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第8話 ガルガンテイル

 トンネルに響き渡るガルガンテイルの甲高い悲鳴。その不自然に歪められた巨体がよろめき、壁にぶつかるたび、地鳴りのような鈍い衝撃が一行の足元を揺らした。


 ミリアの光球が奴の目を潰したのは確かだが、怪物が盲目になったところで、その力が弱まるわけではない。むしろ怒りに火をつけただけだ。


 デタラメに振り回される巨体によって鋼鉄の隔壁がひしゃげる。ガルガンテイルの膨張した腕がそれをさらに叩き潰すたび、トンネルの闇に鉄くずが飛び散った。


「ヤツの横を抜けるんです! はやく!」


 アルトが叫び、マスクの下で汗と泥にまみれた顔を歪めた。隔壁が破壊し尽くされたおかげで、ガルガンテイルの脇には通り抜けられそうなスペースがある。ためらいながらも、一行は怪物の横を素早く通り過ぎた。


 気まぐれに振り回される拳に当たれば死ぬ。だが放っておいても怪物が視力を取り戻して死ぬ。なら、ほんの少しでも死に遠い選択肢を選ぶべきだ。


「まったく生きた心地がしねぇな」


「隔壁を越えればエレベーターはもうすぐです!」


「…………!」


 無言で走るワッツは速度を上げて全員の前に立った。顎を失った彼の顔は、闇の中でなおさら異様な影を落とす。彼は一行の中でもっとも身長が高く、長い脚でトンネルの地面を蹴るたび、濡れた床に水しぶきが上がった。


「見えた! ……そんなッ!」


 エレベーターは見えた。だが、希望とは程遠い光景だった。


 水道橋の床から天に向かって伸びるエレベーターシャフトの中に、錆びついた鉄の(かご)が浮かんでいる。ワイヤーに吊られて中途半端に浮かんでいる籠の高さは、地上まで5,6メートルという所だろうか。


 届かない距離ではないが、そこに至るまでの道程が地獄だった。


 エレベーターは古い水道橋の上に設けられており、吹き抜けになった巨大な空間が広がっている。その水道橋の下に広がる闇の中から、無数のラットキンが這い出してきていた。赤い目が闇の中で蠢き、鋭い爪が石を引っ掻く不快な音が耳を刺す。


 ちらつくランタンの明かりの中に、次々と背中を曲げたラットキンの影が入ってくる。水道橋の上にいる連中の数は、誰もが数えるのを諦めるほどだ。


「もうこんな所にまで入り込んでるなんて……!」


「畜生! これを抜けろってのかよ!」


 ラットキンはこちらの姿を認めると、武器を振りかぶって殺到してきた。だが武器といってもマトモなものではない。木の棒、レンガといった鈍器から、間に合せの尖ったものまで。手に入るものなら何でも手にしている。


 こうした質の悪い武器は、犠牲者に向かって何度も振り下ろす必要がある。

 ちゃんとした剣よりも、かえってタチが悪いといえよう。


 一行の前を行っていたワッツは、走りながら持っていたハルバードを横に大きくふりかぶって構える。そしてこちらにやってくるラットキンに向けて、一気に横一文字に振り抜いた。


 ぶおん、という低い風切音にいくつものねばった水音が交じる。黒紋鋼(ダマスク)製の斧槍の切っ先が一行の先を塞ぐラットキンの首や腹をなぎ払ったのだ。ごん、と鈍い音を立てて、三角形の口を驚愕に開いた生首が落ちる。


