第42話 聖女ジャンヌ
ジャンヌは教会の目をかいくぐり、捕まった魔女たちを逃がしつつ、処刑においては魔女の死を偽装した。
夜の闇に紛れて墓穴を掘って屍を盗み、焚刑の際、魔女の代わりに焼いた。他にも生きた豚などを焼き、聖職者と民衆の目を欺いた。バレれば一巻の終わり、全ての工程を慎重にこなさなければならなかった。
地下牢で囚われていた魔女はライラ、ベス、グリム、レインを入れて十人。しかし、その数も時間をかけながら一人ずつ、徐々に減っていった。
牢屋から魔女が一人消え、ジャンヌが再び牢屋に顔を出すことは、魔女の逃亡の成功を意味する。その度に牢屋中の魔女がジャンヌの身を心配し、無事に帰還したことに安堵した。
牢屋の中という劣悪な環境であるにも関わらず、グリムとレインの怪我は常人より遥かに早く、快方に向かっていった。ご飯もモリモリ食べた。
牢屋自体が特殊な結界に覆われ、外に音が漏れないようになっているのをいいことに、グリムはいつ出られるかわからないし身体が鈍るからという理由で、牢屋の中でガンガン身体を動かした。牢の中に落ちていた鎖で縄跳びみたいなこともした。
鎖が地面に叩きつけられる音は滅茶苦茶響いてうるさいし、その他にも激しい運動のためグリムとレインの一室はどんどん汗臭くなっていった。その様子にジャンヌは無言でドン引きし、ただモップとバケツとタオルとか掃除用具を二人の部屋の中に置いていった。
グリムの運動を、ベスはいつもキラキラした目で見ている。普段は隣の部屋を覗ける穴を塞いでおき、覗きたい時に許可をとって覗いている。今日はムスっとした顔のレインを背に乗せて、腕立て伏せをガンガンやっている。
「グリムはどうしてそんなに強そうなのに、捕まっちゃったの?」
筋トレがひと段落した頃合いを見計らい、ベスが聞いた。ライラもその問いに対する答えが気になったが、自分と同じように二人の心の傷に触れてしまうことを考慮し、ベスを小声で咎める。
「ベス、そんなこと駄目だよ。嫌なこと思い出させるかもしれないしさ……」
「いや〜、それがね〜」
ライラの懸念をものともせず、グリムは話す気まんまんで、失敗談を思い出すように頭を捻った。
「レイン、言っていいかしら?」
「別にいいけど……」
レインがベスとライラにバレないよう、意味深な視線をグリムに送った。その意図をグリムも察し小さく頷いて返す。
「私たちはね、だいぶ昔に離れ離れになっちゃった仲間を探してるの、その途中で変な連中に目つけられてモメちゃった」
「喧嘩したの? その傷はその時ついたの?」
「そんなとこね、その後が面倒臭かったのよ〜。聖十字教の教会にお布施して、シスターに傷を治してもらおうとしたんなけどね〜、私が赤い髪だから魔女って密告されて、ここに入れられたってわけ」
予想とは違い、あまりにも気軽に話したグリムにベスもライラも呆気に取られていた。ややあって、ベスがライラの言っていたことを思い出し、返すべき言葉を選んだ。
「えっと……ごめんなさい。わたしが聞いたせいで、嫌なこと思い出しちゃった?」
「いいのよそんなこと、私はぜ~んぜん気にしてないわ」
「レインも……ごめんなさい」
流石にグリムもレインも気にしていないと勝手に言うわけにはいかず、チラリとレインの顔を見た。
「……私も気にしてない」
レインの返事にベスはホッとしたが、ライラは何か無機質な響きを覚え、その日一日は心の隅に引っかかり続けた。
「レイン、起きてる?」
その日の夜、なんとなく眠れなかったライラが、寝た姿勢のまま、壁越しに声だけを隣の部屋のレインに向けた。
「ライラか……どうした?」
グリムのクソデカいいびきの合間から、レインの声が帰ったきた。
「グリムがどうして捕まったかを話してる時……レインは何も言わなかったから……その……ホントに大丈夫かなって」
「私は大丈夫だ。ジャンヌのおかげで希望も持てたし、グリムもこんな感じだし、私だけいつまでも引きずってたって仕方ない」
