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第5話 炎と恐怖の香り

「アルト。お前が脱出のプランを立てろ」


「えっ、俺ですか?」


「当たり前だ。お前以外に誰ができる。他の者ならいくらでも戦働(いくさばたら)きができるが、〝戦争〟のやり方を知ってるのはお前だけだ。」


「エルガーって、普段アルトに当たり強いくせに、けっこー認めてるよねー」


「やかましい」


「ワッツさん、担架を任せていいですか? 手を空けておきたいので」


「…………」(こくり)


 アルトが横にいたハルバードを持ったラットキャッチャー尋ねると、彼は何も言わず担架のハンドルを受け取った。先の戦いでも、上階の会議の時でも、彼は一言も声を発していない。彼が無口な理由はマスクの下方を見ればわかる。アゴがないのだ。


 彼の首筋から側頭部にかけて、生々しい手術痕がある。彼の特徴が生まれつきのものでないのは明らかだった。


 担架から離れ、手を自由に使えるようになったアルトは懐から地図を取り出した。


 彼が手に取り出した地図は何枚もの紙が重ねられ、紙と紙の間には色のついた糸が通されている。糸は色だけでなく太さも異なり、カラフルなビーズが通されている糸もあった。


 これはアルトが作り出した自作の構造図だ。


 それぞれの紙は平面として構造を表しており、糸はそれぞれのつながりを示している。赤は階段やトンネルといった物理的なつながり。緑、青、黄は、揚水機、隔壁、排気弁(ベント)といった下水の機能的なつながりだ。


 アルトは取り出した太陽石を口でくわえる。ぼんやりとした明かりのなか、アルトは猛烈な速さで地図をめくっていった。


(今いる場所は帝国第6期。ちょうど中層だ。ここから地上に戻るなら、最速のルートは上層に直結してる昇降機エレベーターを使うことだ。とはいえ……)


 プッと石を吐き出すと、アルトは忌々しげにうめいた。


「ここから脱出するには、3つの隔壁を越えた先にあるエレベーターを使うのが最短ルートです。けどそれはラットキンもわかっている。全力で妨害してくるはずです」


「ならどうする?」


「そうですね……。ラットキンは人間の指揮官より慎重で頭が良いです。勝てる時に攻め、負けるときには一気に引ける決断力があります。そうした素早い選択ができるのは、彼らの情報収集能力がとんでもなく優秀だからです」


「下水にいるネズミちゃんはみんな連中の仲間だからねー」


「はい。そのとおりです」


 アインスドルフの街の隅と下水道の間では、無数のネズミ共がちょこまかとうろつきまわっている。


 そうしたネズミの全てがラットキンの目であり、耳であり、鼻だった。どうやっているのかは不明だが、ラットキンはネズミたちを優秀な偵察員として用いている。


 不可解な奇襲の前後には、かならずどこかにネズミの影がある。壁の穴、天井裏、扉のすきま。そうした場所からもれ出る声を聞き、人々の考えをつまびらかにしながら、ラットキンたちは襲撃の機会をうかがっていた。


「ラットキンは情報を集めずに動くことはしません。普段はネズミたちを使いますが、それが出来ないなら、必ず少数部隊で偵察隊を出して、それから動きます」


「つまり……どーいうこと?」


「主力で攻撃をしかけるまで、わずかな時間差がある。これを利用します」


「情報収集している間に脱出するわけか。で、どうやって?」


「3つある隔壁を利用します。これを見てください。3つある隔壁で排他的にルートを遮断して主力と衝突するまでの時間を稼ぐんです。次にこれを――」


 そういって3人に地図を見せ、指を指してやることを説明するアルト。

 だが、ラットキャッチャーたちは首を傾げるばかりだった。


「急に説明されても全然わからんぞ」


「わかんにゃーい」


「……とにかくラットキンを倒してください。仕掛けの操作は俺がしますから」


「…………」(こくり)


「とにかく殺せか。シンプルでいい」


「わ、脳筋。ほんとーに錬金術師?」


「だった、だ。何度も言わすな」


 ミリアを運びながら、一行は進む。すると急に天井が高くなってきた。

 さらに進むと、トンネルを塞ぐ鋼鉄の隔壁の前にたどり着いた。


 隔壁は3メートルほどの高さがあり、幅は2メートルほどだ。荷馬車がギリギリ通れるかどうかといった大きさだろう。


 隔壁は分厚い鉄板をリベットで結合して一枚の板にしてある。表面はすっかり赤錆びが浮いており、下水道の天井から流れ落ちる水滴が鋼板の上を通り、筋状の跡をいくつも残していた。


「クソッ、水密壁は閉じたままか」


「開閉装置は……上のあれか」


 隔壁を見上げると、鉄門の上部にアーチがあり、そこに金属製の鎖を巻き取った巻き上げ機があった。巻き上げ機から伸びる鎖はシフターを通して隔壁の上部にY字状につながっている。開閉装置と見て間違いないだろう。


