落語声劇「秋刀魚火事」
落語声劇「秋刀魚火事」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約40分
必要演者数:5名
(0:0:5)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
旦那:油屋の旦那。あまりにケチなため、長屋の連中からは”しわい屋”
と陰口をたたかれている。奉公人にだけでなく、
自身も全てにおいてケチる徹底ぶり。
番頭:しわい屋こと、油屋に奉公する番頭さん。
主人の旦那に感化されてか、長屋の連中を利用したり騙したりして
店の利益になるような事をする為、長屋の住人たちからは忌み嫌わ
れている。
大家:しわい屋の土地に立っている長屋の管理を任されている大家さん。
本来なら地主であるしわい屋には逆らえないのだが、やはり普段の
態度には思うところがあるらしく、長屋の皆に知恵を貸す。
八公:長屋に住む住人その壱。
日頃のしわい屋の横暴に堪えかね、大家の知恵を借りるべくその元
を訪ねる。
留公:長屋に住む住人その弐。
日頃のしわい屋の横暴に堪えかね、大家の知恵を借りるべくその元
を訪ねる。威勢のいいお調子者。
熊公:長屋に住む住人その参。
日頃のしわい屋の横暴に堪えかね、大家の知恵を借りるべくその元
を訪ねる。長屋いち立派な声の持ち主。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
旦那:
番頭・枕:
八公:
留公・語り:
熊公:
※:枕は1セリフのみです。
枕:世の中には吝嗇家という類の人間が一定数おります。
ちょっと難しい言い方しましたが、いわゆるケチということですな。
洗濯するのに洗剤を規定量入れなくったって綺麗に洗われるから少な
くても良い、
大病患って病院に担ぎ込まれようかっていう時に
治療費がかかるから病院にはかからない…そんなことしたらお金より
先に命が無くなっちゃいますけどね。
命あっての物種、死んで花実が咲くものか、とはよく言ったもので。
先ほどケチの事を吝嗇と言いましたが、実は他の言い方に「しわい」
という言葉があります。ケチ、しみったれ、せこいなど、他の言葉が
台頭した昨今、使われなくなって久しい言葉ではあります。
昭和の頃の作家、山岡荘八氏著作「徳川家康」において家康
の事を指して「しわいお人だ」という表現が使われていたりします。
家康公はケチで有名でしたからね。
ふんどしは薄黄色のものに限る、汚れが目立ちにくいから、なんて話
も…ほんとかどうかは分かりませんけどね。
生涯粗食を貫き、普段の食事は麦飯に豆味噌、タカ狩りなどで仕留め
た鶴や野鴨等の動物性たんぱく質、旬の野菜の味噌汁だったという話
は良く知られていますけども。
そんな倹約家、傍から見ればケチともとれる家康公を遥かにしのぐ人
も、世の中にはいるもので。
旦那:番頭さん、番頭さんいるかね?
番頭:これは旦那様、何か御用でしょうか?
旦那:ああ番頭さん、
ちょいとね、裏長屋の大工から金槌を借りてきてくれるかい。
ほら、ここに折れっ釘が出てるだろう。
番頭:あ、確かに…ここは店の者が良く通りますから、危ないですな。
旦那:そうだよ、このままだといつか誰か蹴つまずいて、
怪我するかもしれない。
まぁ怪我ぐらいだったらね、唾をつけておけば治るけど、
うっかり足袋でも引っ掛けてかぎ裂きにでもなったら、
これはえらい損害になるからね。
だからちょいと金槌を借りて来て、打ち込んでくれるかい。
番頭:承知しました。
すぐに小僧を行かせます。
【二拍】
旦那様、よろしいでしょうか。
旦那:おや番頭さん、どうした?
折れっ釘は始末したかい?
番頭:それが、あのあと小僧を借りに行かせたのですが、
貸してくれませんでした。
旦那:え、貸してくれなかった?
番頭:はい、小僧が金槌を貸してくれと頼んだところ、
熊公:折れっ釘?
金の釘かい、それとも竹の釘を打つのかい?
