↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「秋刀魚火事」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2024/09/05


落語声劇「秋刀魚火事(さんまかじ)」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約40分


必要演者数:5名

      (0:0:5)

      (5:0:0)【性別準拠人数比率】

      (4:1:0)

      (3:2:0)

      (2:3:0)

      (1:4:0)

      (0:5:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物



旦那(だんな):油屋(あぶらや)の旦那(だんな)。あまりにケチなため、長屋(ながや)の連中からは”しわい屋(や)”

   と陰口をたたかれている。奉公人(ほうこうにん)にだけでなく、

   自身も全てにおいてケチる徹底(てってい)ぶり。


番頭(ばんとう):しわい屋(や)こと、油屋(あぶらや)に奉公(ほうこう)する番頭(ばんとう)さん。

   主人の旦那(だんな)に感化(かんか)されてか、長屋(ながや)の連中を利用したり騙(だま)したりして

   店の利益になるような事をする為、長屋(ながや)の住人たちからは忌(い)み嫌わ

   れている。


大家(おおや):しわい屋(や)の土地に立っている長屋(ながや)の管理を任されている大家(おおや)さん。

   本来なら地主(じぬし)であるしわい屋(や)には逆らえないのだが、やはり普段の

   態度には思うところがあるらしく、長屋(ながや)の皆に知恵を貸す。


八公(はちこう):長屋(ながや)に住む住人その壱(いち)。

   日頃(ひごろ)のしわい屋(や)の横暴(おうぼう)に堪(た)えかね、大家(おおや)の知恵を借りるべくその元

   を訪ねる。


留公(とめこう):長屋(ながや)に住む住人その弐(に)。

   日頃(ひごろ)のしわい屋(や)の横暴(おうぼう)に堪(た)えかね、大家(おおや)の知恵を借りるべくその元

   を訪ねる。威勢(いせい)のいいお調子者。


熊公:長屋(ながや)に住む住人その参(さん)。

   日頃(ひごろ)のしわい屋(や)の横暴(おうぼう)に堪(た)えかね、大家(おおや)の知恵を借りるべくその元

   を訪ねる。長屋(ながや)いち立派な声の持ち主。


語り:雰囲気を大事に。


●配役例


旦那:

番頭・枕:

八公:

留公・語り:

熊公:


※:枕は1セリフのみです。



枕:世の中には吝嗇家(りんしょくか)という類(たぐい)の人間が一定数(いっていすう)おります。

  ちょっと難しい言い方しましたが、いわゆるケチということですな。

  洗濯するのに洗剤を規定量(きていりょう)入れなくったって綺麗(きれい)に洗われるから少な

  くても良い、

  大病(たいびょう)患(わずら)って病院に担(かつ)ぎ込まれようかっていう時に

  治療費がかかるから病院にはかからない…そんなことしたらお金より

  先に命が無くなっちゃいますけどね。

  命あっての物種(ものだね)、死んで花実(はなみ)が咲くものか、とはよく言ったもので。

  先ほどケチの事を吝嗇(りんしょく)と言いましたが、実は他の言い方に「しわい」

  という言葉があります。ケチ、しみったれ、せこいなど、他の言葉が

  台頭(たいとう)した昨今(さっこん)、使われなくなって久しい言葉ではあります。

  昭和の頃の作家、山岡荘八(やまおかそうはち)氏著作「徳川家康」において家康

  の事を指(さ)して「しわいお人(ひと)だ」という表現が使われていたりします。

  家康公はケチで有名でしたからね。

  ふんどしは薄黄(うすき)色のものに限る、汚れが目立ちにくいから、なんて話

  も…ほんとかどうかは分かりませんけどね。

  生涯粗食(しょうがいそしょく)を貫(つらぬ)き、普段の食事は麦飯(むぎめし)に豆味噌(まめみそ)、タカ狩(が)りなどで仕留(しと)め

  た鶴(つる)や野鴨(のがも)等の動物性たんぱく質、旬(しゅん)の野菜の味噌汁だったという話

  は良く知られていますけども。

  そんな倹約家(けんやくか)、傍(はた)から見ればケチともとれる家康公を遥(はる)かにしのぐ人

  も、世の中にはいるもので。


旦那:番頭(ばんとう)さん、番頭(ばんとう)さんいるかね?


番頭:これは旦那(だんな)様、何か御用(ごよう)でしょうか?


旦那:ああ番頭(ばんとう)さん、

   ちょいとね、裏長屋(うらながや)の大工(だいく)から金槌(かなづち)を借りてきてくれるかい。

   ほら、ここに折(お)れっ釘(くぎ)が出てるだろう。


番頭:あ、確かに…ここは店の者が良く通りますから、危ないですな。


旦那:そうだよ、このままだといつか誰か蹴(け)つまずいて、

   怪我(けが)するかもしれない。

   まぁ怪我(けが)ぐらいだったらね、唾(つば)をつけておけば治るけど、

   うっかり足袋(たび)でも引っ掛けてかぎ裂(ざ)きにでもなったら、

   これはえらい損害(そんがい)になるからね。

   だからちょいと金槌(かなづち)を借りて来て、打ち込んでくれるかい。


番頭:承知しました。

   すぐに小僧(こぞう)を行かせます。


   【二拍】


   旦那(だんな)様、よろしいでしょうか。


旦那:おや番頭(ばんとう)さん、どうした?

