第38話 雷血流<ブラッドギア>
ジャンヌが水圧カッターの技を出そうと指先をボルクスに向けた時、標的はもうそこにいなかった。どこにいるかを探ろうと首を動かしたが、視界の外から、ボルクスの蹴りが飛んできた。
後ろに大きく吹っ飛び、何とか受け身をとったジャンヌの眼前には、既にボルクスが迫っていた。苦し紛れにゲイボルグを繰り出したが、ボルクスは軽く首をひねって突きを交わし、勢いのまま拳を繰り出す。防御ができなかったジャンヌはまともに拳を受け、さらに吹っ飛んだ。
地面と平行に、矢のように殴り飛ばされたジャンヌを、ボルクスは受け身すらさせることなく、吹っ飛んで行く方向に先回りし、上空に蹴り飛ばす。ジャンヌの身体が、木々よりもはるかに高く舞い上がる。
「これが……雷霆拳……!!」
速く重い攻撃を連続で受け、苦痛に満ちた声がジャンヌの喉奥からこぼれ出た。ボルクスの攻撃はまだ終わっていない。上空にいるジャンヌに向かって、ボルクスは消え去るような勢いで跳躍した。雷を纏い、上に飛ぶその姿は、まるで地から天に向かって、落ちるのとは逆向きに駆け上がるような雷光だった。
「こんなところで……!!!」
ジャンヌは腹の底から声と気合を振り絞り、追い打ちをかけてくるボルクスに、氷の大剣を何本か生成して、射出する。ボルクスは氷の大剣と同じ数だけ、虚空を殴って闘気弾を放ち、自分に届く前に氷の大剣を全て粉々にした。
結果的に跳躍の勢いをほとんど殺すことなく、ボルクスの靴の底が、ジャンヌの腹のど真ん中に、突き刺さった。体がへの字に曲がり、血を吐くジャンヌをさらに地表に向かって蹴り飛ばす。
ジャンヌは勢いよく、ボルクスの蹴りによって叩き落され、地面に激突しても勢いが止まることなく、地表を滑り続けた。
気が付けば、ジャンヌは後ろに海を背負い、島の端の砂浜まで来ていた。派手にダメージを負い、体も損傷し、息も上がっていたが立ち上がり、まだ遠くて見えないが、ボルクスがやってくるであろう正面を見据える。
「流刃……!!」
ジャンヌは水の剣を作り出し、頭上に掲げた。普通の大きさだった剣の刃の部分が急激に伸び、塔のような長さになった。ボルクスの姿を遠くに確認した瞬間、長大な水の剣をジャンヌは、気合の入った声を出すと共に、振り下ろす。
ボルクスは水の刃を避けることなく片腕で受け止めた。しかし、その足は止めない。腕を刃に当てて滑らせながら、ジャンヌに向かって走っていく。水の剣はただ、水が刃物の輪郭になっただけではなかった。刃の部分を形成する水が高速で循環し、切断力を高めている。
「カッタいわね……!!」
長い刃の先から、ボルクスの硬い腕の感触がジャンヌの手に伝わった。その感触ごとボルクスを断ち切るように、ジャンヌは万力のような強さで水の剣を握りしめ、全体重をかけて刃を完全に振り下ろそうとした。
しかし、ボルクスは振り下ろされた剣を、片腕で支えつつ、ジャンヌに稲妻のような速さで走り寄り、そのまま顔面に肘を叩きこんだ。
高い水飛沫を上げながら、ジャンヌは沖の方の海面に衝突する。結局、水の剣を受け止めたボルクスの腕には痣のような線の痕ができただけだった。
雷霆拳を使うボルクスに身体能力は何倍にも跳ね上がっていた。ラミエルとの闘いから半年、ボルクスの基礎的な身体能力も、雷霆拳自体の身体能力の上げ幅も、雷霆拳を使った時の身体の動かし方も、たゆまぬ鍛錬によって向上していた。
再びジャンヌが海面に浮上するまで、長い時間があった。ボルクスはその間、既に雷霆拳を解除していた。
「これじゃ私は勝てない。どうあがいても私だけの力じゃ雷霆拳には太刀打ちできない」