番頭:って聞き返して来たそうで、
金の釘ですからね、そう答えたら
熊公:金槌も金、釘も金だ。
金と金がぶつかり合って金槌が減っちまう。
だから貸せねえな。
番頭:と言われたそうで。
旦那:金槌が減るから?
なんだってしみったれた事を言うね。
なら借りるんじゃない、そんなとこから。
うちのを出して使いなさい。
語り:どっちがケチだか分からない。
とまぁ、こういった人間が騒動を巻き起こしたりするというとこか
ら、話の幕が持ち上がろうというわけで。
八公:大家さん、こんちわー。
大家:はいはい。
おや、長屋の衆、大勢そろって来たね。
どうしたんだい?
八公:実はちょいと、今日は大家さんの知恵を借りたいと思いまして。
大家:知恵?
貸すほどの知恵はないんだけれどもね、
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然だ。
その親の家に来て子が遠慮するなんてことはない。
さ、立ち話もなんだから上がっておくれ。
八公:へい。
じゃ、大家さん、お邪魔します。
【以下、八公・留公・熊公・大家がそれぞれ他の長屋のメンツの挨拶を
カバーしてください。】
大家役:こんちわー。
八公役:ちわーす。
留公役:こんちゃーす。
熊公訳:ちーっす。
大家役:どうもー。
八公役:まいどー。
留公役:ちゃおー。
熊公役:はろー。
大家:…いま何人か別の国の人いなかったかい?
それにしても大勢来たね…長屋18軒、全員じゃないか。
よっぽどのことだね。
あーどんどん入んな、あーちょっと、もうちょっと奥へ詰めてあげ
ておくれ、後が入れないから。
【二拍】
みんな入り切ったかい?
それで、いったいこれは何の騒ぎだね?
八公:じゃあ、今月の月番のあっしから…。
話ってのは他じゃねえんです。
表のしわい屋の件ですよ。
大家:しわい屋?
表のってえと…油屋さんかい?
八公:ええ、あっしらの間でそう呼んでるんでさ。
あんまりにケチなもんでね。
大家:確かに、この辺り一帯の地主だって言うのにケチな事で有名だから
ね。
なるほど、しわい屋か。
じゃああたしもそう呼ぼうかね。
それで、そのしわい屋さんがどうしたんだい?
八公:あっしはね、どうしても勘弁ならねえってことが持ちあがりまして
ね。
愚痴になるんですが聞いて下せえ。
かれこれ一昨年だったかな、ずいぶん前ですけど。
この長屋連中でもって花見ってのもなんだから、
潮干狩りに行こうってことになりましてね。
大家:おお、そりゃあずいぶん昔の事だ。
そういえばそんなことがあったね。
ハマグリを獲りに行ったんだったな。
八公:そうなんですよ。
日本中のハマグリをみんなこの長屋で獲っちまったんじゃないか
ってくらい沢山獲れまして。
みんな大喜びで浜鍋にする、浜汁にする、
中には焼きハマグリで一杯吞む奴はいる。
さて存分にハマグリを楽しんだけど、殻までは食えねえ。
大家:そらぁ当たり前だ。
ニワトリじゃないからね。
貝殻までは食べられない。
八公:で、その貝殻をそこら辺の長屋の路地にね、
うっちゃっておいたんですよ。
そしたらしわい屋の番頭がやって来ましてね。
番頭:こんなとこにこんなもの捨てて、危ないじゃないか!
転んで怪我でもしたらどうするんだ。
こういうものはね、うちでついでの時に捨てといてあげるから、
うちの裏口まで持ってきておくれ。
八公:って言われたんで。
まあ言ってる事はもっともだし、長屋にも子供はいますよ。
危ねえと思ったからね、皆で綺麗に集めて箱の中に入れて、
あのしわい屋の裏口んとこに置いといた。
路地も綺麗に片付いたし、長屋もすっきりしていい心持ちだなあと
思ってたら、その年の暮れですよ。
寒くなってきたんでしわい屋にね、ヒビ・あかぎれの膏薬っての買いに行っ
たんで。
長屋の連中だって手がひび割れたり、あかぎれが切れる奴いますからね。
番頭:おや、いらっしゃいませ。
膏薬をお求めで?
