第7話 軍団兵
ミリアを加えた一行は2番目の隔壁に向かって進み始める。
最初の隔壁での戦いの音を聞きつけたのだろう。隔壁に続くトンネルの中には、ラットキンの偵察隊であるランナーたちがすでに入り込んでいた。
ランナーは人間の冒険者でいうところのレンジャーに近い。群れに先行して価値ある獲物がいないか地下を偵察している。一般のラットキンよりもやや上の階級に属しており、頭には黒頭巾をかぶって、皮の軽装鎧かチェインメイルを着込んでいる。
彼らが使う武器は、主にダガーと刺股だ。まず、正面に立ったランナーが刺股で相手の武器を絡め取って動きを止める。そして動けなくなった獲物の背中に、別のランナーが殺到してきてダガーを突き立てる。
彼らに限ったことではないが、ラットキンは連携を好む。対策としては、近寄られる前に殺ること。それがもっとも簡単で安全な方法だ。
ぱん、という短い炸裂音の後、いくつもの水音がして黒衣のラットキンが暗い水の中に沈む。別の水門が開いているせいで、第2の隔壁まで続くトンネルの床は、くるぶしのあたりまで水がきていた。
「もうランナーが来たか」
「時間をかけるほど奴らの戦力が増強される。急ぎましょう!」
少数のラットキンをあしらいながら、一行は2番目の隔壁の前についた。
隔壁の見た目も操作方法も最初と同じだ。トンネルを塞ぐ鋼鉄の板の上に板から伸びる鎖がつながった巻き上げ機があり、それを直接操作することで板が上がるようになっている。
しかしアルトはウィンチを操作する前に、通路の様子を調べ始めた。
ブランダーバスの銃床で壁を叩いては反響する音を確かめる。何度か繰り返すと、他の場所よりも音が伸び、反響する場所に突き当たった。
「水が無い良い場所は……よし、ここだ」
彼は黒団子を取り出し、床と壁の間にある段差の上に乗せてみる。しかし球形のグレネードはすぐコロコロと転がってしまった。
(どうしたもんかな……そうだ!)
アルトはトンネルの底に貯まっていた粘着質の泥をすくって段差になでつけた。
すると今度はちゃんと壁に仕掛けることができた。泥が土台になってグレネードをしっかり支えてくれている。
(こうすれば汚泥の匂いで火薬の匂いもごまかせる。次は導火線だ。)
アルトは仕掛けたいくつかの黒団子の導火線を束ねると、長い導火線とより合わせて結びつける。こうすることで一つの導火線で一気に着火することができる。結びつけた導火線を壁にそって爆発の届かない場所まで伸ばし、釘をつかって壁に留める。
(これでよしと。あとは爆発の前に水がかからないように祈るだけだ。)
「ミリアさん。グレネードに光術で偽装をかけてください」
「そうねこれなら……こんな感じかしら」
アルトが仕掛けた黒団子は、ミリアが手をかざすと周囲の泥のかたまりと同じような姿になった。しかし、さわってみると彼の手には鋳鉄のザラッとした冷たい手触りが返ってくる。あまりの巧みさにアルトは声を上げた。
「わ、完璧ですよ」
「ありがとう。他にできることはある? 名指揮官さん」
「それなら光術でみんなの戦いを援護してもらえますか?」
「まかせて!」
金のショートボブを揺らし、ミリアはウィンクしてみせた。
どうやらすっかり麻酔が抜けたのかとおもいきや、まだ少しふらついている。
気丈にふるまっているだけのようだ。
「あまり無理しないで。僕が登って隔壁をあげます。ミリアさんはみんなの後ろに」
「えぇ。言われなくてもそうするわ」
アルトは鉄はしごを登って隔壁の上にあるアーチを目指す。
はしごを登りきり、ウィンチのロックを外してレバーを倒す。すると最初の隔壁でしたのと同じように、すさまじい音がトンネルとその周囲に響いた。
< ドォンッ! ギャリギャリギャリ……!! >
騒々しい鉄音に混じり、遠くから太鼓に合わせた号令の声が聞こえてくる。するとミリア以外の全員の動きが、示し合わせたようにピタリと止まった。この声は下水掃除人ならば誰しもが聞きたくないと望むものだった。
「Legio!! Aeterna!!Aeterna!! Victrix!!」
耳慣れない言語による雄々しい合唱に合わせ、トンネルの奥から金属の板が打ち合わされる行進の音が聞こえてくる。
重く暗い闇の中から現れたのは、飾りのついた奇妙なヘルメットを被り、板金鎧に身を包んだ30体ほどのラットキンの〝軍隊〟だった。ラットキンたちは重々しい四角い盾を持ち、もう一方の手に長槍を持っている。
体格はミリアがこれまで見たどのラットキンよりも立派で、ふた回りほど大きい。尻尾の太さは人間の腕の太さほどあり、手足は言うまでもない。
ラットキンは大きく背中を曲げているせいで人間よりも小さい印象がある。軍隊ネズミも同じ姿勢だったが、頭は人間を見下ろす位置にある。まっすぐに背を伸ばせば身長は2メートル以上に達するかもしれない。
軍隊ネズミを見たミリアは、彼らのヘルメットにハッっとなった。兜には頬当てと首当てが付き、頭頂部には染めた毛を植えた大きなクレストがついている。
(――あの兜、アルトくんたちの倉庫にあった……そうか、あいつらの!)