   折(お)れっ釘(くぎ)は始末したかい?


番頭:それが、あのあと小僧(こぞう)を借りに行かせたのですが、

   貸してくれませんでした。


旦那:え、貸してくれなかった?


番頭:はい、小僧(こぞう)が金槌(かなづち)を貸してくれと頼んだところ、


熊公:折(お)れっ釘(くぎ)?

   金(かね)の釘(くぎ)かい、それとも竹の釘(くぎ)を打つのかい?


番頭:って聞き返して来たそうで、

   金(かね)の釘(くぎ)ですからね、そう答えたら


熊公:金槌(かなづち)も金(かね)、釘(くぎ)も金(かね)だ。

   金(かね)と金(かね)がぶつかり合って金槌(かなづち)が減(へ)っちまう。

   だから貸せねえな。


番頭:と言われたそうで。


旦那:金槌(かなづち)が減(へ)るから?

   なんだってしみったれた事を言うね。

   なら借りるんじゃない、そんなとこから。

   うちのを出して使いなさい。


語り:どっちがケチだか分からない。

   とまぁ、こういった人間が騒動(そうどう)を巻き起こしたりするというとこか

   ら、話の幕(まく)が持ち上がろうというわけで。


八公:大家(おおや)さん、こんちわー。


大家:はいはい。

   おや、長屋(ながや)の衆(しゅう)、大勢(おおぜい)そろって来たね。

   どうしたんだい?


八公:実はちょいと、今日は大家(おおや)さんの知恵を借りたいと思いまして。


大家:知恵?

   貸すほどの知恵はないんだけれどもね、

   大家(おおや)と言えば親も同然、店子(たなこ)と言えば子も同然だ。

   その親の家に来て子が遠慮するなんてことはない。

   さ、立ち話もなんだから上がっておくれ。


八公:へい。

   じゃ、大家(おおや)さん、お邪魔します。


【以下、八公(はちこう)・留公(とめこう)・熊公(くまこう)・大家(おおや)がそれぞれ他の長屋(ながや)のメンツの挨拶(あいさつ)を

 カバーしてください。】


大家役:こんちわー。


八公役:ちわーす。


留公役:こんちゃーす。


熊公訳:ちーっす。


大家役:どうもー。


八公役:まいどー。


留公役:ちゃおー。


熊公役:はろー。


大家:…いま何人か別の国の人いなかったかい?

   それにしても大勢(おおぜい)来たね…長屋(ながや)18軒、全員じゃないか。

   よっぽどのことだね。

   あーどんどん入んな、あーちょっと、もうちょっと奥へ詰(つ)めてあげ

   ておくれ、後が入れないから。


   【二拍】


   みんな入り切ったかい?

   それで、いったいこれは何の騒ぎだね?


八公:じゃあ、今月の月番(つきばん)のあっしから…。

   話ってのは他(ほか)じゃねえんです。

   表(おもて)のしわい屋(や)の件ですよ。


大家:しわい屋?

   表(おもて)のってえと…油屋(あぶらや)さんかい?


八公:ええ、あっしらの間でそう呼んでるんでさ。

   あんまりにケチなもんでね。


大家:確かに、この辺(あた)り一帯(いったい)の地主(じぬし)だって言うのにケチな事で有名だから

   ね。

   なるほど、しわい屋(や)か。

   じゃああたしもそう呼ぼうかね。

   それで、そのしわい屋(や)さんがどうしたんだい?


八公:あっしはね、どうしても勘弁(かんべん)ならねえってことが持ちあがりまして

   ね。

   愚痴(ぐち)になるんですが聞いて下せえ。

   かれこれ一昨年(おととし)だったかな、ずいぶん前ですけど。

   この長屋(ながや)連中でもって花見ってのもなんだから、

   潮干狩(しおひが)りに行こうってことになりましてね。


大家:おお、そりゃあずいぶん昔の事だ。

   そういえばそんなことがあったね。

   ハマグリを獲(と)りに行ったんだったな。


八公:そうなんですよ。

   日本中のハマグリをみんなこの長屋(ながや)で獲(と)っちまったんじゃないか

   ってくらい沢山(たくさん)獲(と)れまして。

   みんな大喜びで浜鍋(はまなべ)にする、浜汁(はまつゆ)にする、

   中には焼きハマグリで一杯(いっぱい)吞(の)む奴はいる。

   さて存分にハマグリを楽しんだけど、殻(から)までは食えねえ。


大家:そらぁ当たり前だ。

   ニワトリじゃないからね。

   貝殻(かいがら)までは食べられない。


八公:で、その貝殻(かいがら)をそこら辺(へん)の長屋(ながや)の路地(ろじ)にね、

   うっちゃっておいたんですよ。

   そしたらしわい屋(や)の番頭(ばんとう)がやって来ましてね。


番頭:こんなとこにこんなもの捨てて、危ないじゃないか!

