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Myth&Dark  作者: 志亜
Devils and Daemons
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第45話 結局のところは悪意と欲望

 ライラ、ベス、グリム、レインの四人を、一斉に逃すことはできない。一人ずつ、慎重にガリア島から逃し、どこかで合流させる必要があった。


 地下牢のある教会から離れ、人目につかないように、道すらない木立の中を、ジャンヌとグリムが駆けていく。


「ジャンヌ、私を一番先に逃がす理由は何?」


 グリムが先頭を走るジャンヌの背中に、早口で話しかけた。


「島の外に以前、私が逃した魔女がいるわ。彼が経営している宿を合流地点にしたいけど、上陸地点からは距離がある。グリムには一人で上陸地点で待ってもらって、後から私が三人を連れてきて、受け渡したい」


 ジャンヌは振り返らず、走る速度を落とすこともなく、声だけをグリムに向けて答える。


「なるほど、私が一人で三人目、四人目を迎える時、残りはジャンヌの助けた男に匿ってもらうということね?」

「そういうこと、四人の中じゃグリムが一番強いから、引き渡し役には最適よ。頼りにしてるから」

「デュッフヘヘヘ、嬉しいこと言ってくれるじゃないの」


 ニヤついた笑みを浮かべているのが、ジャンヌは後ろを振り返らずとも、声だけでわかった。


「グリムの次はベス、ライラ、レインの順番で逃がすわ」 

「わかっ……!!」


 グリムが急に喋るのを止め、ジャンヌの背中を手の平で突き飛ばす。歴戦の戦士のはずであるジャンヌが反応できないほどの速度だった。


 大きく前に転がりつつも、なんとか受身をとったジャンヌが見たのは、グリムが禍々しい、黒いマナの波に呑まれる光景だった。


 その範囲からして、明らかに何者かによる二人への奇襲。グリムだけが先に気づき、ジャンヌを攻撃範囲の外に逃がした。それを一瞬で理解したジャンヌは、苦々しく、重苦しい表情をした。


 先ほどまでグリムがいた場所は何も残っていない。地面ごと、大きくえぐれており、破壊の痕跡はジャンヌの眼前に長く横たわっている。

 

 悲鳴や呻き声一つ上げなかったグリムはどこにもいない。生死はわからない。この攻撃には見覚えがある。


「言い逃れはできんよジャンヌ、今私が始末したのは、今日火炙りにしたはずの魔女だ」


 ゆっくりと、マシューが、話しながら歩き、ジャンヌの前に姿を表す。自分が奇襲したことを隠しもせず、見せびらかすかのように無防備に、歩いてくる。


「マシュー……!!」


 ジャンヌは顔を怒りに歪ませ、奥歯を噛みながら、マシューを睨んだ。表向きには処刑したグリムが生きていたことに、マシューが驚く様子はない。恐らく、ジャンヌの目的を知った上での完全な闇討ち。


「魔女を裁くふりをして、密かに逃がしていたとは……これは明らかに神と我々に対する背信行為だ。大罪人として、お前の身柄は拘束する」

 

 ジャンヌの怒りを向けられても、マシューは眉ひとつ動かさない。緊張感のかけらもない、散歩のような足取りだった。


 ジャンヌが、何かを振り払うように、首を振る。


「私が逃がした人たちは、火炙りにしなければならないほどの魔女なんかじゃない。人並みに生きていただけの、ただの人間よ」


 グリムが不意打ちされたため、ジャンヌはマシューに敵意こそ向けていたが、対話としての、最低限の体裁を保っている。囲まれていることを警戒したが、他に人の気配はない。


「神が、自分を信じている人間を焼き殺すことを望んでるなんて、完全に常軌を逸している。人間の命より信仰を上に置くなんて絶対に間違ってる。お前は聖職者として、何も思うところはないの?」

 

 半分ほど、嘆くような口ぶりで、ジャンヌはマシューに問いかけた。ほんの僅かな薄い希望を持って、ジャンヌは今まで同僚の前では決して言わなかったことを、口に出した。


「ひぃっ、えひっ、ひぃいいいいい!」


 マシューがわざとらしく、何かに怯えたような、妙な声をだした。眉根を寄せるジャンヌの前で、その口元がゆっくりと、張り裂けるように吊り上がっていく。


「ゲァハハハハハハハハ!!!」


 大きく口を開けて、マシューは腹の底から、勢いよく吹き出たような笑い声を出した。


「せっ、せ、聖職者ぁあ!!?? そんなものがこの国のどこにいる!? 断言しても良い! 国中を駆けずり回って探しても見つけ出せやしないぞ!!」


 ゲラゲラとマシューはジャンヌを指差して笑う。口を大きく開き、歯茎や舌を、不快感を伴う形で見せて笑っている。


「いいかいジャンヌ! 人間の性と魔女狩りの本質を教えてあげよう! 結局のところは悪意と欲望なんだよ! 民衆も聖職者も、それらを満たしたいがために、魔女という都合の良い存在を作り上げ、悪逆の限りを尽くすんだ! 良心の呵責や罪悪感なんてものは皆無だ! 密告された魔女は誰であろうと、神の反逆者だから、聖十字教を汚す冒涜者だから、拷問は火炙りは正当な神の思し召しだからねえ!」


