第3話 人々
リズとボルクスはリズの自宅、レアと二人暮らしをしていた家に戻る途中の帰路にいた。時刻はまだ昼頃である。
聖十字教の総本山にある聖都ロメカ、真っ白な城壁に包まれたその都市は外側から順番に冒険者ギルドのある冒険者居住区、商業区、貴族・聖職者居住区と、中央に進むたびに景色が豪奢になっていき、聖都の真ん中にはこれまた白い天導騎士団本部が都中のどこにいても見えるような高さでそびえ立つ。神の威光を知らしめるための劇場や、大衆浴場、異教徒や異民族、奴隷を戦わせる円形闘技場などが散在する。
「レアはあの中です。地下の牢獄にいます」
天導騎士団本部のデカい城のような建物をリズはフードの下から忌々しく睨む。彼女にとってあの建物は聖都の象徴などではなく、悪の要塞である。
「なぜまだそんなものを被っている?」
「逃げるときに顔を見られたかもしれません。天導騎士団の連中は貴族・聖職者居住区以外にウヨウヨいます」
現在、リズとボルクスは聖都の一番外側の冒険者区画の大通りを歩いている。露店があり、冒険者たちが行き来して賑わっているが、リズの言う通り、前後左右どの方向を見ても昨日の下衆二人と同じ銀の甲冑が目に入る。
しかも、その内の何人かはこの道を我が物顔で肩で風を切って歩いている。その体にかすりでもしたら、難癖をつけられて、喧嘩に発展しそうな、物騒な予想をさせる傲慢な挙動。彼らすれ違う時は必要以上に距離をとって歩いていたが、たまに物色するように目で追ってくるやつが混じっていた。ボルクスは歩きながら小さく息を吐く。
「リズ、出来ればフードをとって、堂々としたほうがいい。ああいう連中はコソコソしてる人間にこそ何かやましいものがあると決めつけてチンピラのように絡んでくる」
「そうでしょうか…」
「昨日のやつらには恐らく性別しかバレてない。自分達の獲物が上物だと判断した下衆はこの世で最も気持ちの悪い声で話す。俺はそういう人間を生前、何人も見ていた」
「…わかりました」
あれ以上まだ気持ち悪い声になるのだろうか。疑問に思いながら恐る恐るフードを外し、リズの頭全体が露になる。肩のあたりで切り揃えられた暗青色の髪が風に触れて僅かに揺れる。端正な顔立ちにも陽光が差し、眩しそうに顔をしかめる。その状態でしばらく歩いても、すれ違ってくる天導騎士団の連中は目もくれなくなった。
「ほらな?」
ボルクスが満足そうに笑う。その横から露天商から「おい! 青髪のアンちゃん!」と呼び止めるように声をかけられる
二人が声の方を振り向くと、裸の上半身に自家に毛皮のベストを着て、ワイルドに髭を生やした商人が笑顔で手を振っているが、その目線はボルクスが持っていた、昨夜狩った動物の大量の毛皮に釘付けになっていた。アタランテから教えられた技術によりボルクスは素手で動物を捌ける。余った皮も売り物として十分に通用するレベルで保存状態が綺麗だった。
「何あれ? どうする?」
「恐らく毛皮目当てでしょう。ちょうどいいです。家に持って帰ってもかさばるだけですし、ここでまとまったお金にかえますか」
「商人と交渉なんて俺あんまやったことないけど…あと相場とか通貨とかも全く分からん。商人から見れば良いカモだろうな…」
「それはお任せください。冒険者としてこの手の経験はそれなりに積んでます」
「ウィッス」
小声で話し合ったあとに二人は商人の所に駆け寄った。鞄や手袋などの革製品が並ぶ商品棚に囲まれた商人が、さらに嬉しそうな笑顔を作る。
「アンちゃん! 良かった来てくれた! おう、リズも一緒か、それにしてもすげー量の毛皮だな! 宴でもしたのか!?」
「そんな感じですね。で、早速本題に入りたいんですが、この毛皮全部いくらで買い取ってくれますか?」
「そりゃ、ものにもよるな…どれ、アンちゃん。ちょいと見せてくれ」
ボルクスが頷き、毛皮を何枚か手渡す。商人はそれを真剣な目で品定めし、熟考する。