   転んで怪我(けが)でもしたらどうするんだ。

   こういうものはね、うちでついでの時に捨てといてあげるから、

   うちの裏口まで持ってきておくれ。


八公:って言われたんで。

   まあ言ってる事はもっともだし、長屋(ながや)にも子供はいますよ。

   危ねえと思ったからね、皆で綺麗(きれい)に集めて箱の中に入れて、

   あのしわい屋(や)の裏口んとこに置いといた。

   路地(ろじ)も綺麗(きれい)に片付いたし、長屋(ながや)もすっきりしていい心持(こころも)ちだなあと

   思ってたら、その年の暮れですよ。

   寒くなってきたんでしわい屋(や)にね、ヒビ・あかぎれの膏薬(こうやく)っての買いに行っ

   たんで。

   長屋(ながや)の連中だって手がひび割れたり、あかぎれが切れる奴いますからね。

   

番頭:おや、いらっしゃいませ。

   膏薬(こうやく)をお求めで?


八公:ああ、一つもらおうかい。


番頭:毎度(まいど)様で。

   いやあ、容(い)れ物だけでなくて膏薬(こうやく)まで買っていただけるとは…。


八公:??

   とりあえず、ひとつくれ。


   でね、買って帰ってよくよく見たら、膏薬(こうやく)はハマグリの貝殻(かいがら)に入っ

   てるんですよ。

   じっと眺(なが)めてたら、何か見た事がある。


大家:なんだね、見た事があるって。


八公:あれですよ、あっしらが潮干狩(しおひが)りで集めて捨ててたのを怒られて、

   しわい屋(や)んとこへ持って行った、その貝殻(かいがら)を使ってるんですよ。

   いや、使うのはかまわねえんですけどね、

   てめぇんとこの金儲(かねもう)けに使うものをですよ、長屋(ながや)の連中に小言(こごと)を

   言ってわざわざ持ってこさせるってなぁね、

   癪(しゃく)にさわるじゃありませんか。


大家:まぁまぁ、確かに癪(しゃく)にさわるけどずいぶん昔の事だろう?

   いちいちそんな事で腹を立ててたら、こっちの身が持たないよ。


留公:まぁそれはいいんですよ。


大家:いや、いいのかい…。

   次は留(とめ)さんかね?


留公:ええ、こいつはたしか去年だったと思うんですけどもね。

   長屋(ながや)の子供連中がしわい屋(や)の塀(へい)に落書きしてたってことがありやし

   て。

   それで番頭(ばんとう)が怒鳴(どな)り込んできたんですよ。


番頭:店の塀(へい)に落書きさせないでもらいたい。

   汚れて困るじゃないか!


留公:ってんでね、こっちが悪いもんだから平謝(ひらあやま)りした。

   で、謝(あやま)ってたらね、


番頭:まったく…そんなに落書きがしたいんだったら、

   子供を集めてうちの庭に連れてきなさい。

   落書きをするのにちょうどいい石があるから、

   それに落書きなさい。


留公:って言うから、子供をみんな集めてしわい屋(や)の庭に連れてったら、

   白くて大きな、まったいらな石があるんだ。


番頭:これなら落書きしても良い。


留公:って言われたんで、子供たちを置いて帰ったんでさ。

   こっからは子供らに後で聞いたんですけど、

   落書きを始めたはいいが、何しろ白い石ですからね。

   蝋石(ろうせき)や白墨(はくぼく)で描(か)いたんじゃ何を描(か)いてるか分かりゃしない。

   そしたら番頭(ばんとう)が、


番頭:坊やのうちに炭の欠片(かけら)があるだろう。

   あれを持ってきて描(か)いてごらん。

   絵で字でも面白(おもしろ)いように描(か)けるから。


留公:子供らは落書きがしてえもんだからね、

   てんでに家に帰って炭の欠片(かけら)を持ち寄って、

   中には大きな塊(かたまり)を持ってった子供もいるってんです。

   んで、さっきの石に描(か)いてみたら、そら炭は黒いですからね、

   いろいろ描(か)けるってんで面白(おもしろ)いってなってたら、

   番頭(ばんとう)が中からまた出てきて、


番頭:坊やたち、ちょっと表(おもて)に行って遊んでおいで。

   おじさんここで用事があるから。

   ああ、炭なんか持ってて着物を汚してもいけないから、

   おじさんが預(あず)かっといてあげよう。


留公:って、持ってきた箱の中に炭を入れさせて、

   子供らを表(おもて)へ出したんだそうで。

   しばらく表(おもて)で遊んでたけど、また落書きがしてえやってんで庭の

   様子(ようす)を見に行ったら番頭(ばんとう)がいない。

   じゃあいいだろって入ってきたら、さっき集められた炭がどこにあ

   るのか分からない。

   しょうがないってんでまた家へ帰って炭を持ち寄って、

   落書きが始まるとそこへ番頭(ばんとう)が出てきて、


番頭:しばらく表(おもて)へ行っといで、炭は預(あず)かっといてあげるから。


留公:こんなことを何度も何度もやってね、2、3日たった。

   すると長屋(ながや)じゅうから、炭の欠片(かけら)が一つ残らず消えちまった。

   そりゃもう、きれーいに無くなっちまった。

   それにひきかえ、しわい屋(や)の物置(ものおき)には炭俵(すみだわら)が三俵(さんぴょう)も増えたってんで

   すよ。

   こんなバカな話はねェ。

   癪(しゃく)にさわりますよこいつァ。


大家:確かにそうだね。

   まあ言っちゃなんだが、あれだけ物持(ものも)ちの家が、

   我われ貧乏長屋(びんぼうながや)の連中にそんな事をするとなると、

   それは癪(しゃく)にさわる話だな。


熊公:ええそらもう、こんな癪(しゃく)にさわる話ァないんですわ。

   けどまぁ、これはいいんです。


大家:何だ、それもいいのか。

   次は熊(くま)さんかい?