 ジャンヌはただ絶句し、顔をひきつらせた。これほどまでに魔女狩りを、人間の悪性を、娯楽として楽しげに、饒舌に語るような男が、自分の同僚だったとは思いもしなかった。

 

「神の存在がどうあれ、魔女狩りなんざ言いがかりだ。唯一神の名の下に人を殺し、女子供をブチ犯すお遊びなんだよぉ~」


 マシューが大げさに肩をすくめ、まるで憐れむような視線をジャンヌに投げた。


「魔女狩りの動機は断じて神への信仰などではない。自分が絶対的に正しい側にいると確信したうえで、他人に暴力を振るうのは楽しいんだ。他人が焼かれて苦しんでいるさまを、安全なから指差して笑うのはただひたすらに楽しいんだ。しかも魔女の財産は教会が没収できるから金にもなる!」


 忌々しいことに、マシューの言っていることはジャンヌにとって、身に覚えがあった。ジャンヌは火炙りの際、薪塔の中身を人や動物の死骸にすり替えて焼いているが、それを見る人間は、指を差して笑っている、他人の苦しみと死を、まるで見世物のように嘲笑っていた。


 そんな人間の醜悪さと残虐性の極致とも呼べるような光景を、ジャンヌは何回も見てきた。いつかその邪悪な視線が自分にも向けられるのではないかと恐怖した。


「魔女狩りは人間の際限のない悪意と欲望を、この上なく円滑に成就させる完成された制度だ。お前個人がいくら目の前の魔女を憐れんで助けたところで、魔女狩りは終わらんよ。人間を皆殺しにでもしない限りな。お前が逃した魔女の今後の生にも、密告という恐怖の狩影は決して消えることなくつきまとい、心の平穏を蝕むだろうなぁ」

 

 マシューが低く言い放った言葉に、ジャンヌは歯噛みした。


 目の前の男にこれ以上、対話の余地はない。グリムの生死を確かめるせよ、三人の所へ戻るにせよ、まず目の前のマシューを何としてでも片づけなければならなかった。ジャンヌの動向がバレていたなら、地下牢に残った三人も、既に危険な状況かもしれない。今すぐグリムを探しだして、三人の所へ急いで戻りたかった。


「だとしても、私は抗う……恐怖や苦痛にまみれた死を、私の大事な人たちには決して与えない」

 

 ジャンヌの言葉と意志を、まるでくだらないとばかりに、マシューは薄く笑う。

 

「お前では私に勝てん。私の、悪霊王ダイモーンの魔人としての強さは人間の業そのものだ」


 マシューが全身影になったかのように、黒く染まり、そこから無数の鋭い牙や、目などが現れた。それと共に邪悪な息づかいが聞こえる。


 ジャンヌの肌が、ひりつく。目の前にいるのは確かにマシューただ一人だが、まるで何人もの悪意を向けられたような感覚だった。


「人間の霊魂が、死後に悪霊となるのには条件がある。生前受けた苦痛によって、憤怒や憎悪といった負の感情を抱いて死んでいった者が、悪霊となる」


 ジャンヌが得体の知れないその感覚に戸惑うのを、手に取っているかのように、マシューは自らの力の、邪悪な絡繰を語る。

 

「悪霊王ダイモーンの魔人であるこの私にとって、悪霊も負の感情も、力の根源に他ならない。悪霊どもなら無条件に取り込み、支配、使役できる。その前に媒介を用いて召喚する必要があるけどね。魔女狩りはその構造上、魅力的に成長した悪霊が発生しやすくてね、私は何人も魔女狩りで死んだことによって生まれた悪霊を食らい続け、自らの力とした」

 

 ジャンヌのやっていることを承知の上で、いとも簡単にマシューは言い切った。自らの力を誇示するような口調ではなく、淡々とした自己紹介のような口調であった。


 マシューの体から、大きな口と鋭い牙を備えた、黒い人魂のようなものをだした。マシューの言葉通りなら、その人魂はマシューが喰らい、自らの力とした悪霊である。元々は、魔女として無実の罪を着せられ、非業の死を遂げ、悪霊となった人間の霊魂だ。