「……」
海の上に亡霊のように浮遊しているジャンヌが、ぼそりと声を響かせる。ジャンヌの打たれ強さに、ボルクスは内心驚きつつ、白い砂の上に立ち、ジャンヌを無言で睨み、次に何をしてくるのかを警戒する。
「……厄災王ゲーティア」
ジャンヌがそう呟きながら、ボルクスの方に手の平を突き出す。手から何か飛び出してくるのかとボルクスは思ったが、すぐさまその場所から離れ、砂浜を大きく移動した。
落雷、けたたましい音と、目を焼くような光が、さっきまでボルクスが居た場所に発生する。大樹のような太さの雷だった。雷が消えた後、砂浜には大きな穴が開いていた。
「この力は魔霊のものだけど、他の魔霊とは少し違うわよ」
ボルクスがその目で捉えたジャンヌは、背後に黒い輝きを放つ光輪を浮かべている。みるみる天候が悪くなり、やがて島全体を包み込むような嵐が巻き起こった。しかしジャンヌは少しも怯むような仕草をせず、海の上に浮かんでる。
「ゲーティアの元の名前はゲニウス、あなたの少し後の時代で信仰された精霊で、世界に遍く存在する自然現象の神格化よ。ゲニウスは人間に恵みをもたらす現象と、災害となるような現象、両方の意味があったんだけど、悪魔化される内に前者はなかったことに、後者のみが聖職者どもに取沙汰にされて強調され、今は天災を司る高位の悪魔ゲーティアとなったわ」
「なぜそんな力を使える?」
ボルクスが眉をひそめながら、嵐の中のジャンヌを見上げた。
「ゲーティアを私の中に封じ込めたからだけど……詳しいことは、私についたら教えてあげる……」
ジャンヌがいたずらっぽく笑い、後ろの光輪も一際妖しく輝く。マナの動きを感じ取ったボルクスが一瞬だけ雷霆拳を纏い、闘気弾を数発打った。
迫る闘気弾だったが、ジャンヌが身体の周りに竜巻を発生させ、闘気弾をかき消してしまった。
「この力を前にしてあなたは、雷霆拳のままで闘えるかしら?」
豪雨と暴風に晒される中、それら悪天候を従える王として海上に佇むジャンヌは、魔王と呼ぶに相応しいかった。魔王と呼ぶに相応しい光景だった。
「たしかに……雷霆拳じゃキツイな。さっきみたいな攻撃も当たったらやばい」
ボルクスが、ジャンヌの落とした雷の跡を横目で見て、呟いた。
「だからもう、何も食らわない、掠りすらさせない。パワーもスピードも全部……雷霆拳よりもう一段階上に進化する……」
ボルクスに降りかかる雨が、身体から立ち昇る雷のマナによって弾かれる。雨がボルクスの体の周りをドーム状によけて降り注ぐ。
「雷血流」
全身に纏った雷が蒼白から、紫になり、やがて血のような深紅へと色を変えた。髪の毛の色も燃え上がる炎を凝縮したような濃い赤へと変わった。
「お前を倒すぞ、ジャンヌ」
「これがイフリートの背中を砕いた……赤い雷……」
奥の手のゲーティアすら解放したというのに、赤い雷を纏ったボルクスの視線にジャンヌは戦慄し、唾を飲み込んだ。
雷血流、身体の外側に雷を纏う雷霆拳と違い、身体の内側に雷を流す技である。ボルクスはモードレッドとの闘いでマナの核心を掴み、修行を重ねたことによって、マナの雷への性質変化を最大限、自由自在に使いこなせるようになった。その過程で、雷への体質変化も会得した。
使用する者の身体を他の属性に変化させる体質変化、雷血流は、体質変化を応用した技である。身体の一部、血だけを体質変化の要領で、高速で動く雷に変化させることで、血液が通常時よりはるかに速く体内を循環させる。そしてボルクスの体は、雷霆拳よりもさらに上を行く、爆発的な瞬発力を得る。雷に変化させた血は、酸素を運ばせるためにある程度元の性質が残っているので、身体から出てくる雷も赤くなった。
