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Myth&Dark  作者: 志亜
Devils and Daemons
53/54

第52話 最愛の人間性を持つ者へ


「げ! モードレッド!」

 

 最初にモードレッドの姿を確認したのはボルクスだった。味方であるはずのモードレッドを見て、なぜか厄介なのに見つかって不味いみたいな声を上げた。一瞬でその場にいた全員の視線がモードレッドに集まる。


「げ、とはなんだボルクス、説明しろ。一体これはどういう状況だ」


 モードレッドがその場の全員を見渡す。今の状況はモードレッドにとって情報量が多すぎる。ジャンヌ、イフリート、レラージェという敵がまだいるが、なぜか彼らに囲まれて平気な顔をしているボルクスを見て、モードレッドは事を構えようとは思わなかった


 アンナの治療を受けながら、ボルクスは「よっこいしょ」と寝ている姿勢から、座っている姿勢へと身体をゆっくり動かした。


「ぜ~んぶマシューと聖十字教が悪い。俺たちがジャンヌの勢力と闘ったのも、マシューの件も、聖十字教のド汚えケツ拭いたようなもんだぜ」

「なっ……!?」


 急に飛んできた聖十字教への悪態に、モードレッドは顔をしかめた。しかし、敬虔なアンナが何も言わないのを見て、モードレッドもその言葉については聞き流すことにした。


「マシューは極悪人と呼ぶのも生易しいほどの外道だった。その外道がこの島を襲おうとしてたから、ジャンヌたちと一緒に闘って、さっきラミエルで完全に消滅させた」


 モードレッドがボルクスとアンナ以外に目線をやる。ジーク、レイン、グリムにうっすらと警戒されてはいたが、ジャンヌだけはボルクスがモードレッドを説得すると信じて、なんの警戒もしていなかった。


「あいつは最初から騎士としてこの島を守る気なんて皆無だったぞ。モードレッドも薄々わかってたから、あいつに槍を投げたんだろ。てか、責めるわけじゃないけど、今まで何してたの? なんでマシューがラミエル持ってたの?」


 ボルクスは純粋に聞きたかっただけだが、モードレッドはその生真面目さ故か苦々しく、申し訳ないような顔をした。


「それは……すまん。マシューがラミエルを持ってたのは完璧に俺の落ち度だ」


 モードレッドが見たことないくらいの落ち込みようで、謝罪の態度を示した。


「俺は……ゼパルに負けて、気を失っていた。心臓を直接攻撃されて、死んだかと思っていたが、なんとか生きていた」


 そこに、ゼパルの能力を知っているジークが口を挟み、生きていた理由を説明する。


「最上級騎士の旦那、そりゃジャンヌの方針だぜ。殺さずに済む相手は殺さない。つまりあんたは生きていたんじゃなくて、生かされたんだ。多分ゼパルはただ槍で心臓を貫いたんじゃない。円柱状に変化させた槍で心臓をどついて、仮死状態にしたんだ」

「命拾いしてんじゃん!」


 ジークの説明を聞いたボルクスが、叫んだ。モードレッドが何ら反論することのできない事実であった。モードレッドはジークの謎の馴れ馴れしさと、それを受け入れたようなボルクスの便乗に困惑したが、ただ事実を飲み込むことしかできなかった。


「目を覚ました時にはラミエルがなくなっていたし、ゼパルも死んでいた。その上、この島の人間が何人か急に化け物になったというとんでもない事態が起こって、俺はその対処にあたっていた」


