第44話 許されるのなら
グリムとレインが地下牢に閉じ込められてから、おおよそ一か月半が過ぎた。ライラとベスは、グリムとレインが連れていき、姉妹を探す旅の途中でどこか安全に暮らせる場所が見つかれば、そこで別れる。
そういう段取りをジャンヌがグリムとレインを交えながら、ライラとベスに伝え、二人は特に異論を挟むことなく了承した。
地下牢に囚われている魔女も減り、残りはグリムとレイン、ライラとベスの四人だけになった。四人とジャンヌとの別れが近づいている。
一通り話し合いが終わり、ジャンヌは、ベスの髪をすいていた。ジャンヌは、ライラの黒髪と、ベスの金髪を手入れするのが好きだったし、ライラとベスもそれが好きだった。
ジャンヌが、ライラとベスに、少しでも人間らしい営みをさせたかった故の習慣だったが。この地下牢の中で髪を手入れするという、日常的な行為は三人にとっての癒しになっていた。
ライラは、自分が助かる可能性が見えたというのに、ベスの次にはジャンヌの髪を手入れしてもらうというのに、どこか浮かない顔をしていた。
「ジャンヌはさ、私たちを全員助けて、魔女狩りも終わって、悪魔たちとの闘いも終わって、何もかも終わって平和になって、自由になったら、何かしたいことはあるの? 夢とかないの?」
ライラがジャンヌの顔を見ずに、俯きながらぽつりとつぶやいた。ジャンヌはそんなライラを嗜めるように、大丈夫だと安心させるために微笑んだ。
「私の夢は、あなた達に幸せになってもらうことだから」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……それって結局私たちありきの夢じゃない。私が言ってるのはジャンヌ自身の夢なの!」
ライラの語気が強いものに変わり始めた。ジャンヌの手がピタリと止まる。
「だってあんまりじゃない、ジャンヌはいつもいつも他人のために、自分を犠牲にしてる。多くの人間を守るために天導騎士団に入って、死ぬかもしれないのに魔人兵になって、それでもまだ聖十字教に見捨てられた私たちを助けようとして、色んなものを背負ってるのに、全然辛くなさそうな顔して……」
強い語気が今度は弱々しく、今にもちぎれそうな糸のように細く、弱々しくなっていく。
「だから、最後の最後くらい、自分のために生きて、自分のために笑って。ジャンヌが幸せになってくれないと、私、幸せになんてなれない……」
怒っているようで上ずって、震えた涙声だった。ライラがジャンヌの前で見せた初めての激情であった。
ライラはいつも、同じ部屋にいるベスを無闇に心配させないように、姉のように振る舞い年上としての節度を崩さなかった。
しかし、ジャンヌとの別れを目前に、ライラの抱いた様々な感情が、顔に、声に現れて、ジャンヌにありったけ浴びせられた。
それはジャンヌのための想っての言葉というよりも、余りにも一方的なエゴの押し付けだった。しかし、ライラにはなんとなく、自分の言っていることが自分勝手だという自覚はあった。
魔女狩りは、密告に怯える時代はまだ終わらないだろう。ジャンヌが救わねばならない人間は増え続けるだろう。
生きてここから出れば、ジャンヌには二度と会えない。そう思うと、そう言わずにはいられなかった。恩人の、愛しい人の人間としての幸せを、願わずにはいられなかった。
確かに、ジャンヌは今までの人生の中、大部分の時間を他人のために生きてきた。それが当たり前になっていた。自分自身のことなど今まで後回しどころか、考えたことすらなかった。ライラに言われて初めて、自分自身に、自分の夢などに目を向けた気がする。
ライラが地下牢の中で初めて吐き出した激情に、ジャンヌもベスも、レインも驚き、固まっていた。ただグリムだけが静かに頷き、ジャンヌに視線をやった。
グリムの視線にジャンヌは気づき、少しだけ目を合わせた。黙ってないでとにかく何か返事をしろと催促するような視線であった。
「ライラ」
名前を呼ばれたライラが顔を上げ、ジャンヌと目を合わせた。ジャンヌには、自らの身をここまで案じてくれたライラに対して、最初に言うべき言葉はもう決まっている。
「ありがとう」
ライラの返事はない。
「嬉しかったわ。あなたがこんなにも私のことを想ってくれてるなんて、私以上に私のことを大事にしてくれて」
ベスがライラに駆け寄り、ライラの片手を、ギュッと、自分の両手で握りしめる。
「でも、あなた達が救われて、幸せになれば、私も救われた気持ちになるの。これは噓偽りのない私の夢……いえ、私があなた達に託した夢よ」
ジャンヌは心優しい聖職者に拾われても、魔女狩りの、密告の恐怖は消えなかった。どんな時でも、ふと悪意の影が自分の人生に迫り、何もかも奪ってしまうのではないか。そんな恐怖心がいつも心のどこかに巣食っていた。
魔女の嫌疑をかけられた子供を、子供の頃の自分と重ね合わせた。何かが間違えば、誰かの悪意が自分に降り掛かれば、寸分違わぬ結果となっていたからだ。
他者を、特に子供を魔女狩りから救うことで、子供の頃の自分が救われるような気がした。
「私自身の夢はね……」
その先の言葉を、ライラとベス、グリムとレインが、聞き漏らすまいと、ジャンヌの口から紡がれるのを待ち望む。
「恋をしてみたいわ」
魔人兵でも聖十字教徒でもなく、ただの一人の人間の女としてジャンヌが語った夢は、名誉や莫大な富などとは無縁の、等身大のものだった。
「素敵な男性を見つけて……恋をして……子供を産んでみたいわ。私は子供が好きだから、うんと愛してあげたい。魔女狩りなんかに怯えることなく、いっぱい笑って、いっぱい食べて、元気に育ってほしい」
本当にそんな夢が実現できるかどうか、ジャンヌには全くわからなかった。見通しも可能性もなにもなかった。だが語るだけなら、いくらでもできた。
「ジャンヌの子供なら……きっと可愛いわね」
真っ赤になり、涙の跡が残る顔を、ライラは自然と綻ばせた。ライラが気を取り直した様子を見て、ベスも安心し、ジャンヌの夢に、自分の夢を乗せた。
「わたし、ジャンヌの子供が産まれたら、お友達になりたい!」
「ありがとうベス、仲良くしてあげてね」
「うん!」
元気に語り合う三人を見て、グリムは息をつき、何か懐かしいものを見るよう目をした。レインは、羨ましそうな目をした。
何人かのヴァルキリーは、人間の男と情を交わし合い、その果てにお互いに結ばれることもあった。自らヴァルキリーとしての役目を引き、地上で人間の女として暮らした。そんな姉妹をレインは何人か見てきた。
「ライラ、ベス、これをあげる」
ジャンヌは自らのイヤリングを外し、ライラとベスに差し出した。水滴の形を模ったそれを、二人は大事に受け取り、まじまじと手のひらの上で見つめた。
「まだつけちゃダメよ。この島から出て、安全な場所まで行ったらつけてちょうだいね」
「ありがとうジャンヌ、大事にするわ。私、ジャンヌのことは一生忘れないから」
「ジャンヌ、ありがとう! 大好き!」
和気藹々な雰囲気となった隣の牢屋を、グリムは羨ましそうに眺めていた。今すぐにでも、牢屋の壁をブチぬいて自分もはしゃぎたかった。
「私たちにもなんかくれないかしら」
「空気読んでよアホなの?」
「なんなら髪もすいてほしい」
「ハゲちゃえばいいんだ」
指を咥えて、ジャンヌに聞こえない小声で呟いたグリムを、レインが辛辣に早口で咎めた。