「もう軍団兵が来るなんて! 守りに専念してください!」
「クソッ、わかりきってることを言うな!」
「この人数でまともにぶつかって、勝てるわけ無いもんねー」
(リジョナリー……。まさかネズミたちは、帝国の文化を真似してる? そういえばさっきの号令は、第三期の帝国軍が行進に使っていたもの。意味は軍団よ、永遠なれ、永遠なれ、勝利あれ。だったかしら。でもどうしてネズミが?)
困惑したミリアは眉をひそめる。だが、ラットキンたちが彼女に学術的思惟の時間を与えてくれるはずもない。
アルトたちの姿を認めたリジョナリーは列の距離を縮め、隣り合わせに並ぶと手に持った盾を重ね合わせるようにして構え始めた。最前列は盾を水平に構え、2列目は上向きの斜めに構えて、最前列のリジョナリーの頭部を守った。そして3列目以降のリジョナリーは盾を完全に上に構えて、自分の前の者の頭上をカバーした。
バタバタと音をあげながら組み立てられた盾の壁は、見ようによっては一つの生き物のようにも見えた。その姿を見たミリアは、思わず声を上げた。
「あれって――亀甲陣じゃない!」
「テス……なんだって?」
「テストゥドよ。亀の甲羅みたいに盾を構えて、弓矢や投石を防ぐ陣形よ。まさか直に見れるなんておもわなかったわ」
「へー。あれってちゃんとした名前あったんだ」
「んじゃ学者先生。あれの弱点も知ってるな?」
「もちろん。まず足が遅い。そして次に〝側面ががら空き〟ってことね」
ミリアの言う通りだった。盾を構え前進しているラットキンの側面に盾はない。
無防備に見えるが合理的だ。狭いトンネルの中では彼ら軍団兵を攻撃できる方向は真正面にいる下水掃除人しか存在しない。側面を守る必要など無いはずだ。――通常ならば。
「エルガーさん、やっちゃってください。僕は手持ち使っちゃいました」
「おう。たしかあそこらへんだったな……」
エルガーはグレネードを取り出すと、わざわざ頭上に掲げて火をつけた。
リジョナリーに見せつけているのだ。
黒い球体を目にした軍隊ネズミは、それが何なのか理解しているのだろう。
亀甲陣が一つの生き物のようにビクッと波打って動いた。
「よーしお前ら。いまからこれを食らわしてやるからなー!!」
わざとらしく演技すると、彼はよっこいしょ! と、掛け声をかけて火のついたグレネードを放った。優雅な弧を描いて宙をとぶ黒団子は、リジョナリーのいない壁にぶつかってぽとりと落ちた。
「おーっと、しまったああああ!!! 手がすべったー!」
「あーあーあー!! 何やってんのー!!」
嘆くエルガーと、それに合いの手を入れるジャック。さも失敗した風に演技をすると、ラットキンたちはケタケタと下卑た笑いを上げて足を止めた。
直後、黒団子の盛り合わせが破裂し、鉄片の五月雨が横合いからリジョナリーを殴りつけた。
鋳鉄は鉄のなかでは比較的硬くてもろい。そのため火薬が爆発した際に発生する圧力によって割れやすく、グレネードに向いていた。鋳鉄の外殻が爆発で割れると鋭く細かい破片ができ、それが敵に襲いかかる。
いくら板金鎧といえども、火薬の力で押し出された鉄の牙には敵わない。滑らかな板金の上に無数の穴が空いて鮮血がほとばしった。
爆発は同時にトンネルの壁と天井の一部を崩し、瓦礫がリジョナリーの頭上を襲った。トンネルは石材をアーチ状に組み合わせている。アーチは構造の頂点にある迫石が外れると崩壊してしまう特性がある。爆発によってトンネルが歪んだことで迫石が外れ、ラットキンの上にどどどっと石レンガが降り注ぐ。爆発による即死を免れたラットキンも、崩れ落ちるレンガの雪崩を受けて悲鳴を上げた。
「しまった……。構造図を書き換える必要がありそうですね」
「それだけで済みゃいいけどな。ずらかるぞ!」
「…………」(くいっくいっ)
ウィンチを操作し終わったアルトが鉄はしごを使って降りようとしていると、ワッツがアルトに向かって手招きし、アーチの足元で両手を重ねていた。
先のことがあったから、彼に『ここに飛び降りろ』といっているのだろう。意を汲んだアルトは思い切って飛び降りる。ワッツは見事彼の体を受け止めると、地面に降りた彼に頷いて、先に隔壁の向こうへと行かせた。
「すみません。ワッツさん」
「…………」(ふるふる)
「隔壁が閉じるぞ! みんな急げ!」
鋼鉄の門が降りる音にまじり、トンネルの奥から地響きのような水音が聞こえてくる。水面が震え、波紋が泡になると闇の向こうから濁流がどっと押し寄せてきた。濁った水の激しい流れはリジョナリーごと爆弾で空いた横穴へ流れ出ていった。
ずん、と全面に赤サビの浮いた隔壁が落ちる。
