第22話 仇敵との再会
「あーー……」
モードレッドはやや冷めた紅茶を、一気に飲み干すと、大きく息を吐いた。自宅の執務室の机に向かい、多くの書類仕事をこなし、一段落したのである。
あのボルクスという男の死闘から半年、モードレッドはあの出来事と比べると、忙殺されてはいたが、どこか刺激のない退屈な日々を送っていた。二度と顔を見たくないが、あの男は今、どこで何をしているのだろうか。
レアの処刑の失敗したが、モードレッドは地位も名誉も何も失うことはなかった。リズの逃走の際の後処理が非常に巧みだったからだ。モードレッドはボルクスを気絶させた直後、自分も立ったまま気を失った。レアも死にかけであったため、その場で意識を失わず、自由に動ける人間はリズ一人だけであった。
リズはまず急いで磔刑台を焼却し、残った燃えカスを全てかき集めて、後で海にばらまいた。本来なら磔刑台は、レアごと完全解放のラミエルを受けて、塵一つ残さず完全に消失するためだ。その次に、前もって用意しておいた、自分とボルクスの死体をその場に放置した。
最後に処刑場に集まった下級騎士の何人かに、自分が逃走してからすぐに目を覚ますように軽く回復魔術をかける。その後、転移魔法のスクロールにてベルガの船に直接逃亡。
結果、モードレッドよりも早く目を覚ました騎士が見たものは、気を失ったモードレッドとガスパー、他の騎士、そして、リズが用意したボルクスとリズの死体、レアがモードレッドに時間稼ぎをした際に、体を激しく損傷させられ、地面に散らばったレアの髪の毛や歯、そして血痕。
リズの狙いは目覚めた騎士に、処刑中止のために突然現れた魔女と悪魔を、モードレッドが自らも気を失いつつ討伐し、元々の処刑もなんとか執行できた。と誤解させる必要があった。
四大天士の力は絶大で、リズもその四人が負けたことなど聞いたこともなかった。同じ騎士団にいるなら、最上級騎士の力を近くで目の当たりにして、過信していると踏んでいた。
事はリズの思惑通りに運んだ。リズの回復魔術で目覚めた騎士は目の前の状況を鵜呑みにして、モードレッドがボルクスと同じように一週間寝込んでいる間に、上にはモードレッドが戦いの末、魔女処刑の任務に成功したと報告した。
モードレッドが目覚めた時には既に遅かった。誰もがモードレッドの任務成功を無条件で信じていた。ガスパーでさえ自分の仇を討ってくれた、と喜んでいた。今さらモードレッド自身が真実を釈明したとしてもほとんどの人間は信じないだろう。それほどまでに、四大天士の力とは圧倒的なのだ。モードレッドも自分自身の状況をよく考えて、真実を握りつぶした。あの三人のうちの誰かが、聖都に二度と戻ってこないことを祈りつつ。
コンコンと、執務室のドアが礼儀正しくノックされる。答えの出ないボルクスの今現在の場所や動向を思案していたモードレッドが、ふと我に返る。
「入れ」
「失礼します」
モードレッドにとってこういう入室お手本のようなノックをする人間は、ガスパーしか知らない。ガスパーは上級騎士の他にも、モードレッドの家の執務や家計など、様々なことを管理する家司という身分であった。
「モードレッド様、従士試験に合格した者を連れてまいりました」
部屋に入り、机の前のに真っ直ぐ立ったガスパーがうやうやしく話す。モードレッドの部下はこれまでガスパーただ一人である。これからはとある諸事情により、人手が今より多く必要になると判断した。
ガスパーは先の闘いで手持ちの悪魔二体を失った。これは悪魔使いとしての戦力はほとんど見込めないということである。その上、新たな悪魔を使役できるようになるまでは多大な時間と手間がかかる。
