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第12話 あっ、バカ!

 マスターはホールのテーブルでミリアとアルトを待っていた。

 テーブルの上では、小さな皮片が何本ものピンを使って広げられている。

 まるで昆虫採集の標本だ。打ちつけられているのは人皮のメモだが。


「ラットキンのヤツら、ずいぶん頭が回るようになったものだ」


「マスター、メモの内容は何だったんです?」


「このメモの届け先はアインスブルクの都市評議会だ。ヤツらは議員に銀貨を送りつけ、街の中心にある『集合換気塔』の取り壊しを求めているようだ」


「なっ――!」


「やれやれだ。ラットキャッチャーがネズミに毒を盛られるとはな」


 マスターの低い呟きが、テーブルの上に置かれていたロウソクの炎を揺らす。

 人皮のメモに書かれていた暗号の内容は彼らにとって衝撃的なものだった。ラットキン――下水に潜むネズミ人間が、アインスブルクの都市評議会に銀貨を送りつけ、街の中心にある「集合換気塔」の取り壊しを求めているという。


「集合換気塔ってなんなの?」


「簡単に言やぁ、オレたちの命綱だな」


「エルガーの言う通りだ。集合換気塔はラットキャッチャーにとっての命綱だ。地下に空気を送り込み、毒ガスの滞留を防いでいる。塔が失われれば、残るのは窒息死か、ラットキンの前歯に引き裂かれるかの二択だ。君も地下で見たはずだ」


「エレベータに乗ろうとした時、黄緑色のガスを送り込んできたアレのこと?」


「そうだ。より正確に言えば、送り込んだのではなく吸い込んでいたのだがな」


「でも、地下がガスだらけになったら、ラットキンだって困るんじゃないの?」


「君も連中の不自然な肉体や変異を見ただろう。自分たちの肺を毒耐性のあるものに作り変えていたとしても、なんら不思議ではない」


「それに可燃性ガスで地下が充満すれば、火薬を使った銃や爆弾といった武器も使えなくなります。ラットキンも多少のデメリットには目をつむるでしょう」


「そういうことだな。集合換気塔がなくなれば地上への足がかりができる」


「じゃあ、止めないと!」


「ヘッ、どうやって止めるつもりだ?」


「それはもちろん、評議員が賄賂を受け取った証拠を――」


「小娘、忘れてねぇか?」


「え?」


「ミリアさん。表向き、ラットキンは存在しないんです」


「あ……」


「左様。有り得ざらなる者から受け取ったなど、(そし)りにも成らぬ」


 ヴェスが鼻を鳴らす。ムッとなったミリアがあらためて彼の顔を見ると、彼女はマスクの下で目を見開いた。今さら気がついたが、ヴェスのマスクは他の者に比べてクチバシの部分が長く、マズルのようになっている。そしてフクロウを象ったマスクの間からも黒いつややかな毛皮が覗いていた。


(この人……もしかして、人じゃない?)


 ヴェスをじーっと見上げるミリア。その視線に気づいたのか、ヴェスは顔を動かさずに黒目がちな瞳を彼女に向けた。


何可(なにか)?」


「い、いえ……」


「訝しげに思うも、さもありなん。されどラットキャッチャーはネズミ捕りにあって、その座を人の身と定めるにあらず。そなたのようにな」


「そりゃそうだけど……」


 人のことを言えた身ではない。自分の長い耳をいじくりまわすミリア。

 おほん、とマスターがわざとらしく咳払をする。

 彼はすこし脇にいってしまった話を、元あった場所に引きもどした。


「表向き、〝ラットキンは存在しない〟とされている。都市評議会の連中がどれだけ腐敗していても、存在しない者から受けた賄賂(ワイロ)を理由に告発はできん」


「八方ふさがりってやつー?」


「さてさて、どうするかな」


 マスターは顎をなで、鋭い目つきでメモを見つめる。しかし、ガラス板の向こうに浮かんでいるのは、諦めではなく、挑むような笑みだった。


「よし、潜入作戦といこう。担当はアルト、ヴェス、そしてミリアだ。

 やってくれるか?」


 マスターの声に、アルトとヴェスは無言で頷いた。

 ミリアも当然、といった風に腰に手を当てて胸を反らした。


「潜入なら私でしょうね。で、何をしたらいいの?」


「作戦の概要はこうだ。ミリアの魔法を使い、都市評議会の議事堂に潜入する。そしてラットキンを装った偽の命令書を置いてくる。内容は『換気塔の取り壊しを中止して、急ぎ証拠を破棄しろ』だ。これで議員共の動きを混乱させ、時間を稼ぐ」