熊公:へっ、次はあっしの話を聞いてくだせえ。

   まあね、さっきの炭の話くらいだったら勘弁(かんべん)できたんでさ。

   けどつい10日ほど前にね、どうにも勘弁(かんべん)ならねえ事が持ち上がり

   やして。

   例の番頭(ばんとう)が家へ来たんでさ。

   あいつが長屋(ながや)に来るとね、ろくなことはねえと思って身構(みがま)えてたん

   だ。

   すると今度は向こうが頭ァ下げてね、


番頭:実は長屋(ながや)の皆さんにお願いがあります。

   うちのお嬢(じょう)様が、裏の空き地にかんざしを落としたんです。

   金張(きんば)りで珊瑚(さんご)の五分玉(ごぶだま)がついてる、とても高価なものでして。

   こちらでも探したんですが、なかなか見つからない。

   どうか皆さんで探してくれませんか。

   見つけた人には莫大(ばくだい)なお礼をさし上げますから。


大家:ほう、しわい屋(や)さんにしてはずいぶんと大きく出たね。


留公:ええ、莫大(ばくだい)なお礼って言葉がね、長屋(ながや)全員の胸にドーンと響(ひび)きやし

   た。

   みんな我先(われさき)にと駆(か)け出して行ってね、裏の空き地についた。

   そしたら夏の間(あいだ)ほったらかしだったもんだから草が生(は)え放題(ほうだい)、

   首のあたりまでうわーっと丈高(たけたか)く生(は)えてやがる。

   こりゃあかんざしどころじゃねえ、

   漬物樽(つけものだる)が落っこってたってわからないような有様(ありさま)だ。


大家:そりゃあ、そのくらいぼうぼうに生えてたらね。

   それで、どうしたんだい。


熊公:皆(みな)てんでに入って闇雲(やみくも)に探したけど、埒(らち)があかねえ。

   そしたら誰かがね、この草が無けりゃいいのになって言ったんだ。

   それだーってんで、そっからみんなで草むしりが始まった。

   時間はかかるし骨も折れたけど、人数が揃(そろ)ってるから草は綺麗(きれい)に

   無くなった。

   けどやっぱりかんざしは見あたらねえ。


大家:じゃあ、それより前に、誰かに拾(ひろ)われちまったのかい?


熊公:そう、そうだと思ってたんだ。その時は。

   だからね、こんだけ探したけど見つからねえ、あいすみませんって

   こっちの方も頭を下げた。

   やれやれ骨折(ほねお)り損(ぞん)のくたびれ儲(もう)けだったなぁと思ってたら、

   その次の日の朝ですよ。

   しわい屋(や)の裏を通りかかったら、あそこの旦那(だんな)が番頭(ばんとう)をほめてたん

   だ。


旦那:番頭(ばんとう)さん、大(た)したもんだ。

   裏の空き地を綺麗(きれい)にするには、だいぶ費用がかかると思っていた。

   けど番頭(ばんとう)さんの知恵で、上手(うま)いこと長屋(ながや)の連中を騙(だま)して草むしりさ

   せる事ができた。いや大(たい)したもんだ。

   しかし、長屋(ながや)の連中も間抜(まぬ)けだね。

   あんな所にかんざし落とすわけがないだろうに。

   それよりなにより、

   うちに娘がいないことくらい知っていそうなもんだがね。


熊公:なんて言ってやがってよう!

   俺もはたと思い出して、もう口惜(くや)しくて口惜(くや)しくてならねェ!


大家:確かにそうだ、しわい屋(や)さんに娘なんていないよ。

   いま思い出した。


熊公:あんまり口惜(くや)しいからね、

   この野郎ォよくも騙(だま)しやがったなァ!

   って怒鳴(どな)り込んでやろうと思っても、こっちが間抜(まぬ)けってのもあり

   ますからね。

   文句は言えねぇ、どうにも口惜(くや)しいってんで、

   なんとか仕返(しかえ)ししてやりてえなと思ってね、

   長屋(ながや)の連中でひとつ脅(おど)かしてやろうじゃねえかって相談したんで。

   そしたら留公(とめこう)の野郎が唐茄子(とうなす)のお化けってのを考えた。

   こいつあんまりいい考えをしない奴なんですけどね。

   だけどまあ、面白(おもしろ)そうだからやってみようってなってね、

   さっそくやってみたんです。


大家:何だね、その唐茄子(とうなす)のお化けってのは。


留公:唐茄子(とうなす)の後先(あとさき)をこう切ってね、真ん中をくりぬいちまう。

   中に少し小さめのろうそくを入れる。で、火をつけると目になる。

   後先(あとさき)の切った所に紙を張ってね、

   目だの口だの鼻だのを書いてできあがりでさ。


八公:で、しわい屋(や)の旦那(だんな)は丑(うし)の刻半(こくなか)ばごろになると、

   必ず手水場(ちょうずば)へ起きてくるんでさ。

   雨戸(あまど)あけて手水鉢(ちょうずばち)の水で手を洗ってるってわけで。


大家:へえ…というか、よくそこまで調べたじゃないか。


留公:だからね、手水場(ちょうずば)に起きてきて雨戸(あまど)を開ける。

   途端(とたん)にこの唐茄子(とうなす)のお化けをその鼻先(はなさき)に出す。

   そうすりゃ驚いて腰抜(こしぬ)かすだろうと、

   そういう考えなんです。


大家:うーん…あんまりいい考えでもない気がするが…やったのかい?


