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第3話 地下にあるもの

 ミリアの叫びも空しく、彼女の体はひたすら暗渠(あんきょ)に向かって滑り落ちていった。エルフである彼女は人間と比べて夜目がきく。月のない新月の夜。星の明かりだけを頼りに森を駆け抜けたことだって一度や二度ではない。


 だが、地下に広がっていたのは完全な闇。方位を見失い、自分の体すら闇の中に溶けて消えてしまっているのではないか。そう錯覚するほどだった。


(うわっ?! ……とと!!)


 スロープが終わったのだろう。彼女の体は急に支えを失って前に投げ出され、じめった石床の上に思いっきり体を叩きつけられた。


「ぎょ、ふんがーっ!!」


 床の上をゴロゴロと転がり、鼻声の混じった悲鳴をあげるエルフ。

 まるでカエルを絞ったような小汚い声だ。とてもうら若き女性とは思えない。


「いったー……どこよここ?」


 彼女の問いは闇の中で反響し、いずかに消えていく。

 ミリアが落ちた場所は、かなり広い場所のようだ。


「…………」


 闇の中に体を沈めていると、根源的な恐怖が彼女の心臓に触れてくる。彼女が今触れている闇は、夜、明かりを消して寝ようとした時に現れる闇とは全く違う。


 ベッドの中とちがって、彼女は見知らぬ場所にいるのだから。


 何も知らない場所で何も見えない。自分がどこにいるのかすらわからない。

 もし、人が虚無にふれる時があるとしたら、今をおいて他にない。

 

 暗闇の中で自分と自分以外の他のものを隔てるものは、頭の中の声だけだ。何も考えずに黙っていると、自分の存在まで消えてしまったかのような気がしてくる。


(……仕方ない、か。)


 どこまでも続く闇の中に、ほんのりと優しい光を放つ光の玉が現れた。

 ミリアが光術を使って明かりを作ったのだ。


「こうなっちゃえばもう、身を隠したって意味がないわね」


 アルトを追いかけ始めてからずっと使い続けていた光術を解くため、ミリアは指を弾く。すると彼女のシルエットが震え始める。光の理を曲げ、周囲の光を呑み込んでいたケープから偽りの色彩が完全に抜けると、彼女はガクッと肩を落とした。


「これじゃ臭色(くさいろ)だわ。もう捨てるしかないかも」


 ケープが元に戻ると、黒と黄土色の世にも名状しがたい物体が(すそ)にへばりついていた。最初に転んだ弾みでこうなったのだろう。


 振り回して泥を払い落としても、ずしりと来る水分と臭気までは払えない。

 いつも涼しげだったエルフの横顔が、深い絶望に染まった。


「最っ高ね。ああもう……っ!!」


 何かを察したのか、ミリアの左耳がぴくりと動く。

 直後、彼女は片膝をついて背後に振り返り、機械弓を横にして構えた。

 ヤスリをかけてツヤ消しをした矢じりが闇の中を狙う――


(……何かいる。光球を出したのはマズッたか!)


 矢羽根から手を離す前に、ミリアは前方に向かって光球をなげる。

 明かりを自分の近くに置いたままだと、狙ってくださいと言わんばかりだからだ。


 逆に相手に投げつければ、こちらからは相手が見えるが、相手からは見えない。

 暗闇に包まれた地下の戦いならば、ただの牽制以上の意味があるはずだ。


「…………ネズミ?」


「チュチュ!」


 光球が照らした石床の上には一匹のネズミがいた。灰色の毛並みをして子猫ほどの大きさがあるドブネズミは光球に驚いたのか、光から飛び出して闇の中に飛び込んでいく。ミリアはそれっきりネズミの姿を見失ってしまった。


