第34話 モードレッドとゼパル
ボルクスとイフリートが戦闘を開始し、少し遅れてモードレッドとゼパルも闘い始めた。現在の位置は闘いを始めた広場からは大きくずれ、広場の外にある木立の中を二人の猛者が闘いながら行き来していた。
ゼパルはイフリートと違い、奇襲などはしてこなかった。血の気の多く、騒々しいイフリートと違って物静かではあったが、武人、猛者と呼ぶに相応しい気迫をその身にまとっている。立ち振る舞いや槍の扱い方からも、相当な場数を踏んだ熟練の戦士だということがモードレッドに伝わった。槍の技量もモードレッドがこれまで闘ったことがないほどに熟達した領域にある。こんな男が今まで無名であったのが信じられないほどであった。
闘いの場所を広場から木立の中へ移したのは、モードレッドの策である。剣と槍ではリーチの差が大きく、ラミエルの力を抜きにしてまともに闘えば、間違いなくゼパルに軍配が上がる。最初のうちの数回、剣と槍を交わしただけであちらの方が技量が上であると、口惜しいが認めざるをえなかった。
槍を始めとする長柄の武器は、剣よりも長いリーチがあるが、狭い場所では取り回しが上手くいかない。木立の中の闘いで、その弱点をつくはずだった。しかし、ゼパルの扱う槍にはそんな弱点は存在しなかった。
禍々しいマナを放つその槍は、振るう上で軌道上にある木々の枝や幹などを、まるで存在しないもののようにすり抜ける。ただの槍ではない。魔槍という言葉がモードレッドの頭をよぎった。たまに冒険者などが特別な力を持った武具を見つけることがある。
枝や幹をすり抜ける故、もしかしたらラミエルでの攻撃も同じようにすり抜ける、ようするに防御面では脆いのではないかと思ったがそう甘くはなかった。槍が物体をすり抜けるかどうかは使い手の任意によるようだ。
すり抜けの力を使うたびにゼパルはマナを消費しているが、槍の力が単純で、ラミエルのように派手ではないせいか、消費量は微々たるもので済んでいる。モードレッドがラミエルの力を使う場合、小出しにしてもマナの消費は莫大である。
物体のすり抜けという特殊な力は、ラミエルの持つ雷の力と比べて遥かに地味だったが、使う相手の槍の技量が極めて高い。槍のシンプルな力をその使い手の腕前が、存分に活かしている。ラミエルの力を未だに使いこなせていない自分とはまるで逆だな、とモードレッドは自嘲した。
事実、モードレッドはゼパルには一撃も攻撃を当てられず、逆に何発か鮮やかな槍捌きによる攻撃をもらった。致命傷こそ避けていたが、劣勢である。
今モードレッドは一本の木を背にしている。ゼパルに木立の中という状況を逆に利用され、上手いこと姿を隠された。気配は感じて、近くにいるのはわかるが、モードレッドの視界にはいない、正確な位置が掴めない。
不意に、モードレッドの背後、後ろの木の更に後ろから、強烈な殺気を感じ、木から飛び退いた。
鋭い何かが風を切る音、モードレッドが木を見れば、背中を預けていた木の部分から、ゼパルの槍がまるで木から生えているようにすり抜け、穂先をモードレッドに向けていた。
槍がある場所は、さっきまでモードレッドが居た位置、さらに言えば心臓のある位置。木の後ろから攻撃したにも関わらず、正確に人体の弱点を突くその技量に、モードレッドは戦慄した。
「ラミエルだったか、聞いていた形とは少し違うようだが……まさか虚仮威しのために作った偽物というわけではあるまいな?」
木から突き抜けた槍の穂先が引っ込み、ゼパルが木の後ろから姿を現した。
「虚仮威しでこの俺は倒せんぞ。勝機が見出せんのなら、さっさと武器を捨てるんだな。ジャンヌも俺も、無駄な血が流れることは好まない」
ゼパルはモードレッドでなはく、ラミエルに視線を落としている。
「魔王ジャンヌが人道的だろうが投降などせん、俺は四大天士の一角だ。敵に命を差し渡すような恥は断じて晒せん。魔王相手に四大天士が投降したという事実があれば、聖十字教の威光が大きく損なわれる」
半年たっても、自分は四大天士の中でも最弱だという認識が抜けなかったが、そんなことはもうどうでもいい。自らの背後にある自分以外の力を頼るのは、もう止めにした。ここでこの男を倒さなければなんの意味もない。
「……ほう」
何か決心した様子のモードレッドを見て、ゼパルは僅かに感嘆した息を吐いた。
「長江武器の弱点が意味をなさない以上、俺はもう闘う場所を変えん。ここで貴様を切り伏せ、ジャンヌもレラージェもこの俺が倒す」