「上に登ってウィンチを起動してきます。援護してください」


「わかった」


 アルトは隔壁の横にあったメンテナンス用の鉄はしごを使って、アーチの中によじのぼった。多少鎖にサビが浮いているが十分使えそうだ。


 ウィンチを起動して隔壁を持ち上げるには、鎖の固定を解除して鎖を巻き取る必要がある。それにはウィンチの反対側にある巨大な重りを地面に落とせばいい。


 19世紀まで巨大な扉の開閉装置はこういった重しや人力を使った巻き上げ機に頼っていた。しかし、これらの装置にはささいな欠点があった。それは――


(これを起動すると、下水道全体に響くとんでもない音がでるんだよな……)


 そう、音だ。

 地上で使うぶんには騒音はさほど問題とならない。

 しかし下水道においては問題しかない。

 ラットキンに自分たちの居場所を教えるようなものだからだ。


(でも今回はこれで良い。ヤツらを集めればそれだけ脱出の成功率が上がる。)


「ウィンチを起動します。重りから離れてください!」


 アルトは仲間に向かって叫んだ後、全体重をかけてウィンチのレバーを押した。

 隔壁の左右にあった一対の砂袋を留めていたロックが外れ、鎖がまきとられていく。騒々しくも重々しい金属音が下水道の中に響いた。


< ギャリギャリギャリギャリ!!! >


「さて、来るぞ……」


 アルトの耳に、奴らが押し寄せてくる音が聞こえてきた。

 キーキーとわめく、ラットマンの鳴き声だ。

 隔壁の上がる音を聞きつけた者から順に、隔壁に殺到して来ているのだろう。


「本当にこれでいいんだろうな!」


「はい! 隔壁が上がるまで下を守ってください!


「簡単にいってくれちゃうねー」


 下に残った3人の下水掃除人(ラットキャッチャー)はそれぞれの武器を構えてラットキンの攻撃を待ち構える。


 盾と剣をもったエドガーが前に出て、ハルバードを持ったワッツがその後ろに立つ。そして、銃をもったジャックは二人の間に立った。


 たった3人で作った陣形は、上から見ると実に心もとない。だが、隔壁の周りは通路が漏斗(ろうと)状に(せば)まっている。3人でも十分に側面をカバーできるだろう。


(まず来るのは……やはり奴隷からか。)


 まずやってきたのは、腰巻きだけを身に着けた奴隷階級のラットキンだ。


 下水道に住むラットキンには厳格な階級制度があり、基本的に上の階級のラットキンほど装備が強力で致命的になる。人間でいうところの騎士や貴族階級にあたるラットキンなら、板金鎧(プレートアーマー)を身に着けていることも珍しくない。


 奴隷のラットキンは最下層の階級であり、装備は悲惨そのものだ。

 鎧は基本的に身につけておらず腰巻きか全裸。

 武器はそこらで拾った棒やレンガといったありさまだ。


 しかし装備が貧弱だといって、決して侮ることは出来ない。汚れた毛皮は天然の革鎧であり、遠矢を弾く。鋭い前歯で噛みつけば、鎖鎧(チェインメイル)を突き通すことだってできる。


 また彼らの唾液と血液は不潔であり、疫病のもとになる。彼らに傷をつけられた場合、適切な処置をしなければ危険な感染症にかかる確率が高い。


 奴隷といっても全く侮ることが出来ない。それがラットキンというものなのだ。


「アイヤイヤイヤー!」「ブチブチコロコロ!!!」


 キーキー鳴きわめきながら殺到してくるラットキン。

 黒山のネズミだかりに向かって、ジャックが持っている銃を構えた。


 彼が手にしている銃は、一般的な長銃とも、アルトのブランダーバスとも違った。


 一本の鉄の棒を取り囲むように5本の銃身が束ねられ、束ねた銃身のちょうど中心あたりから、後方に向かって木製のストックが突き出している。


 これは「ペッパーボックス」とも呼ばれる多銃身銃(マルチバレルガン)だ。


 銃身の数が増える=射撃回数が増える=火力の増強

 という、実に素朴な発想によって帝国砲兵工廠で作られた。


 しかし実際に作ってみた結果、通常の銃より何倍も重く、装填にもやたらと時間のかかる銃が出来上がってしまった。


 当然、正式採用とは相ならず、砲兵工廠の倉庫でながらく埃を被っていた。


 いつしか員数外となり、リストから消去され廃棄が決定。表に存在しない武器を必要とする下水掃除人(ラットキャッチャー)たちの武器倉庫に入った。


 なぜこの銃が使われなかったかというと、用途がなかったからだ。


 戦争で銃を撃つことになった時を考えてほしい。

 集団と集団のぶつかり合い。

 普通、一度に5本の銃身が必要となることはそうそう無い。

 それなら普通の銃でいい。


 無数の敵が現れ、一気に囲まれる戦場。

 そんな場所なら活躍できるかも知れないが――


< バパパパパン!! >


 一度に5本の銃身が吠え、火炎を吐き出して眼前の十数体のラットキンが血しぶきをあげて打ち倒される。鉄片を撒き散らす鋼鉄の嵐がしゃにむに前進する奴隷たちを真正面から襲ったのだ。


