第1話 下水掃除人
青年アルトは下水掃除人を生業としている。
帝国首都にして1000年の歴史を持つ古都「アインスブルク」において、下水掃除人はなくてはならない職業だ。
上古の言葉で「第一の都市」を意味するだけあって、アインスブルクの水道設備は老朽化が進み、そこかしこが流れきらなかった汚穢で詰まっている。
下水掃除人は街に点在するマンホールから地下にもぐり、汚物を取り除いて家々に汚水が逆流するのを防ぎ、害虫やネズミが地上にあふれないように罠をしかける。
アインスブルクの日常生活を維持するのに欠かせない下水掃除人だが、彼らはその厳しい仕事に見合った尊敬を受けていなかった。
「俺の店から出ていけ、このクソ掘りが!!」
朝も夜も人のいないことのない、アインスブルクの目抜き通りに面した酒場の一角で、黄ばんだエプロンを身に着けた中年のシェフが胴間声を張り上げていた。
シェフの前には小柄なラットキャッチャーが倒れている。
彼は掃除人のトレードマークであるフクロウを象ったガスマスクを身に着け、黄色の革コートを身に着けていた。
地面に肘をついて上体を起こした掃除人は小さくうめき、起き上がれずにいた。
シェフはそんな彼にも容赦なく怒りを叩きつける。
「くせぇんだよ!! 敷居の内側には入ってくんなっていったろうがアルト!」
「……すみませんでした」
アルトと呼ばれたラットキャッチャーは何度も頭を下げる。
下水掃除人はその臭いもさることながら、病の源である害虫やネズミに触れることからアインスブルクの人々に忌み嫌われている。
ゴミ・汚物扱いされ、人々と同じ風呂屋や飲食店には入れない。市場で商品を売ってもらうことすらかなわない。
およそ人間扱いされない職業。
それがラットキャッチャーというものだった。
「あの、おじさん。みんなの分のメシを……」
「そこで待ってろ。そんで金出せ、金ッ!!」
「あっはい」
アルトは懐から何枚かの銀貨を取り出し、革手袋に包まれた手の上に乗せる。
だが必要な銀貨を数える前にシェフが全ての銀貨を素早くひったくった。
「俺の金……」
「なんだ、文句あンのか!!」
「……いえ」
フン、と鼻を鳴らしてシェフは酒場にもどっていく。すると酒場の中で、テーブルについていた野伏風の格好をした女冒険者が立ち上がった。
女冒険者は弓を体に通して持ち、矢筒を背負っている。フードのついた草色のクローク下には、綿布の服の上に細かく繋がれた鋼鉄の小札を並べた綿襖甲が見える。自分の鎧を持てる冒険者はそう多くない。それなりに経験を積んだ冒険者だろう。
フードを深く被った女は、シェフを呼び止めると不快な感情を隠さず問い詰める。
「ちょっとおじさん、今見せられたのは何なの?」
「えっ」
客の思わぬ反応に銀貨を握りしめてシェフはたじろぐ。
野伏の女はさらに続ける。
「あの人は普通にお店に入ろうとしただけじゃない。それを追い出してお金をふんだくるなんてひどいわ」
「さてはアンタ、ここら辺の冒険者じゃないね? ここいらじゃこれが普通だよ」
「あら。人を人とも思わないのがここいらのルールってこと?」
「そうじゃない。あいつらは下水掃除人だ。クソを触った手でジョッキや皿を使って、病気をまき散らされたくないんだ」
「……なるほどね。納得はしてないけど、理解はしたわ」
「そりゃどーも。連中が持ってくる銀貨の質は良いんだが、こう臭くっちゃ……」
シェフは高机に置いてある、酢の入ったボウルの中に銀貨を入れた。酢の中にはニンニクや各種ハーブと樟脳が混ぜられており、鼻をつく独特の香りを発していた。
下水掃除人が出入りする店では、こうしたボウルが必ず置かれている。ボウルの中に入っている液体は、盗人の酢と呼ばれる消毒液だ。
ある時、黒死病で亡くなった病人の墓を暴き、金品を盗んでいた4人の盗賊が捕まった。盗賊を捕まえた官吏は、なぜ彼らが黒死病にかからなかったのか不思議に思って問い詰めた。すると盗賊たちはこの酢のレシピを教える代わりに自分たちを放免しろと取引を持ちかけてきた。そうして伝えられたのがこの「盗賊の酢」だ。
酢の中を泳ぐ銀貨を見た女冒険者は、何かに気づいたように眉を傾けた。
(……これ、今から800年以上前の第一帝政時代の星銀貨じゃない! 今の銀貨の10倍以上の価値があるはずよ!)