熊公:ええそらもう、長屋(ながや)じゅうでね。

   でっけえ唐茄子(とうなす)を見つけて来て、中くり抜いてろうそく付けて、

   立派なお化けが出来(でき)あがったね。


八公:後(あと)はしわい屋(や)の旦那(だんな)が小便に来(き)さえすりゃこっちのもんだ、

   ってとこまできたんですが、これがなかなか起きてこねえ。

   あっしぁあん時くらい、人の小便を待ち遠しいと思ったことはなか

   ったね!


留公:で、丑(うし)の刻(こく)もだいぶ回ったかなと思う時分(じぶん)に、

   やっとしわい屋(や)の旦那(だんな)が起きてきた。

   しめた、ってんですぐにろうそくへ火をつけて、竿(さお)の先に唐茄子(とうなす)の

   お化けをくくり付けた。

   で、雨戸(あまど)が開くと同時に現れたしわい屋(や)の旦那(だんな)の目の前、

   そこにずいっと唐茄子(とうなす)のお化けを出したんで。


大家:ふむふむ、で…驚いたか?


熊公:いや、それがちっとも驚(おどろ)きゃがらねえ。

   じーっと見ていたかと思うと、

   おもむろに唐茄子(とうなす)縛(しば)ってる縄(なわ)をほどきだした。

   んでそのまま持って家の中に入っちまったんだ。

   こんな張(は)りあいの無い事はねぇと思ってたら、次の日に番頭(ばんとう)がね

   、長屋(ながや)に礼を言いに来やがった。


番頭:昨晩(さくばん)はどうも、結構(けっこう)なものをご馳走様(ちそうさま)でございました。

   おかげ様で何年ぶりかでおかずがつきました。

   これからは唐茄子(とうなす)をいただけるのでしたら一言(ひとこと)おっしゃってくださ

   い。

   あんなお手数(てすう)を掛(か)けずとも、すぐに小僧(こぞう)を長屋(ながや)へ伺(うかが)わせます。

   ろうそくは別に箱を持たせますから、その節(せつ)はなにぶん、

   よろしくお頼(たの)もうします。


熊公:なんて挨拶(あいさつ)していきやがってもう、どうにもならねえんで。


八公:向こうは番頭(ばんとう)どころか旦那(だんな)も、小僧(こぞう)から女中(じょちゅう)に至るまで、

   みぃんな一癖(ひとくせ)ある連中がそろってる。

   こっちが仕返(しかえ)ししてえと思っても、まるで歯が立たねえ。


留公:だから長屋(ながや)のみんなで相談して、

   向こうが一癖(ひとくせ)あるんだったら、こっちは二癖(ふたくせ)ある人を担(かつ)ぎ出したら

   いいんじゃねえかってんで相談がまとまった。

   それで大家(おおや)さんの知恵を借りに来たと、こういう事なんでさァ。


大家:うん、だいたいの話は分かったよ。

   向こうが一癖(ひとくせ)あるからこっちは二癖(ふたくせ)あるのを担(かつ)ぎ出そうと、

   そう言うんであたしのところへ来たと。

   ってじゃあ何かい?

   あたしが二癖(ふたくせ)あるってのかい?


八公:ぁいやいやいや!

   そういうこと言ってる奴もいたんですけどね。

   いや、あっしは大家(おおや)さんがそんな、

   二癖(ふたくせ)もあるだなんて思ってやしませんよ。


熊公:そうそう、せいぜい一癖半(ひとくせはん)ですかね!


大家:なんだい一癖半(ひとくせはん)て。

   まったく、妙な世辞(せじ)を言うもんじゃないよ。

   まぁ、最前(さいぜん)も言ったけどね、

   大家(おおや)と言いや親も同然、店子(たなこ)と言(い)やあ子も同様ってんだよ。

   子同然(こどうぜん)のお前さん方(がた)が、そうやっていいように玩具(おもちゃ)にされてるのを

   、ただ指をくわえて見ているというのも業腹(ごうはら)な話だ。


八公:じゃあ、あっしらに知恵を貸してくださいやすか!?


大家:ああ、なんとか仕返(しかえ)しをしてやりたいね。

   ただあんまりひどい事をしちゃいけないよ。

   穏(おだ)やかじゃないからね。

   何かこう悪戯(いたずら)を仕掛(しか)けるとか、

   向こうの連中が慌(あわ)てたり驚いたりするのを眺(なが)め入(い)って楽しむ、

   そのくらいのところがいいんじゃないかと思うがね。


留公:ええ、そうなんですよ。

   あの番頭(ばんとう)でも旦那(だんな)でも、ちょっと泡食(あわく)ってあたふたさせる。

   それを見ればこっちの溜飲(りゅういん)が下がるってもんですよ。

   大家(おおや)さん、何かありませんかね。


大家:そうだねえ。

   向こうの怖(こわ)いものとか、苦手なものとか分かればいいんだがな。

   何かあるかな?