 仰向けになって身動きができず、視線だけをモードレッドに向けながら、モラクスが言う。


「それもマシューのせいだな。俺が本人から直接聞いた。悪霊を人間に取り憑かせて、化け物にしたんだとよ」


 ボルクスと瓜二つの顔を改めて見たモードレッドが、話を忘れて驚きの表情を浮かべる。


「ボルクス……この男は……?」

「双子の弟、たまたまこの島の近くに来てたから、協力してもらった」


 ボルクスもモラクスの顔をチラリと見て即答した。モラクスについての説明は面倒くさいことこの上ないので、事前に用意していた言い訳を使った。


「で、化け物になった元人間をどうした?」


 ボルクスが会話の流れを戻し、モードレッドを見る。


「ゼパルのすり抜けの槍を使って闘ったら、上手いこと悪霊だけに攻撃が当たって、なんとか全員人間に戻せた」


 モードレッドが地面に落ちたいた、ゼパルの槍を指す。ゼパルがマシューに気づかれずに今際の際で生成し、体外に出した槍だった。


「命拾いさせてんじゃん!」

「まあ、ゼパルの槍なら、それくらいはできるだろうな」


 同じようやことを叫んだボルクスを、全スルーして、ジークはモードレッドに補足した。


 この島の人間が化け物になっていた時間は、意外と短い。ボルクスとジャンヌの闘いが終わってから、モラクスとマシューの闘いが始まり、マシューが全霊顕現を使うまでの時間であった。


 ジャンヌとボルクスが闘っている途中で、人間を化け物にすれば、ジャンヌはすぐに闘いを中断するくらいには甘い、とマシューは判断していた。


 共倒れはマシューにとっては理想的だったが、モラクスというイレギュラーが全てを狂わせた。マシューはモラクスとの闘いに集中して、モードレッドの活躍に気がつかなかった。


 マシューが人間を化け物に変えた騒動によって、怪我人こそ発生したが、死者はいなかった。


 モラクスの存在と、ジャンヌの闘いに関する方針、ゼパルの槍がすり抜ける槍を生成できる能力を持っていたこと、その効果をモードレッドが身をもって体験し、一か八かで使ったこと、全ての偶然が重なり、マシューの邪悪な計画を打ち砕いた。


 モードレッドが再び自分が何をしていたかを話し始める。


「その後に何かデカい光の球が何度もこの島を狙ってきたから、この島の人間が避難する準備を手伝ったりしてたたが……」


 空を見上げたモードレッドは息をついた。


「やはり、駆けつけて正解だった。化け物騒動の時にマシューはいなかった上に、駆けつけた先でラミエルを、島の破壊を何ら考慮せずに使おうとしていた……マシューの正体はどうあれ、俺があいつに槍を投げた理由はそれで充分だった」


 ボルクスもモードレッドの騎士としての行動には、なんの落ち度もないと納得した。


 モードレッドがジャンヌ、ジーク、レインを見る。


「ジャンヌとその配下に問おう、貴様らはまだ我々と刃を交える心算があるのか?」


 モードレッドはジャンヌの様子から、もうこれ以上闘う意志はないと薄々わかっていたが、やはり本人の口から聞いておきたかった。


「ジャンヌはなぁ……」


 ボルクスが何か言おうとしたのをジャンヌは止めた。


「私たちはもうあなたと闘うつもりはない。マシューが出てくる前に私とボルクスの闘いで勝敗はついたし、私たちは投降するわ。ただし、私自身はともかく、私の部下は捕虜として丁重に扱ってちょうだい」


 そう言いながらジャンヌはモードレッドのところまでラミエルを持って歩き、差し出した。


 言葉の通り、ジャンヌにこれ以上敵対する意志は見られない。ラミエルを差し出したその動作にモードレッドは、誠意を感じながら、受け取った。


「モードレッド、ジャンヌとその配下の身柄は俺が預かるぞ。俺にもそのくらいの地位はあるはずだ。最上級騎士の右腕だからな」 

 

 ボルクスが体を引きずりながら歩き、モードレッドの正面に立つ。ジャンヌがボルクスを見つめながら一歩身を引いた。


「身柄を預かってどうしたい」

「とにかく、死なせたくない。色々察してるんじゃないのか? ジャンヌがラミエルの解詞を知ってるのは盗み聞きなんかじゃない。俺たちが今日死闘を強いられたのは、過去の聖十字教の歪み故なんだ」


 モードレッドも、ボルクスの言う通り、ジャンヌが元々、天導騎士団に所属していた人間であることを察していた。騎士としての訓練を受けた人間特有の振る舞いや、雰囲気などを感じたからだ。