今アインスブルクで流通している銀貨は第一帝政時代の星銀貨と比べると銀の量はわずかになっている。何度も改鋳が行われ。鉄や鉛をまぜられたからだ。
いまや遺跡でしか見つからなくなった高純度の星銀貨は貴重で、コレクターの間で高値で取引されている。シェフがこのことを知らないはずがない。
フードの下で目を見開いた女冒険者はシェフのほうを見る。が、彼が手にしているのは酒か何かの入った革袋ひとつと、干からびて石のようになったパンだけだった。現代の銀貨数十枚に匹敵する星銀貨の対価としてはあまりにもひどい。買い物というより詐欺というのが妥当だ。
(ぼったくりにもほどがあるわ……なんか腹たってきた)
「それじゃ足らないわよ。そうね――カウンターのチーズホールと、そこの壁にかかってるソーセージ、それと干し肉の吊るしもいただくわ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。なんでアンタが連中に肩入れするんだ」
「貴方たち、同じ人間でしょ。わかりきったことを言われて恥ずかしくないの?」
女冒険者は被っていた草色のフードを脱ぐ。すると女冒険者の顔を隠していた布の下からは、見るものの心に石を投げ込むような美しい顔と柔らかな金髪のショートボブ、そしてぴんと横に張り出した尖った耳が飛び出した。
「げっ、その耳は……エルフ!!」
「黒魔術でワインを酸っぱくされたくなかったら、大人しく渡しなさい。」
「わ、わかった。好きにしてくれ。エルフに魔法をかけられるよかマシだ」
「ありがとうおじさん。ところで……外で待ってる男の人、下水掃除人って言ったわよね。この街の地下で仕事してるってこと?」
「そりゃそうだろ。下水掃除人が地面の下に潜らなきゃ、どこで仕事するってんだ」
「なるほどね……。名前は? あ、おじさんじゃなくて掃除人の彼の」
「アルトだ。クソ堀りを頼むのか? エルフもクソするのはしらんかった」
「…………魔法、使うわよ?」
「ひっ!」
エルフの女はひとしきり脅すと、食べ物をどっさり持って店の外に出た。
店を追い出された下水掃除人を探すと、道向かいにしゃがみ込んで頭を抱え込んでいた。
マスクのデザインもあって、フクロウの子どもが泣いているようにも見える。
エルフの女性もその姿に気の毒なものを感じたのだろう。うんと頷くと、微笑みをつくって彼に歩み寄った。
「や、アルトくんでよかったかな? お店の人から食べ物もらってきたよ」
「えっ、そんなにたくさん……いいんですか?」
「もちろん。まぁ、お店の人がぜひにってわけじゃないけど」
エルフは一抱えほどもある食料をアルトの前におく。
その量たるや、しゃがみ込んでいる彼の目線の高さまであった。
「……よかった。これならみんなも腹いっぱいだ」
「最初はひどかったのよ。あの量の銀貨でパン一欠片と革袋1個分の飲み物ですませようとしたんだから。けど、魔法を使うって言って脅かしたらこの有り様よ」
「魔法、使えるんですか?」
「いや全然。エルフをみたらみんな黒魔法だーって騒ぐけど、私が使えるのは基礎の光術だけよ」
「光術……閃光で敵を貫く、みたいな?」
「まさか。1000年前のエルフならそんな魔法も使えたでしょうけど、私の使える光術なんて目くらましや物音を立てるくらいかなー」
「……」
「しょぼいって思ったでしょ」
「あ、いえ……その」
「そりゃ魔法はさっぱりだけど――っと、名前がまだだったね。私の名前はミリア、本当はミリアスフィールっていうんだけど、ミリアでいいわよ」
「アルトです。ただのアルト。あの、ありがとうございました」
「あ、ちょっとまって、アルトくんが店主に出した銀貨のことで聞きたいの」
「銀貨? あ……あれはその――拾ったんです。地下で」
アルトの「地下」という言葉を聞いて、ミリアの眉がわずかに動く。
何気ない一言だったが、それが彼女の琴線に触れたようだった。
「気づいてなかったかもしれないけど、君がお店の人に渡した銀貨は第一帝政時代の星銀貨だったの。それが地下の――」
「第一帝政時代?! そんなバカなッ!!」
とくとくと語る彼女の言葉をさえぎり、アルトは異様な反応を見せた。
手をしっかり握りしめて体を強張らせ、すこし荒くなった息はマスクにはまったガラスをくもらせている。その様子は歴史的発見に対する驚きというよりも、何かを恐れているかのようだ。
「ちょっと落ち着いて。えーっと……なんて言おうとしたんだっけ」
「す、すみません。ミリアさんって、歴史学者さんですか?」
「といっても休日限定の学者ね。ふだんは冒険者兼、傭兵みたいな? それでうん。話をもどして、君の案内でその銀貨が見つかった場所にいってみたいんだけど――」
「ダメです。地下には行かないほうがいい」
「恩人の頼みでも?」
「……感謝はしてます。ミリアさんが良い人だから来てほしくないんです」