「グリムは……言葉選んでたでしょ。ベスが聞いてたから」
「そうさ……ホントはもっと酷かった。話してもいいかな? ベスはちゃんと寝てる?」
ライラはベスがちゃんと寝息を立てているのを確認してから、返事をした。
「うん、ベスは寝てる」
「じゃあ話すか……変な連中ともめて喧嘩したのは割と言葉通りだったんだが……やはり、その後に聖十字教を頼ったのが、私たちにとって最悪の間違いだった」
今からベスには伝えられなかったより詳しい事情が語られる。寝た姿勢のまま、ライラはレインの言葉を一期一句聞き漏らさないように、神経を尖らせた。変な連中についても気になったが、それ以上に、話の続きが気になった。
「グリムは身動きできないくらいの大怪我で、私も歩くのがやっとだった。それでも私は必死で歩いて聖十字教の施療院を見つけて、そこのシスターにお布施をするから私とグリムを助けて欲しいって頼んだんだ」
いつしか、ライラの耳にはレインの言葉以外入らなくなっていた。相変わらずグリムのいびきはクソデカかったが、聞く方も話す方も何かの熱に動かされ、他の音を気にしなくなっていた。
「困ってる人、苦しんでる人を助けるのがシスターの役目だって、優しくて安心させてくれるようなことを言って、私について来てくれた」
既に終わったことではあるが、ライラはその先が容易に想像でき、身体に嫌な震えが走り、自分の肩をギュッと抱く。
「でもそのシスターは傷ついたグリムを見た途端、別人のようになって、ものすごい形相で私とグリムを睨んだ。赤い髪は魔女の証拠だって汚物とか害獣を見るような目で言った。怪我人のはずのグリムも私も何度も何度も蹴りつけられた。挙句の果てにそのシスターに魔女って密告されて、マシューってやつが来て、ここに連れてこられた」
レインが話し終わって、ライラは何の言葉も返すこともなく、しばらくの間、二人の間に沈黙が過ぎていった。
今のレインには、何を言っても慰めの言葉にならないことをライラは察した。レインとグリムの身の上に自分を重ね合わせ、心を酷く痛めた後、今度は自分の話をすることにした。
「私も……似たようなものよ。ある日突然、私の腰から蛇みたいな鱗のある尻尾が生えてきたの。尻尾のある私を見た両親の目は、グリムの髪の色を見たシスターと同じだったと思う。聖書の中で蛇は人間を誘惑した悪魔の象徴だから、神罰だって誰かに言われたけど、私、尻尾が生えるまでは普通に神を信仰していたわ。完全に品行方正だってわけじゃなかったけど、罰を受けるような悪事は誓って働いてなかった」
レインは壁越しにライラの方を見た。ライラがどんな顔をしているのかを知ることはできなかったが、それでもなおライラの様子が気になった。負の感情に表情が歪んでいるのだろうか。
「でもそんなの関係なかった。どれだけ祈っても無駄だった。尻尾が生えてから、みんなみんな私を腫れ物のように扱って、避けるようになった。私からいつもの日常を奪ったこの尻尾のが憎くて……ある日思い切って、根元から自分で切ったの」
尻尾は本来人間にはない部位だが、自分の身体の一部を切る痛みを想像し、レインは下唇を噛んだ。
「痛くなかったのか?」
「死ぬほど痛かったわ。でも今の私を見ればわかると思うけど、尻尾はまた生えてきた。まるで本物のトカゲみたいにね。気味悪がった両親が私を魔女って密告して、ここに閉じ込められたわ」
ライラの言葉がどんどん冷え切ったものに変わっていく。底なしの穴を落ち続けるような、際限のない冷たさを纏っていく。
「博愛、正義、倫理、道徳、慈善とか、聖十字教が声高々に掲げている理念は全部、私たちから見ればね、コウモリとかミミズとか、日の光の下で生きられない生き物にとっての太陽と同じ、頭の上でピカピカ光ってるだけで、私たちには何の救いにもなりゃしない」
この世全ての善なるモノ、正しきモノとそれに属する人々に見放され、見捨てられたライラの口調は完全に冷め切っていた。