「証拠の破棄って、それいいのー?」


「あぁ。後ろめたい者には効く言葉だからな。議員に不審な動きがあれば、それをもとに賄賂を送られた議員をあぶり出せる」


「なるほど……。マスター、実行はいつです?」


「今すぐだ。書類は用意してある。議会の見取り図はこれだ。わかっていると思うが、今回の相手はラットキンじゃない。戦闘は厳禁だぞ」


「ずいぶんせっかちね。それに用意も早い。いや、素早すぎるわ」


「以前から評議員の関与は疑われていた。上からも証拠を掴み次第〝対応〟しろとせっつかれていたものでね」


「ならそういうことにしておきましょう。それならマスクはともかく、コートの必要はないわよね。こんな鉄のマントを羽織ってちゃ屋根には登れないわ」


「なら倉庫にあるラットキンのローブを使うといいだろう。仮に姿を見られたとしても、逆に効果的な欺瞞になる」


「わかったわ。洗濯してあればいいんだけど」


「残念ながら、酔っぱらいが潜り込んだ犬小屋よりもひどい匂いだ」


「だと思った」




 夜の帳がおりきった頃、アインスブルクの議事堂の敷地内にある下水溝の蓋がゆっくりと動く。


 誰も手を触れていないのに、分厚い鉄の蓋がゆっくりと傾き、石の床に触れて「ごとん」と、音を立てる。すると蓋は開いたときと同じように、誰の手も借りずひとりでに閉まった。


「――。」


 湿った空気がわずかに揺れ、静寂が再び支配する。

 だが、その暗闇の中で何かが動いている。闇に溶け込んでいたのは、光術で光の理を捻じ曲げ、姿を消したアルト、ミリア、そしてヴェスの3人だった。


 下水溝から這い出し、敷地内に足を踏み入れた瞬間、議事堂の姿が目に飛び込んでくる。黒いシルエットが夜空を切り抜いたようにそびえ立つその建物は、まるで巨獣が口を開けて待ち構えているかのようだ。


 月光すら届かない暗がりに浮かぶ輪郭は、昼間の威厳ある白大理石の姿を想像させない。ただの影の塊となっていた。


「いやに不気味ね」


「恐れは、まことに近づくゆえに生まれしものなり。人の心、自然の応なり」


「怖がるのは自然なことって言っても、怖いものは怖いわよ」


 ミリアの囁きがアルトの耳元をかすめる。彼女の声は小さく、でもどこか震えを抑えた響きがあった。アルトは頷く代わりに粗末なローブの裾を振った。


「幸い、マスターの見取り図のおかげで見張りの場所は想像つきます」


「さすがに見張りは人間よね?」


「ですよ。ラットキンとちがって背中を突き刺すわけにはいきません」


「厄介ね。だから私たちなんでしょうけど」


「左様。マスターの信に応えねば」


 3人は姿を隠したまま、壁に沿って移動を始めて侵入口を探す。議事堂の窓枠から漏れる微かな灯りが、彼らの頭上で揺れている。


 息を殺して進む彼らの耳に、衛兵の足音が聞こえる。音が遠ざかるのを確認し、姿を毛したミリアが窓枠を越える。次にアルトが乗り越え、背後を警戒していたヴェスが最後に窓枠に手をかけた。


 議事堂の中に入ると、幸いなことに廊下のタイルの上に絨毯が敷かれていた。

 これなら慎重に歩くことで足音を殺せる。

 ミリアは先頭に立ち、忍び足で目的の場所である議事堂の書庫に向かった。


「ここです」


 アルトの囁きにミリアが頷く。彼女は真っ赤なイチイの扉に手を触れると、そっとノブを回して半分だけ開けた。そして手のひらの上に光術で鏡を出した彼女は、光の屈折を部屋の中に走らせて、入口にいながら部屋の中を探った。


「……クリア。誰もいない」


「よし。」


 アルトは書庫に入り、できるだけ目立ちそうな場所を探す。すると彼の目に書類閲覧用の書き物机が目に入った。彼はラットキンから回収した短剣を取り出すと、偽造した指令書の入った短剣をどん、と机の上に突き刺した。