この従士試験は、ガスパーに変わるモードレッドの戦闘補助、闘いにおける新しい右腕になる人間を選ぶ目的があった。したがって、試験では主に戦闘面、体力面、精神面、などを精査した。従士としての仕事は厳しいものだが、報酬もそれに相応しく破格である。
モードレッドは出自、身分、年齢、性別を問わず幅広い層から従士となる人間を募った。本来であれば自らが従士志願者達と顔を合わせ、念入りに審査したかったが、最上級騎士としての仕事は多忙にわたり、時間がどうしても作れなかった。
家のことも心配だったがよりも騎士としての役目も果たさなければならなかった。故に、悪魔使いとしての戦力を失ったガスパーに、数多く集まった志望者の選別を一任した。
「ご苦労。丸投げして悪かったな。おかげでこっちの仕事にも集中できた」
「いえいえ、悪魔を使えない悪魔使いなど、これくらいのことでしか役に立てませんので。それより、自分で言うのもなんですが、従士試験では中々の逸材を発掘できましたよ。単純な戦力としては悪魔を使う時の私以上かもしれません」
ガスパーが手のひらを擦り合わせながら、ニヤリと笑う。それにつられて、モードレッドの口元も僅かな期待に緩む。
「ほう、お前がそこまで言うなんて珍しいな。どんなやつなんだ?」
「元々は純白級、つまりは駆け出しの冒険者でしてね。しかし、その階級とは裏腹に中々腕っぷしが強いのです。さらに人柄もモードレッドの様に仕える者として申し分ない。この家の警護は彼一人いれば足りるでしょうな」
「そいつは頼もしいな、どらくらい強い?」
「戦闘、体力、精神、どれも試験では他の追随を許さないほどでしたよ。にも関わらず力の底を見せた様子はありませんでした。彼が従士になればモードレッド様の大きな助けとなるでしょうね。私も彼と共に働くのが楽しみです」
ある程度の力量も選別の基準の一つとしたが、求めた以上のものがガスパーの口から語られ、モードレッドの口角が上がる。
「優秀な人間を見つけてくれたことに、改めて感謝するぞ。俺の仕事も大分楽になるだろうな。早速合わせてくれ。連れてきているんだろう?」
モードレッドが、期待している眼差しで、顔を扉の方へ向ける。その反応にさぞ満足してガスパーは扉の向こうにいる、モードレッドの新しい右腕へと声をやる。
「入りなさい! モードレッド様がお呼びですよ!」
扉が、開かれる。モードレッドは期待しているからか、やけに扉の動きが遅く見えた。これまで試験の途中経過などを一切聞くことはなかったのだ。ガスパーが誰かを褒めるというのも、珍しい。
どんな逸材を発掘したというのか、心臓の音がいつもより少し、早くなる。自分を落ち着かせるようにモードレッドは扉を見つつ、二杯目の紅茶を口に含んだ。
「ただいまご紹介に預かりましたボルクスと申します!」
「ブーーーーッ!!!」
入ってきた者の顔を見た瞬間モードレッドは霧吹きのように、口の中の紅茶を吹き出した。紅茶噴出はボルクスが話し始めるのとほぼ同じタイミングだったため、紅茶を吹き出した音がそれよりデカい声と重なったため、ガスパーは気づいていない、ボルクスの元気の良さにニコニコしている。
ボルクスはリズに話してもらった死体工作と、それから得られるであろう結果を、無条件に信じていた。アルマ神聖帝国に帰ってきた後、聞き込みを行ってモードレッドの任務が成功扱いになっていることを知り、心の中でほくそ笑みながら堂々と従士試験を受けて合格し、モードレッドの目の前まで出てきた。
モードレッドとはもはや敵対する理由がない。理由がなければ個人的な私怨のために剣を振るうような人物ではないだろうと根拠のない確信があった。
「いやはや、自分の聞こえる距離で褒められるというのはなんともむず痒いものですなあ!」
「何をおっしゃいますか! すべて事実ではあられませんか! このガスパー、ボルクス殿をモードレッド様に引き合わせるのを楽しみにしておりましたぞ!」
