 鉄の籠が一度大きく揺れて、止まった。しかし格子状の伸縮戸がうまく開かない。

 ガルガンテイルに殴られたせいで、折りたたむ部分が歪んでしまったのだろう。


 舌打ちをしたエルガーがわずかに開いた戸のすき間に盾のふちを差し込み、梃子(てこ)の原理でこじ開ける。(ねじ)けた戸はすこしの間抵抗していたが、何かが折れる嫌な音を立ててようやく開いた。


「マスターと合流するぞ。あっちもあっちで地上に戻っただろうしな」


「はい。」


「上から見てただろうが、一応報告する必要がある。ガルガンテイルの様子が以前とちがう。新しい頭を生やすなんて初めてだ」


「あの! ……エルガーさん。ミリアさんは、彼女はどうしましょう」


「俺に聞く必要があるか? ルール通りだ」


「ルール?」


 (いぶか)しげなミリアにエルガーは向き直る。

 そして彼は自分が被っているフクロウを象ったマスクを指さして続けた。


「――地下で起きたことは、地下に留める。これが俺たちのルールだ。

 ラットキンを目にしたものには2つの選択肢がある。精神病院にブチこまれてそこで残りの一生を過ごすか、俺たちと同じラットキャッチャーになるかだ」


 押し黙るミリアをかばうようにアルトがエルガーの前に立った。


「待ってください。あれだけのことがあったのに、急にそんなこと……」


「今すぐ決めろってわけじゃない。長引かせるわけにもいかんがな」


「……はい」


「全員武器をしまって隠せ。街に出るぞ」


 エレベーターは塔内部の中心、階段状の木の足場に囲まれたところにある。足場を降りた一行は、出口となるたった一つのゲートに向かい、かんぬきを外して木の門を押した。さびついた金具がうめきながら門が開く。すると、汗をぬぐうような爽やかな風が吹き込んで、彼らの間を抜けていった。


 アルトたちが出たのはアインスブルクの目抜き通りだ。信じがたいことだが、地獄に直行するエレベータは、地下のことなど何も知らない無数の人々が行き交う街路に面した尖塔のうちのひとつにあったのだ。


 地上に出たミリアは、何度も瞬きする。

 暗い場所からいきなり明るい所に出たからではない。急に日常の光景に戻らされた彼女は、目の前の風景に対する現実感を失ってしまっていたのだ。


「……誰も知らないのよね」


「えぇ。俺たちの他にラットキンを知る人はそう多くないです。下水はアインスブルクの自治評議会の管轄ですが、知っているのは評議員の中でもごく一部です」


「なら、皇帝陛下は?」


「ご存知です。陛下ならびに帝国各州の※選帝侯の皆様はご存知です」


※選帝侯:帝国の君主に対する選挙権および選定権を有した諸侯のこと。現実の神聖ローマ帝国に実在した制度。


「そうよね。選帝侯ともなれば――」


(待って。何で各州の侯がラットキンを知ってるの? アインスブルクだけで起きてるなら、住民と同じように知らせる必要はないはず。なら、何で……)


 何かに気づいたのか、ミリアはハッとなった表情になる。

 彼女の反応を見たアルトは小さく頷いた。


「お察しのとおりです。連中がいるのはアインスブルクだけじゃないんです」


「――ッ!」


 手の先から血が抜けていくような感覚がミリアを襲った。


 彼女の脳裏に地下で見た光景が蘇ってくる。武器を持った害獣たちが津波のようにおそいかかってくるあの光景。あれはアインスブルクに限ったことではないのだ。

 彼の言葉が本当ならば、どこにも逃げ場はないということになる。


「そんな……」


「おいおい、下水から出てきたネズミ共が列を作ってるぜ」


「ホントだ。クッセェーなぁ! クソ掘りが表に出てくんじゃねぇよ!!」


 下卑た声に正気を取り戻したミリアが振り向くと、そこには棍棒を持ってニタニタと笑う、上半身(はだか)半裸(はんら)の男たちが5人いた。男たちの上半身には悪魔(あくま)蜘蛛(くも)、鎖や剣といったいかにもタトゥーが、腕と言わず胸や首にまで入っていた。どうみてもギャングだ。