 かつてジャンヌは天導騎士団に身を置き、聖十字教のために闘っていたが、何らかの事情があり、天導騎士団に討たれて封印され、魔王になった。


 大まかなことは察することができたが、それ以上は知らなくてもいい情報として、ジャンヌのことを詮索しようとは思わなかった。


「聖十字教の上から色々来るであろう追求を、俺が全部跳ね除けたい。だから絶対に、聖十字教が不都合な真実をもみ消すため、なんていうクソみたいな理由で殺させたくない」  


 ジャンヌは今の時代には魔王として伝わっていた。ライラの死を嘲笑った連中を皆殺しにした故に、ジャンヌの騎士としての功績は隠蔽、死後その存在自体も魔王として捏造された。不都合な真実とは、ジャンヌが元々天導騎士団に居て、それなりに戦果を上げていたということである。聖十字教は、この真実を身を掻きむしるほど嫌悪する。


「危険は承知の上か……だがなぜそこまでする?」


 モードレッドが、これからのボルクスの境遇を案じ、問いかける。ボルクスは真っ直ぐに決意のこもった言葉を返す。


「ジャンヌが、俺にとって最愛の人間性を持っているからだ」


 ボルクスの目が、力強い光を宿した。モードレッドはその目を見て、かつてリズとレアを守る闘いの際にもボルクスはこんな目をしていたことを思い出した。恐らくジャンヌを殺そうとする人間が現れれば、ボルクスは今の地位を捨ててでも、躊躇なく敵に回して闘うだろう。


 なんだかんだ、敵対していたとはいえ、ジャンヌの人間性にモードレッドの命が救われたのも事実であった。その事実をモードレッドは心に深く深く刻み込んでいた。


 ボルクスの言葉を聞き、ジャンヌの肩が何かの感情に揺れる。体全体が奇妙な浮遊感に包まれ、熱を持ったような気がした。


 ボルクスは魔女を救うために生きたジャンヌの意志を、この世で最も気高く尊い意志と信じ、何としてでもこの意志を、終わりにさせたくなかった。最愛の人間性とは、人を愛し、弱者を救う、というボルクスが守るべき営みそのものであった。


 ボルクスの言葉は騎士としてではなく、一人の人間として言った、私情にまみれた言葉だった。しかし私情で動いているのはボルクスだけではない。かつて敵対していたとしても、モードレッドもまた、ボルクスという男を死なせたくなかった。


 モードレッドは苦労してしばらく考えながら、ボルクスの意向を組む案を提示した。


「魔王とその配下は、既に悪魔として広く認知されているからな、ガスパーと同じように、お前は名目上だけでも、悪魔使いになるといい。悪魔使いに使役される悪魔は、悪魔使いの所有物という扱いになる。俺はそれ以外に方法は思いつかん」


 所有物扱いにボルクスは難儀を示したが、これはモードレッドが思いつく最善の考えだということを、直前の苦心から理解していた。


「それと、そいつらの身柄を預かるのなら、俺の従士をやめてもらうぞ。俺にも色々守るものがあるからな」

「ありがとうな、モードレッド」

「お前が俺の家に来た時よりかはマシだ」


 ボルクスは大分無理を言っている自覚はあった。モードレッドも一応、ジャンヌのおかげで命拾いをしたし、恩義を返すためにも、ボルクスの意向を最大限汲もうとした。


 ボルクスもそうだったが、ジャンヌの存在は聖十字教から見れば爆弾そのもので、危険極まりない。守るべき家族がいるモードレッドにとって、この判断は妥当であった。


「だからもう好きにしろ。俺はお前が自分の所有物に何をしようと関係ない。俺は何も見てないし、何も知らん。今からこの島の人間に闘いが終わったことを伝えてくる。後は自分たちで話し合って決めるんだな」

 

 モードレッドが踵を返し、歩き出した。これから起こることに知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりであった。


「えっと……」

「グリム」

「グリムさんは……その魂をどうするつもりなんですか?」


 ボルクスから小声でグリムの名前を教えてもらったアンナが、恐る恐るグリムに聞いた。


「大丈夫、私は、彼らをきちんと成仏させるから」


 グリムが光の球をしっかりと持ちつつ胸を張って答えた。


「そうですか……」


 アンナが呟きながら、グリムから光の球へと視線を移す。


 とはいえグリムはアンナにとっ、ていきなり現れた正体不明の乱入者だった。闘いに加わり、マシューから悪霊を引き剥がすために多大な力を使ったのは見ていたが、それでも少しばかり不安が残った。