「うぇーーーっほえっほえっほえっほえほえほえほ」
ボルクスとガスパーが顔を見合わせて和気藹々と話し合う。驚きのあまり、まだえずいているモードレッドを放っておいたまま。
「おやモードレッド様、如何いたしましたかな?」
「いや、なんでもない……むせただけだ。タイミングが悪かったな」
ボルクスが右手を左胸に当てて、一礼する。上流階級の社交界に出しても恥ずかしくないような、流麗な動作の礼儀作法だった。
「お初に、モードレッド卿。ご武名はかねがね。この度、私めを従士にしてくださり、誠にありがとうございます。あの最上級騎士であるモードレッド卿に仕えることができるとは、この身に余る光栄でございます。至らぬ点も多々あるかと思いますがご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます!」
ガスパーはボルクスの一級品の礼を、まるで名画を見るかのような眼差しで見つめ、うんうん頷いている。本人もたまに忘れがちだが、ボルクスの人間の母親は大昔に存在していたセパルカという国の王妃で、その息子のボルクスは王族である。この国の礼儀作法を身に付けることはボルクスにとって朝飯前だった。
「田舎の出だというのに、素晴らしい礼儀作法だとは思いませんか? ボルクス殿は私と出会った時は既に、礼儀作法も立ち振る舞いも洗練されてましたぞ! 出自を聞くまでは、貴族の出身かと思いましたからな!」
「いやいや、良き師に巡り合えたものですから……」
べた褒めをするガスパーにボルクスは頭をかきながら、にやにや笑っている。モードレッドは目の前の光景が信じられなかった。悪夢の方がマシだとすら思った。
なぜあそこまでの死闘を繰り広げた男が、どういう経緯でこの国に帰ってきて、どういう理由で自分に従士として仕えようと思ったのか、全くもって理解が及ばない。
ボルクスの腹の底が見えない。必死で平静を装いつつも、内心は荒れ狂う海のように、穏やかではない。しかもガスパーにめちゃくちゃ気に入られている。
ボルクスはモードレッドを見て、やはり笑っている。ボルクスでなければ、その笑顔は愛想が良いと好印象を覚えたのだろうが、ボルクスの笑顔にはいやらしさというか、いたずらっぽい笑みが僅かに見え隠れしている。
ガスパーはボルクスが、使役する悪魔二体を一瞬の内に葬り去った男だとは、気付いていない。なぜならボルクスはその時、頭巾と面頬で顔を隠していたからだ。ガスパーにとってのボルクスとの初対面は、試験において、試験官と従士候補として顔を合わせた時である。
「あ、ああ……よろしく頼む」
動揺は表に出さない。心の中にギリギリで押し留めておく。紅茶噴出もなかったことにしよう。
「では私は別の仕事があるので、これで失礼いたします。何かわからないことがあれば、すぐに私に聞いてください。このガスパー、同じモードレッド様に仕える者として、あなたに手を貸すことを惜しみません。それと敬語は無用ですぞ! 我々二人はもう同僚ですからな、歳の差は気になされないように」
「では」と言い残し、ガスパーが去った。完全に遠ざかっていくのを確認した後、モードレッドの体は質の悪い病のような脱力感に襲われた。
「はぁ~~~~~~」
椅子にもたれかかり、肺の中の空気を全て吐き出すほどの溜め息をつき、ボルクスを呆れたように睨みつける。
「一体お前はここに何をしに来た」
さっきまでボルクスの被っていた仮面が一瞬で剥がれ、ガスパーがべた褒めしていた立ち振る舞いが一瞬で消え失せる。姿勢を崩したボルクスは目だけ笑みを消す。モードレッドは息を飲んだ。返答次第によっては、この場ででも闘うつもりだ。
