第43話 戦乙女
深夜、グリムとレイン以外の囚人は既に寝静まり、地下牢は静寂に支配されていた。そんな中、ジャンヌはグリムとレインに大事な話があると秘密裏に呼び出され、こっそりと地下牢を訪れた。
「話って何? こんな時間じゃないと話せないようなことかしら?」
ジャンヌがライラとベスのチラリと方を見た。二人とも身を寄せ合い、穏やかな寝顔で、ゆっくりと寝息を立てている。この二人の顔を見るたび、常に同僚の目を警戒しなければないジャンヌの疲弊した心に救いのようなものをもたらした。
いつもならこの時間帯はクソでかいいびきをかきながら熊のように眠っているが、珍しく、グリムが神妙な顔をして待っていた。
「これから私たちが話すことは、ジャンヌの信仰心とか聖十字教の世界観とか、色々なものを根本から覆してしまうかもしれない。それでも話してもいいかしら?」
ジャンヌは初めて見たグリムの真剣な眼差しに、何か嫌な予感が頭をよぎり、慎重に頷いた。
「……いいわ、グリムがそんなことを言うくらいなんだから、よっぽどのことなんでしょ。話してちょうだい」
「わかったわ……」
グリムは、自分とレインの身の上を全て話した。まず自分達が戦乙女であること、神話の時代における戦乙女の役目、今は散り散りになってしまった他の戦乙女を探していること、今の時代において聖十字教が一神教故に持つ排他性のせいで、自分たちを含めた戦乙女の姉妹全員や、仕えていた父神オーディンを始めとする太古の神々が全て悪魔か魔女として、神聖書の中などで貶められていること。
全てを包み隠さずに、グリムはジャンヌに話した。ジャンヌはその間、何も言わずに、何の仕草もすることなく、ただ聞くだけに徹していた。
最後にグリムはジャンヌに、自分達がヴァルキリーである決定的な証拠を見せることにした。
「ジャンヌ、最後に私たちがヴァルキリーである証拠を見せるから、こっちにきてちょうだい」
目的はわからないが、ジャンヌはグリムを信じ、グリムとレインの部屋に入った。
「力を抜いて……」
グリムがジャンヌの胸に手を当てると、グリムのマナに何かしらの動きがあった。
グリムが手を引くと、淡く青白い光を放つ炎の塊のようなものがジャンヌの胸から出てきた。ジャンヌの魂であった。
ジャンヌがまるで、捨てられた人形のように全身の力を失う。その場にへたり込もうとするジャンヌの体をレインが支えた。
レインがジャンヌの体を支え直し、その胸にグリムは再びジャンヌの魂を入れた。
「今のは……!!」
ジャンヌの体が急に動き出し、意識を取り戻した。グリムとレインと目を合わせた。
「私たちにはヴァルキリーとして、こうやって魂に干渉する力がある」
「触れば無条件にできるわけじゃないわ。ジャンヌが無抵抗だったから簡単にできたのよ」
確かに自分の魂が、自分の体から出ていく感覚、魂だけとなった自分の意識が自分の体を見る、奇妙でなんとも言い難い感覚があった。
グリムが奇妙な感覚に狼狽えるジャンヌに、ゆっくりと自分の言葉を聞かせる。
「私たちはライラやベスと違い、少なくとも今の聖十字教徒にとって私たちは本物の魔女よ。史実を捏造、改竄されてはいるけどね。聖十字教が私たちを魔女として処刑することには一応、正当性があるわ」
ジャンヌは瞬きすら忘れたような顔でしばらく唖然としていたが、やがて苦労して言葉を絞り出した。
「私が思っていたよりもはるかに腐ってるわね……今の聖十字教は……」
驚きつつも、諦めのような感情が、ジャンヌの声音に含まれていた。その反応を慎重に観察しながら、グリムが短く聞いた。
「信じたかしら?」