 エルガーがワッツに続いて血路を開く。石を研いだナイフを振りかぶるラットキンを前にして、エルガーは盾を構えたまま突進する。


 エルガーは、水道橋の端に向かって突き落とす。ラットキンはナイフを上に構えたまま、悲痛な悲鳴をあげて闇の底に落ちていった。


「行け行け! ガルガンテイルが戻って来るぞ!」


「はい!」


 アルトは開かれた血道を進む。リフトの発着場には、エレベーターを上下に移動させるためのレバーやハンドルといった操作機械がある。


 レバーに取り付いたアルトはハンドルを握りこみ、床に足をかけて引く。

 だが、動かない。サビか何かでギアが固まっている。


「手を貸すわ!」


 ミリアが手を重ね、アルトの反対側に立ってレバーを押す。何かの鳴き声のような軋む音をたて、ようやくレバーが入った。がくん、と頭上の鉄の箱が揺れ、ゆっくりと地面に向かってずり下がってくる。


「もっと速く降ろせないの?!」


「無茶言わないでください! これが全速です!」


 エレベーターの周りは壁もなければ柵もない。完全に無防備だ。

 水道橋をよじのぼってくるラットキンの勢いは弱まる気配がない。

 いやむしろ、より数を増しているように見えた。


「前を空けて! 撃ちます!」


 アルトがブランダーバスを前方の群れに向かって発砲した。炎が一瞬闇を切り裂き、燃える硫黄の臭いがあたりに広がる。鉄片が空を切り、ラットキンの群れの間で赤色の爆発がおきる。ラットキンが密集しすぎているために、血しぶきが爆発のようになったのだ。が、暗闇の奥で動く影は減らない。むしろ増えたかのようだ。


 その時、ガルガンテイルの咆哮が銃声をかき消すかのように上がった。

 一行の気配を嗅ぎつけて突進してきたのだ。


「ウソ! あいつまで!」


「血の臭いと音につられてきたか。こりゃダメそうか?」


「…………!」


 どこか遠くで乾いた銃声が響いた。一発、また一発。ラットキンの頭が次々と弾け飛び、血と脳しょうが飛び散って床を汚す。アルトが顔を上げると、トンネルの高所にある換気口から、黒い影が銃を構えているのが見えた。


「ヴェスさんだ!」


「すごい……あんな距離から頭を撃ち抜いてる」


 ミリアが驚きの声をあげる。ヴェスのいる高台からエレベーターまでの直線距離は目算で200メートル以上ある。並の銃であれば命中弾を得られるかも怪しい距離だった。それが正確にラットキンの頭だけを狙って仕留めている。


(ライフル銃? ……それにしては撃つのが早すぎる。どうやってるの?)


 ヴェスが用いているのは黒紋鋼のロングライフルだ。施条(しじょう)。つまりライフリングをきった正真正銘のライフル銃になっている。


 銃身に螺旋溝(ライフリング)をつけると言う試みは、100年ほど前の15世紀末に始まった。

 ライフル銃の主な発想は弓兵とクロスボウ兵からきた。彼らは矢羽根に回転を与えて取り付けると、発射した矢がそうでないものに比べて遥かに速く、正確に飛ぶことに気づいていたのだ。


 しかし、ライフル銃の制作は手間がかかった。溝を手作業で彫刻する必要があるのもそうだが、ライフリングの〝ねじれ〟は、わずかな比率の違いでかえって精度を下げてしまう。最良の銃身を得るには、何度も作り直しを必要とした。


 また、弾丸の装填にも課題があった。弾丸の直径がライフル銃に食い込むほど大きい場合は、銃身に押し込むために大きな木槌が必要だった。他方で弾丸を小さくすると、今度は弾丸がライフル銃に完全に食い込まず、精度が低下した。


 精度が良くても射撃が遅いのでは、戦闘で役に立たない。

 ではどうするか?