「シスターアンナ、大丈夫だ。この人は信頼できる。聖十字教が生まれる前からずっとこういうことをやってきた一族の末裔なんだ」


 その不安を拭い去るようにボルクスが横から口を挟む。


 正体を隠すためとはいえ知った風な口をきいてしまったボルクス、しかしグリムはそんなことを全く気にしなかった。ボルクスがマシューを倒すために闘っていたのを見ていたからだ。


「私たちの一族はマシューをずっと追っていたから、この魂を成仏させるのは、私の一族の悲願なの。だからこれは、私がやらなければならないわ」


 グリムの言葉には嘘が混じっていたが、責任感は本物だった。


「アンナは早くエリザと子供たちのところに戻って、闘いが終わったことを伝えて欲しい」


 ボルクスの言葉に、アンナの脳内に残してきたエリザや子供たちの顔が浮かび、自分が今やらなければならないことを思い出した。


「それもそうですね。私はもう行きます。一刻も早く子供たちを安心させてあげたいですから」


 アンナがその場にいる全員を見回す。


「みなさん、ちゃんとした治療をしたいので、色々終わったら、私のところまで来てください」


 魔王ジャンヌとその配下にも臆することなく順番に目を合わせる。


「ジャンヌさん、レラージェさん、イフリートさんもです。ボルクスさんが身柄を預かるのなら、私もあなたたちを受け入れます」


 そう言い切れるほどまでにアンナのボルクスに対する信頼は高かった。ボルクスのジャンヌに対する扱いも、決して途中で投げ出したり、いい加減になったりしないだろうと、信じていた。


「アンナ」


 レインの声だった。震えるような声だった。雌犬という蔑称ではなく初めてレインはアンナの人としての名前を呼んだ。アンナがレインの顔を見る。その顔にはあれほどまでに、悪し様に罵られたはずのレインへの恨み辛みなどは、全く見られなかった。 


 アンナのその精神性を前に、心臓が握りつぶされそうな委縮感をレインは覚えた。


 マシューは死んだ。数百年間に渡る因縁は終わった。一人一人が自分の役割を闘いの中でこなし、勝利をもぎ取った。アンナもその中に入っていた。アンナがいなければ、マシューは倒せなかった。にもかかわらず、アンナはそれを何ともおもっていない。

 

 自分のやったことは決して許されないだろう。言うべき言葉は謝罪ではない:


「ありがとう、一緒に闘ってくれて」


 レインが様々な感情にまみれながら、感謝の気持ちだけを選び取り、絞り出すように言った。


「あなたがいてくれて、本当に助かったわ。私もこれだけは言わせて」


 今度はジャンヌがレインに続く。


「ありがとう」


 アンナがジャンヌとレインを見る。二人共、この島で暴れていた時とは違い、穏やかな表情をしていた。あれほどまでにジャンヌの表情を満たしていた悪意と憎悪は完全に消え去っていた。


 アンナは、ジャンヌはもうこれ憎悪と悪意に満ちた表情をすることはないだろうと信じていた。グリムの言っていた悲願や、マシューとジャンヌの因縁はわからない。


 しかし、ジャンヌとレインは恐らく何かしらの救いを得たのだと思うと、アンナは満足した。


「生きて、苦しんでください。そして苦しんだ以上に報われてください。祈りはしません。これは純粋な、私の願いです。それ以上、もう私からあなたたちに言うことはありません」


 その言葉をジャンヌとレインは、深く受け取り、心の中に、大事にしまった。


「それでは」


 アンナがボルクスに会釈し、歩き出した。 


「ジャンヌ、俺はジャンヌに生きてほしいと思ったけど、これは俺のエゴだ。ジャンヌ自身はどうしたい?」


 モードレッドとアンナが遠く離れた後、ボルクスはジャンヌに聞いた。魔女狩りももう存在しない。魔女ももういない。密告に怯える時代は、ジャンヌが封印されている間に終わりを迎えた。