「ええ……だって、心当たりがあるもの。この島にも私が小さい頃、夜の王っていう異名を持つ神様の……いわゆる地方神話があったんだけど、聖十字教の聖職者たちが邪教の教えだっていって、残っていた文献とか、私が気に入っていた絵本なんかも全部燃やされちゃってね。それ以来、神の教えを未だに大事にする自分と、冷めた目で見る自分が、二人いるわ」
懐かしさと忌々しさの入り混じった思い出を、ジャンヌは複雑な顔をして語った。その様子をみて、レインが眉根を寄せて聞く。
「なぜまだ大事にしようと思えるんだ? 今の私たちの話は、聖十字教に対して失望するには充分だろう?」
「前も言ったけど、魔女の子である私を引き取って、育ててくれた人が、誰に対しても分け隔てなく博愛や慈悲の精神を体現する、真の意味で敬虔な聖職者だったからよ」
やがて、ジャンヌは酷く懐かしそうな顔をして目を伏せ、今の心境を持つに至った言葉を語る。
「その人が言ってたわ。『人は弱い生き物だから、宗教と道徳が生まれて、人を支えてきた。でもそれらは多くの人々を包み込む概念だから、必ず悪意と欲望を満たそうとする悪人に利用されてしまう』って」
グリムとレインや、ベスとライラの方に視線を順番に回し、最後にまた、ヴァルキリー二人の方をジャンヌは見た。
「あなたたちを悪魔にしたのも、罪のない人間を魔女にするのも、物言わぬ神の意志は関係ない。結局は人間の性と思惑なのよ」
ジャンヌの目が力強い光を宿す。
「赤い髪が原因で、魔女としての嫌疑がかけられたのなら、私があなた達を助ける理由は変わらない。あなた達が本物の魔女だったとしても、他の信徒たちが恐れているような、人間に災いをもたらすような存在じゃないってことは、私や、ライラとベスが一番わかってる。グリムとレインが戦乙女でも、私にとって大切な、救助けるべき人間ってのは何も変わらない」
グリムとレインは、ジャンヌの言葉をそれぞれの表情で受け取り、顔を見合わせた。否定的、非難的な仕草ではない。得難いものを得たという感じだった。
「そもそもなんで、それを私に教える気になったのかしら?」
ジャンヌは眉根を寄せながらグリムだけでなく、レインにもチラリと視線をやった。
「義理よ」
「義理……」とジャンヌは聞きなれないグリムの言葉を、小さく呟くように繰り返す。
「確かに私たちの本当の素性は、誰にも話さなくてもジャンヌの助力があれば、生きてここを出られるかもしれないわね。最悪の場合、戦乙女としての力を使って強引に脱獄しようとしたけど、これもジャンヌのおかげでしなくてもよさそうだわ」
グリムが瞬きすらせずに、静かに言葉を続ける。
「でも肝心なのはそこじゃない。私たちが何も打ち明けずに、あなただけを頼って魔女狩りから逃れれば、結果的にあなたを騙したことになる。それは私たちの中に、いつまでも後を引きそうな心障りを残してしまうことになるの。それが一つの理由」
グリムの語る言葉を、ジャンヌに協力する理由を、レインが続ける。
「その理由も、もう一つの理由も、私たちヴァルキリーの生き方と心の問題だ。私たちはヴァルキリーだから、屈強で勇敢な戦士が好きなんだ」
グリムとレインの二人の熱のこもった視線がジャンヌの全身を捉える。
「だからジャンヌ、私たちは君が好きだ。たった一人だけでも、他者を救おうとする君の強い心が好きだ。ヴァルハラも主神オーディンもいなくなったけど、君が人間として魔女狩りを見過ごせないように、私たちはヴァルキリーとして君の意志に応えたい。ライラとベスを、二人の友達を助けたい」
最上級騎士に近い力を持つ上級騎士として、これまで賞賛や羨望などをその身に受けたことはあったが、面と向かってここまで明確に口頭で好意を、しかも力ではなく心の在り方に対しての好意伝えられたのはジャンヌにとって初めてのことだった。嬉しいが、どう返せばいいかわからない。
