第10話 パックラット
「どうも」
ミリアはマスターに手を差し出す。彼もそれに応え、力強く握り返した。
マスターの手は硬い。指揮官の手というよりも戦士のそれだ。彼女にはそれが好ましく思えた。少なくとも彼は後ろで指図するだけの人間ではない。
「歓迎会を開きたいところだが事態は急を要する。アルト、調査の結果は?」
「あっ、はい! では皆さんホールにどうぞ」
8人は汚れた衣服もそのままにホールへ移動する。細い窓から差す数条の光は暁色に染まり、午後も薄暮に近づいていた。
ホールにつくとテーブルには地下の構造図が広げられたままになっていた。
地下に降りたときと同じだ。
アルトとジャックはテーブルに駆け寄ると、天板の下の引き出しから大きなクロスを取り出した。二人は協力してクロスの端と端をもって、テーブルの上の構造図に布をかけると、そのまま絨毯のようにくるりと丸めた。
(なるほど。地下の構造図はそれぞれバラバラの地図を並べてるから、ああやって位置関係を保存してるのね。苦労してるなぁ……)
「準備できました。これが地下で見つかったものです」
そういってアルトは収穫品をテーブルの上に広げた。美しく揃った木目が走る赤茶色の滑らかなテーブルの上に並べられたのは、実にとりとめのない物たちだった。
銀貨、石板、指輪、短剣。
銀貨はともかく、残りのものはどうみてもガラクタだ。こんな物のために地下で命を危険さらしたのか。テーブルの上を見た者は、そう思わずにはいられないだろう。ミリアも多分に漏れず眉をひそめ、表情を陰らせる。
だがラットキャッチャーたちは違った。皆真剣な眼差しをガラクタに向けている。どうやら彼らには見た目以上の意味があるらしい。
マスターは銀貨を爪で弾く。ちん、と涼しい音が鳴った。
「第一帝政時代の星銀貨か。やはり見つかったのだな」
「はい。ええと……」
アルトは自作の構造図を取り出すと、アコーディオンの蛇腹のように広がったうちの一枚を引っ張り出し、マスターに構造図の一点を指さして見せた。
「ここです。中層のここで発見しました」
「そのあたりだと遺構の年代は第6紀だったか。本来なら存在し得ない場所だ」
「ちょっと聞いていいかしら。そこで星銀貨見つかったことの何が重要なの?」
「新入りの君には説明がまだだったな。君はアインスブルクの地下下水道に入って、何か気づいた事がなかったかね?」
「え? そうね……古代の帝国の遺跡の上に立っているってことくらいしか……。あ、ちょっとまって、そういえば――」
ミリアはエレベーターで地上を目指していたときのことを思い出す。
鉄の籠から見た外の景色は変わり映えしないただの壁だったが、その材質は登るにつれて変化していた。最初は緻密な石レンガ。つぎから灰色のコンクリートに変わり、漆喰と切石を使った装飾の入った壁になり、最後は赤レンガになっていた。
「地上に近づくにつれ新しく……逆ね。地下に潜るほど古くなっている」
「そのとおりだ。エルフでありながら人間の歴史にも造詣が深いようだな」
「マスター。実はミリアさんは歴史学者でもあるんです」
「ほう」
「っても、休みの日限定だけどね。ってことはなるほど。本来発掘されるはずのないものが見つかったから大騒ぎってことか。でもどうして?」
ミリアはまだ疑問が解けていなかった。
本来そこにないはずのモノがある。たしかに奇妙なことには違いない。
だがそれが何を意味するのか。それが彼女にはわからなかったのだ。
「無いはずのものがあった。それの何が重要なのか、ということだな?」
「えぇ」
「質問に質問を返して恐縮だが……。皇帝が帝国を支配する正統性はどこにあると思う? もし君が古代帝国の皇帝で、1000年後に君の帝国が遺跡として掘り起こされたとしよう。そこで墓の中の君が『私こそ皇帝だ』と言い切るためには、何が必要だろうか?」
「本当に奇妙な例え話ね」
「あぁ、本当に奇妙だろう」
(……この人、マスターとかいってたけど、この考え方はそこらの傭兵や冒険者がするものじゃない。実は結構なインテリだったり? ま、考えてみましょうか)
「正統性のある支配には3種類あるわ。法による支配。カリスマによる支配。そして、伝統による支配。この3つよ」
ミリアは一本一本指を広げながら数える。
マスターはマスクの奥から彼女を見据え、その奥で笑ったように見えた。
「続けたまえ」
「法による支配は法律によって皇帝であると決められることね。でも実際の歴史を見ると、法律で決められた皇帝はお飾りで国の実権は他の人が握っていた。なんてことはよくあるわ。ぶっちゃけると今がそうよね?」
「……まぁ、そうだな。今の帝国にも皇帝はいるが、名ばかりだ。選帝侯がそれぞれに権力を握り、皇帝の力はそれほど強くはない」