八公:怖(こわ)いもの、苦手なもの…。

   【ぽんと手を叩く】

   そうだ!

   普段からね、火事が怖(こわ)いなんてこと言ってますよ。


熊公:そうそう、何しろ商売が油屋(あぶらや)ですからね。

   何でもあそこの三番蔵(さんばんぐら)には、油がいっぱい詰(つ)まってんだとか。

   とにかく火事が怖(こわ)いってんで、長屋(ながや)にちょいちょい来てはね、

   火の元に気を付けろとか、余計(よけい)なこと言って回りやがるんですよ。


大家:そうかそうか、火事が怖(こわ)いね…うん。

   じゃあ火事でなんかあるかね・・・


留公:【↑の語尾に喰い気味に】

   大家(おおや)さん!

   あっしぁ良いこと考えたよ!


大家:誰だい、留(とめ)さんかい?

   良いこと考えたって言うけど…大丈夫かい?


留公:大丈夫でさぁ、こいつは名案だよ!

   火事が怖(こわ)いってんだったら話は簡単、まず風の強い日を選ぶ。

   そうだね…真夜中時分(まよなかじぶん)が良いと思うんだ。


大家:ふむ…それで?


留公:松明(たいまつ)を五、六本ね、火をつけて威勢良(いせいよ)く燃え上がった所で、

   あの三番蔵(さんばんぐら)へばーっと放り込むってなぁどうでしょうね。


大家:ほぉ…それでいったい、どうなるんだい?


留公:いや、どうなるんだってね。

   あんな中にいっぱい油が詰(つ)まってるってんだ、

   火をおっぽり込んだら威勢(いせい)よく燃えますよ、ねえ。

   しわい屋(や)の野郎も驚(おどろ)くってもんだ。


大家:あぁちょいとお待ち、留(とめ)さん。

   しわい屋(や)は驚くかもしれないが、

   あんなところが燃えたら、うちの長屋(ながや)も燃えるんだ。

   私だって驚くよ。

   そういうくだらない事は考えてもらいたくないね。

   だいたいね、放火(ほうか)というものは大変な罪になる。

   いけないよ。


留公:いけないですかい?


大家:いけないよ。

   バカなこと言うもんじゃない。


八公:引っ込んでろってんだい留公(とめこう)!

   へへ…大家(おおや)さん、

   この留公(とめこう)の野郎みたいなね、乱暴な事はあっしぁしませんよ。

   良いこと考えちゃった。


大家:ほう…大丈夫だろうね? 八(は)っつぁん。


八公:ええ、あっしぁ火なんか着けませんからね。

   まずね、風の強い日を選んでね…


大家:…大丈夫かね?


八公:だぁいじょうぶですって。

   真夜中時分(まよなかじぶん)にですね…


大家:…また同じような話が始まったね。

   真夜中時分(まよなかじぶん)にって…


八公:いやいや、火なんかつけませんよ、ええ。

   みんなで鍋(なべ)や釜(かま)を持ってね、あのしわい屋(や)の裏手(うらて)に集まるんで。

   これをカンカンカンカン叩(たた)きながら、

   火事だーって一晩中(ひとばんじゅう)騒(さわ)いで寝かせねえってな、どうでしょうね?


大家:うーむ、それもあんまりいい考えじゃないね。

   火をつけなければいいってもんじゃないんだ。

   火事でもないものを火事だなんて騒(さわ)いだら、

   これも世間を騒(さわ)がせたという罪で、手が後ろに回ってしまうよ。


八公:うっ…役人のご厄介(やっかい)にゃあなりたくねえですな。


大家:誰でもなりたくないよ。

   火事が怖(こわ)いと言ったってね、ほんとに火をつけるわけには…

   ふむ…そうだな…。

   煙(けむ)を出すか。

   どうだね、みんなで秋刀魚(さんま)でも焼くかい?


熊公:えっ、秋刀魚(さんま)?


大家:なんだね、秋刀魚(さんま)を知らないのかい?

   今が旬(しゅん)の、ちょうど脂(あぶら)がのって美味(おい)しい魚だ。


熊公:いや知ってやすよ。

   秋刀魚(さんま)なんか焼いて、どうするってんで?


大家:まあ聞きなさい。

   脂(あぶら)ののった旬(しゅん)の秋刀魚(さんま)を焼いたら、

   さぞ威勢(いせい)のいい煙(けむ)が出るだろうね。

   それを長屋(ながや)18軒(けん)みんなで、…そうさな、3匹ずつ焼いたとして、

   54匹の秋刀魚(さんま)になるだろ?

   場所はね、しわい屋(や)の裏の空き地がいいよ。

   そこに七輪(しちりん)を並べて、いっせいに秋刀魚(さんま)を焼くんだ。

   そして出た煙(けむ)を扇(あお)いで、しわい屋(や)の中へ送り込む。

   そこでなんだが、長屋(ながや)で誰(だれ)か声の大きい人はいるかい?


八公:声が大きいったら、熊公(くまこう)だな!


留公:こいつの声は立派ですよ。

   熊公(くまこう)の寝言(ねごと)で長屋(ながや)じゅうの目が覚めるくらいなんで。


大家:ほう、そりゃあ立派だ。

   じゃあ熊(くま)さん、お前さんでいこう。


熊公:へい、それで、なんて言いやいいんで?