八公:ああ、一つもらおうかい。
番頭:毎度様で。
いやあ、容れ物だけでなくて膏薬まで買っていただけるとは…。
八公:??
とりあえず、ひとつくれ。
でね、買って帰ってよくよく見たら、膏薬はハマグリの貝殻に入っ
てるんですよ。
じっと眺めてたら、何か見た事がある。
大家:なんだね、見た事があるって。
八公:あれですよ、あっしらが潮干狩りで集めて捨ててたのを怒られて、
しわい屋んとこへ持って行った、その貝殻を使ってるんですよ。
いや、使うのはかまわねえんですけどね、
てめぇんとこの金儲けに使うものをですよ、長屋の連中に小言を
言ってわざわざ持ってこさせるってなぁね、
癪にさわるじゃありませんか。
大家:まぁまぁ、確かに癪にさわるけどずいぶん昔の事だろう?
いちいちそんな事で腹を立ててたら、こっちの身が持たないよ。
留公:まぁそれはいいんですよ。
大家:いや、いいのかい…。
次は留さんかね?
留公:ええ、こいつはたしか去年だったと思うんですけどもね。
長屋の子供連中がしわい屋の塀に落書きしてたってことがありやし
て。
それで番頭が怒鳴り込んできたんですよ。
番頭:店の塀に落書きさせないでもらいたい。
汚れて困るじゃないか!
留公:ってんでね、こっちが悪いもんだから平謝りした。
で、謝ってたらね、
番頭:まったく…そんなに落書きがしたいんだったら、
子供を集めてうちの庭に連れてきなさい。
落書きをするのにちょうどいい石があるから、
それに落書きなさい。
留公:って言うから、子供をみんな集めてしわい屋の庭に連れてったら、
白くて大きな、まったいらな石があるんだ。
番頭:これなら落書きしても良い。
留公:って言われたんで、子供たちを置いて帰ったんでさ。
こっからは子供らに後で聞いたんですけど、
落書きを始めたはいいが、何しろ白い石ですからね。
蝋石や白墨で描いたんじゃ何を描いてるか分かりゃしない。
そしたら番頭が、
番頭:坊やのうちに炭の欠片があるだろう。
あれを持ってきて描いてごらん。
絵で字でも面白いように描けるから。
留公:子供らは落書きがしてえもんだからね、
てんでに家に帰って炭の欠片を持ち寄って、
中には大きな塊を持ってった子供もいるってんです。
んで、さっきの石に描いてみたら、そら炭は黒いですからね、
いろいろ描けるってんで面白いってなってたら、
番頭が中からまた出てきて、
番頭:坊やたち、ちょっと表に行って遊んでおいで。
おじさんここで用事があるから。
ああ、炭なんか持ってて着物を汚してもいけないから、
おじさんが預かっといてあげよう。
留公:って、持ってきた箱の中に炭を入れさせて、
子供らを表へ出したんだそうで。
しばらく表で遊んでたけど、また落書きがしてえやってんで庭の
様子を見に行ったら番頭がいない。
じゃあいいだろって入ってきたら、さっき集められた炭がどこにあ
るのか分からない。
しょうがないってんでまた家へ帰って炭を持ち寄って、
落書きが始まるとそこへ番頭が出てきて、
番頭:しばらく表へ行っといで、炭は預かっといてあげるから。
留公:こんなことを何度も何度もやってね、2、3日たった。
すると長屋じゅうから、炭の欠片が一つ残らず消えちまった。
そりゃもう、きれーいに無くなっちまった。
それにひきかえ、しわい屋の物置には炭俵が三俵も増えたってんで
すよ。
こんなバカな話はねェ。
癪にさわりますよこいつァ。
大家:確かにそうだね。
まあ言っちゃなんだが、あれだけ物持ちの家が、
我われ貧乏長屋の連中にそんな事をするとなると、
それは癪にさわる話だな。
熊公:ええそらもう、こんな癪にさわる話ァないんですわ。
けどまぁ、これはいいんです。
大家:何だ、それもいいのか。
次は熊さんかい?