「少し、グリムと話す時間をくれるかしら?」


 ジャンヌがチラリと、グリムを横目で見る。


「ああ、かまわない。じっくり話し合ってくれ」

「ありがとう」


 礼を言い残して、グリムの下に向かうジャンヌ。その背を見つめるボルクスに、モラクスが話してかける。


「ボルクス、俺も少しお前に話しておきたいことがある」


 ボルクスとモラクスがその瞬間、初めてお互いのことを面と向かって認識した。奇妙な偶然が重なって生まれた自分そっくりの存在を前に、ボルクスはやはり双子の兄弟とは違う、もう一人の自分を目の前にしたような、奇妙な感覚を抱いた。


「ありがとな、正直お前のことはよくわからんが、お前が闘ってくれたおかげで、みんなでマシューを倒すことができた」

「礼はいい、ジャンヌに命をもらった者として、あいつは絶対に生かしておけなかっただけだ」


 全く同じ姿形をした二人が、そんな会話を交わしながら、ジャンヌやグリムと一旦離れた場所まで行った。


 モラクスは、自分の存在の元であるボルクスと、生前も含めて、同じ記憶を持っていた。ジャンヌの過去も、自らが誕生する際に流れてきた。故にマシューと闘い、この島を守った。人を守るために生きたジャンヌの意志に応えるために、命をもらった恩義を返すために闘った。


 自分の存在の元であるボルクスに対しては、オリジナルより強くなりたいとかいう、闘争心も敵対するつもりもなかった。


 モラクスという存在がこの世界に誕生したのは、偶然ではあったがジャンヌの意思によるところが大きい。故にモラクスはジャンヌには大恩を感じ、敬愛し、慕うべき自分の主として見ていた。


「ジャンヌ、レインにも、あなたたちに話しておきたいことがあるの」


 グリムの声は穏やかで、聞く者に安堵感を与えるような声だった。マシューから引き剥がした霊魂は、光る球の形で一つにまとまり、グリムのそばにフワフワと浮いている。


 何を話すか無言で待っている二人の顔を、グリムは改めてよく見た。マシューが消滅し、因縁を終わらせたことによって、二人とも、落ち着いた顔をしていた。これは彼女たちを死なせたくないと言い切ったボルクスのおかげでもあるだろう。


「ベスとライラは、生かして、この島から逃したわ」


 その言葉に、ジャンヌとレインが表情を失う。あの二人を救えなかったと思っていた。救えなかった後悔と無力感を、封印されてからずっと背負って生きてきた。


「ジャンヌ、私はマシューの不意打ちでは死ななかったけど、何日も動けなくなってしまったわ。でもジャンヌとレインの封印から数日後に動けるようになって、あなたたち四人を救うために、マシューに立ちたかったの」


 ジャンヌとレインが背負っていた後悔と無力感が、ほんの少しだけ軽くなった。


「ベスとライラは、生きていたわ。二人とも常人とは違う特別な力を持っていたようで、マシューが実験対象として生かしていた。幽閉されたライラとベスを何とか助け出して、逃したわ。その後ジャンヌとレインも封印から解放するつもりだったけど、それには失敗しちゃって、マシューに取り込まれてしまったわ。私が今回の闘いでマシューから吐き出されたのは、そういうこと」


 望外の事実に、心と身体の両方が熱を持った。


「だから、ベスとライラがその後どうなったかは、私には一切わからない。けど……」


 ジャンヌが、言い淀むグリムの言葉を遮る。


「ライラは……年の割にはしっかりしてるから……きっと大丈夫でしょうね」


 ジャンヌの言葉に根拠はない。


「ベスも……ライラの言うことはしっかり聞くから……心配ないわ」


 ジャンヌの言葉に根拠はない。根拠はないが、愛しい人の、思いもよらなかった生存を知り、その先の幸せや報いを願わずにはいられなかった。


 グリムが話したことは数百年も前のことである。普通の人間の寿命を考えれば、ライラとベスは、年老いるほどに生きたとしても、今の時代には既にいない。


 二人が、どう生きたか、どう死んだか、今のジャンヌたちには知る手段はない。魔女として、あの身体的特徴を持ちながら生きていったのは、苦難の道であったかもしれない。しかし、その人生が少しでも安らかで、満ち足りていたことを願いたかった。願うしかなかった。