 毛皮に覆われた腕が吹き飛び宙を舞い、膝を割られたラットキンの顔面が弾ける。

 たちまちのうちに、トンネルにラットキンの死体の山が築き上げられた。


「うーん! 黒色火薬の香りってサイコー! 炎と恐怖の香り(フラム・ヴィ・プール)って感じ」


「えらく物騒なブランドの香水だな」


 奴隷たちの波はまだ続く。死体を乗り越え、さらにラットキンが迫ってくる。


「あらあら、紳士淑女の皆さんのアンコールに答えましてーっと」


 ジャックは白煙をあげる銃身を取り外し、バッグの中から新しい銃身を取り出して取り替えた。多銃身になると装填に非常に時間がかかる。その解決方法として、銃身を丸ごと交換するという手段をとっているのだ。


 ジャックは交換した銃身に手をつくと、手でつかんで回転させる。カタカタと音を立てて回ったまま引き金を引くと、銃身が順々に火を吹いてジャックの前方に鉛玉の壁を作り上げた。


 狭いトンネルでこんなことをされたら避けようがない。

 奴隷たちの最初の波はたったの2斉射で押し返されてしまった。


 まばらにやって来る者もまだいるが、ワッツのハルバードで喉を突かれるか、エルガーのシールドバッシュで膝を砕かれた後に首をはねられた。


「鎧着てなけりゃこんなもんか」


「隔壁が上がりました。先に進んでください!」


 鋼鉄の板は完全に上がりきっていないが、人が通れるだけの隙間はある。

 下水掃除人たちはミリアの乗った担架を通し、鋼板の下をくぐった。


 ラットキンの奴隷たちはなおも殺到してくる。

 アルトは全員が通ったのを確認し、ウィンチのレバーを逆向きに倒した。


 すると地面に向かって下がっていた左右の重りが今度は上がっていき、隔壁が下がっていく。アルトは鉄はしごを降り、隔壁が降りきる前に床に腹ばいになると、床と隔壁の間にすべり込んだ。


「――ッ!!」


 だがその時、アルトは追いかけてきた奴隷に右足をつかまれてしまった。

 もう一方の足で顔を蹴るが、ラットキンは手を離そうとしない。


「クソッ、どけってのに!」


 必死で引き剥がそうとするが、ラットキンは汚らわしい前歯を突きたてようとする。アルトはそいつの顔面にブランダーバスの銃床を叩きこむ。これでラットキンの汚らわしい腕の力が弱まった。


「まずい!」


 いつのまにか自分の体と鉄板の間の距離があと数センチになっていた。ラットキンをどかすのに手間取ったせいだ。両手を使って這い進んでも間に合いそうにない。このままでは鉄板に挟まれて体を両断されてしまう。


「…………!」


 あと数ミリという危ういところで、ワッツがハルバードのフックをアルトのコートに引っ掛けるのが間に合った。固く冷たい地面に引きずられながらも、なんとか断頭台から逃れることができた。


 なおも突進を続けていラットキンたちは大重量の隔壁によってギロチンを受ける形になった。幸運なものは頭を押しつぶされ、そうでないものは手足をもぎ取られた。


< ズン……! >


 隔壁が完全に閉まった。鋼鉄の向こうからは、手足を挟まれたラットマンのキーキーという痛々しげな声が聞こえる。すると奴隷たちの絶叫と共に、湿った咀嚼音が聞こえてきた。ラットキンが動けなくなった奴隷を相手に共食いを始めたのだ。


 奴隷のラットキンたちは十分な食事を与えられていない。

 肉と血に対する渇望を与え、攻撃性を高めるために常に飢餓状態にあるのだ。


 隔壁の下からじんわりと赤黒い血が染み出してくる。もしワッツの救出が間に合わなければ、アルトも染みの一部となっていたのは間違いない。


「あ、あぶなかった……」


「ワッツに感謝しとけよ」


「は、はい。ありがとうございました」


「…………」


 ワッツは首を横にふる。気にするなということだろう。


「次はどうするのー?」


「この隔壁は排他的……。つまり、一方が閉まったら、もう一方が開くようになってるんです。それを利用して、安全地帯を作って移動します」


「今通った隔壁の他に空いてる場所があるってこと?」


「はい。この隔壁は元々、水路の流れを調整するためにあるものですから」


「なーるほど。全部閉めると水の行き場がなくなるから、一方が開くようになってるってことねー」


「封鎖と一緒に移動できるルートが変わる。だから連中は開け閉めのたびに偵察を出す必要があるってわけか」


「そのとおりです。先を急ぎましょう」




ワッツ、セリフ無いけどいぶし銀な予感…

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