「もうあんたをどうこうしようとは思わない。いつかの勧誘に乗ってやっただけだ。今日から俺は正式にアンタの部下だぜ」
「あんなことをしておいて、天導騎士団をボロカスに言っておいて、今更俺の勧誘に乗る理由が全くもって理解できんな。俺の部下になる以外にもこの国での目的があるんだろう? お前のような人間が金や名誉、地位で動くとは考えられんし、俺の従士になるのも恐らく手段に過ぎんな。本当のことを言え、お前は何をするために、この国に帰ってきた」
モードレッドが頬骨をつき、低い声を机から這わせる。
アタランテとアキレウスのように、悪魔となったかつての仲間たちを救うという目的は言えない。だが、それを抜きにしても嘘ではなく、言えることはある。
「聖皇になるためだ」
ボルクスが完全に顔から笑みを消し、視線が力強いものへと変わる。嫌なことを思い出させてくれる目だ。自分が救いたいと思った目の前の人間は、全て救えるとでも言わんばかりの光り輝く目。処刑の日にボルクスと闘った時、その目の光は、一切陰ることはなかった。
その目の光を、真正面から浴びせられる度にモードレッドの心の中の影が黒く、濃くなっていくような気がした。その感覚に全身の毛が逆立つ。
「聖皇になって、俺がこの国を、レアのような人間を二度と産まないような国に変える。レアに難癖つけて理不尽に殺そうとした聖十字教を内側から変える」
本気か? とモードレッドは聞こうとして口をつぐむ、本気じゃなければわざわざこんな場所まで戻ってこない。ボルクスにとってこの国は、一歩間違えれば、周りの人間全てに敵意が向けられるような、針の筵のはずである。にも関わらずここまで来た。自分に同じことができるだろうか?
「最上級騎士の部下になることが、聖皇への近道だと思った。従士っていう身分は低いもんじゃないだろ?」
モードレッドは返事をすることなく、テーブルへと視線を落とした。ボルクスの言葉を頭の中でくり返す。一度は聖十字教に逆らった男が、聖十字教と天導騎士団の頂点に立つと言う。冗談ではなく大真面目に言っている。
モードレッドが俯き、その肩がにわかにゆっくりと上下し始める。
「フハハハハハハハハハハハハ!!」
突然、モードレッドは大声で笑い出した。完全に予想外の反応にボルクスの表情も身体全体も固まる。
「ハーーハッハッハッハ!!」
目の前で笑われている。何がおかしかったのだろうか。自分か聖皇になると言ったことだろうか、だとすれば自分の夢を、生涯をかけてでも成し遂げたいと心に決めた夢を、笑われたことになる。
しかし、モードレッドの笑い声には困惑したが、不思議と嫌悪感が湧かなかった。その笑いは侮蔑や嘲笑といった相手を下に見る意図は見られなかったし、どこか自虐めいたものを感じたからだ。
「面白い男だ」
低く笑いながら言う。面白いという言葉も、笑えるというより、興味深いという意味に聞こえた。その証拠にモードレッドの目は一切笑っていなかった。ある種の真剣みさえ感じられる。
「お前が天導騎士団側の人間になるということは、お前の救ったあの娘と同じような境遇の人間を、他でもないお前が、殺すことになるかもしれんということだぞ。お前が死に物狂いで止めた処刑を、お前自身が執り行う覚悟はあるか?」
「ないね。それも死んだほうがマシだな。というか、レアと似たようなケースならこっそり逃がすかも。無論、罪人の言い分を鵜呑みにはしない。裏付けはした上で行動に移す」
「ということはお前のやることは変わらないということだな? 天導騎士団として、神に仕える身でありながら、救いたいと思った人間を、時に神の意に反してでも救うと?」
俺も半分神だからな。と言い返そうとしてボルクスは口を噤み、自分の意志を伝えるための言葉を選び、ただ真っ直ぐにモードレッドを睨み返す。
「そう言っている。俺は信仰より信念をとる」