 男は入れ墨を見せびらかすように肩を突き出すと、握り手に布を巻いただけの粗末な棍棒の先端を一行に向けた。


「何よアンタたち!」


 ミリアが肩をいからせて怒鳴るが、ギャングは笑みを深めるだけだ。いつものような威圧が効かないことを不思議がるミリアだったが、それは彼女の服の所為(せい)だった。


「見ろよ、貴族様がドブで輝いてら。昔は金貨を数えてた手で、今じゃネズミの死骸を数えてんのか。人生ってのは詩的だな」


「だな。クサい詩だけどな」


 彼女はケープと鎧を失い、今は青色のドレスを身に着けている。貴族が身につけるような、仕立ての良い華やかなドレスだ。それでギャングはミリアを暴力に縁のない貴族のエルフだと思い込んでいるのだ。


「そんなことより、こっちで稼ぐ気はねぇか?」


「キャハハハ!!!」


 男は棍棒を股間にはさみ、腰を前後して実に下品なジェスチャーをする。

 周りのギャングはそれをみて子どものように笑って手を叩いていた。


「…………」


「待ってください、ミリアさん」


「街で余計なトラブルを起こすな。無視しろ」


 腕まくりして掴みかからんとする彼女だったが、アルトとエルガーに止められる。

 それをみてギャングはさらに調子に乗った。

 

「あんれ~? そういやノッポがいねぇな。ドブに落ちておっちんだか?」


「おおかた下水の中で頭ぶつけて死んだんだろ」


「だな。自分のアゴを落っことす間抜けだ。命も落っことしても不思議じゃねぇや」


「――よし、許す。思いっきりやろうぜ」

「はい。」

「よっしゃ!!!」


 戦いに疲れ切っているはずの一行の体に再び活が入る。

 負傷しているジャックを除き、3人がギャングの前に立ちはだかった。


「なんだぁ~ぶべっ?!」


 悪党にありがちな長口上を言わせる前に、ミリアの見事なハイキックが決まる。

 スカートから細く長い足を伸ばし、まず一人目の意識を刈り取った。


「ぶっ殺す!」

「やっちまえっ!」


 棍棒を持ったギャングが襲いかかる。しかし、ラットキンと戦ってきたばかりの彼らの集中力は、生死の狭間にあって異様に高まっている。ドラッグとアルコールで体と頭の両方が(にぶ)りきったギャングが相手になるはずもない。


「ちねー! くしょがき!」


 歯がボロボロになって呂律も回っていないギャングがアルトに向かって棍棒を振り下ろす。アルトはギャングの動きをみて、後ろに避けるのではなく一歩踏み込んだ。


「――とっ」


 振り下ろされる棍棒に対し、アルトは外に向かって払うように手刀を放った。そして向きを変えた棍棒の先を手刀を使ってさらに下に向かうように回す。するとギャングの棍棒を持った手が自然とねじりあげられる形になった。


「あいだだだ!!!」


 痛みに悲鳴を上げて無防備になった瞬間、アルトはアゴに掌打を放つ。掌打は手首に近い位置を使って押すように相手を殴る方法だ。拳を握り込むパンチより痛みを与えるのに劣るが、アゴや額といった、拳で殴ると逆にこちらがケガをしかねない硬い部位を殴るのに向いている。


 いくらアルトが小兵(こひょう)とはいえ、思いっきりアゴを打撃されれば脳を揺らされて動けなくなる。アルトは失神して手が緩んだスキに棍棒を奪い、それを使って歯抜け男の股間を突いてとどめを刺した。


「ぐべっ!!」


「もういっちょ!」


 背後から殴りかかってきたキツネ目のギャングの一撃を、アルトは奪った棍棒を背に回して受ける。そして振り向きざまの肘鉄をみぞおちに叩き込み、へそを棍棒で突いた。へそは腹筋の薄い場所であり、急所である。体重の乗った一撃をくらえば確実に動きが止まる。ウッとうめいてうつむいたギャングの後頭部に棍棒の握りを叩き込み、アルトは二人目を失神させた。


 みるとすでに5人のギャングは全員地面に倒れ伏している。ミリアが2人、アルトが2人、そして丁度エルガーが残りの1人を裸絞(はだかじめ)で落としている。ギャングたちは棍棒を彼らの体にかすらせることもできず一方的に制圧された。