 ジャンヌは自らの眼前の光景を疑い、顔を引きつらせる。今マシューの語ったことは全て、肩を並べて闘っていた時には聞いたことがなかった。魔女の死後の魂すら、強制的に支配下に置き、自分の戦力として、使役している。死後の安寧すら奪うマシューの所業に、眩暈を起こしそうになった。


 ジャンヌの動悸が、脈打つ心臓の音が、聴覚を、音の世界を埋め尽くしていく。自分が必死に、毎回毎回危険な橋を渡り、やっとの思いで魔女を一人助け出しているというのに、目の前の男は何人も悪霊となった魔女を喰らい、自分の力としている。おぞましさに、怒りどころか吐き気すら覚えた。


「お前の魔人としての能力は……敵の悪意を増幅させて自滅させるものじゃなかったの?」

「確かにそんなこともできるが、雑魚にしか効かん」


 ジャンヌの問いにマシューはゆっくりと、首を振った。


「一体、今まで何人の魔女の命を取り込んだの!?」


 怒りのままにジャンヌは叫び、鬼の形相でマシューを睨みつけた。マシューはその怒号に、大して驚くこともなく、呆れたような顔で息をついた。


「自分のまばたきを数える趣味でもあるのかな?」


 わかり切ったことをいちいち聞くなと言うような、うんざりしたような仕草で吐き捨てたマシューの言葉に、ジャンヌは言葉にならないほどの義憤を覚えた。この男は他人の命を道具として扱うことに、なにも感じていない。人として重要何かが、致命的に欠落している。


「お前が殺したはずの魔女も同じように食らうために、召喚しようとしたけど、できなかった。だからお前の行動は私にバレたんだ」


 一応、ジャンヌはマシューと同じ陣営に身を置いていたが、この男は普段から何を考えているか、わからなかった。たが滔々と話している中、明らかにジャンヌにとって良くないことを企ていることは確かだ。


「最初はね、死を待つだけの魔女たちが君と出会って、何かしらの救いのようなものがあって、負の感情を抱かずに死んでいったのかもしれないと思ったよ。そうすれば死後の霊魂は悪霊にならならいからね」


 マシューが自分のもたらした破壊の痕跡を見た。その視線の先にも、グリムはどこにもいない。


「もうあっさり殺してしまったが、さっきの女の霊魂はかなり強靭だったから、どうしても悪霊になってほしくてね。ここ最近、気になって動向を見張っていたが、審問会の他の連中が消えた途端に尻尾を出したな」


 ジャンヌがマシューの挙動を警戒する。今こそ喋ってはいるが、急に攻撃を仕掛けてくるかもしれない。


 ジャンヌが身体中にマナを漲らせた。相手が同僚のマシューであれ、自分のために、大事な人を救うためには倒さねばならない。


 グチョリと、マシューの黒く染まった体が、全身から粘ついたような音を立てた。大小さまざまな、生者に害を及ぼす、負の感情にまみれたどす黒い悪霊が、身体から泥のように出てくる。


「お前は、私がここで何としてでも始末する……!!」

「ククク……勝てはせん、何度も言わせるな」


 ジャンヌが腹の底から声を上げ、マシューに向かった。全身が影のように濃く、黒く塗りつぶされたマシューはそれでも、身体のどこかから笑い声のようなものを上げ、ジャンヌを迎え撃った。


 




 ライラ達が囚われている教会、その地下牢とはまた別の独房に、血の匂いが漂っている。その血を流しているのは傷だらけで、転がっているジャンヌだった。ジャンヌはマシューの体に致命傷を何度も与えたはずだった。にも関わらず、マシューは生きたまま再生し、戦闘を続けた。


 マシューには悪霊王ダイモーンの能力に由来する不死性がある。今までに食らった悪霊の数だけ命のストックがある。未だゲーティアの力を使いこなしきれていないジャンヌは敗北した。まるで遊ばれるかのような戦闘であった。


 マシューの使役する悪霊は、悪霊として、禍々しい、おぞましい姿となっていても、元は人間だと思うと、自分が救えなかった人間だと思うと、ジャンヌの手が竦んだ。


「結局私の言うとおりになったな、ジャンヌ」


 死にかけで転がっているジャンヌを、傷一つないマシューが見下ろした。


「お前は残っているどの魔女よりも早く、処刑にされる」

 

 ジャンヌは何も言葉を返さず、眼球だけを動かし、殺気を込めてマシューを睨みつける。身動き一つとれないがために、それくらいしかできなかった。


「しかし、我々の身内に魔女がいたというのも、体裁が悪くてな。お前のこれまでの働きぶりを考慮して、最後に魔女判別の審判を受けさせてやろう」


 にわかに、ジャンヌの殺気が弱まった。


「お前は確実に死ぬが、この審判で魔女ではないと証明できたのなら、お前が助けたがっていた残りの者は解放しよう」


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