熊公:へっ、次はあっしの話を聞いてくだせえ。
まあね、さっきの炭の話くらいだったら勘弁できたんでさ。
けどつい10日ほど前にね、どうにも勘弁ならねえ事が持ち上がり
やして。
例の番頭が家へ来たんでさ。
あいつが長屋に来るとね、ろくなことはねえと思って身構えてたん
だ。
すると今度は向こうが頭ァ下げてね、
番頭:実は長屋の皆さんにお願いがあります。
うちのお嬢様が、裏の空き地にかんざしを落としたんです。
金張りで珊瑚の五分玉がついてる、とても高価なものでして。
こちらでも探したんですが、なかなか見つからない。
どうか皆さんで探してくれませんか。
見つけた人には莫大なお礼をさし上げますから。
大家:ほう、しわい屋さんにしてはずいぶんと大きく出たね。
留公:ええ、莫大なお礼って言葉がね、長屋全員の胸にドーンと響きやし
た。
みんな我先にと駆け出して行ってね、裏の空き地についた。
そしたら夏の間ほったらかしだったもんだから草が生え放題、
首のあたりまでうわーっと丈高く生えてやがる。
こりゃあかんざしどころじゃねえ、
漬物樽が落っこってたってわからないような有様だ。
大家:そりゃあ、そのくらいぼうぼうに生えてたらね。
それで、どうしたんだい。
熊公:皆てんでに入って闇雲に探したけど、埒があかねえ。
そしたら誰かがね、この草が無けりゃいいのになって言ったんだ。
それだーってんで、そっからみんなで草むしりが始まった。
時間はかかるし骨も折れたけど、人数が揃ってるから草は綺麗に
無くなった。
けどやっぱりかんざしは見あたらねえ。
大家:じゃあ、それより前に、誰かに拾われちまったのかい?
熊公:そう、そうだと思ってたんだ。その時は。
だからね、こんだけ探したけど見つからねえ、あいすみませんって
こっちの方も頭を下げた。
やれやれ骨折り損のくたびれ儲けだったなぁと思ってたら、
その次の日の朝ですよ。
しわい屋の裏を通りかかったら、あそこの旦那が番頭をほめてたん
だ。
旦那:番頭さん、大したもんだ。
裏の空き地を綺麗にするには、だいぶ費用がかかると思っていた。
けど番頭さんの知恵で、上手いこと長屋の連中を騙して草むしりさ
せる事ができた。いや大したもんだ。
しかし、長屋の連中も間抜けだね。
あんな所にかんざし落とすわけがないだろうに。
それよりなにより、
うちに娘がいないことくらい知っていそうなもんだがね。
熊公:なんて言ってやがってよう!
俺もはたと思い出して、もう口惜しくて口惜しくてならねェ!
大家:確かにそうだ、しわい屋さんに娘なんていないよ。
いま思い出した。
熊公:あんまり口惜しいからね、
この野郎ォよくも騙しやがったなァ!
って怒鳴り込んでやろうと思っても、こっちが間抜けってのもあり
ますからね。
文句は言えねぇ、どうにも口惜しいってんで、
なんとか仕返ししてやりてえなと思ってね、
長屋の連中でひとつ脅かしてやろうじゃねえかって相談したんで。
そしたら留公の野郎が唐茄子のお化けってのを考えた。
こいつあんまりいい考えをしない奴なんですけどね。
だけどまあ、面白そうだからやってみようってなってね、
さっそくやってみたんです。
大家:何だね、その唐茄子のお化けってのは。
留公:唐茄子の後先をこう切ってね、真ん中をくりぬいちまう。
中に少し小さめのろうそくを入れる。で、火をつけると目になる。
後先の切った所に紙を張ってね、
目だの口だの鼻だのを書いてできあがりでさ。
八公:で、しわい屋の旦那は丑の刻半ばごろになると、
必ず手水場へ起きてくるんでさ。
雨戸あけて手水鉢の水で手を洗ってるってわけで。
大家:へえ…というか、よくそこまで調べたじゃないか。
留公:だからね、手水場に起きてきて雨戸を開ける。
途端にこの唐茄子のお化けをその鼻先に出す。
そうすりゃ驚いて腰抜かすだろうと、
そういう考えなんです。
大家:うーん…あんまりいい考えでもない気がするが…やったのかい?