「彼女たちをここから出すのは簡単だけど、その後が難しいから、助けるのが難航してるんでしょ?」
グリムの問いに対して、ジャンヌが驚き、素早く顔を見合わせた。その挙動はまるで図星であることを無言で教えるようなものだった。
「君が今まで助けた魔女は、見た目は普通の人間だったから、人ごみに紛れれば他の人間と見分けがつかない。でもベスとライラはどうしても目立ってしまう。これじゃまたどこかで魔女の嫌疑をかけられるかもしれない。それに二人ともまだ子供だ。ジャンヌは今二人の引き取り手を探しているんだろう?」
「……その通りよ」
レインの疑問に、ジャンヌは苦しい顔をして頷いた。以前助けた魔女の伝手を頼り、ライラとベスの引き取り手を探していた。明確に魔女狩りに対して、忌避感や反対意見を持ち、子供を育てることのできる余裕のある人物が、特にベスの引き取り手に必要だった。
ベスとライラは長い間この牢屋にいるということを、グリムとレインは二人との会話から何となく察していた。二人より後に牢屋に入れられ、二人より先に牢屋から出たという魔女もいた。
「私の逃がした魔女が完全に人としての生活に戻れたかどうかを確認するまで、私にとっては助けた内には入らない」
ジャンヌが、ベスとライラのいる部屋を見た。彼女らは再び人としての生活が送れるのだろうか、場合によっては聖十字教の手が届かない、遠い異国の地にまで行かなければならないかもしれない。故郷を捨てさせることになるかもしれない。子供にとって、遠い土地までの旅路も、異国での慣れない生活も、大きな負担になってしまう。
二人の行く末に対しては、不安や懸念が泡のように湧いて来る。
「だったらベスとライラを私たちに預けて、助けさせてくれないか? 私たちの同胞を探すという旅の目的は、二人の安住の地を探しながらでも十分果たせる」
レインのその言葉は、そんなジャンヌの不安材料をある程度解消してくれるような、思ってもない提案だった。
「これはお互いに信頼し合ってないとできないことだ。無論、私たちはジャンヌを信頼したいし、ジャンヌにも私たちを信頼して欲しい。君の信頼を得るために、私たちは素性を明かした。ただ君に助けられるのを待つばかりではいられない」
「ドーンと私たちにまっかせなさい! 私はヴァルキリーの中でも結構強い方だったのよ!」
既にその気になっているグリムをよそに、ジャンヌは二人の提案に対して、しばらく頭の中で思案を巡らせた。
グリムとレインの二人の強さは、全貌こそ掴めないが、牢屋越しに見る程度でも、かなりの力量があることが分かった。特にグリムは強い。あの自信は嘘や無根拠ではなく確かな実力に裏付けされている。
「私はあなた達に賛成したい。でも最終的にはベスとライラの同意も欲しいわ。二人がヴァルキリーということは伏せておいた上で、あなた達から話してちょうだい」
やはりジャンヌはベスとライラの部屋を見た。何かを懐かしむような、憂うような顔をして、目を細める。グリムとレインからは、隣の二人が見えないため、壁越しに息づかいなどを確かに感じて、ジャンヌに対して頷いた。
「……それもそうだな。わかった、話しておくよ」
「じゃあ寝るわね!」
静かに呟いたレインとは対照的に、グリムは食い気味で話して、爆速で寝た。
レインはそんなグリムの姿を呆れた目で見ていたが、ジャンヌは小さく笑い、地下牢を後にした。グリムとレインや、ライラとベスと話しているときは、魔女狩りを忌避しているという自分の本心が、素の自分が、さらけ出せる。
戦場を往来するジャンヌの生にとって、僅かながら彼女らとの時間は救いや慰めのようなものをもたらしていた。




