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メロンソーダ

作者: 朝川はやと

 もうかなり昔、僕が幼稚園に通っていた頃。僕たち家族は父方のおばあちゃんと一緒に住んでいた。おじいちゃんは僕が生まれるずっと前に亡くなっている。

 おばあちゃんと近所の喫茶店へよく出掛けた。おばあちゃんより少し年下くらいの老夫婦がやっている古いお店で、基本的には近所の人しか来ない静かな場所だった。僕はそこのメロンソーダが好きだった。上にバニラのアイスクリームが浮かんでいる。大きくなってから、それを「クリームソーダ」と呼ぶことを知ったが、当時の僕は関係なく「メロンソーダ」と呼んでいた。

 窓からの光を受けて、綺麗に透き通った緑色。その中を小さな妖精みたいな泡が踊るグラスに僕は見惚れた。

 「きれい。えめらるどいろだね」

 僕は言った。

 「ユウくんは難しい言葉を知ってるねぇ」

 おばあちゃんは笑った。

 なぜエメラルドと言ったのかといえば、当時ルビー、サファイア、エメラルドといった宝石の名前がついたゲームが流行っていて僕も夢中だった。幼心にかっこいいと思う言葉たちだった。

 おばあちゃんが飲むものは烏龍茶だったり、梅ジュースだったりと日によって様々で、たまにコーラを頼んだ。こちらはアイスクリームが浮かんでいないやつ。お年寄りがコーラを飲むイメージはあまりないが、おばあちゃんはゴクゴクとすごく美味しそうにコーラを飲んだ。

「シュワシュワが気持ちええねぇ」

 笑いながら僕に言う。笑うと目が細い線みたいになる。恵比須様みたいな顔。


 小学生になると僕はサッカーのスポーツ少年団に入り、練習がない日は友達と遊ぶようになった。おばあちゃんとどこかへ出掛けることはほとんどなくなった。


 小学校2年生の夏、サッカーの練習から帰るとお母さんが泣いていた。その日、おばあちゃんが死んだ。突然のことだった。僕が家を出てから1時間も経たないうちに心臓の発作が起こり、救急車を呼んだけれど病院に着いた時にはもうだめだったらしい。

 おばあちゃんが死んだと聞いた時、涙は出なかった。何も実感できなかった。棺桶の中のおばあちゃんの顔をみたときもやはり涙は出なかった。眠っているだけのような気がした。明日の朝になれば、おばあちゃんにまた会えるような気がした。けれど翌朝、おばあちゃんはどこにもいなかった。でも、ちょっと散歩に行っているだけ、そう感じた。


 「おばあちゃんに手紙を書きなさい」

 お母さんが言った。

 僕は手紙を書いた。何を書いたらいいかわからなかった。考えて、消して、考えて、最終的には多分こんなことを書いたはずだ。

 「おばあちゃんへ

  今までぼくのことを大切にしてくれてありがとう。

  サッカーもべん強もがんばります。

  中学校へいってもがんばるから、ずっと

  見まもっていてね。ゆうま」

 今にして思えばシンプルだが、本当に伝えたいことだった。嘘偽りのないメッセージだ。

 手紙を書きながら、両目に涙が溢れてきた。視界が霞み、手紙の上に涙がぼとぼとと落ちて染みた。

 口で言えば伝えられるはずなのに、どうしておばあちゃんに手紙なんて書いているんだろう。そのときはじめて、もう二度とおばあちゃんと話ができないことを知った。もう二度とおばあちゃんの声が聞けないことを知った。涙は止まらず、僕は声をあげて泣いた。お父さんがそっと背中を撫でてくれた。


 今年の春、僕は地元を離れて県外の大学へ進学した。運よく仲の良い友達ができ、いつものメンバーで深夜まで色んな場所で遊んでいる。

 暇を持て余したとき、大抵行き着くのはカラオケだ。今夜も結局カラオケにやって来た。いつもの5人の中で最も陽キャ度が高い潤平が、いま大ブームの男性シンガーソングライターの曲を歌っている。初めて見たときは、お坊さんみたいな歌手名だと思ったことを覚えている。今年最大のヒット曲であるこの曲は、カラオケでは必ず誰かが歌う。だから僕はあえてレパートリーに入れない。画面に流れるMVをみながら、光喜と竜太郎が腕を上げ下げしてダンサーの真似をする。歌詞を意識したことがなかったが、改めて聞くと大切な人との別れを歌った詞のようだ。

 理系のリッキーがドリンクバーに行って帰ってきた。手元にはメロンソーダ。大昔、幼稚園の頃に喫茶店で飲んでいた記憶しかない。おばあちゃんとよく行った喫茶店。もう今は営業していない店。あの老夫婦はどうしているだろう。元気だといいな。

 記憶の片隅にはおばあちゃんの声。微かな声。頭の中で再生する声はもう曖昧で、実際にどんな声であったか、あまり思い出せない。おばあちゃんが死んで、今年で丁度10年だ。


 僕は部屋を出て、ドリンクバーの機械へ向かう。メロンソーダのボタンを押す。濃い緑の液体が勢いよく出てくる。グラスに満ちていくエメラルド。輝くエメラルド。無数の小さな泡がどこからか生まれ、上へ上へ、次から次へと昇っていく。やがて弾けて消える。しばらくそこに立ってグラスを眺めていた。次第に泡が減っていく。

 不自然に長く眺めていたので、「機械の調子悪いですか?」と若い男性店員に聞かれてしまった。「いえ、大丈夫です」と言って、すぐにグラスを持ってその場を離れる。


 ずっと泡が消えなければいいのに。


 ずっと元気でいてくれればよかったのに。


 部屋へ戻りながら、メロンソーダを飲む。まだちゃんと炭酸のジュースだ。喉を通るシュワシュワが気持ちいい。弾ける泡が消えないうちに、全部飲み干そう。





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