この目をするボルクスの強さを、モードレッドは嫌というほど理解している。半年前の死闘が昨日のことのように感じられた。外傷は完治したはずだが、ボルクスに殴られた箇所全てが熱を持って疼く。
二人が睨み合う部屋にコンコンと、扉を叩くノックの音が響く。ガスパーのノックよりも小さく、たどたどしい感じのする音だ。扉の方を見た後、二人は威圧しあうような空気を引っ込め、顔を見合わせる。モードレッドが顎で扉を指し、無言で開けるように促す。ボルクスは指示に従い、ゆっくり扉を開けた。
四歳くらいの可愛らしい女の子だった。金髪で、高価そうな服の上にエプロンを巻いている。
紅茶と歌詞を乗せたティーカートを押して、入ってくる。ボルクスの顔を見ると、「こんにちは」とぎこちなくも挨拶したので、ボルクスも笑顔で挨拶を返した。使用人の見習いだろうか、ボルクスが首を傾げていると女の子は緊張しながらも小さな口を動かす。
「パパ……」
「パ↑パァ↓!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
たったの二文字であったが、天地が割れるような、空前絶後の驚きのあまり、ボルクスは素っ頓狂な声を上げて、飛び出る勢いで目を大きく見開く。女の子がボルクスのデカい声に驚き、ビクンとその身を大きく跳ねさせる。
あんぐりと口を開けて女の子とモードレッドを交互に見る。女の子は少し怯えていた。モードレッドはというと、子供の手前笑いつつも、吊り上がった口の端がひくひくして、うっすらと青筋を立てている。目も完全には細めていない。僅かに閉ざした瞼の下から瞳を覗かせ、ボルクスの動向を注意深く観察している。騎士としての威圧とは違う、父親としての圧を感じる。
モードレッドの子供だろうが、子供は子供だ。膝を曲げて目線を合わせる。とにかく怯えさせないように優しく話す。孤児院に言った時のことを思い出しつつ、警戒されないように振る舞う。
「ご、ごめんね驚かせちゃって。僕はね、君のお父さんにね、こんなに可愛い子供がいるとは思わなかったから、びっくりしちゃったんだ。許してくれるかい?」
目を細めるボルクスに、女の子ははっとして、自分がなぜ来たのか思い出し、ティーカートの方を手で示す。
「はい、気にしてません。おにいさん、新しくパパと働く人でしょ? お茶とお菓子を持ってきたのでどうぞ召し上がってください」
「ありがとう、これはなんていうお菓子かな?」
ボルクスがティーカートの上の、こげ茶色一色のケーキのような菓子を指す。
「これはザッハトルテという名前で、この国ではみんながよく食べるお菓子です」
「とっても美味しそうだね。食べるのが楽しみだ」
これは嘘でも世辞でもない。紅茶の香りはよく、ザッハトルテもほのかにチョコレート甘い香りがして、いい感じに小腹が刺激される。
女の子が一生懸命敬語で話し、ペコリと一礼する。ボルクスも一度は立ち上がって一礼した。モードレッドが少し警戒を緩めて、女の子に笑いかける。
「シルヴィ、お茶とお菓子を持ってきてくれてありがとう。パパはこの人と大事な仕事の話があるから、もう戻ってなさい」
こいつ子供の前で、自分のことパパっていうタイプだったのか……。ボルクスは目の前の親子の会話に心を奪われ、聖皇がどうのとかは一旦頭から離れる。
「はい、パパ。失礼します」
シルヴィが返事をする。部屋を出る前にもう一度丁寧に頭を下げると、扉を閉めて去っていった。遠ざかっていく小さい足音がやけに耳に入ってくる。
「おい……」
モードレッドの短く、苛立ちのこもった声でふと、我に返る。
「変な気は起こすなよ」
振り返らずとも、モードレッドの鋭い眼光が槍衾のようになり、背中に刺さるのを感じる。