「どうして? 多少の危険ならほら、ちゃんと武器もあるし」
ミリアは体に回していた弓を外して見せた。
ほんのすこしでもアルトが「うん」と言う材料を増やそうという魂胆だろう。
彼女の弓は滑車とワイヤーを追加して威力を強化した最新式だ。このような逸品を手にしていること自体が、彼女の腕前の非凡さを物語っている。
「これ……ドワーフの機械弓じゃないですか。エルフなのにいいんですか?」
「良くはないけど、教えの方だって守って死なれるよりも、破って生き延びてくれたほうが夢見がいいでしょ?」
(あー、この人、一人だけいい空気だけ吸ってるタイプか)
「え、何か言った?」
「いや何でもないです。エルフってもっとこう……お固いものかと」
「そんなこと無いわよ、ほら」
「そういう意味じゃないんでクネクネしないでください。はぁ……」
「ダメ?」
「ダメです。えっと、銀貨を独り占めしたいとかじゃないんです。ミリアさんはご存知ないかもですが、地下って本当に危ないんですよ」
「あら、ダンジョンと似たようなものじゃないの?」
「全然ちがいます。アインスブルクの地下はただでさえ迷路のようになってるのに、最近は老朽化が進んでて、何が起きるか僕らでもわからないんです」
「というと?」
「地下には空気の悪い場所がいたるところにあります。ただの悪臭とは違って、一歩でも足を踏み入れた瞬間に息が詰まって死んでしまうんです」
「ダンジョンにもそういう場所はあるわね。それくらい対処法は知ってるわ。火種を投げ込んで、それが消えたらその穴は危ないから入らないようにする!」
「アインスブルクの地下だとそれができないんです。糞尿や腐った食べ残しから出るガスは激しく燃えるので、火が使えないんです。もちろんガス抜きはしてますが、老朽化もあって完全じゃないです」
「う……ちょっとまって、火が使えないなら明かりはどうするの?」
「僕らはもっぱら太陽石を使います。昼間の間に外に出しておくと光を蓄えて暗いところでも照らしてくれるんです。ただ、1時間しか持ちません」
「え、1時間って。たったのそれだけ……?」
「これでも長くなったほうなんです。光を失えば足元の水も見えなくなる。それで足を滑らせて暗渠に流された仲間はたくさんいます。溝ならまだ助かる可能性がありますけど、パイプの中に落ちたら誰も助けられないです」
「あ、はいはーい! 私光術使える! ほら!」
ミリアは右手を天に向け、指先から光を放つ。
――が、ものの数秒で指先の光は消えてしまった。
「2秒くらいですかね」
「でもほら、何回も使えば!」
「ミリアさんの魔法って、1日に何回でも使えるものなんですか?」
「10回、いや、12回! ちょっと、目をそらさないでアルトくん!」
「少し厳しいことを言いますが……何も知らない素人を地下に入れたくないんです」
「ぐぬぬ」
「でも、ミリアさんが親切にしてくれたのは本当に、その、嬉しかったです」
「うん。どういたしまして。いや、そうじゃないわね。ごめん! 私もちょっと軽率だったわ。君を利用しようとしたことを謝らなくっちゃ」
「いえ、気にしてないんで大丈夫です」
気まずい沈黙が流れる。
両者ともにいたたまれない気持ちになっているのは明らかだ。
ミリアは手遊びをして、アルトはとくに意味もないのにガスマスクをさわる。
永遠に続くとも思える気まずさ。
これを先に破ったのは、ある決心を抱いたアルトの方だった。
「あの、ミリアさんがよかったらなんですけど、また買い物をお願いしたりなんてのは……ムリですか?」
「あ、そういうの? 全然オッケー!! 今度見つけたら声かけてよ」
サムズアップをしてショートボブの金髪を揺らすミリア。
快い返事にアルトは安堵とは別の意味をもっていそうなため息を漏らす。
ミリアはさわやかな表情で手を差し出す。アルトはためらいがちにそれ握り、二人は握手をかわした。もの好きなエルフは酒場の中へ消え、若い下水掃除人は足取りも軽く静かな小路へ足を進めた。
両手いっぱい荷物を抱えたアルト。その背中をじっと見つめる者がいた。
その者は光術を用いて周囲の光を偏光し、羽織ったケープの色を周囲のレンガや石壁の景色と一体化させていた。よほど注意力のあるものが「そこに何かがいる」と教えられてようやく見つけ出せるほどの巧妙な偽装だ。
潜行者はフードの下から覗かせた形の良い唇を邪悪な笑みの形に歪ませ、ひとりごこちる。
「……ゲヘヘ、あの子、私が完全に諦めたと思ってるわ! さーて、どこに向かうのか確かめてやらなくちゃ!」
本作は、別作『剣と魔法とサテライトキャノン』で使う予定だったプロットの再利用です。ストーリーの進行上、ねじ込めなくなったので単品で分離しました。
公募用の弾も兼ねているので、完結まで10万字程度を見込んでいます。
よろしかったら評価のほどよろしくお願いいたしします!