熊公:ええそらもう、長屋じゅうでね。
でっけえ唐茄子を見つけて来て、中くり抜いてろうそく付けて、
立派なお化けが出来あがったね。
八公:後はしわい屋の旦那が小便に来さえすりゃこっちのもんだ、
ってとこまできたんですが、これがなかなか起きてこねえ。
あっしぁあん時くらい、人の小便を待ち遠しいと思ったことはなか
ったね!
留公:で、丑の刻もだいぶ回ったかなと思う時分に、
やっとしわい屋の旦那が起きてきた。
しめた、ってんですぐにろうそくへ火をつけて、竿の先に唐茄子の
お化けをくくり付けた。
で、雨戸が開くと同時に現れたしわい屋の旦那の目の前、
そこにずいっと唐茄子のお化けを出したんで。
大家:ふむふむ、で…驚いたか?
熊公:いや、それがちっとも驚きゃがらねえ。
じーっと見ていたかと思うと、
おもむろに唐茄子縛ってる縄をほどきだした。
んでそのまま持って家の中に入っちまったんだ。
こんな張りあいの無い事はねぇと思ってたら、次の日に番頭がね
、長屋に礼を言いに来やがった。
番頭:昨晩はどうも、結構なものをご馳走様でございました。
おかげ様で何年ぶりかでおかずがつきました。
これからは唐茄子をいただけるのでしたら一言おっしゃってくださ
い。
あんなお手数を掛けずとも、すぐに小僧を長屋へ伺わせます。
ろうそくは別に箱を持たせますから、その節はなにぶん、
よろしくお頼もうします。
熊公:なんて挨拶していきやがってもう、どうにもならねえんで。
八公:向こうは番頭どころか旦那も、小僧から女中に至るまで、
みぃんな一癖ある連中がそろってる。
こっちが仕返ししてえと思っても、まるで歯が立たねえ。
留公:だから長屋のみんなで相談して、
向こうが一癖あるんだったら、こっちは二癖ある人を担ぎ出したら
いいんじゃねえかってんで相談がまとまった。
それで大家さんの知恵を借りに来たと、こういう事なんでさァ。
大家:うん、だいたいの話は分かったよ。
向こうが一癖あるからこっちは二癖あるのを担ぎ出そうと、
そう言うんであたしのところへ来たと。
ってじゃあ何かい?
あたしが二癖あるってのかい?
八公:ぁいやいやいや!
そういうこと言ってる奴もいたんですけどね。
いや、あっしは大家さんがそんな、
二癖もあるだなんて思ってやしませんよ。
熊公:そうそう、せいぜい一癖半ですかね!
大家:なんだい一癖半て。
まったく、妙な世辞を言うもんじゃないよ。
まぁ、最前も言ったけどね、
大家と言いや親も同然、店子と言やあ子も同様ってんだよ。
子同然のお前さん方が、そうやっていいように玩具にされてるのを
、ただ指をくわえて見ているというのも業腹な話だ。
八公:じゃあ、あっしらに知恵を貸してくださいやすか!?
大家:ああ、なんとか仕返しをしてやりたいね。
ただあんまりひどい事をしちゃいけないよ。
穏やかじゃないからね。
何かこう悪戯を仕掛けるとか、
向こうの連中が慌てたり驚いたりするのを眺め入って楽しむ、
そのくらいのところがいいんじゃないかと思うがね。
留公:ええ、そうなんですよ。
あの番頭でも旦那でも、ちょっと泡食ってあたふたさせる。
それを見ればこっちの溜飲が下がるってもんですよ。
大家さん、何かありませんかね。
大家:そうだねえ。
向こうの怖いものとか、苦手なものとか分かればいいんだがな。
何かあるかな?
八公:怖いもの、苦手なもの…。
【ぽんと手を叩く】
そうだ!