 大きすぎても小さすぎてもダメなら、弾の形が変わるようにすれば良い。


 ヴェスが腰につけた弾薬盒(だんやくごう)から取り出したのは先端の(とが)った銃弾だ。ドングリのような形をした銃弾の後には、銅のジャケットが被せてある。この銅のジャケットは、後方で火薬が爆発した際に広がって、銃弾をライフリングに食い込ませる役目がある。これによって装填速度の向上と精度の維持を実現しているのだ。


「耐えろ小僧ども!! 援護する!!」


「マスター!!」


 アルトたちを援護しているのは、別働隊として換気装置を操作していたヴェスとマスターのチームだった。高台に4人の下水掃除人(ラットキャッチャー)が陣取り、ラットキンたちを撃ちおろした。


 白煙をひいた銃弾が飛び、天から幾条もの白線が水道橋のタイルに突き刺さる。

 そのたびに頭を失ったラットキンが地面に転がった。


 しかし、ガルガンテイルは無数の銃撃を喰らいながらもまだ立っていた。

 頭を銃弾で割られて黄色い中身がもれ出し、鉤爪の生えたつま先に(はらわた)がぶら下がっているというのに。


「死んだことも忘れてるって面だな」


「…………」


「ワッツさん?!」


 ハルバードを突き上げるように構えたワッツが前に出た。


 挑戦者を見たガルガンテイルが吠え、うなりをあげる。目に見えない質量をもった咆哮は、アルトの足元の石ころまでぶるぶると震えさせていた。


「…………」


 ワッツは腰だめに構えたハルバードの柄をしごくようにして突き出す。狙いは膝の横にある腱だ。いかに生物として歪められようと、物理的な理までは歪められない。


 膝の横には大腿の外側につながる大きな筋肉(大腿二頭筋)があり、この筋肉が伸縮することで膝を曲げている。これを断ち切ってしまえば、ガルガンテイルの片膝は動かなくなる。


 黒紋鋼独特の黒波が浮かんだ刃先が繰り出され、獣の膝を突く。ガルガンテイルは獣の反応でそれをかわすが、ワッツは技巧でそれを上回った。彼は穂先を引き戻すときに柄を回転させ、斧槍の三日月の斧部分で膝裏をなで切った。


「ヂュウウウウウウ!!!」


 不死身の巨人を殺す必要はない。ただの置物にすれば良いだけだ。

 それさえできれば、アルトたちは〝地上への帰還〟という勝利をつかめる。


 ワッツはハルバードのリーチを利用して、ガルガンテイルがしゃにむに振り回す腕の範囲外から攻め立てた。激昂のもとに振るわれる剛腕はワッツに届かず、逆に近くにいたラットキンの中身をぶちまけた。


