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検閲不可の我々のために

作者: 中林宙昊

自分の感情に疑いを持つことというのは、普通に生きていればまずない。


自分の生い立ちや過去の思い出、様々な出来事を通して細分化すれば一日ごとやや違った自分が、自分の感情がそこにある。


しかしながら時としてそれを疑う必要がある瞬間は共生を余儀なくされてしまう世の中絶対的にある。

その状態の、「自分を一口には肯定できなくなる感情」が鬱というらしい。


自分はよくそうなってしまう。

だからこの記述にはそれに対する解決策などは一切記述しないし、できていればまずそうはならないのだから。

つまりこれらの駄文には生産性も発展性もないし、「だからどうした」の一言がよく似合うこと請け合いであろう。


ならなぜタイトルに「ために」と書いてあるのか。

それは後々記述する。


一過性を保った時間概念に苛まれ、常に後戻りが上書き、後付けにしかならない我々は、だからこそ後悔のないようと世を器用に渡ろうとする。

ほとんどの人間(言い切るべきではないが)はそれらを上手くこなしていると思うし、実際私もそこそこはできていると思う。


しかし目下の問題はそれであるのだ。

「そこそこできる」という部分、これが長年私を苦しめ続けたキラーフレーズである。


例えばであるが、「自分は○○が上手である」という言葉、言葉の表層部分を見れば自分で○○が上手であると思っている人になる。しかし実質はそう言い切れるか。

たった一言でもそこにはなりたつべき理由がある。


推論するならば、その人物が実際に上手であるかは別としよう。

しかしながら周囲の反応が上手なものに向けられるものであったり、周囲の者や過去の自分が相対的に下手であったりなど、環境要因によって自身の情報が形成されることはざらにある。

そしてその事実は認識の数だけ本当のことになる。


自分で何かを良いと思っても、その思考や工程すら誰かによって施されたものに過ぎないのだ。


私の抱える「そこそこできる」の問題は、それらのように過去の私の経験で出来ていたこと、作り出してしまった当たり前のラインにある。


過去の自分は、前に記述したように一日ごと同じとは言えず、それが例えば半年だったりそこそこ期間が開いているなら、ツイッターを振り返るだけでも「自分は何を言っているんだ」と思うことがある。


形式上は同じ人間でも、考えの成長や様々な出来事を通して日を過ごせば同じ人間とは一口に言いきれない現実がここにあるのだ。


だからこその、当たり前のラインがしっかりとしているからこその行動だったりも重要であるのは承知している。

しかし考え方が変われば生き方が変わるのも自然、そんな状態で常に当たり前のラインにつかず離れずというのは可能なのだろうか?

君たちがある日、いきなり用意されたルールを「出来なければ病気」と言わてしまったらどう思うだろうか?


少なくとも私はそれができないから衰退と活動を繰り返している。


私は普段、文章は伝わってなんぼのものだと思っている。

だからこそ調べても出てこないような表現や感覚、感情は控えているつもりだし、それらは普段の文を読んでもらえば分かると思う。

しかし何故今回こんな一人よがり的文章を書いたのか。

ふと、責任を負うことに疲れてしまったからである。


会話には共感をもとにあるプラス的やりとりがあったりする。

私はこれが人並みに好きだ。

しかし会話には対面性による責任も発生する。

これがどうにも嫌いなのだ。

相手に依存した、解法もないブラックボックスが頭の隅で大きくなっていく感覚に耐え切れないし、それが当然のことならなおさらである。


誰かを感じていたい側面と、誰にも触れられたくない側面は共存し、常に蟠りとして心に住み着いている。

だからこそ、何処にもいない誰かのために私はこれを書いているのだ。


誰かのつもりでいることで、私は私でいられるのだ。


いつかこの文章を振り返るとき、それが半年後かまた更に先かは分からないが、その時には感情に決着がついている事を願う。


誰かの為を本当に思うというのは、こういう事かもしれない。

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