普段からね、火事が怖いなんてこと言ってますよ。
熊公:そうそう、何しろ商売が油屋ですからね。
何でもあそこの三番蔵には、油がいっぱい詰まってんだとか。
とにかく火事が怖いってんで、長屋にちょいちょい来てはね、
火の元に気を付けろとか、余計なこと言って回りやがるんですよ。
大家:そうかそうか、火事が怖いね…うん。
じゃあ火事でなんかあるかね・・・
留公:【↑の語尾に喰い気味に】
大家さん!
あっしぁ良いこと考えたよ!
大家:誰だい、留さんかい?
良いこと考えたって言うけど…大丈夫かい?
留公:大丈夫でさぁ、こいつは名案だよ!
火事が怖いってんだったら話は簡単、まず風の強い日を選ぶ。
そうだね…真夜中時分が良いと思うんだ。
大家:ふむ…それで?
留公:松明を五、六本ね、火をつけて威勢良く燃え上がった所で、
あの三番蔵へばーっと放り込むってなぁどうでしょうね。
大家:ほぉ…それでいったい、どうなるんだい?
留公:いや、どうなるんだってね。
あんな中にいっぱい油が詰まってるってんだ、
火をおっぽり込んだら威勢よく燃えますよ、ねえ。
しわい屋の野郎も驚くってもんだ。
大家:あぁちょいとお待ち、留さん。
しわい屋は驚くかもしれないが、
あんなところが燃えたら、うちの長屋も燃えるんだ。
私だって驚くよ。
そういうくだらない事は考えてもらいたくないね。
だいたいね、放火というものは大変な罪になる。
いけないよ。
留公:いけないですかい?
大家:いけないよ。
バカなこと言うもんじゃない。
八公:引っ込んでろってんだい留公!
へへ…大家さん、
この留公の野郎みたいなね、乱暴な事はあっしぁしませんよ。
良いこと考えちゃった。
大家:ほう…大丈夫だろうね? 八っつぁん。
八公:ええ、あっしぁ火なんか着けませんからね。
まずね、風の強い日を選んでね…
大家:…大丈夫かね?
八公:だぁいじょうぶですって。
真夜中時分にですね…
大家:…また同じような話が始まったね。
真夜中時分にって…
八公:いやいや、火なんかつけませんよ、ええ。
みんなで鍋や釜を持ってね、あのしわい屋の裏手に集まるんで。
これをカンカンカンカン叩きながら、
火事だーって一晩中騒いで寝かせねえってな、どうでしょうね?
大家:うーむ、それもあんまりいい考えじゃないね。
火をつけなければいいってもんじゃないんだ。
火事でもないものを火事だなんて騒いだら、
これも世間を騒がせたという罪で、手が後ろに回ってしまうよ。
八公:うっ…役人のご厄介にゃあなりたくねえですな。
大家:誰でもなりたくないよ。
火事が怖いと言ったってね、ほんとに火をつけるわけには…
ふむ…そうだな…。
煙を出すか。
どうだね、みんなで秋刀魚でも焼くかい?
熊公:えっ、秋刀魚?
大家:なんだね、秋刀魚を知らないのかい?
今が旬の、ちょうど脂がのって美味しい魚だ。
熊公:いや知ってやすよ。
秋刀魚なんか焼いて、どうするってんで?
大家:まあ聞きなさい。
脂ののった旬の秋刀魚を焼いたら、
さぞ威勢のいい煙が出るだろうね。
それを長屋18軒みんなで、…そうさな、3匹ずつ焼いたとして、
54匹の秋刀魚になるだろ?
場所はね、しわい屋の裏の空き地がいいよ。
そこに七輪を並べて、いっせいに秋刀魚を焼くんだ。
そして出た煙を扇いで、しわい屋の中へ送り込む。
そこでなんだが、長屋で誰か声の大きい人はいるかい?
八公:声が大きいったら、熊公だな!
留公:こいつの声は立派ですよ。
熊公の寝言で長屋じゅうの目が覚めるくらいなんで。
大家:ほう、そりゃあ立派だ。
じゃあ熊さん、お前さんでいこう。
熊公:へい、それで、なんて言いやいいんで?