「これは……二人と最後に別れる時に預かったわ。ジャンヌ、あなたに渡してほしいって」


 グリムが懐から、布でできた小さな袋を取り出し、ジャンヌに渡した。


「中を見て」


 その言葉に従い、中身を手のひらに落とす。袋からでてきたは、結び目でひとまとまりにされた、黒と金の、毛髪の束だった。


 ジャンヌがそっと、指でそれを撫でる。その触り心地はジャンヌが何度も感じたものであった。地下牢の中で、何度もジャンヌが手入れをしてあげた、ライラとベスの髪だった。


 その柔らかさに、懐かしさがこみあげ、地下牢での日々が鮮明に頭の中を流れた。ジャンヌの目頭から、音を立てずに、大切な人への、名残惜しさと愛おしさが、涙となって頬を伝った。


「ありがとう……グリム……私は、あなたにたくさん救われたのに……あなたに何も、返せていないのに……」


 ジャンヌの名残惜しさと愛おしさが、グリムにも向く。グリムの底抜けの明るさは、莫大な不安を胸に日々を送るジャンヌにとって、得難い救いとなっていた。


「ごめんなさいね……」


 グリムが申し訳なさそうな、寂しそうな声を出した。


「私が……私がもっとしっかりしてれば……あなたを……こんな……!!」


 ジャンヌの顔と声が、ぐしゃぐしゃになっていく。


 グリムが、消えつつある。マナはだんだんと薄れていき、身体が淡く光を放っていた。


 グリムはマシューに食われても、悪霊の負の感情に飲み込まれないために、魂をすり減りしながら、自我を、正気を保っていた。


 そのまま何百年も耐え続けた末に吐き出されて、マシューとの激闘を終えた今、悪霊を引き剝がすために、大量のマナを使った反動で、魂自体が消えつつあった。


 今、グリムは最後に残された力で、手に持った霊魂を成仏させるつもりだった。


 ジャンヌもレインも、詠唱の内容とグリムの覚悟などから、薄々こうなることを理解してはいた。理解してもなお、涙が止まらなかった。


「ジャンヌ、あなたは一生懸命、私たちを助けようと、力の限りを尽くしてくれたもの。私はあなたを、絶対に責めたりなんかしないわ。私が消えてしまうことは気にしないで、自分で望んだことだから」


 グリムの優しい声が降りかかる。


「だからこれからは、自分のために生きて。あなたの手で、あなたの幸せを掴み取って」


 優しい声がジャンヌの心を救う。しばらく、ジャンヌはその言葉を時間をかけて受け入れた。


「私ね、やりたいことが見つかったの」


 悲しさが溢れて止まらなかったが、ジャンヌは消えゆくグリムを安心させようとして、無理矢理明るい声を出した。


「私は、ボルクスさんを聖皇にしたいの。ボルクスさんが聖皇になった世界を見てみたいわ。きっと信仰が人を殺さない時代がくるはずよ。それは私がベスやライラに与えたかった未来だから、私はボルクスさんに協力したい」


 魔女狩りはなくなったが、まだボルクスが見過ごせない狂信は蠢いている。


「それに、私とライラとの約束を、覚えてる?」

 

 グリムにそう言ったジャンヌの顔は、これまでにみたことないほどの希望と未来を携えていた。地下牢の中でベスやライラと話す時でさえあった、出自故に持つ拭いきれない不安や懸念、自分の行動がバレることに対する恐怖などから生まれた顔の陰りが、完全になくなっていた。今は本当の意味で、一人の、年相応の女に、戻れたのかもしれない。

 

「よかった……ならジャンヌはもう、大丈夫ね」


 ジャンヌがボルクスの名を呼ぶときに込められた感情は、ベスやライラに対する感情とは違い、グリムが見たことないものだったが、グリムは安心した。ヴァルキリーがヴァルキリーであることを止めた理由が、その感情の先にある。