 ワッツは血しぶきの向こうから冷静に怪物の膝を突き崩す。ハルバードの背に生えているフックをツルハシの要領で突き立て、ねじれた骨ごと膝横を貫いた。


「すっご……」


 圧倒的な膂力でもって振り回されるガルガンテイルの腕は、かえってラットキンの包囲を邪魔している。早くしろとでも言っているのか、奴隷はキーキーと泣き喚く。 

 いらだった巨獣はその不遜な輩を拳で容赦なく押し潰した。


 そうこうしているうちに降りてきたエレベーターがリフトに到着する。

 鉄の籠が地面に乗ると、ガラガラと音を立て鳥かごを思わせる鉄柵が開いた。


「エレベーターが来ました! ワッツさんも早く乗ってください!」


「…………!」


 狙撃による援護とワッツの挺身がラットキンの波を押し戻し、隙を作り出した。

 アルトたちはそれを逃さなかった。エレベーターにたどり着き、籠の中に入る。


 だが、ガルガンテイルはまだ死んでいなかった。足を引きずった巨体がエレベーターの基部に激突し、ワイヤーが悲鳴を上げるように軋んで左右に鉄の籠が揺れる。


「まずい、このままじゃシャフトが!」


 エレベーターを囲むシャフトの鉄柵がひしゃげていた。このままではシャフトごと引きずりおろされてしまう。拳を振り上げるたびにエレベーターが大きく揺れる。


 ミリアが悲鳴を上げ、エルガーが舌打ちする中、ワッツが動いた。ハルバードを逆さまにし、まるで地面を狙うようにしている。


「ワッツさん! 何をしてるんです!」


 彼はアルトに振り返り、マスクの奥の瞳で彼を見た。

 そこに恐怖の色はなく、怒りの熱もなかった。


 ワッツはハルバードを手に、無言で飛び降りた。

 煌めく斧槍の先端がガルガンテイルを狙いすまし、直上から延髄を串刺しにした。急所を刺し貫かれた怪物は、一度大きく全身を痙攣させて動きを止めたかにみえた。


「…………?!」


 ガルガンテイルの首の下、胸のあたりが奇妙に盛り上がる。すると皮膚を突き破って、もう一つの頭がでてきた。肉が剥げ、歪んだ骨がむき出しになった頭部は赤い目を細めてワッツを見据え、彼のことを(わら)ったように見えた。


 ガルガンテイルの太い腕がワッツを掴み上げ、水道橋の上に叩きつけた。バンという音と共に血が飛び散り、彼の長い脚が不自然に曲がる。


「バッカ野郎!!」


 エルガーが怒鳴ったが、ワッツの犠牲が時間を稼いだ。

 エレベーターは既にガルガンテイルの手の届かない高さにある。


 しかしシャフトのまわりにはいまだに大量のラットキンがいた。彼らはシャフトをよじ登り、上を目指そうとしている。


 高台から一連の出来事を見ていたマスターは、うめくような声で言った。


「……ベントを解放する! 急げ!」


是非(ぜひ)もなし。然諾(ぜんだく)を重んずるが(よし)


 ヴェスは彼と同じ長銃を持った下水掃除人に手で合図する。彼らは頷くと、壁にあった大きなバルブハンドルを二人がかりで回転させ始めた。最初はゆっくりだったが、一度勢いがつくとハンドルはくるくると回っていく。


 バルブハンドルが限界を迎えて止まると、高台に立ったラットキャッチャーたちは射撃を止め、銃口からまだ白煙をひいている武器を背負う。そして、フクロウを象ったマスクに円筒状をした缶のようなものを取り付け始めた。


 水道橋を囲む吹き抜け全体がうなりをあげる。マスターはこのエリア全体の換気装置の向きを逆転させたのだ。メタンガスが混じった汚れた空気がトンネルに逆流し、エレベーターの周囲に黄緑色のガスが渦巻いた。


「マスター。(よろ)しいな」


「……あぁ。やってくれ」


  マスターの声に首肯し、ヴェスがロングライフルにオレンジ色をした背の長い弾を込める。撃鉄を起こした彼はガルガンテイルに狙いをつけ、引き金を引いた。


 白煙が広がり、煙の中央からオレンジ色の光線が伸びる。ヴェスが放ったのは弾丸の底部に硝酸塩とマグネシウムを混合した発光剤を充填した曳光弾(トレーサー)だった。


 曳光弾とは、戦闘中、特定の目標に射撃を集中したい時に、他の射手にそれを知らせるために使う弾のことだ。光は目印になるだけでなく副次的な効果を持っている。


 それは焼夷効果。つまり火をつけることだ。


 トレーサーの火花がガスに引火し、轟音とともに爆発が起きる。


 炎の嵐がトンネルを焼き尽くし、ラットキンの群れを一掃した。ガルガンテイルの巨体さえもが燃え上がり、断末魔の咆哮を上げて崩れ落ちる。エレベーターは揺れながらも上昇を始め、地上へと向かった。


 だが、喜びはなかった。エレベータの床は誰のものかもわからない血にまみれている。ガルガンテイルがエレベーターを殴ったとき、籠の鉄棒に頭を打ち付けたジャックが血に染まった手で自分に包帯を巻こうとしている。ミリアが涙をこらえ、エルガーは黙って壁にもたれ、アルトは拳を握り潰した。


「生き残れたな」


 エルガーの絞り出すような声に誰も答えなかった。

 エレベーターが地上にたどり着くまでの間、籠の中にただ沈黙だけが満ちていた。

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