「なので法律はナシ。次にカリスマによる支配だけど……当時の人たちがみんな骨になってたら、皇帝がどんな人だったかなんて聞けない。だからこれもナシ」
「妥当だな」
「残る伝統による支配は、歴史的な連続性を根拠にする支配よ。ようするに過去の偉大な時代や皇帝たち――帝国の象徴と自分を結びつけることで、『私こそ正統な後継者だ』と主張するわけ。遺物や遺跡がその証拠になるわ」
ミリアは銀貨を拾い上げ、顔の前まで持ち上げた。彼女が細い指の上で銀貨を転がすと、窓から入った光が星銀貨の青みがかった銀色の上でパッと弾けた。
「過去の栄光を引き継ぐ。それが歴史の連続性よ。となれば、第一帝政時代の遺構が帝国の象徴として利用されるのは自然な流れよね」
「ハッ、今となっちゃ廃墟を通り越して瓦礫の山だがな」
「十分よ。目に見えるものがありさえすれば。言葉だけじゃなく、物質的な証拠で裏付ける。過去の偉大な時代とのつながりは、民衆や敵対勢力を納得させる力を持つ」
「それって本当に正統性と言えるのー? 古い時代の建物を占領するだけで皇帝になれるなら、正統性とかナントカっていうより、ただの力技じゃない? 」
ジャックが口をはさんで茶化す。ところが彼女は怒ったり、まごついたりするどころか「我が意を得たり」と得意げな表情になった。
「その通りよ。単に象徴を占拠するだけじゃダメ。それを維持し、他者を排除する力も必要になる。正統性は主張するだけじゃなく、守り抜くことで初めて確立される。正統性の主張は、誰がそのイメージを独占できるかの戦いでもあるの」
「ラットキンにとっての皇帝のイメージはー、第一帝政時代の遺跡に座すること?」
「そう。これは今の皇帝陛下だって同じ。選帝侯の勅書をもって金冠を戴き、皇帝は玉座にあり。これも象徴、皇帝であることのイメージをめぐって、選帝侯は互いに競っているでしょ?」
「たしかにな。ま、実際は押し付け合っているというのが近いが」
「じゃあ、正統性って結局、力と戦略の産物ってことですか?」
「そ。伝統って言葉は綺麗だけど、中身は結構現実的よね」
「その通りだ、ミリアスフィールくん」
「ミリアでいいわ」
皮肉っぽく目を細めたミリアに対し、マスターもマスクの下で笑みを返した。
「伝統による支配は、歴史を利用した権力のゲームだ。第一帝政の遺跡を占拠することが正統性の根拠になるとしても、それを手に入れ、守り、認めさせるには、知恵と力が不可欠だ。それが正統性の本質だよ」
「結論。より古い遺跡にいるほど、皇帝としての正統性が強まる。」
「まさにラットキンもそう考えた」
「えぇ。おかげさまで何を言わんとしてるのか、だいたい見えてきたわ。ラットキンの皇帝は、第一帝政時代の廃墟を玉座にしている。皇帝を象徴する星銀貨は地の底を差配する彼の持ち物。それが上の階層で見つかったということは――」
「そうだ。ラットキンが本格的に地上を目指しているということだ」
ミリアが指の背でもてあそび、転がしていた銀貨が止まる。
テーブルに置く。りん、と澄んだ音が静まり返ったホールによく通った。窓から入り込んだ夕日が星銀貨に刻まれた初代皇帝の横顔を茜色に染めている。
その顔は鮮血に染まっているようにも見えた。
「なるほど。それは一大事ね」
「だろう? ちなみに援軍の予定はない。当座は我々だけで凌ぐ必要がある」
「貴方たちラットキャッチャーの雇い主に頼めないの?」
「信頼されてはいるが、証拠がないことには軍を動かすことはできないだろう」
「大した信頼だこと。このガラクタの山からネズミの皇帝の野心を見抜けと?」
「ヘッ、そういうことになるな。小娘には荷が重いか?」
「いいえ。やってみましょう」
からかってきたエルガーに獰猛な笑みを返すミリア。
彼女は銀貨をテーブルに戻し、石板を手に取った。
石板の右上には円で囲まれた印章が打たれ、その下に文字が刻まれている。
風化によって多少山の部分が削れてはいるが、読むことはできそうだ。
「ミリアさん。わかりますか?」
「……ちょっとまってね。暗い。光を。私の光球じゃ強すぎる」
「あっはい」
アルトが太陽石を取り出し、石板を照らす。
彼女は文字の上を指でなぞり、耳慣れない言葉を使って読み上げる。
「Sic Itur ad Astra Non Est ad Astra Mollis e Terris Via」
「なんていってんだ?」
「古代帝国の言葉だな。意味は?」
「――古代語で言えば、なんでも立派に聞こえる。」
肘を曲げて両手を広げるマスターにミリアは「冗談よ」と笑ってみせた。
「〝こうして我々は星に向かう、大地から星に至る道は平穏ではない〟かな」
「どういう意味でしょう……。ミリアさんに何か心当たりは?」
「さっぱりね。私が知ってるのは、第一帝政時代からずーっと文字の書き取り練習に使われていた成句ってだけ」