 ジャンヌはもう大丈夫だろうと、安心した目を向けていたグリムが、今度はレインを少し心配そうな顔で見た。


「レイン、あなたは私たちの末の妹だから、散り散りになった他のヴァルキリーと再会することにこだわっていたようだけれど、私は、あなたももう自由に生きてもいいと思う。オーディンもヴァルハラも、もうなくなってしまったから」


 グリムが遠い顔をして空を見上げる。


「他のヴァルキリーも案外自分の思うがままに生きて、死んでいったのかもしれないわ」


 否定も肯定もできない。だがライラとベスと同じように、その最後が穏やかであったことを、信じるしかない。


「でも、どうしてもあなたがヴァルキリーであることを捨てきれないのなら、戦士長ヴァールに会いなさい」


 戦士長ヴァール。ヴァルキリーたちを率いる女神である。その名には誓い、誓約といった意味がある。


「ヴァール様が……いるの?」


 グリムを失う悲しみに沈んでいたレインが、僅かに希望を見出した。


「ええ、数百年前は感じなかったけど、今ははっきり感じる。戦士長ヴァールの気配を……黄金大陸って所に感じる……会いに行くといいわ、きっと力になってくれるだろうから」

「ありがとう……グリム……最後まで私の意志に応えてくれて」


 あふれ出る涙をこらえ、グリムを安心させようとして、レインは明るく礼を言った。グリムとレインが、二人で旅をしてジャンヌに出会ったのも、元はレインが他のヴァルキリーに会いたいとグリムに頼み込んだからである。それを思うと、レインの胸は余計に絞めつけられた。


「そろそろ……行かなくちゃ」


 グリムの身体を覆う光が強くなる。幻のように朧げになっていくグリムが、そばに浮かせていた光の球を頭上へと掲げる。


 光の球が弾けた。マシューが蓄えていた人間の霊魂が一気に解放され、空を登る流星のように、天に舞い上がっていく。星の数ほどの魂がガリア島の空を、輝きで満たしていく。この世のものとは思えない、不思議で幻想的な光景だった。





 その光景は、ボルクスとモラクスの、上空にも広がった。


 息をのむ二人の前に、荘厳な雰囲気を纏う、年老いた男が現れた。その身体は全て青く、半透明であったが、確かな存在感があった故に、空を見上げていた二人はすぐに気付いた。


「ベオウルフ……」

 

 人間としての姿を始めてモラクスに晒したベオウルフであったが、一発で正体を見抜かれ、嬉しそうに身体を揺らして笑った。


「はっはっは。嬉しいなあモラクス、自分のことをはっきり覚えてくれる人間がいるのは」

「一緒に闘ってくれたこと、本当に感謝する。ベオウルフがいなかったら、今の俺はいない」


 モラクスがベオウルフと固く、重い握手を交わした。その手からベオウルフの歴戦が物言わぬずに一瞬で伝わってきた


「なあに、俺も当然のことをしたまでだ。立場は違えど、俺の動機も、そこにいるボルクスとは何ら変わりはない」


 ベオウルフはちらっとボルクスを見る。モラクスの元であるボルクスは、鏡写しのようにそっくりであり、奇妙な感覚があった。


「ベオウルフ……バルベリト……そういうことか。モラクスと共に、この島を守ってくれたのか!」


 「ありがとう!」と言って、ボルクスはベオウルフと握手を交わした。ベオウルフは己の手から伝わる猛者の感覚に、ボルクスの良い目に、心が震えた。


「そういうことだ。まあ、俺はもう行かなきゃならんがな。その前にモラクス、お前に名前を送りたい」

「名前?」

「ああ、モラクスは悪魔の名前だ。そのままだと色々不便だろうからな」


 ベオウルフが空を指差した。何かあるのかと、二人も上を見上げた。空には、あの世に還っていく魂が、星のように輝いている。


「お前の名はゼリオス! 光り輝くという意味のゼリオスだ!」


 ベオウルフは空に向けていた指を、ゼリオスに向けた。指を向けられ、心臓がドクンと高鳴った。ゼリオスと言う名前が、自分という存在とその運命を、これ以上なく、明確に表現していると思ったからだ。