「ふぅ、びっくりさせないでよ。でも、ネズミがいるってことは、この辺りに息が詰まるような場所はないってことよね」


 光球をひきもどし、機械弓からつがえた矢をおろす。相手はただのネズミだったが、それでも残心は忘れずエルフは周囲に耳を澄ました。


「……声? 人の声だ。――こんな下水の地下に?」


 彼女の耳に痛みにうめくような、かすかな人の声が聞こえてくる。それもかなり小さく、暗闇の中でなければ聞き逃してしまいそうな本当にわずかな声だ。


(パパ……。パパ……。助けて)


 助けを求めるような声を聞き取ったミリアは、目を見開いて闇を見据える。

 針の落ちる音でも消えてしまう本当に小さな声だが、確かに聞こえた。


下水掃除人(ラットキャッチャー)? まって、これ……女の人だ。おかしいわ。地下に降りた8人のうち、女性はいなかったはずよ」


 フクロウを象ったガスマスク越しとはいえ、全員の声を聞いている。

 ラットキャッチャーでないとすれば、この声は誰のものなのか。


「人さらい……。アルト君が戦ってるギャングに捕まった人たちかしら?」


 どの街でも人さらいの噂には事欠かない。アインスブルクでもそれは同じだ。

 人さらいは一種の〝産業〟として存在している。


 盗賊騎士が身代金目当てに行う決闘(フェーデ)と奴隷の売買を禁じた「平和令」が出ている帝国においても、未だ人が奴隷として売買されることが少なくない。


 塩鉱山の坑夫やガレーの漕ぎ手となる奴隷はいつでも募集中だ。

 安定した買い手がいるなら、売り手だって常に存在できる。


 しかし問題は、「どこに在庫を置くか」だ。人間だから臭いもするし、汚物の処理だって必要だ。常識的に考えれば、奴隷の存在を秘密にしておくことは難しい。


 だが、最初から臭くて、汚物の処理もする必要がなくて、人目がない場所があればどうだろう? もしそんな場所があればの話だが。


「……奴隷を集めた時に起きる問題は下水道ならすべて解決する。人さらいを生業にするギャングがここにアジトを作って困らせてるわけね」


 ミリアは腕を組み、何かを考え込むような仕草でうなる。

 これまでに得た情報を集め、頭の中で並べているのだろう。


(点と点がつながってきたわ。きっと筋書きはこう。星銀貨は奴隷の支払いに支払われ、それがひょんなことでアルト君の手に渡った。前々からギャングの足跡を追っていたマスターはアジトの手がかりとして調査を指示、ってところかしら)


 自身の名推理(?)に確信を得たミリアは、足取りも確かに音のする方へと歩いていった。ネズミの糞や汚泥、ゴミを避けながらトンネルを進む。


 下水道は古い遺跡と一体になっているようだ。下水道には不必要なはずの草模様のレリーフや装飾の入った建材がたびたび目に入る。どれも長い歳月によって損傷しており、ヒビに入り込んだカビによってバラバラになりかけていた。かつて偉大だった帝国を物語る記憶も、いまや風化して消えかかっているようだ。


(女の人の声はここから聞こえるわね……)


 声は下水のパイプがいくつも並ぶ、何かの施設の奥から聞こえてくる。


 足元には石材をつなげて作られた巨大な汚水(ます)があり、貯まった黒い水の底は全く見えない。


 だが、幸い溝の間には古い木材を使って作られた簡素な橋があった。


 ミリアは光球が照らす足場を頼りに橋の上を進んでいく。木板はひどく古いもので、足を乗せるたびに石とこすれてきしみ、耳ざわりな音をあげた。


(とんでもないところに拠点を作ったものね。よほど身軽さに自信があるのか、それともマトモな大工がいなかったのか……どっちもかな)


 橋をわたった先には、これまた寄せ集めの木材を使って作られた扉があった。

 不揃いな木板を無理やり金属のタガでまとめたものだ。

 扉というより、バリケードと言ったほうが正しい形容かも知れない。


(カギやかんぬきはかかってないか。不用心ね)