「そういう理念の恩恵を受けられる人間ってのはきっと、健康で運に恵まれてて、ヒトとしてのちゃんとした見た目を持った、世の中の大多数の人間っていう、線引きがあるの。私たちは尻尾が生えたり、左右の瞳の色が違ったり、髪が赤かったりして、その線引きの向こう側にいるから、人として当たり前に生きる権利や尊厳すら剥奪されて、蹂躙されるの。そんなことを是認する神なんて、私は絶対に認めない」
ライラはまだ若いのに、子供なのに、将来性や可能性が期待される年頃なのに、世界を見放し、暗く沈んで絶望しきった様子が、壁越しにもはっきりと伝わってきた。
レインが次に話しかけるまでは、長い間があった。
「ライラは……ここから生きて出られたら……何がしたい?」
レインは不自然に明るい声を装った。暗くて陰鬱な話から、明るくて希望があって、未来に目を向けられるような話に変えるつもりだった。しかし帰って来た声は冷たさどころか憎悪と悪意まで纏っていた。
「私を魔女って呼んで石を投げてきたやつらも、私を害獣みたいに扱った審問会の聖職者どもも、皆殺しにしたい。顔は全員覚えてる。私から尊厳を踏みにじって善人面してるやつらを、今度は私がメチャクチャにしてやりたい、身の毛がよだつほどの恐怖を与えてやりたい。どうせ助かっても、この尻尾がある限り、私に人間として生活なんてできやしない。極悪人どもが魔女を求めてるのなら、それ以上の魔王になって帰ってきてやる」
要するにライラがしたいことは復讐なのだ。何がしたいか聞いたのはレインだが、こういう話がしたかったわけではない。所詮子供一人の悪意などたかが知れてる。仮にここから生きて出られて復讐に身をやつしても、ライラはすぐに魔女として討伐されてしまうだろう。それはジャンヌの努力を無駄にすることに他ならない。
復讐はよくないとか、負の連鎖が生まれてしまうとか、そういう綺麗事を今のライラにかけるべきではないと、レインは一瞬で判断した。そんな綺麗事がライラを魔女に仕立て上げ、人としての何もかもを奪い、この地下牢へと追いやったのだ。
「気持ちはわかる……でも……ジャンヌはそれを知っているのか?」
ライラの言ったことをジャンヌが聞けば、少なくとも無条件で復讐を肯定するわけがないと、レインは思った。
「ジャンヌの前で同じことを言ったら、私の復讐したいって気持ちは理解してくれたけど、すごく悲しそうな顔をした……多分、ジャンヌは私に幸せになって欲しいんだと思う。私もジャンヌが好きだから、復讐したいのは本心だけど、聖十字教の手が届かなくて、私が安心して暮らせる所までたどり着いて、幸せになって、ジャンヌの望みを叶えてあげたい」
ジャンヌの、恩人の名前を出したことをきっかけに、ライラの口調は穏やかなものになっていった。ライラのそんな様子を壁越しに察したレインは安心して息をついた。
「ジャンヌのこと、そんなに大事なんだな」
「私のことを友達って言ってくれて、人間扱いしてくれるからジャンヌは大好き、私にとっては聖女なの。神聖書の中でで、人物像や偉業を美辞麗句で飾られたどの聖人よりも、ジャンヌは私たちを、私の心を真に救ってくれる聖女なの。だから絶対に死んでほしくない。できることならジャンヌにも幸せになってほしい」
ライラは本当に嬉しそうに、宝物のように、いろんな感情を込めて、ジャンヌの名前を舌にのせる。
レインが生業をする過程でおいて出会った勇者の気高い魂を、ライラの語るジャンヌに垣間見た。ここから出たら何がしたいか、などという話をできるのも、ひとえにジャンヌの存在があってのものだった。
「ライラやベスが安心して暮らせる場所が、いつか見つかるといいな……」
「うん、レインもここから出たら、早く仲間と会えるといいね」
何の保証も根拠も確実性もない、ある意味楽観的ともいえるような言葉を交わし合ったが、二人が明日に希望を持って眠りにつくためにはそれで十分だった。