「大量にあったから見くびっていたが思ったよりも良いやつだなこれは…リズ、お前がやったのか?」
「いえ、俺がやりました。友人が狩人でね。イノシシの仕留め方から解体の仕方まで丁寧に教えてくれたからな」
友人とは無論、アタランテのことである。毛皮を褒められたことに、心の中でアタランテに感謝の意を示し、表情が緩む。
「そりゃそうかい。やるなアンちゃん。ただしこの量は全部は買いきれねえな。3割くらい買い取ろう。○○万ゼニーでどうだ?」
「彼は最近聖都に来たばっかりなんで何かと入用なものが多いんですよ。だからほんの少しでもいいんで色を付けてもらえませんか?」
「おう分かった。ちょいと多めにしとくぜ」
「ありがとうございます」
商人が麻袋に金貨やらなんやら数えながら詰め込み、最後に「これはおまけ分だ」と言って何枚か硬貨を詰めた。リズとボルクスが改めて礼を言って受け取る。
「おっさん、これも買い取ってくれるか?」
ボルクスがそう言いながら懐からイノシシの牙やらオオカミの牙やらを取り出す。
「なんでそんなもの持ってるんですか」
「だってカッコイイじゃん」
「ええ…」
悪びれる様子も無く言うボルクスにリズが絶句する。即興で繰り広げられたクソコントを前に商人が思わず吹き出す。
「ハーッハッハッハ! 面白れぇアンちゃんだな! 生憎うちは革専門なんだ。だが牙を装飾品として取り扱う店なら知ってるぜ。そこならその骨を買ってくれるだろう」
「ホントかおっさん!」
「ああ、こっから中央に二、三分歩いたところに赤い屋根の出店がある。店主の名前はジョンっていうやつだ。俺からの紹介っていえばスムーズに交渉できるだろうな」
「ありがとなおっさん、そういや名前は? 俺はボルクス」
「イザークってんだ。聖書に出てくる聖人様の名前が由来だ。覚えやすいだろ?」
歯を見せてニカっと笑う店主にボルクスは短く返事をする。聖人の名前など一人として知らないが、イザークの人柄が気に入った。できるなら良い関係で築き上げたかったのだが、レアを助ける上で、聖十字教相手に戦うあってはどう転ぶかわからない。
「じゃあなー! 神のご加護あれ~!」
神のご加護、イザークが別れ際に言った最後の言葉がボルクスの中で引っかかっていた。彼も聖十字教徒なのだろうか。もしそうだとしたら、状況はだいぶ違うが、昨日ぶちのめした悪漢二人の悪印象をかなり和らげるような印象であった。人柄、人格は信仰には左右されないのだろうか。疑問に思いつつ近くにあった教会を脇目に見る。何らかの行事をしているのか、多くの子供が楽しそうに出入りしている。
思っていた以上に平和な風景。出会う教徒全てが例のチンカス二人のような人物であれば、宗教ごとぶち壊そうかと考えるほど、聖十字教に対して苛立っていた。主にカス二人のせいである。しかし、ボルクスの今見ている限りでは聖十字教の破壊とは即ち、この国の破壊をも意味する。
「正直、予想よりも大分マシだった。この国は。宗教も人間も。…国教である聖十字教はこの国の人々の精神基盤になっている。聖人から名前をもらうってのはよくあることなのか?」
「そうですね、私は違いますがイザークさんのような人は多いです。ジョンさんも聖人の名前が由来です。名前だけではなく人生の多くの節目でこの国の人々に聖十字教は関わっています」
「そうか…」
ボルクスが短くそう呟くと、眉間にしわを寄せた。ボルクスにとって聖十字教の開祖である神の子の伝説が本当かどうか確かめる術はないが、道行く人々は皆、聖十字教の恩恵を受けている。例えまやかしであったとしても今を生きる人々が平和を謳歌しているのならそれでいいと思った。
故に聖十字教自体をどうこうしようとするのでは破壊ではなく改善という手段をとらなければいけない。口で言うだけなら簡単だが、恐ろしく複雑で途方もない時間と手間がかかるだろう。
残りの皮とか骨を金に換えながら、心の中でボルクスはただひたすらに今後の身の振り方に唸っていた。
 




