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Myth&Dark  作者: 志亜
間章
24/54

第23話 モードレッドという男


 ボルクスはモードレッドの家に、住み込みで働くことになった。モードレッドは貴族で、家も身分相応にデカく、ボルクスは従士として、一部屋あてがわれた。ボルクスの自室は大きい。ボルクスが大の字で寝てもなお余りある巨大なベッドは、天蓋やらカーテンやらが付いている。そのベッドが置かれつつも、部屋の広さもまだ余裕があり、猫足の棚や机や椅子といった家具が並べられている。水洗トイレと風呂もセパレートで備え付けられている。


 部屋の広さこそ、貴族らしいが、部屋の内装自体はどこか簡素な作りであった。家具や壁、天井に過度な装飾はなく、必要最小限の機能さえあればいいという趣向が垣間見える。壁にある鏡一つをとってもそうだ。貴族の家の鏡は鏡の外側、額縁の部分が金色で、ごてごてしてたり、細かったりする装飾があるものだが、モードレッド邸の鏡は、四角い鏡の部分以外は、シンプルな木製の額縁である。


 荷物を全て置き、一通り部屋を見て回ったボルクスは、外套などを脱いで肌着だけになり、ベッドに飛び込んだ。従士としての仕事は明日からで、今日はもう休めとモードレッドは言った。騎士としてのはもう少し先か。とにかく今はやることがなく、暇を持て余していた。


 ゴロリと横に体を向けると、シルヴィからもらったザッハトルテが、机の上にある。モードレッドとの交渉成立後、紅茶は冷めないうちに一気に飲み、そのままザッハトルテを食べようとしたら、まだ仕事があるから自分の部屋で食えと言われて、使用人に部屋まで案内された。


 ザッハトルテを見つめて、シルヴィの顔を思い出す。あのモードレッドの娘とは思えないほど、子ウサギのように可愛らしく、幼い年ながらも、ボルクスとしっかりと会話の受け答えをしていた。将来はきっと美人になるだろう。だが流石に妹のヘレネほどではないな。ボルクスはうっすらニヤけながら、鼻の下をこする。 


 衝撃の事実をもう一度思い出す。モードレッドにも娘がいた。ということはやはり奥さんもいる。子供は娘の他にもいるかもしれない。結婚したのは今の俺と同じ年だったのかもしれない。


 モードレッドには家族がいる。養うべき家族が、騎士の仕事とは別に、父親として、一家の柱として、守らなければならない家族がいる。


 その思考に至った瞬間、ボルクスはものすごい自己嫌悪に心を蝕まれ、身悶えした。


 何が……! 何が冒険者になろうだ! 何が騎士団なんかやめちまえだ! そんなこと出来ない……出来ないに決まっている……!! 家族が……養うべき……守るべき……家族がいるのなら……そんなことは断じて出来ない!!


 家族を養うのなら、危険な仕事だが収入の安定している騎士の方が、冒険者より良いに決まっている!


 モードレッドは俺なんかよりもよっぽどしっかりしている……! 俺よりもよっぽどしっかりしている……地に足をつけている……偉い……!! 真っ当な人間の営みを送っている……!! 家族を持った上での最上級騎士という大役……!! 偉人……!! 聖人……!!


 家族の柱でありながらも……天導騎士団としても柱……太い…!! 強さも……生き様も……人間性も……芯が通っているうえに太い!! 超極太!!


 戦闘者としての力は拮抗しているが、一人の人間として、男として、モードレッドには覆しようのない敗北感を覚えた。家族を持つこと……この俺が死んでしまい、王族として成すべきことだと思っていたのに成し得なかったことを、当たり前のようにやっている…!! 偉い!!


 一人の人間として、一人の人間を愛し、その間に生まれた命を育む……これ以上に尊い生命の有り様を、ボルクスは知らない。


 モードレッドとその家族は、俺が英雄としてでも、命をかけて守らなければならない、尊い人間の営みそのものではないか……!!

 

「ッッッッッッッッ!!!!」


 ボルクスはただひたすらに、何の意味もなさない声を上げ、ベッドの上でジタバタした。綺麗に敷かれたシーツや布団がシワだらけになっていくことを微塵も気にせず。


 モードレッドに対する申し訳なさや自己嫌悪、自分は生前、家族を持つべきだと思っていたのに持てなかった上に、モードレッドが家族を持っていたことに対する敗北感が心の中でがごちゃ混ぜになる。


 ボルクスは冒険者からただの遊び人へと、自分で自分を格下げした。


 教義や規律に縛られた存在である騎士を、自由へと導く冒険者から、男としての社会的責任を果たさず、あまつさえ他人の家族の大黒柱を冒険者という不安定な職に就かせて、その家族を路頭に迷わせ、生命の営みを危険に晒すような、何も見えてない、何も考えていない、自由という名の享楽にふける、ちゃらんぽらんな遊び人へと、自分で自分をできる限り、無限に格下げして、ただひたすらに自己嫌悪した。


 そして、あの時はただ、家族の存在を匂わせるようなことなく、一人の騎士として平等な立ち位置で会話をしてくれたモードレッドに心から尊敬の念を抱いた。死なせてはならない人間だと思った。居ても立っても居られなくなり、ベッドから一気に飛び起きる。


 死なせてはならない、自分がこれから命をかけても守るべき人間の娘がくれた菓子を、素手で掴んで一口で一気に頬張る。


「美味い…!! 美味い…!!」


 ザッハトルテは甘すぎず、苦すぎず、絶妙な甘さ加減だった。間にあるアプリコット(杏)ジャムの酸味が程よいアクセントになっている。ボルクスの情緒はめちゃくちゃだったが、お菓子の美味しさだけはしっかりと味わえた。