強力な技ではあるが、無条件で使えるわけではなく、身体への負担が雷霆拳よりも大きいデメリットもある。気軽にホイホイ使える技ではない。ここぞという時にしか使えない奥の手であった。
ジャンヌが不意に、体の前面に凄まじい衝撃を覚え、身体をのけぞらせた。身体を起こしてボルクスを見れば、虚空を殴った後のような格好だった。
闘気弾を拳で打ち出したのだと、ジャンヌはボルクスの構えから判断した。それが真正面からであっても全く目に見えないほどの速さで、ジャンヌに命中したのだ。
「……くっ!」
うめくジャンヌが、ボルクスの立っている場所に、大きな雷を落とす。それも一発ではなく数発、ボルクスが動く先を予測して、砂浜を埋めるようにして、雷を落としていく。
しかし、そのどれもが命中せず、砂浜に大きな穴を開けるだけに終わった。ボルクスは穴だらけになり足場が悪くなった砂浜を背に、海の上を走り、ジャンヌの位置まで近づいていく。
ボルクスが走りながら打ってきた闘気弾を、ジャンヌは身体に竜巻を纏わせ、防いだ。一、二発は防いだが、数発闘気弾を続けざまに受けていくうちに、竜巻の勢いが弱まり、最後に四散した。
闘気弾の威力にも数にも目を剥くジャンヌを、背後に飛び上がってきたボルクスが、蹴って海面に叩き落とした。
「まだまだぁ……!!」
ジャンヌは海面に激突する寸前に身体を空中で停止させ、さっきまで自分が浮遊していた空間にいるボルクスに向かって吠え、マナを手の中に溜め始めた。
雷血流の超スピードも、踏み込むための足場のない空中では出せず、ボルクスは重力に従って、普通の速さで海面へと落ちていく。
「ハァッッッッ!!」
ボルクスが海面に接するタイミングに合わせ、ジャンヌが指向性の水蒸気爆発を手から繰り出した。今まで放ったものよりも遥かに大きい爆発だった。ゲーティアのマナだけを引き出し、自分のものとして、得意とする水の魔術を放つリソースとして利用した。
何度も落とした雷よりも大きい水の衝撃波が、ボルクスの居る場所に届き、爆音と共に高く派手な水飛沫を上げた。
当たったかどうか、当たっても耐えたのか、水飛沫の中からボルクスが出てくるのを警戒するジャンヌの頭上に、ボルクスが落雷のように降ってきた。落下の勢いを持った強烈な飛び蹴りが、無防備なジャンヌの背中に当たり、その衝撃でより大きな水飛沫が生まれた。
意識の外からの攻撃が、ジャンヌの身体も視界も大きく揺さぶり、昏睡へと誘おうとする。ゲーティアと背後の光輪も解除され、身体が海中へと弾き飛ばされた。
ボルクスに蹴りで発生した慣性が海水で削がれても、ジャンヌの身体は海面に浮上することなく、海底へと沈んでいった。その意識も闇の底へと沈んでいく。
沈んでいく。身体が沈んでいく。命も沈んでいく。せっかくまた自由の身になれたというのに、これからなさねばならないことが多くあったのに、そのための計画も、意志も、力も、感覚も、呼吸も、思考も、命すらも、全てが光の届かぬ闇の底に沈んでいく。結局、自分は自分の意志を何一つとして全うできていない。何も成せていない。あの時の二の舞。
先の見えない暗い水底を進む感覚は、数百年前の記憶と体に刻まれた感覚を鮮明に思い出させる。水底に行くにつれて、水圧が、周りの水自体が、身体と命を握りつぶすような重さを持つのだ。沈むという行為が、いつもいつも全てを奪っていく。
やがて、ジャンヌは何もかも闇の底に手放そうとした。海水の冷たさにどんどん体温を奪われていく手を、不意に温もりをもった何かが包み込んだ。