大家:うむ、煙がしわい屋の中に入ったなというところでね、
「魚竹じゃ間にあわない。」
これは小さな声で言う。
その後すぐに腹の底から大声で、
「河岸だァ―! 河岸だァ―!」
と、叫ぶんだ。
秋刀魚が足りないから魚屋に買いに行こう、
魚屋じゃ追っつかないから河岸に買いに行こう、
そう言ってるだけだけど、煙が入って来た時に河岸だと言われたら
どうしたって火事と聞き間違えるだろう。
聞き間違えるのは向こうの勝手だ。
火事だと思い込んで、慌ててバタバタするのを見て留飲を下げる、
そのくらいで納めとくのがいいんじゃないかと思うが、どうだね?
八公:なぁるほど!
やっぱりこっちは二癖半だね。
へへ、じゃあさっそくやらしてもらいますんで!
大家:誰が二癖半だよ。
まぁ待ちな、こういうのはね、時分時を選んだ方がいいんだ。
そうだね…日の暮れ時分、そろそろ店じまいしようって頃だ。
暖簾をしまって、仕事の片づけをする者もある。
夕餉の支度をする者もある。
皆がバタバタ忙しくしてる時ほど、騒ぎは大きくしやすいんだ。
そういう時分を選ばないといけない。
あ、それからね、秋刀魚はなるたけ脂がのったのを選ぶんだよ。
八公:分かってますって!
じゃあ皆、さっそく支度にかかろうじゃねえか!
留公:よぉし、まずは七輪持ってこぉい!
熊公:おう! へへへ、しわい屋のやつ、目にもの見せてやらァ!
語り:とまあそういうわけで妙な相談がまとまりまして、
しわい屋の裏の空き地に七輪が18台、
ずらーっと並べて火を起こし始めた。
熊公:八公、もうすぐ日が暮れるぜ!
八公:【演者全員で扇子か団扇でバタバタ扇ぎながら】
さあさあ皆、威勢よく火を起こしとかなくちゃなんねぇよ!
脂が落ちたら消えちまうような火じゃいけねぇ。
ホントにダメな煙を出さなきゃいけねぇんだぞ!
別に食うわけじゃねえ、炭が3つ増えるくれぇ焼け!
炭が無かったら言ってくれ、俵で持ってきてるからよ!
どんどんどんどん炭をついでな、威勢よく火を起こしとこうじゃね
えか!
熊公:おい八公、留公がいねえよ!
あいつどこいった?
八公:なに、留公がいねぇ?
ほんとだ、いないよ。
熊公:いつもこういう時は先頭に立って騒ぐのによ。
野郎が威勢よく騒いでねえと、どうにも淋しくってしょうがねえ。
八公:…あ、来た、来たキタキタッ!
今ごろ来やがったよ。
熊公:?? なんだ? 嫌な野郎だね。
こんな時に女を連れてきたよ。
女の手を引っ張ってやがる。
八公:おーい!留公!
何やってんだよ!ええ?
遅いじゃねえか!
留公:すまねぇすまねぇ!
ほうぼう探したんだけどさ、なかなか見つからなくってよ。
八公:なんだよ、何が見つからなかったんだ?
留公:ああ、大家さんが言ってたろ。
脂がのった按摩。
熊公:…ちょっとまてこの野郎。
按摩さんを焼いてどうしようってんだよ!
帰ってもらえ帰ってもらえ!
八公:バカ野郎め、しょうがねえな!
おうい、誰か秋刀魚よけいに買ってあんだろ。
留公に分けてやってくれ。
熊公:ほら、早く火を起こせ。
どんどんどんどん炭をつがなきゃいけねえ。
俺ァ表の様子を見てくる。
八公:おう!
【演者全員バタバタ扇いでる】
ようし、いい感じに火がついたな。
熊公:おい、暖簾しまったぞ!
留公:なに、本当か!?
八公:よし、じゃあそろそろだ。
みんな、いっせいに秋刀魚を七輪に乗っけるんだ。
それ焼け焼けぇ!
【演者全員バタバタ扇ぐ】
留公:うーし、ほらほらほら焼けてきた。
この秋刀魚ってぇのは不思議だよ。
焼いてるとだんだん脂が落ちてね、
この脂でそのうち秋刀魚が燃え出すんだ。
【演者全員バタバタ扇ぐ】
八公:ああ、こんな真っ黒になってもな、中は白くてふかーっとして
うめぇんだ。
ほら、良い匂いがしてきた。
煙が出てきたらな、どんどんむこうへ扇ごうじゃねえか。
熊公、秋刀魚焼くのは嫁さんに任して、表へまわるんだ!