大家:うむ、煙(けむ)がしわい屋(や)の中に入ったなというところでね、

   「魚竹(うおたけ)じゃ間にあわない。」

   これは小さな声で言う。

   その後すぐに腹の底から大声で、

   「河岸(かし)だァ―! 河岸(かし)だァ―!」

   と、叫ぶんだ。

   秋刀魚(さんま)が足りないから魚屋(さかなや)に買いに行こう、

   魚屋(さかなや)じゃ追っつかないから河岸(かし)に買いに行こう、

   そう言ってるだけだけど、煙(けむ)が入って来た時に河岸(かし)だと言われたら

   どうしたって火事と聞き間違(まちが)えるだろう。

   聞き間違(まちが)えるのは向こうの勝手(かって)だ。

   火事だと思い込んで、慌(あわ)ててバタバタするのを見て留飲(りゅういん)を下げる、

   そのくらいで納(おさ)めとくのがいいんじゃないかと思うが、どうだね?


八公:なぁるほど!

   やっぱりこっちは二癖半(ふたくせはん)だね。

   へへ、じゃあさっそくやらしてもらいますんで!


大家:誰が二癖半(ふたくせはん)だよ。

   まぁ待ちな、こういうのはね、時分時(じぶんどき)を選んだ方がいいんだ。

   そうだね…日の暮れ時分(じぶん)、そろそろ店じまいしようって頃だ。

   暖簾(のれん)をしまって、仕事の片づけをする者もある。

   夕餉(ゆうげ)の支度(したく)をする者もある。

   皆がバタバタ忙(いそが)しくしてる時ほど、騒(さわ)ぎは大きくしやすいんだ。

   そういう時分(じぶん)を選ばないといけない。

   あ、それからね、秋刀魚(さんま)はなるたけ脂(あぶら)がのったのを選ぶんだよ。


八公:分かってますって!

   じゃあ皆、さっそく支度(したく)にかかろうじゃねえか!


留公:よぉし、まずは七輪(しちりん)持ってこぉい!


熊公:おう! へへへ、しわい屋(や)のやつ、目にもの見せてやらァ!


語り:とまあそういうわけで妙な相談がまとまりまして、

   しわい屋(や)の裏の空き地に七輪(しちりん)が18台、

   ずらーっと並べて火を起こし始めた。


熊公:八公(はちこう)、もうすぐ日が暮れるぜ!


八公:【演者全員で扇子か団扇でバタバタ扇ぎながら】

   さあさあ皆、威勢(いせい)よく火を起こしとかなくちゃなんねぇよ!

   脂(あぶら)が落ちたら消えちまうような火じゃいけねぇ。

   ホントにダメな煙(けむ)を出さなきゃいけねぇんだぞ!

   別に食うわけじゃねえ、炭が3つ増えるくれぇ焼け!

   炭が無かったら言ってくれ、俵(たわら)で持ってきてるからよ!

   どんどんどんどん炭をついでな、威勢(いせい)よく火を起こしとこうじゃね

   えか!


熊公:おい八公(はちこう)、留公(とめこう)がいねえよ!

   あいつどこいった?


八公:なに、留公(とめこう)がいねぇ?

   ほんとだ、いないよ。


熊公:いつもこういう時は先頭に立って騒(さわ)ぐのによ。

   野郎が威勢(いせい)よく騒(さわ)いでねえと、どうにも淋(さび)しくってしょうがねえ。


八公:…あ、来た、来たキタキタッ!

   今ごろ来やがったよ。


熊公:?? なんだ? 嫌(や)な野郎だね。

   こんな時に女を連れてきたよ。

   女の手を引っ張ってやがる。


八公:おーい!留公(とめこう)!

   何やってんだよ!ええ?

   遅いじゃねえか!


留公:すまねぇすまねぇ!

   ほうぼう探したんだけどさ、なかなか見つからなくってよ。


八公:なんだよ、何が見つからなかったんだ?


留公:ああ、大家(おおや)さんが言ってたろ。

   脂(あぶら)がのった按摩(あんま)。


熊公:…ちょっとまてこの野郎。

   按摩(あんま)さんを焼いてどうしようってんだよ!

   帰ってもらえ帰ってもらえ!


八公:バカ野郎め、しょうがねえな!

   おうい、誰か秋刀魚(さんま)よけいに買ってあんだろ。

   留公(とめこう)に分けてやってくれ。


熊公:ほら、早く火を起こせ。

   どんどんどんどん炭をつがなきゃいけねえ。

   俺ァ表(おもて)の様子を見てくる。   


八公:おう!

   【演者全員バタバタ扇いでる】

   ようし、いい感じに火がついたな。   


熊公:おい、暖簾(のれん)しまったぞ!


留公:なに、本当か!?


八公:よし、じゃあそろそろだ。

   みんな、いっせいに秋刀魚(さんま)を七輪(しちりん)に乗っけるんだ。

   それ焼け焼けぇ!