「まるでイフリートが負けるような言い方だな。やつはそう簡単に倒されはしない」
「俺の部下だってそうだよ、どんな猛者が相手だろうが、あいつは貪欲に勝ちを拾いに行く」
俺もそうしなければな、と心の中でだけモードレッドは続きを言う。
「滅!」とだけ、モードレッドは喝を入れるように言い放ち、ラミエルを大きく構えなおした。
「!!」
ゼパルが目の色を変える。モードレッドが握るラミエルは、その剣身に、万物全てを貫くような雷光を纏わせている。あの雷はまともに受ければ、恐らく死んでしまうほどの威力があるだろう。槍で防げば、槍ごと身体を斬られるであろう。つまり、防御は不可能であり、どうしても回避しなければならない。今はまだ離れてはいても肌がビリビリと焦がされるような威圧を放っている。
「なるほど……最高戦力と呼ばれるだけある。その雷の前では、いかなる抵抗も意味をなさんのだろうな。人間が振るうにしては末恐ろしい力だ」
ラミエルの放つ雷を警戒しながらも、ゼパルは冷静に呟く。
「最高戦力はこの威力のみを指す言葉ではない……数多の騎士の中から選び抜かれた者の手に、これらの天器が渡って初めて四大天士となり、最高戦力となる。使い手の力量と合わさってこその言葉だ」
モードレッドは滅殺一条の一部だけを詠唱し、完全解放のラミエルの力を小出しにする略式解放を行った。ボルクスとの闘いから半年、モードレッドとて忙しく仕事をしている時間の合間を縫って、自分の手札を増やしておいた。
「ではそのラミエルに相応しいお前自身の力を見せてくれると」
「言った通りだ……」
モードレッドが突きの姿勢をとる。その眼光がより鋭くなった瞬間、地面を滑るようにして、ゼパルに迫った。勢いよくモードレッドが繰り出した突きを、ゼパルは後ろに飛び、必要以上に距離をとってかわす。
ゼパルが近くにある木の後ろに身を隠した。雷光を纏ったラミエルを握る今のモードレッドと、真正面から接近戦をするのはあまりにも危険だった。木々の間を駆け巡りながら、すり抜けによる奇襲へと、策を取ろうとした。
猛然とした殺気が木の後ろから、ゼパルの背後から木を貫いて襲い掛かった。殺気を感じた瞬間に身をかがめたゼパルの頭上を、後ろの木を切り倒しながら、剣の形になったラミエルの雷が真横に通過する。
殺気はまだ収まらない。ゼパルが木に隠れるようモードレッドを見れば、次の攻撃を放とうとしている。ラミエルのが纏っている雷は、武器としてのリーチが伸びるように、剣のような輪郭になっている。木の後ろに隠れても、何の意味もない。略式解放を行い、雷を纏ったことによって、モードレッドは木ごとゼパルを切り倒すということが可能となった。
モードレッドが木立の中に入った後、しばらく逃げの姿勢であったのも、万が一にも誰かを巻き込まないように、肉眼で周りの状況をよく確認したかった。というのもある。誰もいない今、モードレッドは存分にラミエルの力を振るえる。
ラミエルを完全解放までしてしまっては、多大な攻撃範囲に巻き込まれる人間が必ず出てしまう。下手をすれば島ごと消し飛ばしてしまいかねない。島と島民ごと魔王の勢力を葬りさる選択ができるほどモードレッドは狂信ではない。
モードレッドは、ゼパルとの間にある木をまるで存在しないかのように、その場から動かず、突きを放った。雷で形成された刃は長く、槍以上のリーチを持ち、離れたまま相手を切り刻める。
何発も放たれた突きが、木にいくつもの穴を開けた。ゼパルは全て紙一重でかわし、木を間に挟みつつも、モードレッドと距離を置くため、後ろに飛ぶ。
雷の剣のリーチは無限ではない。モードレッドがイフリートを追いかけ、斬撃と刺突でボロボロになり、倒れかけている木に、飛び蹴りを放つ。
「フンッ!」
バキッ、とゼパルの背後で太い木の幹がへし折れる音がした。振り向けばさっきまでゼパルとモードレッドの間に立っていた木が、折れた個所から上の部分が丸ごと真っ直ぐ飛んできていた。
ゼパルは驚愕しつつも、ざわざわと枝や葉が騒々しい音を立ててまるで飛び道具のように突っ込んできた木を、横にかわす。生真面目そうな人間に見えたが、かなり豪快な発想だと、心の中で舌を巻いたが。モードレッドの発想はそれだけにはとどまらなかった。
いる! モードレッドが、飛んでいる木に張り付いている! その姿勢は木自体を足場にして膝を曲げ、今まさにゼパルに向かって跳躍しようと、力を溜めている! 木に飛び蹴りを放ち、へし折った勢いのまま、木に乗って奇襲を仕掛けてきたのだ!