 ミリアはスクラップ同然のドアを押し開け、中に入った。床に足を置くと、湿ってぬるぬるとする石床の上が何かの粘液で覆われていることに気がついた。


(うっ、これは――)


 部屋の中は腐敗の悪臭と化学物質の酸っぱい匂いが混じり合っている。壁にはいくつかの古いランタンがあり、ちらちらと弱々しい光を部屋の中央に投げかけていた。


 部屋の中には所狭しと何に使うかわからない機械が並んでいる。ポンプが付いたもの、滑車がついたもの、フラスコと銅製の釜がついたもの。ほとんどはガラクタ同士をくっつけたような具合だ。


 部屋の中心は一段高くなっており、かつては白い大理石の祭壇だったようだが、今や黒ずんだ赤茶色の染みと、黄緑色の汚らわしい胆汁に覆われている。


 そして、祭壇の上には――おぞましく変異した人間のようなものが座っていた。


 その体は下半身だけがニ倍ほどにふくれあがっており、皮膚の下で何かが(うごめ)いている。緑がかった灰色に腐敗した肉体には無数の化膿した傷があり、呼吸するかのように動いていた。


 黒く変色した傷からは、黄緑色の粘り気のある液体が流れ出ている。おそらく、石床の上を覆っている粘液と同じものだろう。


「これは……人間なの?」


 悪臭に耐えかねたミリアが鼻と口を押さえながらうめく。すると目の前の肉塊が、音に反応するようにずるっと動いた。


「パパ、パパァ……だず、げてぇ!」


 コポコポと泡が混じったような音混じりに奇妙なうわ言を叫ぶ。彼女は口の中に何か管のようなものを押し込まれている。泡音はそれのせいだ。


 彼女の頭は膿と脂でぐしゃぐしゃに固まっているが、金髪なのがかろうじて見て取れる。汚物で固まった髪の毛の間に金の(くし)が刺さっているところから察するに、元は女性の人間だったようだ。


 ミリアが探していた女性の声。その正体はこれだった。


「………ウソ。こんなことって」


 想像すらしていなかった存在を目にしたミリアは、体を強張らせて動けずにいる。

 あまりにも非現実的な光景を前に、圧倒されてしまったようだ。


「ア、アアアアアアイィィ!!!」


 突如として肉塊に変異した女が叫んだ。口に繋がれた管の先にあった機械が蛇腹のふいごを激しく上下に動かし、何かをポンプで送り込んでいる。


 同時に祭壇を取り囲むように置かれていた機械がバチバチと音を立て、雷を発した。放たれた稲妻は壁にあたって弾け、光の粒を撒き散らす。


「ちょ、こんどは何!?」


 騒音と光で正気を取り戻したミリアだったが、正体不明の機械を相手にできることは無い。弓に矢をつがえ、次に起きることを待つしかなかった。


「ウゥゥ!!!! アァアァァ!!!」


 ギィギィ、バチバチと機械が騒音のオーケストラを奏でるなか、悲痛な絶叫とともに湿ったべちゃりという音をたてて、何かが床の上に落ちた。


 海に打ち上げられたクラゲにも見える、ゼリー状の膜に包まれた真っ赤な肉塊だ。


「チチチ、チチチ!」


 地面に落ちた肉塊は、全身を波打つように蠕動(ぜんどう)させ、連続した舌打ちのような音をたてる。歯の間から空気が抜けるような音は、聞きようによってはネズミの鳴き声にも聞こえた。


 身悶えし、ゼンマイ仕掛けのおもちゃのようにくるくると回る肉塊。

 突然地面を滑り出したかと思うと、ミリアの横を通りすぎて出口へと向かった。


 彼女は反射的に弓を引き、肉塊に向かって矢を放つ。地面をすべる肉塊を貫かんと飛翔する矢は、肉塊を地面に縫い付ける寸前で闇の中から飛んできた何かによって矢柄を半ばから断ち切られた。