「そうですか……」
マスターは何か思いついたのか、テーブルの周りをそぞろ歩く。
「ふむ。ことわざ、あるいは警句の類か? 何かの隠喩だろうか」
「あるいは考えすぎか、だな。ネズミ共は何でも引っ張ってくるからな」
「私もエルガーに賛成。証拠とするにはありふれすぎてるわ」
ミリアは石板を元あった場所に戻し、指輪を手に取った。
指輪のリングの上には楕円状をした金の台座があり、ヒスイがはめられている。石には手足を広げる魚とも獣ともつかない怪物の彫刻が施されており、指の腹で石をさすってみると、心地よい感触が返ってきた。
「小さいな。子供用か?」
「いえ、これはシグネットリングですね」
「印章があるし間違いない。印章指輪だな」
「アルトくんとマスターの言う通りよ。この種の指輪は左手の小指につけるの。何かの売買契約だったり役所での手続きに使うものね。こういう感じに蝋を使って書類に捺印するのに使うの」
そういってミリアは小指にリングをはめて、リングの背でテーブルにハンコを押すようなジェスチャーをした。
「ラットマンが何者かと契約をしようとした、とも考えられるな」
「その可能性はあるわね。地上の人間と何か取引するとか?」
「……考えたくないことだが、あり得なくはない。短剣は?」
金属製の鞘に入った短剣を手にとったミリアは、鞘を持って短剣を引く。すこし引っかかりがあったものの、剣は問題なく抜ける。鞘の中から出てきた木の葉状の鋼鉄の刃は、つい昨日研がれたように鋭いままだった。
「これはプジオね。古代帝国の兵士が補助武器として使ってた短剣よ。柄の装飾は第ニ紀っぽいわね」
「地下で見るラットキンの短剣とは違いますね」
アルトの言う通り、短剣のスタイルはラットキンのそれと異なっていた。ラットキンが使うダガーは後ろ側に反った片刃で小刀ほどの長さがある。他方、彼女の手にある短剣は両刃で短く、鋭い切っ先を持っていた。
「柄の様式からすると……妙だわ。第ニ紀の短剣なら刃に茎子があるはず。でもこれはソケット状だわ。見て、柄にリベットが打ってある」
茎子とは、剣や包丁といった刃物の刀身から伸びる刃のついてない部分のことだ。大抵の刃物は茎子があり、長いほど柄によく固定できるので刃物としての性能が良くなる。
しかしミリアが手に取った短剣は茎子が無く、刃が終わった部分で鋲で柄に固定されていた。固定部分が短ければ壊れやすくなる。武器としては無理のある構造に見えた。
「本当だ。――って、ミリアさん、何してるんですか!!」
ミリアは短剣を持った手を大きく振りかぶる。周りのラットキャッチャーが驚いてのけぞって後ずさるのも構わず、彼女は短剣の「柄」をテーブルの端に叩きつけた。
< ガチャン! >
何かが壊れる音がして、柄の頭についていた丸い金属の飾りが外れる。すると柄頭が取れた柄が中空になっている。アルトは驚いて目を丸くした。
「やっぱりそうか。柄の中に隠しスペースを作るために、短剣の取り付け方を変えるしか無かったんだわ」
ミリアは柄をテーブルの上に乗せ、とんとん、と叩いて柄の中の物を取り出す。
すると出てきたのは、シワのよった黄色い皮の紙だ。羊皮紙には見えない。
「うげ……まさかこれって」
「人皮だな。貸してくれ」
「やだ!!! さわっちゃったんだけど!!!」
「やっかましいな。ラットキンの持ち物に石鹸の匂いがするもんなんてねぇぞ」
「それとこれとは話が違うわよ!!」
ギャーギャー騒ぐミリアにそれをからかうエルガーと、二人をなだめるアルト。
彼らを無視してマスターは人皮の小さなスクロールを指で広げる。するとスクロールの表面にはラットキンが使う特徴的な鈎文字が記されていた。
スクロールを見たマスターは興奮気味にミリアの背中を叩いた。
「……暗号文だな。よくやった!!」
「あたたっ! どうもです?」
「よーし、解読には少し時間がかかる。再呼集をかけるまでに全員シャワーを浴び、装備を整えて武器弾薬を補充しておけ。解散してよし!」
「はい!」
「それとミリアはアルトが世話をするように。新入りの世話は前の新入りがするのが習わしだ。頼んだぞ」
「わかりました。ミリアさん、どうぞこちらに」
「う、うん?」
ラットキャッチャーたちは、にわかに慌ただしく動き出した。ホールに集まってガラクタを前に押し黙っていたのがウソのようだ。エルガーもジャックも、急にミリアのことがわからなくなったように、急いでホールを出ていってしまった。
うってかわった雰囲気に戸惑いつつも、ミリアは自分よりずっと背の低い青年に手をひかれ、彼の背中を追いかけて行くしか無かった。
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次はお着替えパートからの探索パートになる予定…