 この複雑な気持ちは、体を動かすことによって紛らわせよう。そう決断した。服を着直して爆速で部屋から出る。家の構造は全く知らないが、中庭くらいあるだろう。そこで体を動かすことにする。


 廊下をずんどこ突き進み、二回くらい曲がると、誰かとぶつかりそうになった。しかし、道を譲る譲られるのやり取りの前に持ち前の反応速度で、瞬時に自分からかわして相手に道を作る。


「あら、ごめんなさい」


 ボルクスの素早い足運びを目で追ってきた女性が、可憐な声で、謝罪する。ぶつかりそうになったことに気づいてはいたが、驚いた様子はない。だがボルクスはその女性を見て、驚いた。


「いえいえ、どうかお構いなく……」


 ボルクスの返答も尻すぼみになっていく。目の前の妙齢の女性は麗人という言葉がよく似合う、美しく上品な女性だった。艶のある色白の肌に、形の良いたれ目、それを囲む睫毛は長く、きめ細かい。長い後ろ髪は一つに束ねて結ばれている。髪はよく手入れされたのを感じさせ、艶のある光沢を放っている。ぶつかりそうになって近づいた時はめちゃくちゃ良い匂いがした。程よく筋肉のついた体つきをしているが、腹が少し膨らんでいる。顔にはシルヴィの面影がある。もしや……


「あなた、もしかして今日新しく来た従士かしら?」

「はい、ボルクスと申します。これからはモードレッド卿とこの家に誠心誠意仕えさせていただきます。以後お見知りおきを」


 モードレッドにやったように、丁寧に礼をする。女性はボルクスの洗練された礼を見て、柔和な笑みを浮かべる。


「私はフライア、モードレッドの妻です。此度の奉公に対するその心意気、誠に感謝いたしますわ」


 フライアは手を腰の前に組み、深々とお辞儀をした。


 目の前の女性、フライアの形の良い唇から発せられた言葉が脳に、雷鳴のように鳴り響く。予想はしていたことではあるがやはり衝撃だった。


 妻……! やはりいた……! 子供がいるから、当たり前だ……! だが、生まれるであろう子供は恐らく二人目……! モードレッドは間もなく……二児の父親……!!  偉い……! 尊い……! モードレッドも、その家族も恐らく今が大事な時期……! まだ従士になったばかりだが、俺が……俺が……モードレッドを支えなければならない……!! シルヴィはもうすぐ……お姉ちゃん……!!


 頭を下げたまま、表情筋を強張らせ、堅く決意をする。フライアはそんなボルクスをまじまじと見て、美しい髪を揺らして鈴のように微笑んだ。


「ボルクスさんはとっても強そうね~、助かったわ~、こんなに強い人が来てくれて。見ての通り私は身重だし、夫は相変わらず忙しいし、シルヴィもどんどん大きくなるし、これからやることがまだまだ増えていくのよね~」

「モードレッド卿が従士を募ったのも、そういう理由だったのですね」

「あっ、そういえばシルヴィにはもう会った?」

「会いましたよ。お嬢様はとても利発そうでした。同じ年頃の自分なんか足元にも及びません」

「そう、私も夫も、シルヴィには中々構ってあげられないから、時間があればあの娘とも仲良くしてあげてね。ボルクスさん、この家の中じゃシルヴィと一番年が近いから」


 フライアが再び頭を丁寧に下げた。

  

「モードレッドのことも、どうか支えてやってください」


 床を這う声は今までとは重みが違った。本当にモードレッドのことを大事に思っているのが、その動作と声で直に伝わってくる。


「あの人は危なっかしいところがあるから……この前だって、任務の途中で急に現れた悪魔と闘って……なんとか勝って、任務も成功したらしいけど、傷だらけで一週間も寝込んじゃってね」


 頭を上げたフライアの悪魔という言葉に、鈍器で殴られたような頭痛がする。フライアの思いをしっかり受け止め、ピンと背を張り、真っ直ぐに礼を返す。


「委細承知しました。モードレッド卿のことはお任せください。最上級騎士の名に泥を塗らぬように、部下として、存分に働かせていただきます」


 心が串刺しにされたように痛い。レア救出の際は殺す気はなかったが、自分も、相手も命がけで闘ってた。自分と同じように生死を彷徨ったのだ。シルヴィも心配していたに違いない。もしかしたら泣いていたかもしれない。


「ありがとう、ボルクスさんのような人が従士になって、とっても頼もしいわ。これからも末永く、よろしくお願いしますわね」


 フライアはとても満足そうに微笑んでいた。心からの誠意が、とりあえず言葉と態度だけでも伝わって何よりだ。次は行動で示さねばならない。


「そういえば、何か急いでいたようでしたけど、何かお探しなのかしら?」

「従士として明日から働いてもらうから、今日は休めとモードレッド卿に言われました。しかし大して疲れていませんので、体を軽く動かしたいのです。中庭などで鍛錬などを行ってもよろしいでしょうか?」

「ならこの家には、練武場がありますわ。この家の人間なら誰でも、今後いつでも使って構いません。中庭から出て右の建物よ、そこで思う存分体を動かして頂戴」

「はい、ありがとうございます奥様。それでは失礼いたします」


 手をひらひらさせるフライア、ボルクスは軽く一礼して去っていった。予想はしていたことだが、やはり実際に見ることも衝撃であった。衝撃の事実の上塗り。聖皇になる前に自分が守るべき存在をしっかりと脳に叩き込んだ。


 その日は練武場で、いつもよりキツめに基礎訓練をこなした。


 


 

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