「!?」


 カツン、と音を立てて転がる矢柄。肉塊は嬉しげに扉をくぐり抜けようとしたが、毛だらけの手に掴まれ、ぐっと持ち上げられた。


 ゼリー状の肉塊を持ち上げたのは、人間ほどの大きさもあるネズミだった。大きく背中を曲げ、人間の隠者のように墨色のローブに身を包んでいる。


 そのあり得ざる生き物は、身動ぎする肉をすするように飲み込んだ。


「ウマイ! でも……シッパイ!」


 湿った恐ろしい咀嚼音の後、げっぷをする異形の隠者。

 ミリアはハッとなる。部屋の中に新たな気配が増えていることに気がついたのだ。


 機械と機械の間から、ローブを着たネズミ人間が何体も現れる。

 彼らは布から突き出した口先をせわしなく動かしながら、何かの議題を話し合う。


「ニンゲン、本当に使えナイ。毛皮ナイから? 血冷えて、脳みそフニャフニャ」


「血を抜いて温める、戻ス。ドウカ?」


「ニンゲンの心臓はポンプ。フイゴは肺。同じの作る? できるカモカモ?」


「ネズミの怪物……? あなた達がこれをやったの!?」


 ミリアはネズミの隠者たちに向かって怒声をぶつけるが、異形は気にもとめない。

 ちらりと鼻先を向け、すぐに戻した。

 彼女に興味を失ったのかと思ったが、そうではなさそうだ。


「エルフ初めて。ドウスル?」


「ニク? それとも袋にスル?」


「ニンゲンの代わりに袋スル。ドウカ?」


「名案! カベウチ! カベウチ! アイデア!」


「アマニ油にアルコホル。アヘン」


「すった銀モ!」


「魔法使い魔法にかける難しい。あてこすりにドワーフの脂使うドウカ?」


「名案! サイヨウ!!」


「なんなのコイツら。さっきから人のこと無視して……」


 人の言葉を話しているが、彼らの精神性は明らかに異常だ。

 会話の内容から察するまでもない。


 弓をひくのも忘れ、後ずさるミリア。

 するとガチン、と音がして、彼女の首に金属の輪がはめられた。


 彼女はいつの間にか黒い革の頭巾を被ったネズミ人間に囲まれており、金属の輪はそのネズミが持っている刺股(さすまた)の先についているものだった。


「……っ!!」


 逃れようとする彼女だったが、金属の輪の内側には先の(にぶ)いトゲが邪魔をする。鉄の輪は、捕らえたものに致命的なケガをさせず、それでいて最大限の苦痛を与えるように作られていた。


「ショウドク! ショウドク!」


 ミリアは頭から猛烈な冷たさを感じる液体をぶっかけられる。猛烈な刺激臭にゲホゲホと咳き込むが、それと同時に目の焦点が合わなくなっていた。


 ネズミ人間が使った液体は、消毒液と麻酔を兼ねているようだ。

 酔っ払いのようにふらつく彼女だったが、黒頭巾のネズミがマリオネットを操作するように器用に引っ張りあって彼女を前に歩かせた。


「ジャマジャマ! ドケテ!」


「パァ~パァ……! パーパァ……!」


 同じうわ言をいい続ける異形の肉塊をネズミ人間が数体がかりで鎖と滑車を使って祭壇の上から取り除いた。ネズミたちの動きは熟達している。変異した人間をこうして退けるのは、これが最初ではないのだろう。


「あー……」


 麻酔で呆けたミリアは胆汁と膿だらけの汚れた祭壇の上に寝かされる。

 墨色のローブを着たネズミたちは彼女の周りを騒々しく行き交い、赤茶けた大理石の上に拷問道具にも似た邪悪なシルエットの手術道具を並べていった。


「オペの準備、カンリョー!!」


「デハ、実験……カイシ!!」


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