 短剣の中には「計画変更」を指示するメモが入っている。どうしてマスターがラットキンの文字を使いこなせるのか、疑問は尽きないが、為すべきことはやった。


「こんな物があれば、間違いなく評議員の誰かの手に届くわよね」


「そうですね。保安の責任者なら必ず報告するでしょう。となると――衛兵も買収されているんでしょう。疫病のような奴らだ」


「急がず、休まず進めばいずれ――長居無用。」


「そうね。さっさと出ましょう」


 3人は入ってきたときと同じく、夜の風となって議事堂を後にした。

 地下でラットキンのローブを脱ぎ捨て、人のいない地上に上がった3人は、拠点への帰路を急ぐ。そうして帰り道、街外れの路地を抜ける瞬間だった。


「――いたぞ! 魔女だ!」


 鋭い木笛(ホイッスル)の音が夜闇を切り裂く。


 凍りついたかのように動けずにいると、黒い帽子にコートを纏った男たちが、まるで影から湧き出るようにミリアを取り囲んだ。


 黒い高帽子に、黒コート。黒尽くめの衣装の下には、聖句を書き記した聖書の1ページが縫い付けられた聖別された革鎧が見える。


 この特徴的な装備は他でもない。

 賞金狙いで魔女狩りを生業とするウィッチハンターだ。


 魔女狩りの一人がミリアからマスクを剥ぎ取り、彼女の顔をしげしげと見る。


「金髪の短い髪に青色の瞳のエルフ。間違いない。コイツだ!」


「何のことよ! あんたたち――」


 ミリアの叫びは途中で途切れ、彼女の腕が鎖で縛られる。アルトとヴェスが動こうとするが、マスターの言葉が脳裏をよぎる。「戦闘は厳禁だぞ」と。


 ウィッチハンターたちは彼らに目もくれない。

 取り囲んだ彼女の前に年嵩(としかさ)のウィッチハンターが立つ。彼は儀式めいた仰々しい身振りでもって、一枚の羊皮紙を取り出した。


 男は、蜜蝋の押された薄黄色の皮紙の上下を両手で支える。

 そして、芝居がかった奇妙なしわがれた声を張り上げた。


「魔女ミリア。今からお前の行状を記した訴状を読み上げ~る。

 神の御前と思い~、心して聞くがいい~」


「何もしてないっつってんでしょ」


「被告人ミリアは、魔法のかかった銀貨を支払いに用い、アインスドルフ4番街の酒場の主、エルンスト・ベッケンシュタインに被害を与えた。汝がかけた邪悪な魔法により、彼の酒場は灰と化し、偽りの銀貨も露と消えた!」


「はぁ? 何言ってるのよ! 払った銀貨は間違いなく第一帝政時代の銀貨よ!」


「偽りを吐くか、魔女め! 貴様のいう銀貨など何処にもない! そして、善良なるエルンストの店は、お前の魔法によって跡形もなく吹き飛んだのであ~る!!」


「そんな魔法があってたまるもんですか! 店を吹き飛ばすぐらいの魔法が使えるんなら、冒険者なんかしてないわよ! 魔法なんか、しーりーまーせーんー!」


「えぇい、(らち)が明かん。申し開きは法廷で聞く。連れて行け!」


「待て!」


「ん~? 何だお前は」


「彼女の仲間です。彼女は確かに魔法が使えます。でも、店を吹き飛ばすなんて、そんな威力のある魔法を使ったところは見たことがありません」


「あっ、バカッ」


 思わず口が出たミリアが顔を覆う。ヴェスも諦めたように顔を左右に振った。


「魔女の従者か」


「へ?」


「よーし、コイツも連れて行け!! 者ども鎖を持て!!」


「えぇぇぇっ?!」


「あーあ、言っちゃった……。私は〝魔法なんか使えない〟〝魔法なんか知らない〟って言ってたでしょ。……私が魔法を隠してた理由、わかった?」


「……はい。ごめんなさい」


「縛り上げろ!! この魔女と手下どもめ!!」


「魔ー女! 魔ー女!」


 鎖を持ったウィッチハンターが小躍りしながら3人を縛り上げる。

 そのどこか楽しげな様子が、ミリアには腹立たしかった。


(智を友に疑いは育つ。然し、現実はさにあらず、か。)


 3人分の鎖の音が夜の街を通る。

 ヴェスが闇の中で呟いたその言葉は、誰にも届かないまま夜に溶けた。



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