   【演者全員バタバタ扇ぐ】


留公:うーし、ほらほらほら焼けてきた。

   この秋刀魚(さんま)ってぇのは不思議だよ。

   焼いてるとだんだん脂(あぶら)が落ちてね、

   この脂(あぶら)でそのうち秋刀魚(さんま)が燃え出すんだ。


   【演者全員バタバタ扇ぐ】


八公:ああ、こんな真っ黒になってもな、中は白くてふかーっとして

   うめぇんだ。

   ほら、良い匂(にお)いがしてきた。

   煙(けむ)が出てきたらな、どんどんむこうへ扇(あお)ごうじゃねえか。

   熊公(くまこう)、秋刀魚(さんま)焼くのは嫁さんに任して、表(おもて)へまわるんだ!

   特大のやつ、かましてくんな!


熊公:おう、任しとけィ!


語り:そんなこととはつゆ知らず、しわい屋(や)こと油屋(あぶらや)では、

   旦那(だんな)さんが忙(せわ)しなく手を叩(たた)いては奉公人(ほうこうにん)たちを指図(さしず)しています。


旦那:さあさあお前たち、何をしてるんだ。

   ほら、早く店の片付けをしなさい。

   それが済んだらね、夕餉(ゆうげ)の支度(したく)をするんだよ。

   手の空(あ)いてる者はさっさとご飯をよそっちまいな。


番頭:旦那(だんな)様、あの、まだおかずが出ておりませんが…。


旦那:おかず?

   おかずなんかいいじゃないか。

   たまにはおかずなしでやってごらん。

   さっぱりとしていい心持(こころも)ちになるよ。


番頭:いえ、そういうさっぱりはどうかご勘弁(かんべん)を…。

   ご当家(とうけ)はおかずと言ってもたくあんだけですから、

   せめてあの、たくあんぐらいは…。


旦那:番頭(ばんとう)さん、お前はどうしてそう、たくあんぐらいなんて、

   恐ろしい事を言うんだい。

   たくあんだけと言ってもね、これだけ大勢で食べたら、

   えらい損害(そんがい)になるんだよ。

   それでも、どうしても、たくあん、食べるっていうのかい?

   あぁあぁ、どうしてこう贅沢(ぜいたく)に育てちまったんだろうね。

   分かった分かった、じゃあたくあんを出しなさい。

   辰公(たつこう)、お前がたくあんを切りなさい。お前は大工(だいく)あがりだからな。

   できるだけ薄(うす)ーく、向こうが見えるくらいに切るんだよ。

   包丁(ほうちょう)が無かったら、カンナで削(けず)ってもいいくらいだからね。

   早くーーーん?【鼻をひくつかせる】

   ちょいと待ちな、なんかきな臭(くさ)いと思ったら妙な煙(けむ)が入ってきた。

   いったいこれはどういうことだい?


熊公:河岸(かし)だァ―! 河岸(かし)だァーッ!


旦那:え、なんだって、火事!?

   大変だえらい事だ、夕餉(ゆうげ)どころじゃないよ!

   とにかく荷物をまとめて、誰か蔵(くら)の目塗(めぬ)りをしておくれ!


番頭:【つぶやく】

   火事?

   それにしては何だか煙(けむ)が生臭(なまぐさ)い…。

   裏から入ってきてるようだが…。


   【二拍】


   !あっ、あれは長屋(ながや)の連中じゃないか。

   あんなに七輪(しちりん)をずらーーーっと並べて、秋刀魚(さんま)を焼いてるんだな。

   なんだバカバカしいったらありゃしない。

   とにかく、旦那(だんな)様達を落ち着かせないと…。


   【一拍】


   皆、慌(あわ)てる事はありませんよ、旦那(だんな)様も落ち着いて下さい。

   これ火事じゃありませんから。


旦那:火事じゃないって、これだけの煙(けむ)が入ってきてるんだ。

   えらい火事じゃないか。


番頭:ですから、火事じゃありませんよ。

   秋刀魚(さんま)です。


旦那:な、なに、秋刀魚(さんま)?


番頭:ええ秋刀魚(さんま)です、秋刀魚(さんま)の煙(けむ)です。


旦那:秋刀魚(さんま)を焼いたぐらいで、これだけの煙(けむ)が出るわけがないだろう。


番頭:一匹や二匹じゃありません。

   長屋(ながや)の連中、空き地にずらーっと七輪(しちりん)並べて、

   たっくさんに秋刀魚(さんま)を焼いてるんですよ。

   もう、秋刀魚(さんま)祭りですね。


旦那:こんな(くんっ)煙(けむ)が(くんっ)

   秋刀魚(さんま)を(くんっ)ぐらいで(くんっ)

   (くんくんくん…)


   秋刀魚(さんま)だ。あぁ、確かに秋刀魚(さんま)だよ。

   みんな知らないかもしれないけど、たしか四・五年前に石町(こくちょう)さんで

   一度ごちそうになった事がある。

   美味(おい)しい魚なんだ。

   何とかしてもういっぺん食べたいと、ずいぶん夢にも見たよ。

   (くんくんくん…)


   あぁこりゃたまらないな。

   おいおい、何をしてるんだ。

   早くご飯をよそうんだ。


番頭:え、旦那(だんな)様、あの、まだたくあんが…


旦那:【↑語尾に被せて】

   とんでもない。

   たくあんなんぞいらないよ。

   この匂(にお)いをおかずにして食べちまおう。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


桂三木助(三代目)

柳家小せん(五代目)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。