「弱いものいじめしか知らないくせに、いい気になってんじゃないわよ!」


「どけどけ、見世物は終わりだ! クソを浴びたくなけりゃ道を開けろ!」


 集まってきた見物人を臭気で追い払いつつ、一行は通りを抜け出した。おもわぬ乱闘事になったが、なぜかアルトたちの心はさっきより軽くなっていた。ミリアは息を整えるでもなく走り出すエルガーの背中を追うが、どこか柔らかく見える。


「やるじゃんミリアちゃん!」


「ま、冒険者だしこれくらいはね?」


 ミリアたちは拠点に戻り、こんどは真正面から金属のドアをくぐる。


 門衛のラットキャッチャーの敬礼を受けて中に入ると、マスターたち4人のラットキャッチャーがすでに彼らのことを待ち受けていた。


 マスターは一行にひと通り目を通した後、ミリアを一瞥した。すると彼はアゴに手を当てて何やら思案するような仕草を見せる。


「名は?」


「ミリア。ミリアスフィール。」


「出身はブラックフォレストか? それともサウスアイルか? まさかクロツバメということはあるまい」


「サウスアイル。よく知ってるじゃない」


 マスターが口にしたのは、エルフの種族のことだ。人に人種があるように、エルフにも人種がある。


 ブラックフォレストは帝国の東に広がる広大な森林地帯のことであり、そこにすむウッドエルフを意味する。ウッドエルフは優れた弓の使い手として知られているが、排他的かつ閉鎖的であり、文明圏に現れることはあまりない。


 次にあげたサウスアイルは南方の海岸に居を構えるハイエルフのことだ。

 ハイエルフは魔術の使い手として有名で、交易や文化交流を目的に度々帝国に現れる。エルフと言えば、大体はサウスアイルのハイエルフのことだ。


 最後のクロツバメはエルフの海賊のことを意味している。海岸地帯を略奪しては人々をさらって奴隷にし、邪悪な魔法の生贄にすると言われている……が、普通に奴隷商人に売っているだけだ。黒ずんだ肌をもっていることから別名ダークエルフとも呼ばれているが、ただの日焼けだ。別に闇の魔法で黒くなったわけではない。


「サウスアイルか。なら魔法は使えるか?」


「光術。基本は押さえてる。それ以降は潜入と偽装に関係する方面しかやってないわ。使えって言われたら練習するけど」


「なるほど。それで私たちやガルガンテイルをやり過ごしたのか。どうにも合点がいかず、内応を疑っていたところだった」


「まさか。貴方の仲間は本当に結束してる。私の入る余地なんてないくらい」


「それはどうかな」


「というと?」


「おそらく彼らからすでに聞いているだろうが、我々にはルールがある。地下で起きたことは地下に留める。つまり、地下で起きていることを知った君は、元の世界に返すことはできなくなった」


「それこそ聞く必要ある? なるわ。貴方たちの仲間に」


「即答か。」


「いっとくが小娘、金にはならんぞ。出ていく一方だ」


 エルガーの混ぜっ返しにミリアは金髪を揺らし、不敵な笑みで応じた。


「お金じゃないわ。最初はたしかにそうだったけど……」


「けど、なんだ?」


「私、自分の足の下であんな事が起きてるなんて知らなかった。今地上に戻ったとしても、昨日見た世界と同じ世界にもどれそうにない。でも――恐怖を遠ざけて怪物に育ちあがるのを待つよりも、近くに寄ってぶん殴りたい気分なのよ」


「首を飛ばされた自分の死体がドブに落ちる姿を想像してもか?」


「当然。白い壁を見つめ続けて終わるよりはマシ」


「急に威勢がよくなったな。さっきまでベソかいてたのによ」


「貴方の投げた〝薬〟が効いたのかもね。さすが元錬金術師だわ」


「そうかい。」


「では本人の意志を確認したところで決を採ろう。

 彼女の加入に賛成のものは挙手してくれ」


 採決を求めたマスターが手を胸の前に置いた。つい先ほど、武器を取るか決めた時と同じだ。採決の際、リーダーは白票を出すのが習わしなのだろうか。


 彼の意思表明に続き、その場にいた下水掃除人(ラットキャッチャー)全員が片手を上げた。1対6。彼を除く全員がミリアの加入を望んだ。あのエルガーさえも。


「ようこそミリア。君の参加を歓迎する。」






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