「ゼリオスか……」


 自分の名前を口に出して確認し、その響きを舌に乗せ、自分の耳に聞かせる。


「ありがとう。俺はこれからその名前を、ゼリオスを名乗る。名前と、名前をくれた者に恥じない生き方をする。短い間だったが、本当に世話になった。ベオウルフのことは決して忘れない」


 その答えを聞き、ベオウルフは満足そうに頷き、笑った。


「ベオウルフが悪魔ではなく、英雄として語り継がれるような時代を、俺は作る。その時には、この島を守るために闘ったことも、ベオウルフの物語の一つとして加えよう」

「ああ、頼むぜ……!!」


 ベオウルフがボルクスとゼリオスの肩をガシィッと、力強く掴み、二人の顔を見収める。


「じゃあな! 俺はもう行く! ボルクス! ゼリオス!」


 男たちの別れに涙はいらない。


「頑張れよ!」

 

 ベオウルフは笑いながら消えていき、天へと登って行った。最後にモラクスと闘えたことを生前の闘いと並びうるほどの、誇りに思いながら。


 



 もう一人の男も、別れに涙を流さなかった。


「じゃあなグリム、俺がまたそっちに行ったら、美味い酒を汲んでくれよ」

 

 淡白な別れを告げるジークはもう少しこの時代に残るつもりであった。その理由は偏に闘いを求める戦士の性故である。グリムの心残りにならないよう、ジャンヌやレインを助けるために残るのではない。更なる強敵と闘いを求めるために、戦士としての自尊心のために残るのだ


 ジークの目から、そのことをグリムはすぐに察知した。

 

「ええ、土産話も楽しみにしてる」


 グリムとジークのやり取りは短かったが、ヴァルキリーと、ヴァルキリーに導かれた戦士の、唯一無二の信頼関係がそこにあった。多くの言葉を交わさずとも、彼らはお互いを理解できる。グリムとジャンヌとはまた違った、関係性だった。


「ジャンヌ、私はあなたに会えて、本当によかった」


 その言葉が、ジャンヌの心に強く深く、刻まれた。取りこぼしたものも多かったが、今までの生が全て報われたような気がした。


「私の方こそ……」


 ジャンヌは感極まっていたが、グリムの人柄からして、涙で見送るのは似合わない気がした。


「私もグリムに会えてよかった。グリムがいたから、グリムの大きさに、私は救われたの。あなたとの出会いが、本当に色々なものをくれた」


 ジャンヌが微笑んだ。


「あなたのことを胸に、私は生きていくから……」


 レインもグリムを安心させようと、微笑む。


「私も……グリムの分まで、生きるから……ヴァルキリーじゃなくなっても、生きるから……グリムが居なくても……一人でも、大丈夫だから」


 満足そうな顔をしながら、グリムの輪郭が風に溶けていく。

 

「嬉しいわ。みんな前を向いてくれて」


 グリムが力強く、優しい目をして、ジャンヌとレインを見つめる。


「ありがとう、みんな」


 見つめたまま、グリムの姿は光の粒となり、風に流れて、溶けていった。


「じゃあね」


 空に昇っていく人間の魂も、やがては数を減らし、消えていく。空の色から輝きが失せ、元の静かな空へと戻った。


 もういないとはわかっていても、しばらくグリムが消えた虚空を、ジャンヌとレインは眺めていたが、やがて、ボルクスと話をつけるべく、歩き出した。



 一つの時代が終わりを迎えた。


 人が死んだ、心が死んだ、善が死んだ、尊厳が死んだ、人が人として生きていく上で、明日を信じて生きるために必要なもの全てがことごとく死に絶えた時代があった。


 しかし、そんな時代にあっても、善をなすために、みんなで笑うために、幸せになるために、人を愛し、弱者のために生きた、誇り高く気高い意志があった。


 その意志が、死と絶望の渦中で、確かに守り抜いた種があった。その種がどんな形で芽吹くのか、どんな形に育つのか、まだ誰もわからない。


  

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