「ま、ま、まさかぁ! 子供がいるのに驚いただけだぜ? 変な気なんて微塵もない! 子供は誰だって可愛いもんだろ! それに俺が同じ年の頃よりもしっかりしてるぁ~って感心したくらいだ」
ボルクスが肩をすくめて必死で釈明する。モードレッドも警戒していたが、その言葉に偽りがないとわかると、徐々に気迫を引っ込めていった。
モードレッドに家族が、しかも娘がいたという衝撃の事実も受け入れた。一息ついて落ち着きを取り戻し、モードレッドの状況を冷静に分析する。
シルヴィが出ていった扉を、どこか遠い目で見つめながら、ボルクスは呟いた。数秒前の慌てふためくさまとは別人のような口調である。
「矛盾を感じていたんじゃないのか?」
曖昧な言葉だが、モードレッドに向けられた言葉である。ちらりと横目で見ると、複雑そうな顔をしている。
「自分にとって大事な人間を守るために、誰かにとって大事な人間を魔女として殺すということに、そんなことをしている自分に」
「……」
「次に魔女として殺すのは、誰かの娘かもしれない。自分の娘と同じ、ただ家族を愛しているだけの罪なき人間かもしれない。そしてその命令を下すのは、魔女として殺すのを肯定するのは、あんたの信仰する神だ。そこにあんたは矛盾を感じているし、精神的な苦痛も感じている」
淡々としたボルクスの口調にモードレッドは忌々しげに、目を逸らす。
「もしかしたら、自分の娘が……」
「言うな」
モードレッドが机を人差し指でトンと叩き、短い言葉でボルクスの話を遮る。複雑な表情でボルクスを睨んではいるが、怒っている様子でもない。その言葉にはどこか弱弱しく、口惜しさを帯びた諦観めいたものを感じた。
「俺の言おうとしていることを否定するのではなく、止めるだけっていうのは、あんた自身、俺の言葉をよくわかっているからだ」
「だとしたら、なんだというのだ。お前に何ができる」
「俺が聖皇になれば、そんな矛盾も苦痛も、誰にも抱かせない。罪なき人間が、神のためにという不当な理由で殺されるようなことは二度とない。俺は、人のために生きる聖皇になる」
敵対していた何度も時に向けられた、力強い目だった。だが、今は神さえ射抜くようなその眼差しで自分の側に立つと言うのだ。これほどまでに心強いことはなかった。
目の前にいるこの男は、半年前に死闘を繰り広げ、二人の人間を救った男は、自分と自分の家族をもあの娘と同じように救おうとしている。その瞬間、他でもないモードレッド自身の心が軽くなったような、肩の荷が下りたような気がした。
まだ、ボルクスの決意を聞いただけだというのに、かつての敵に救われたという感覚と頼もしさを抱いてしまう自分がいる。それに気づいた瞬間、どうにも自分で自分がおかしく、自嘲するように鼻を鳴らして笑った。
「……いいだろう。お前が俺の従士になることを認め、天導騎士団にも入れるように俺が掛け合おう」
「ありがとうモードレッド。俺を部下として迎え入れてくれたこと、感謝する」
その言葉に満足したボルクスが、モードレッドと握手を交わそうと手を差し出す。しかし、モードレッドはその手を握り返さず、首を振って力強く忠告する。
「ただしだ。もしあの娘を逃がしたのがお前だとバレた時や、お前の独断専行で罪人を秘密裏に救おうとしているのがバレた時は、俺は容赦なく、お前を始末する。家族を守るためにもな」
「構わない。できるだけ迷惑をかけないようにする」
「それ以外は、お前の気高い誇りと神のためではなく、人のための聖皇の誕生に賭けよう」
今度こそ、ボルクスとモードレッドは固い握手を交わした。お互いの素性を全く知らない、偶然の出会いから始まり、レア救出においての激闘を経て、今まさに、上司と部下という関係となった。だが、その関係性の字面以上にモードレッドはボルクスに期待を寄せていた。