一枚の鋼鉄の板で隔てられた先では、なおも水が流れていく音が続いていた。
「ふぅ……終わりましたね」
「そうね。なんとか……じゃないわよ! 何なのアイツら!」
「なんだ今さら」
「だって、ここはアインスブルク、帝国首都なのよ! なんで首都にあんなバケモノどもがひしめいてるの! そんな話、聞いたこと無いわ!」
「あぁそうだろうな。そして小娘。お前の反応がその答えだ」
「えっ?」
「夜な夜な人間をさらっては食い殺し、女は同族を作る孕み袋にする。そんな化け物の中の化け物のラットキンが街の地下に巣食っていて、土台から全てを蝕もうとしている。そんなことが知れたら、力も根性も無い上の連中がどんなパニックに見舞われるか。今のお前さんならわかるだろ?」
「それは……」
「ミリアさん。俺たち下水掃除人がラットキンと戦う一方で、上の人たちは何も知らない。でもこれはどうしても必要なことなんです」
「ちょっと待って! それじゃ貴方たちの名誉はどうなるのよ!」
ミリアの言葉に掃除人一同は首を傾げた。
何を言っているんだこいつは。そう言わんばかりの態度だった。
「貴方たちは上でバカにされて……いえ、それよりもっとひどい、ゴミ扱いされてるじゃない。なのにどうしてこんな命の危険を犯して戦い続けてるの!」
「ラットキンどもをブチ殺したいからだ」
「細かいこと抜きにしたら、俺もエルガーと同じかなー?」
「…………」(こくり)
「ミリアさん。俺たちは同じ目的で集まってます。各々動機は違いますけど」
「……でも、それじゃあんまりじゃない」
「それ以上うだうだ話すつもりなら、お前を置いて先に行くぞ」
「エルガーさん。彼女だって……」
「ま、今話す内容じゃないよねー。ここで井戸端会議してたら、ラットキンがどんどん集まってくるだけだし?」
「…………」
ワッツは天井を指差した。
まずは地上に戻ってからだ。ということだろう。
「はぁ……わかったわよ。疑問は全部飲み込む。それでいいんでしょ?」
「あぁ。上で好きなだけ話しゃ良い。生き残れたらの話だがな」
一行は再び移動を開始した。
アルトの構造図によると、最後の隔壁はそう遠くない。
脱出はもうすぐのはずだ。
「それでアルト。次はどーすんの?」
「次を開けたらエレベーターです。つまり、フィナーレですね」
「フィナーレ?」
聞き直すミリアにアルトは頷いた。
「エレベーターは破壊を防ぐため、連中の手が届かない場所に上げてあります。つまり、エレベーターの前で到着を待ち続けないといけない。当然。ラットキンがこれを見逃すはずがない。連中にとっても最後のチャンスですから」
「なるほどね……あなた達の生活って、いつもこんな感じなの?」
「はい。こんな感じです」
「以前はもっと楽だったんだがな。こっちは減って、あっちは増える一方だ」
トンネルの向こうに最後の隔壁が見えてきた。
これまでのものと構造はまったく同じ。しかし見た目がまるで違った。
赤錆の浮いた鋼鉄版が大きくへこみ、いまにも弾け飛びそうになっている。まるで向こう側から破城槌のような強力な兵器で叩かれたようだ。
「おい、どうなってる――ッ!!」
エルガーの声に応えるかのように隔壁が何かによって叩かれた。へし曲がる表面。歪みに耐えきれず、隔壁の素材を接合しているリベットが弾け飛ぶ。勢いよく鉄板が外れ、宙を飛んだ。
< ガン! ガラッ! ガランッ!! >
サビた鋼板が手裏剣のように回転してトンネルの床に突き刺さる。
鉄板が外れ落ちた穴から、隔壁の向こうにいる〝それ〟がこちらを見た。
一言で言えば、風船のように膨れ上がった筋肉の塊だ。とんでもない巨体に、ラットキンの面影を残す三角形の頭部が申し訳程度に付いている。筋肉質な肉体には鉄板が直接杭のような釘で留められており、膿で汚れた包帯が体の各所に巻かれている。
怪物は不自然にねじ曲がった奇形の四肢と巨体を使い、まるでチョコレートか何かのように、残った隔壁の鋼板をバキバキと押し倒していく。
「ガルガンテイル……マジかよ。もう爆弾は使い切っちまったぞ」
「みんな目を伏せて!!」
ラットキャッチャーたちが目の前に怪物に放心するなか、ミリアだけが動いた。
彼女は「無知」ゆえに目の前の怪物に恐怖すれど絶望はしなかったのだ。
彼女は手に光術の光球を作り出すと、その光を通常の何倍にも強めて怪物の顔に投げつけた。目眩ましを受けたガルガンテイルは、その巨体に似合わないチュウという可愛らしい悲鳴をあげてたたらを踏んだ。
「みんなエレベーターに走って!! 早く!!」
ガルガンテイルくんはL4Dのタンク枠です。