特大のやつ、かましてくんな!
熊公:おう、任しとけィ!
語り:そんなこととはつゆ知らず、しわい屋こと油屋では、
旦那さんが忙しなく手を叩いては奉公人たちを指図しています。
旦那:さあさあお前たち、何をしてるんだ。
ほら、早く店の片付けをしなさい。
それが済んだらね、夕餉の支度をするんだよ。
手の空いてる者はさっさとご飯をよそっちまいな。
番頭:旦那様、あの、まだおかずが出ておりませんが…。
旦那:おかず?
おかずなんかいいじゃないか。
たまにはおかずなしでやってごらん。
さっぱりとしていい心持ちになるよ。
番頭:いえ、そういうさっぱりはどうかご勘弁を…。
ご当家はおかずと言ってもたくあんだけですから、
せめてあの、たくあんぐらいは…。
旦那:番頭さん、お前はどうしてそう、たくあんぐらいなんて、
恐ろしい事を言うんだい。
たくあんだけと言ってもね、これだけ大勢で食べたら、
えらい損害になるんだよ。
それでも、どうしても、たくあん、食べるっていうのかい?
あぁあぁ、どうしてこう贅沢に育てちまったんだろうね。
分かった分かった、じゃあたくあんを出しなさい。
辰公、お前がたくあんを切りなさい。お前は大工あがりだからな。
できるだけ薄ーく、向こうが見えるくらいに切るんだよ。
包丁が無かったら、カンナで削ってもいいくらいだからね。
早くーーーん?【鼻をひくつかせる】
ちょいと待ちな、なんかきな臭いと思ったら妙な煙が入ってきた。
いったいこれはどういうことだい?
熊公:河岸だァ―! 河岸だァーッ!
旦那:え、なんだって、火事!?
大変だえらい事だ、夕餉どころじゃないよ!
とにかく荷物をまとめて、誰か蔵の目塗りをしておくれ!
番頭:【つぶやく】
火事?
それにしては何だか煙が生臭い…。
裏から入ってきてるようだが…。
【二拍】
!あっ、あれは長屋の連中じゃないか。
あんなに七輪をずらーーーっと並べて、秋刀魚を焼いてるんだな。
なんだバカバカしいったらありゃしない。
とにかく、旦那様達を落ち着かせないと…。
【一拍】
皆、慌てる事はありませんよ、旦那様も落ち着いて下さい。
これ火事じゃありませんから。
旦那:火事じゃないって、これだけの煙が入ってきてるんだ。
えらい火事じゃないか。
番頭:ですから、火事じゃありませんよ。
秋刀魚です。
旦那:な、なに、秋刀魚?
番頭:ええ秋刀魚です、秋刀魚の煙です。
旦那:秋刀魚を焼いたぐらいで、これだけの煙が出るわけがないだろう。
番頭:一匹や二匹じゃありません。
長屋の連中、空き地にずらーっと七輪並べて、
たっくさんに秋刀魚を焼いてるんですよ。
もう、秋刀魚祭りですね。
旦那:こんな(くんっ)煙が(くんっ)
秋刀魚を(くんっ)ぐらいで(くんっ)
(くんくんくん…)
秋刀魚だ。あぁ、確かに秋刀魚だよ。
みんな知らないかもしれないけど、たしか四・五年前に石町さんで
一度ごちそうになった事がある。
美味しい魚なんだ。
何とかしてもういっぺん食べたいと、ずいぶん夢にも見たよ。
(くんくんくん…)
あぁこりゃたまらないな。
おいおい、何をしてるんだ。
早くご飯をよそうんだ。
番頭:え、旦那様、あの、まだたくあんが…
旦那:【↑語尾に被せて】
とんでもない。
たくあんなんぞいらないよ。
この匂いをおかずにして食べちまおう。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
桂三木助(三代目)
柳家小せん(五代目)