「何っ……!?」
「逃がさん!」
モードレッドがバネのように膝を伸ばし、ゼパルに飛び掛かった。剣を振る直前、逆にゼパルが身体ごとぶつかって来た。ラミエルによる攻撃は割り込まれて妨害され、二人の身体がぶつかり合う。それでもモードレッドの跳躍による勢いは殺しきれず、ぶつかり合った後、二人はもみくちゃになりながら地面を転がった。
モードレッドが密着状態では武器を使うのが難しいと判断してラミエルを放した。転がりながらゼパルを殴り、ゼパルもまた同じことを考えて槍を手放し、拳をもって応えてきた。二人の拳が、二人の身体の顔面や胸、腹などを何発か打ち据える。二人の身体が転がらずに静止しても殴り合いは続き、ほぼ互角の様相を呈していた。
ゼパルがモードレッドの胴体を蹴り、二人の身体を密着状態から離して立ち上がる。仕切り直しを図って槍の方へ行こうとしたが、モードレッドがゼパルの腕を掴むと、そのまま殴り合いを再開した。モードレッドはラミエルを使わず、このまま素手で殴り続けて、ゼパルを仕留めようとしていた。敵が槍を手放した今を好機と捉えていた。
拳の応酬の最中、ゼパルが強引に、モードレッドの頭に腕を回した。綺麗なヘッドロックの姿勢のまま、ぎりぎりと物凄い力がゼパルの腕に入り、モードレッドの首が圧迫されていき顔がみるみる赤くなっていく。
呼吸が苦しくなりながらも、モードレッドは力を振り絞り、ゼパルの体を両腕で持ち上げた。ゼパルは驚愕しつつも、腕の力を緩めなかったが、モードレッドは完全に絞め落とされる前に、ゼパルの身体ごとを近くにあった木に思いっきり体当たりをした。
ズドン、木の幹にゼパルの身体がモードレッドの身体に挟まれた。木が大きく揺れ、枝や葉や何らかの木の実などが落ち、ゼパルの身体もするりと地面に落ちた。
モードレッドが咳を繰り返しながら、ゼパルと距離を置いた。荒く呼吸をしながら息を整えるモードレッドの前で、ゼパルがゆっくり立ち上がる。
「なるほどな……確かにラミエルを使わないお前自身の力は、賞賛に値する。殴り合い一つでここまで手こずるとは思わなかった」
「武器を失った時、素手で闘い続けられることの重要性については、実戦で思い知らされたばかりでな」
モードレッドはそう言いつつ、殴り合うために手放したラミエルと、ゼパルの槍の落ちている位置を油断することなく、確認している。
「だが俺には……いや、俺の力には勝てん」
ゼパルが自分の手の平を見て、低く声を落とした。
槍を探す素振りすら見せず、ゼパルが両手を固く握りしめながら、地面を蹴った。再び素手での戦いを仕掛けるつもりだ。モードレッドはラミエルを取りに行く考えを頭から捨て、ゼパルに向かって何も持たずに踏み込んだ。
ゼパルの重い蹴りを何とか片腕でしのぎ切り、モードレッドも蹴りを放つ。ゼパルはとっさ片腕を蹴りと胴体の間に入れて防御したが、体勢が大きく崩れた。モードレッドが続けざまに流れるように放った蹴りは、今度は正確にゼパルの脇腹を捉えた。
まともに蹴りが入ったゼパルが、まるで痛みを感じていないような速さで、モードレッドと更に距離を詰めた。ゼパルがモードレッドに拳を振るう、だが自らの防御を考えていなかったため、顔面に当たると同時に、モードレッドの拳もゼパルの顔面に突き刺さる。
お互いが武器を持たぬ素手での殴り合いは、しばらく続いた。ゼパルは、戦闘を続けた故にモードレッドの身体の動きが一瞬、鈍くなったのを見逃さなかった。
ドス、とモードレッドの胸板、心臓のある位置にゼパルの掌底が当たる。心臓がドクリと鈍く脈打つと、モードレッドは口から血を吐きだした。
ただの掌底ではない。どんな原理が働いているのかは知らないが、掌底は突き抜けるような威力を持っていた。明らかに見た目以上の物凄い衝撃がモードレッドの心臓を襲う。
「貴様……何を……」
モードレットの血が顔面に受けながらも、ゼパルは崩れ落ちていく眼前の敵を見据えていた。倒れながらもモードレッドが突き出した拳をゼパルは抵抗することなく受け止める。力がほとんど入っていない弱弱しい一撃であった。前のめりに倒れたモードレッドを歯痒さを含んだような表情で見下ろす。
「お前自身の力は本当に大したものだ……俺とてこんな勝ち方は気に食わんが、ジャンヌに恩がある手前、あまり俺自身の我を優先することもできん」
声が頭上から降りてくるのを聞きながら、モードレッドの視界は徐々に暗くなっていき、ついには意識がなくなった。




